7 司闇亮夜、死す
「・・・」
「・・・どっちが、悪いんだろうな・・・?」
「あたしには分からない。公平に答えるなんて出来ない」
「・・・僕も同じだ」
「お兄ちゃんはあの時、上手く考えられなかったんでしょ?ここに来た時に、ようやく分かった・・・」
「・・・それでも、本当に夜美には感謝し足りないよ」
「・・・あたしがもう少ししっかりしていれば、お兄ちゃんは・・・」
夜美の部屋のバルコニーから脱出した亮夜は、身を投げた。
自殺しようとしたわけではない。
自暴自棄になったわけでもない。
何かに取り憑かれたかのように、亮夜は自然を求めていた。山の中で身を癒したいと、身体がそう命令した。
魔法は使い忘れていた。
そうするという考えが出来なかった。
2階から落ちた体は、当然の如く、相当な強打だった。当たり所が悪ければ、死すらあり得る。
明らかに骨が折れかける程の強打だったはずにも関わらず、既に普通の歩き方じゃない歩き方ではあったが、先ほどまでと変わらぬ足取りで、亮夜は森の中に消えた。__ちなみに、夜美がいつの間にか綺麗にした服をわざわざ持ってきて、歩きにくいと判断した亮夜が服を着直したので、タオル一枚と全裸で自然の中に溶け込むといったことはなかった。
亮夜が部屋を出た後、夜美は凄まじい虚無感に襲われていた。
寝る直前にパジャマに着替えるタイプなので、まだ私服のままだ。それでも、亮夜に気を遣わせたくなかったのか、単に堅苦しい服装が嫌だったのか、だらしないとまでいかずとも、ラフな服装である。
椅子に深く座り込み、そのまま眠ってしまうのではないかといわんばかりに、夜美の全身から力が抜けていた。
意識は、ほんの数分前にフラッシュバックする。
__少しだけ交わした、気遣い合う会話。
__助けるために、家出を勧めた会話。
__渋るあの人を、無理にでも助けようとしたあの発言__。
何故、あんなことになってしまったのか。
そして、どうしてあんなに怒ってしまったのか。
ぼんやりとした頭は、答えをそう簡単には見つけてくれない。
拒否、理想、同調、絶望、死、外、魔法、日常、司闇、家出、きょうだい__。
キーワードのみ浮かび上がる意識では、答えとなる文は生まれない。
酷く疲れた。
そう認識した夜美の意識は、休養を激しく欲した。
椅子に座ったまま、目を閉じて、眠りにつこうとした時__。
チャイムの音が聞こえた。
ぼんやりとした意識でも伝わる邪悪な雰囲気。
今の時間は、寝るには早い時間だが、このまま寝たふりをしようかと考えて、無視をしていると__。
扉の消える音がした。
思わず目を開けて扉に目を向けると、そこには闇理が立っていた。
「寝たふりとはいい度胸だな、夜美」
危機感からなのか、兄、いや、闇理に対しての意識からなのか、錆びついた意識は元通りになって、闇理の前に立った。
誰がどう見ても怒り狂っているその表情と声は、並の胆力では腰を抜かしかねない程だが、夜美は臆することなく、闇理と向かい合っていた。
「これから寝ようとしていたけど」
「まあいい。それより、亮夜を知らないか?」
とりあえず文句を言った夜美だが、闇理は無視して、要件を尋ねた。
「亮夜、お兄ちゃんなら来ていないよ」
少し不自然に途切れた呼び方は、先ほどの苦い記憶があってのものだ。
亮夜と二人きりの時なら、単に「お兄ちゃん」と呼ぶのだが、他の目がある時には、名前も加えて呼ぶ。
今は、不愉快な感情も加わって、素直に呼ぶことは出来なかったのだが、敬愛する亮夜を呼び捨てに出来ずに、即座に言い直した。
この間をどう解釈したのか、闇理が続けようとしたセリフは、若干の間が生まれた。
