10 下界に舞う式は
「随分と苦労していたんだな、夜美」
「お兄ちゃんの苦労に比べれば、安いものだよ」
「・・・とにかく、このことは感謝するばかりだ」
「違うよ。お兄ちゃんがいたから、頑張れた」
「そうか。そういえば、いつ頃、「舞式」という名前を考えたんだ?」
「それはね・・・」
そこには、人がいっぱいいた。
司闇の里とは全く異なる雰囲気。
棒についているパネルには文字が書いてある。
その文字は__。
↑ トウキョウ
正直、挫けそうだ。
このままでは着く前に倒れるに違いない。
まずは、身を休める場所が必要だ。
そんなことを考えていると、やたらと周りの人が自分を見ていることに気づいた。
「どうしたんだ?そんな重いものを背負って?」
「触らないで!」
亮夜をもの扱いして取り上げようとした(と夜美は解釈した)男から、弾いて躱した。その男はおそらく善意で持ってあげようと思ったのだろうが、完全に裏目に出てしまった。
「あ・・・その・・・悪い。なあお嬢ちゃん。どうしてそんなカッコしてるんだ?家出か?」
それでもめげずに、少しは理解した男は、改めて話を聞いてみる。
「トウキョウへ行こうとしているのだけど、休むところが欲しくて・・・」
「休むところかぁ。なら、この近場にホテルがあるんだ」
「ホテル?」
「宿泊施設、まあ、部屋を借りれる場所だ。俺が案内してやるよ」
「ありがとう、親切なお兄さん!」
こうして、協力者(?)を得た夜美は、この男と行動を共にすることにした。
「で、どうして家出してんだ?」
「お家に住めなくなって・・・お兄ちゃんを連れてここまで来たの」
「もしかして、その背負ってんの、お前の兄貴か!?」
「・・・うん」
「スゲー具合悪そうじゃねえか!!病院いった方がいいんじゃねえか!?」
「病院?」
「簡単に言えば、悪い所を治す場所だ。病名とか分かってんのか?」
「ううん。でも、病院には頼れない。あたしたちは早く、先を急がなくちゃいけないの」
「・・・お大事にな」
なんだかんだあって、ホテルに到着した。
「なあ、頼む!このお嬢ちゃんは、家を失っちまってんだ!一室貸すくらいいいだろ!」
__目の前の男の、妙に情けない態度を見て、夜美はため息を堪えなくてはならなかった。
「そうは言われましても、代金が必要で・・・」
「代金?」
「金を払わなくちゃいけねえってことだよ」
「・・・」
夜美の懐には、1億円がある。だが、呂絶が言うには、お金というのは限られている。もし、全部なくなれば、何一つ出来なくなるという、ある意味、命の次に大事と言えるものだ。__ちなみに、食料も、家も、乗り物も、お金が必要だと知って、夜美は先行きに不安を覚えていた。
夜美からすれば、8時間は寝たいのだが、一体、どれだけお金を支払えばいいかは分からない。安全に休めるということをお金で言い換えても、どれだけの価値が分からない。
「あの、8時間程休みたいけど、代金は?」
「8時間?えーと、一泊7600円で」
「高えよ!!お前、こんなガキ相手にぼったくるつもりか!」
「そうは言われましても、経営の都合で」
「人情ちゅうもんがねえのか!」
フロントの人は、頭を悩ましている。こんなタイプの客が来るなど、今までにないからだ。
短くない時間悩んだ後、フロントの人は、書類を差し出した。
「分かりました。では、そちらのお子様。こちらに必要なことをお書きください。名前、年齢、住所、電話番号、滞在期間・・・」
「え、え、ちょっと待って!それって何!」
「・・・すまん、向こうで書かせていいか?」
「・・・え、ええ、どうぞ。お値段はこちらで調整させていただきます」
夜美を連れてきた男は、彼女を引っ張って、向こうの椅子に座った。
その後、それぞれの必要な書くものを教わったが__。
「・・・どうしよう」
「どういうことだよ?」
「名前も、住所も、電話番号も、書けない・・・」
家出する前、父から「司闇」の名を捨てることを条件づけられた。同じ理由で、住所も使えない。それ以前に、住所すら知らないが。
「聞き忘れていたが、お前の名は?」
「夜美。名字だっけ?それはまだ、ない」
「ないって、親父さんのフルネームは?」
「色々あって、なくなったんだ。それで__」
結局、かなりスカスカな内容を、無理やり認めさせて、なんとかホテルに泊まることは出来た。代金は、半日かつ子供用ということで、2000円ということになった。
「全く、俺が知り合いだったから土下座で何とかなったが・・・それで、この後どうするつもりだ?」
「トウキョウで、家が欲しい」
「あー、そうだな。世間知らずすぎるから一から説明するけどよ、まずはこの辺にある地下鉄という所に行くといい。券売機というものがあって、そこに金を入れるんだ。それで、トウキョウまで乗って行ける。ただ、8時間休むんだろ?少々急がないと、地下鉄は止まっちまう。トウキョウについた後は、役所とかに行って家のことでも話してみるといい」
「ありがとう。あと、__」
「__ということだ。じゃ、頑張れよー」
部屋の前まで一緒にいた男から、トウキョウの行き方の他、最低限の覚えておくべきことを教えてもらった後、契約金500円を支払って、男は去った。
ひとまず休息所は確保できた。
思えば、亮夜に荷物に、ずっと背負っていて、かなり疲れていた。
しかしこの部屋は、司闇のお屋敷の所と同じくらい、施設が豪華だ。
亮夜と荷物を下ろして、亮夜に栄養ドリンクを飲ませる。自分も缶詰食品を食べた。
しかし、食料は後一食分。
デパートやらコンビニとやらで、食品を買わなくてはいけないのだが、夜美はともかく、亮夜はどうすればいいのかは悩みの種だ。
だが、今は貴重な休息時間。
休息に徹するべきと、夜美は意識から追いやった。
個室のお風呂もバッチリだ。
ささっと体を流して、ついでに亮夜も綺麗にして__邪心は湧かずに、ただ義務感で行った__、ようやくさっぱりした夜美は、亮夜と共に布団に入った。
何度か確認した亮夜の様子は、先ほどまでと比べて調子は良くなっている。本当の死体のように色が薄かった発見直後から、わずかに生気が戻っているのを、夜美はよく見詰めることで感じた。
「頑張って、お兄ちゃん。あたしがついているよ・・・」
その頃、司闇の里では、夜美と亮夜が姿を消したことで騒ぎになり、捜索していたが、結局見つかることはなかった。
「呂絶様、どうやらこの里を脱出したようです!」
「そうか・・・。捜索は中止にしろ」
「よろしいのですか?」
「ここにいないとなれば、捜索範囲は極めて広がる。下手に動き回って他の奴らに悟られるわけにはいかん。それより、葬儀を行う準備をしろ」
想定外な発言に、部下の女は驚きを隠せない。
「確かにこの1年で3人もいなくなれば、我らへの不信も無視できなくなる。だが、下手に誤魔化して痛い腹を探られるよりは、道義を通すべきだ」
散々、非人道的なことをやっている司闇の人間が道義を通すとなると、失笑を誘うものだが、勿論、当人たちはそんな失態をするはずがない。
「それと同時に、イシカワへの遠征の準備を行う。ここにある収容所を襲撃して、犯罪者どもを実験台のために連れ込む。抵抗するものは皆殺しにして構わん」
「承知しました」
報告と命令を受けることを終えた女は、退室した。
一人きりになった呂絶は、大きなため息を吐いた。
また、一族の威厳を優先して、無駄な犠牲を出させる命令を下すこととなった。
1年前に気づいた、大きな過ち。
だが、それは遅すぎた。
闇理は、既に次期当主として、地位と実力を完璧に身につけていた。
ここで威厳が落ちることがあれば、闇理が当主となることもあり得る。
そうなれば、また数々の犠牲が出ることは避けられない。
だから、こうしてリーダーに相応しい態度を表では見せないといけなかった。
そういう意味では、娘でありながら、夜美が少しだけ羨ましく感じた。
闇理は、亮夜と夜美の葬儀に参加しなかった。
「よろしいのですか、闇理様。ごきょうだいの葬儀に出席なさらずに」
「あんな形式じみたことをして、何の利もないことなど御免だ。それならば、クローンでも作った方が利になる。違うか?」
「・・・はい」
合理主義な闇理は、必要性を感じなかった。
「闇理兄様。こちらでしたか」
その現場にやってきたのは華宵だった。
闇理と違って、黒を基調とした服装。しかし、その様式はどう見ても、葬式に相応しくない。
「華宵。お前もサボりか?」
「兄様こそ。・・・これはクローン培養ですか?」
「ああ。使える奴を洗脳するのもいいが、俺たちが直接作れば、質も量も圧倒できる」
「さすがは兄様。最近のお父様には、正直、兄様を見習ってほしいものです」
華宵の容赦のない発言に、周りの研究者はざわめく。
「ほう、お前もそう思っていたか」
しかし、同調した闇理に、華宵も含めて、驚きは先ほどの発言よりも大きかった。