「亮夜が俺の手で鍛えているのは、お前も知っているはずだ。急にいなくなったことに関して、お前が関わっていないとは考えにくい。お前達二人は特別に仲がいいからな」
仲がいいと言われて、少し動揺して、夜美の身体が不自然に動いた。
「部屋に入らせてもらう。亮夜はいるか!?」
それを、隠し事をしていると解釈した闇理は、強引に入り込み、ベッド、浴室、トイレ、バルコニーとかなり細かく探し出した。浴室の不自然な匂いに訝しさを覚えたが、夜美の微妙な恥じらいを混ぜた、怒っているように見える態度もあって、深くは追及しなかった。
言うまでもなかったが、亮夜の姿はなかった。
見当違いだったことに違和感を覚えつつも、闇理は夜美に再度警告した。
「もう一度言う。本当に亮夜のことは知らないのか!?」
「そうよ。もう、用はないでしょ」
いつになく苛立ちが積もって、夜美は闇理相手にも、つっけんどんな態度をとっていた。亮夜にヒステリックな態度を見せた時以上に、激しく苛立っていた。それでも態度に出す程度で留めているのは、ある意味で、闇理を亮夜より信用していないからだろう。
「俺はもう行く」
これ以上は、ここで足踏みをしても仕方がないと判断した闇理は、夜美の個室から去ることにした。
「最後に警告しておこう。お前も司闇の人間としての自覚が足りない。いつまでも、亮夜の下で甘えていられると思うな」
そう言い残して、闇理は部屋を出た。
部屋を荒らされた(というと、かなり危険なように感じるが、実際には、整頓された部屋を乱されただけだ)のだが、夜美はすぐに全てを戻す気にはなれなかった。
ベッドだけを整頓して、パジャマに着替えて寝る準備を整える。
ベッドの中に入り込み、先ほどの言葉を再生する。
お前も司闇の人間としての自覚が足りない。いつまでも、亮夜の下で甘えていられると思うな__。
一体、何が言いたかったのだろうか。
夜美の兄として、兄に依存しすぎることへの警告か。
素質はあっても、開花していないことを暗に言いたかったのか。
亮夜と同じく、不適合者であることへの警告か。
出来の悪い、亮夜と同じ道を行かせたくなかったのか。
単なる説教なのか。
思いついたことを考える前に、夜美は眠りについてしまった。
言葉の裏に示唆されている、とんでもない危機に気づくことなく。
森の中にいた亮夜は、心の欲望に従って、森林浴をしていた。
今いる場所は、司闇の里の外周の山。普通の人間ならば、到底足を踏み入れることの出来ない険しい地形だったが、今の亮夜にとっては、何の苦もなく入りこめた。
ふわふわしている意識は、亮夜の自制を奪い、自然と調和しつつあった。
既に長い時を経て、日が昇りつつある。
当初は、自然の流れを感じる程度しか出来なかった亮夜も、これだけの時間が経過したことで、更なる事態にまで入りつつあった。
彼は、自然の流れに続いて、精霊の流れを感じつつある。
この地に感じる精霊は、暗く、闇を求めている。
大量に吐き出された精霊は、色を失い、地に還る。
時を経て、新たな色となって再び空を舞う。
そのためには、長い長い時が必要だ。
しかし、精霊の消耗が激しい現在は、精霊の力が枯渇しかねなかった。
力を失えば、秩序も、四元も、自然も、全てが崩れて、世界は滅ぶ。
だが、そうはならなかった。
消耗が激しくなったと同時に、新たな精霊も生み出された。
しかし、自然ではないそれは、自然という括りには入らなかった。
人工的な精霊は、今は自然的な精霊より多く魔法に、使われている。
その事実を知ったのは__。
彼の思考は、そこで止まった。
いや、生命は、と言うべきか。
彼は正気に戻った。
それと同時に、自然との調和も止まった。
「・・・ここは・・・どこだ・・・?」