「兄様?」
「ここ1年の父上は、妙に穏便的な行動が目立つ。全く、まだ過闇耶兄上が死んだことから立ち直っていないのか?」
「お父様にとっては、過闇耶兄様は、第一子。お母様も同時期に体調を崩されたこともあって、仕方がないかもしれませんが・・・」
「大体今回も、夜美が脱走したにも関わらず、葬儀で済ませようとしている。腑抜けになった証だ」
「その点は私も同意ですね。おかげで兄様と勝負している時以外は、中々楽しい気分になりませんよ」
「俺もだ。本当なら、俺が直々に二人を殺してもよかったが、これ以上暴れても、結局は我らの方が損することになるだろう」
「とはいえ、一つ血祭りにあげたいところですね。そろそろ士気に影響が出始めていますから」
「全く、父上も軟弱なものよ。俺だったら、全てをあの二人に責任を押し付ける。裏切り者と出来損ないに相応しい報いを与えてやる」
「逃げるのは、弱い証。アレに生きている価値はありませんね」
「俺たち魔法師は、強さが全てだ。愚かな者は淘汰して、正しい世界を作り出す。そして、それを為すのが俺だ」
「楽しそうですね、闇理兄様」
「お前もではないか」
二人の兄妹は、大いなる野望を胸に、小さく笑った。
ベッド入って7時間が経過した頃、アラームによって夜美は目覚めた。
亮夜と荷物を背負い直して、カギを持って、フロントに出向いて交換。
フロントは同じ人物で、常に気まずそうな顔をしていたが、夜美は気に掛けることもなく、先を急いだ。
夜美がホテルを出た頃には、日が沈もうとしていた。
まず、地下鉄の入り口を探して、券売機でトウキョウ行きのものを購入。そして、使い方を尋ねて、地下鉄に乗り込もうとしたが__。
あまりに多すぎる。
ニッポン最大の都市、トウキョウは、出入りする人が非常に多い。今も、トウキョウから帰る人はもちろん、トウキョウへ戻る人もたくさんいる。
これだけ人が沢山いると、亮夜の身を守るのがかなり難しくなる。
どうしようか考えていると、また別の人に声を掛けられた。
「どうしたんだい、男の子を背負って?」
声をかけたのは、少しぱっとしない男。逆に言えば、偏見を抱きにくい姿と言えた。
「お兄ちゃんと一緒にトウキョウに行こうとしているのだけど、どう乗ればいいか分からなくて・・・」
「ねえ、親は?」
「・・・いないです。実家を追い出されて、二人で住むところを探しにトウキョウに・・・」
男の質問に答えていると、周りの様子がおかしいことに夜美は気づいた。
「う・・・う・・・泣かせてくれるじゃねえか」
「私も・・・なんて悲しい兄妹なの・・・」
「俺は感動した。少しだが、役立ててくれ!」
「俺、席譲る!お前達も席を譲ろう、な!?」
どうやら、今の話に影響を受けて、やたらと感情的になったようだ。
こうして、亮夜を下ろす分も兼ねた席と、お金を3000円程もらって、周りの空白も、夜美は手に入れた。
「すごく・・・優しい人・・・。お兄ちゃんも、これを知っていたんだね・・・」
こうして皆の好意を受けられると、感情的になる。
ぐずることなく、夜美は静かに涙を流した。
その様子に、少し離れていた人たちも、三者三様の感動する様子を見せていた。
「よかったなあ、娘」
夜美が涙を流し終えて、晴れやかになっていると、少し離れた隣で座っていた渋い男に声をかけられた。
「うん、ここには、こんなに優しい人がいるんだね」
そう答える夜美の声色も、普段よりも明るい。
「そういや、さっき、家を探しているといったな」
「うん」
「俺は、住宅経営が仕事なんだ。家を探すなら、俺が手伝ってやるぜ」
「いいの!?」
「もちろんだ。トウキョウにある、仕事場に連れてってやる」
「ありがとう、親切なおじいさん!」
またしても、頼れる人を味方につけた。
地下鉄に乗っている間、亮夜にドリンクを、夜美も缶詰食品をそれぞれ摂取して__この様子も、周りの人を泣かせて、もう二食分もらえた__、夜美と渋い男はトウキョウを降りた。
そして、男の仕事場に着いた。
男は部下から仕事を引き継いで、交代。カウンターの裏のソファに、夜美たちを案内した。
「さて、家が欲しいと言ったな?要望を言ってみろ」
相談を重ねて、建築地__自然が少しでもある__、階層__2階__、大きさ__一般住宅なみ__といったようにまとまった。
「あの、代金はどのくらいですか?」