彼が目覚めて口にしたセリフがこれだった。
先ほどまで、随分壮大な夢を見た気がする。
何も思い出せないのは、夢だからだろうか。
やたらと力が満ちている。
今なら、何でも出来そうなくらいに。
「・・・そうだ、maz#frit%lstに呼ばれた・・・」
聞いたこともない言語が、自然と口から出る。
「・・・何かをしなくちゃいけない・・・」
何か、使命を伝えられたはずだ。
「・・・でも・・・何だ・・・」
思い出せない。
でも、これだけは感じる。
自分の身体が、自然と出来たわけではない、と。
「・・・ああ・・・そうだ・・・」
生み出した者が、遺伝子から改造したはずだ。
常識ではありえない、外道の者だ。
その自分に与えられた使命は__。
「・・・どうでも・・・いいか・・・」
何かに導かれるかのように、彼は山を下り始めた。
「・・・少し前まで出ていたのはこれがやりたかったからなのか・・・」
「・・・ようやく「コレ」を手に入れられましたよ。これで反応しないはずがあるまい」
「・・・いいのか、闇理?それは最悪、使い物にすらならなくなるものだぞ?」
「父上、残念ですが、我らの存亡のために、一刻の猶予も許されません。まともなやり方では、これ以上の効果、いえ、改善は望めません」
「過闇耶と、同じ運命を辿らせるつもりか・・・!?」
「兄上は、真面目すぎました。全てに真剣になりすぎたがために、復讐をして、命を落としたのでしょう」
「・・・闇理・・・!」
「・・・言いすぎましたね。ですが、今回は違う。始めから、心などというものを捨てればよかったのですよ。そのための、実験第一号と思えば、安いものでしょう」
「なぜ奴にした?失敗したら、どうなるのか分かっているのか!?」
「ご存知ですよ。それに、死んだらそれまでのこと。一族の恥を消すことと同じです」
「・・・お前は本当に変わったな。お前は気づいていないのか?」
「何が?」
「・・・そうか、分からないか・・・。残念だが、ワシがいくら言っても耳を貸さないようだな・・・」
「・・・本気ですか、父上?」
「・・・いや、ワシは信じよう。せめて、生き延びることを・・・」
とある密室で行われた会談は、闇理が勝つことで終わった。
後は、奴の通りそうなところに「コレ」を仕掛けるだけ__。
自分の栄光のための、踏み台が出来ると思うと、笑みが止まらなかった。
「コレ」を連れて、闇理は指令室へ向かった。
何かに導かれたまま、彼、いや、亮夜は司闇の里に戻って来た。
ここに来て、ようやく彼は、我に返った。
昨夜、夜美の部屋を抜け出した頃の記憶が蘇った。
夜美の部屋を抜け出した後、何かに導かれるかのように、森へ向かった。
その森で、とても変わった経験をしたはずだ。
それから、ここに戻って来た。
__一体、何をしていたのかとても気になる__分かったのは、満腹感があるのと、妙に魔力が溜まっているのを感じる程度__のだが、何故か思い出せそうにない。
記憶の整頓を終えた後、今の状況を振り返った。
今、闇理はいない。
ならば、このまま逃げられるのでは。
そう考えた亮夜だったが、その希望を打ち消すかのように、警報が鳴った。
同時刻、夜美はパニックを起こしていた。
いきなり目覚めた彼女の脳裏には、昨日の記憶が最悪の形で変換されていた。
亮夜は姿を消し、闇理が抹殺すべく動き出すと、再生された。
「!!!」
最低限の身だしなみを揃えて、まだ馴染んでいない魔法道具・ネックレスを身につけて、夜美はバルコニーから部屋を出た。
仕込みを終えた闇理は、指令室で警報を鳴らした。
「侵入者排除!この件に関し、亮夜!立ち会ってもらおう!」
わざわざ名指しで呼ばれて、亮夜は絶望を悟った。
昨夜、脱走未遂__と亮夜は解釈している__をしたことが、闇理にバレて、その制裁も兼ねて呼び出したのだろう。
最も、闇理とその部下が四六時中見張っていたことを考えると、夜美が手を出した時点で、このようなことになるとは想像に容易いが、亮夜は夜美を少しも恨んでいなかった。むしろ、喧嘩別れみたいなことになったことを後悔していた。
今、彼にとれる選択肢は二つ。
このまま、闇理に首を差し出すか、Uターンして、本当に脱走するか。
僅かに悩んだ後、亮夜はまっすぐ歩き始めた。
警報の内容を聞いて、夜美の焦りは加速していた。
闇理が亮夜を探すのは想定していたが、まさかここまで直球に探し出すとは思いもよらなかった。
司闇の人間は、自分と亮夜を除いて、プライドが高いと思っている夜美は、首を絞めるような真似はまずしないだろうと思っていた。
だが、今回の内容は、一歩間違えれば、闇理が非難されるようなものだ。それをわざわざ警報という形で一族全体に伝えるなど、普段の彼らからは想像もつかなかった。
最早、一刻の猶予も許されない。
山の中、亮夜を探していた夜美は、疲労していた身体に鞭を打って、司闇の里へ戻るべく、駆け出した。
亮夜は、指令室に到着した。
「待っていたぞ、亮夜」
その声は、闇理。
内容の割には、呂絶も、華宵も、その他のメンバーも来ていない。先にいたのは、闇理とその部下たちだけだ。
「数刻前、ここに入り込んできた侵入者を抹殺した」
「・・・」
「それだけなら、貴様を呼ぶ理由にはならない。だが、此奴に関しては、貴様が手引きした疑惑がある」
「・・・」
「顔を見てみろ。こんな所にまで入り込むのが、貴様と同じ出来損ないの証だ」
そういわれて、亮夜は床に横たわっている男を見た。
体格は、亮夜と同程度。同い年の男の子が、どうしてこんなところに入って来たのだろうか。
だが、その顔を見て、そのような疑問は完全に吹っ飛んだ。
「!!!!」
その人物は、下界に降りた時に仲良くなった人物、津田健司だった。
「貴様が此奴と仲良くなったというデータはあがっている。こんな出来損ないに肩入れするなど、司闇の恥晒しめ。いや、恥どころではないな。貴様が我らのきょうだいである理由もなくなった」
「・・・・・・・・・」
どうして、彼は死ななくてはならなかったのか。
亮夜は、健司に手を伸ばす。
冷たい。
生を感じない。
目の前にいるのに、目の前に存在していない。
亮夜は認識した。
健司は死んでしまった、と。
「こんな奴のどこに魅力がある?魔法も使えない、下等生物が」
亮夜の意識から、次々と何かが壊れる。
「その点では、貴様も下等生物だな。いや、才能だけの出来損ないというべきか」
言葉が、意識に届かない。
「感情を持つから、悲しむんだよ。貴様の悲運ではない。不幸だと思う方が悪い」
感覚が、意識に届かない。
「貴様は感情を捨てきれなかった。それが今、這いつくばっている証だ」
思考が、意識に届かない。
「力こそ全てだ。貴様はもう届かない。もはや生きる価値はない」
感情が、意識に届かない。
「それが、貴様の運命だ。我らのための栄誉ある犠牲だ」
何もかも、意識に届かない。
何を思っていたのか、何があったのか、何もかも分からない。
何かが燃え上がっている。
それは、何だ。
何かが暗い。
それは、何だ。
何かが嫌だ。
それは、何だ。
この人は、大切な人のはずだ。
それなのに、その人が何なのか分からない。
今、目の前にいる人は__。
何をしているのだろう。
少しだけ、邪悪を感じる。
それは、何なのか__。
一人、大切な__。
その__。
__。
。
。
全てが、壊れた。
全ては、無に包まれた。
「報告する」
「司闇亮夜は、死んだ」