話を重ねるにつれて、夜美の中でこの男の評価は上がっていた。敬意を払うといった部分もあって、話し方が少し丁寧になっていた。
「そうだな・・・普通ならざっと2000万円くらいだが、子供相手にそんなに払わせるのも酷だしな・・・」
「それくらいなら用意できますが」
夜美は、リュックサックに箱詰めされていたお金をささっと見せる。
「おお!!・・・いや、ちょっと待て、ここまでの話を聞く限りだと、お前たちが生活する上に何が必要なのか分かっていないようだよな?」
「・・・はい」
「最低限必要だと思うのは、キッチン、風呂、便器、冷蔵庫、電話機、テレビ。後、ベッド、テーブル、イスもないと困るだろ。ええと・・・よし、こんなところだ!さっきと同じく書いてみてくれ」
時間をかけて、書き終えて__風呂とベッドが妙に大きいことに男は突っ込んだが、夜美が有無を言わさぬ希望を言いつけられて、結局は受諾した__、後で用意できる役に立ちそうな小物の一覧を受け取った。
「このくらい用意するとなると・・・ざっと2800万だ。詳しくは後で纏めるが、お前の支払える代金は」
「問題ありません」
「よし決まった!じゃあ、最後に契約書を書いてくれ。・・・と言いたいところだが、俺がある程度指定する。住所は、新しく住む所、電話番号は、後日設定する、__で、後は名前だ。フルネームで書くんだぞ」
名前。
ここでようやく、名前を正式に決めることとなった。
この男には、夜美と名乗ったが、結局、名字は伏せていた。
ホテルの時といい、名前はちゃんと決めておかなくてはならない。
どうしようかと考えて__。
「すみません、少し時間を頂けますか?」
「どうした、漢字で書けないのか?」
「実は、その、トイレお借りします!」
「あ、ああ。右後ろを進んでいけばあるぞ」
亮夜を連れて、一旦、トイレに逃げ込んだ。
密室に入った夜美は、万能携帯を起動した。
これは、早い話が、辞書とネットを除いた携帯電話の機能を足したといったところだ。
夜美が調べたのは、漢字。
何かいい名前がないかと考えた。
(どうしよう、ここから探すのは大変だよ)
(ちょっと見た分だと、佐藤とか、高橋とか、渡辺とか、そういうのが普通の名前みたい)
(・・・うーん、少しカッコ悪いかな)
(そうだ、名字の意味は・・・)
(称号や家柄を表すというものか)
(司闇は、魔法六公爵の証。そういう意味合いだったんだ)
(・・・だったら、目標みたいな感じで纏めてみる?)
(あたしは、自分で踊りたい。誰かに命令されたわけじゃなくて、自分の力で踊るんだ。こんな感じで・・・)
(・・・あった、舞。中々いい感じだね)
(でも、一文字というのもねぇ。何か加えやすい漢字はないかな?)
(さすが電子機能、検索は便利だね)
(・・・舞藤、舞原、椎舞・・・あ、舞式なんてどうかな?)
(舞式夜美・・・うん、いい感じだ!)
(舞式亮夜・・・ちょっとかっこいいな)
(よし、これで行こう!)
「おーい、大丈夫か?右側のボタンで流れるぞー」
「大丈夫です!!」
終わらせて、夜美は部屋を出た。
「遅かったから心配したぞ。腹でも痛くなったか?」
「大丈夫です。名前を調べるのに遅くなりました」
「よし、じゃあ書け」
名前の欄に、夜美は記した。
舞式 亮夜 と。
「舞式か・・・ちょっと変わってるな。お前の名前は「やみ」といったが、漢字で書くと、やっぱりアレなのか?」
早速難癖をつけられて、少々へこんだ夜美だったが、自分がいいと思っているので、すぐに気を取り直した。
「はい。そんな感じです」
「・・・まあ、名前に同じ漢字があるというのは、なんだかんだ、名付け親から愛されていたんじゃないか?」
そのことには、声を荒げて否と返したかったが、そんな精神的キャパシティもないので、苦笑いで済ませた。
「よし、これで終わりだ。建築の業者と連絡して、明日から建築を開始する。おそらく一週間程で完成するが、それまではここの仮眠室を使うといい」
「え、いいの?」
「商売したとはいえ、子供を外に追い出すほど、俺は嫌な奴じゃねえ。道具は自分で用意してもらうが、仮設住宅くらいなら貸してやれるぜ」
こうして、直接建築してもらった上で、夜美は住宅を手に入れられることとなった。
血の呪いから解放されて、新たな地へと舞い下りた若者。
その式は、新たな理を生み出すと予言された。
その宿命を背負う者、名を舞式と呼ぶ。
二人の兄妹の結びつきと、宿命を表す、誇り高き者たちとなる名である。




