6 最期の夜
「・・・!・・・!!」
「・・・夜美には、刺激が強すぎたか・・・?」
「・・・大丈夫。あたしはお兄ちゃんの妹。お兄ちゃんの痛みは、あたしの痛みだから・・・」
「・・・ありがとう。でも、あの時、僕は取り返しのつかないことをしてしまった・・・」
「・・・もう、どちらのせいでもないよ。今、生きていることが、本当にうれしいことだから・・・」
「そうだね・・・何があったにしても、それだけは変わらないね」
そのことは、きょうだいたちの情報網でもかなり話題になっていた。
亮夜が、闇理の元、教育されていることを。
ただ、誰一人、その報告を正面に受け止めていなかった。
出来損ないの彼を強引に矯正するものだと、誰もがそう解釈していた。
夜美もその一人であったが、態度は全く違っていた。
たまたま、移動中に亮夜を見た時、彼女は絶句した。
まじまじと見ずとも、どれだけ彼が痛みを背負っているのか、直感的に分かってしまった。
数年前の、闇理や華宵、そして過闇耶の時とは全く異なる苦痛が。
その夜、夜美はきょうだいたちに向けて、積極的に抗議した。
「ねえ、あれは酷いと思わない!?あれは訓練なんかじゃない!ただのイジメよ!」
本当は、イジメなどでは言い表せない程、惨たらしいものであったが、それを伝える程の語彙力がないことを、この時程、悔しがっていたことはなかった。
「あれって何?もしかして、亮夜兄さんのこと?」
「そうよ!あんなことしてたら、いつ死んでもおかしくないよ!」
いつものやさしい雰囲気はどこにいったのか、夜美は必死に抗議を重ねる。
「死んだらその程度の器。あんたはそんなことも分からないの?」
「だからといって、きょうだいを見捨てる気!?」
「亮夜がいなくなっても5人いる。一人、しかも出来損ないがいなくなっても、気に留める必要もない」
「華宵お姉ちゃん!!本気でそう言ってるの!?ねえ、逆妬はどう!?亮夜お兄ちゃんがいなくなったら、逆妬は悲しいよね!?」
「亮夜兄さんがいなくなったら、僕は偉くなれる。別にいいんじゃないかな?」
「真面目に考えてよ!!このままじゃ、お兄ちゃんが死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「・・・いなくなって、何か困るのかな?」
「・・・!!」
誰一人、まともに耳を貸してくれず、夜美は恐怖すら感じた。
この人たちは亮夜に対して、本当に何も感じていないのか。
「夜美、いい加減にしなさい」
「深夜お姉ちゃん!!」
「あんたねえ、あんな奴に何を考えているの?そもそも、出来の悪い亮夜兄さんに、闇理兄様が直々に鍛えてあげているのよ?本当は羨ましいんでしょ?」
「!!!」
普段ならば、「あなたが言わないで」などと返したくなるセリフであるが、事態が事態であるがために、そんなことをする余裕は夜美にはなかった。
もはや言葉にすらならない。
夜美は急に椅子から立ち上がると、部屋から急に出た。
残っていた華宵はため息を吐いた。
「全く、夜美もだけど、深夜もやりすぎ。無駄な火種を撒く必要はない」
「ごめん、華宵姉様。でも、アイツらがどうなろうと、私たちの知ったことじゃないでしょ?」
「そうね。・・・夜美も予定に入れるべき?」
機械のような冷徹な顔が、さらに冷徹さが増した笑みを浮かべた。並の胆力では、腰を抜かしかねないだろうが、深夜どころか、逆妬ですら、平然としていた。
「まだ早いよ、華宵姉ちゃん。三人もいなくなったら、流石に寂しいよ・・・」
「逆妬の意見はともかく、次々と失脚したら、私達の立場が危うくなるわ。優先的に教育する必要はありそうだけど」
「・・・お父様たちに進言しておこう」
妹たちと意見をまとめて、華宵は夜美に対する処罰を固めた。
自室に戻った夜美は、椅子に乱暴に座った。女の子としてあまり褒められた行為ではないが、苛立ちを解消するためにも、激しい動きという形でガス抜きをしたかった。
少しだけ落ち着いた夜美は、先ほどの恐ろしい会話を振り返った。
元々、夜美は亮夜以外の家族にはあまりいい感情を持っていなかった。
その面だけを見れば、きょうだいらしく(?)似た者同士と言えるが、決定的に違うのは、情があるか否かであった。
あくまで好きではないというだけで、嫌がらせをしていたりするわけではない。
だが、他のきょうだいの亮夜に向ける態度に関しては、家族として扱っているのか疑わしい部分があった。今の話に至っては、人間として扱っているのか怪しい部分まであった。
この時、夜美は決断を下した。
この人たちは、まともに頼れそうにない。
亮夜を助けられるのは、自分だけだ。
亮夜を助けないくらいなら、身代わりになった方がマシだ。
そう判断した夜美はベッドに潜り込んで、思考を張り巡らせた。
(・・・まず、どうするか考えないと)
(最初に、お兄ちゃんと会う。それが一番大事)
(でも、あれを見る限り、闇理お兄ちゃんに気づかれないようにしなくちゃ)
(あたしも捕まったら、もうお兄ちゃんを助けられる人はいなくなるから・・・)
(・・・弱気になっているんじゃない。絶対に避けなきゃいけないことなんだ)
(・・・)
(どうやって助けよう?)
(・・・チャンスを待とう。焦ってはいけない。焦ってはいけない・・・)
(そうだ。感知能力を鍛えるいい場面だ。お兄ちゃんの後をつけられなければ、どうすることもできないから・・・)
普段なら、敬愛する兄の自室を魔法的とはいえ、覗き込むなど、畏れ多くてできないことだが、今は緊急事態だと、言い聞かせて意識的な準備を始める。
布団に入ったまま、夜美の意識はもう一つの世界へ飛んだ。
徐々に狭まる世界を、夜美は魔法の力の制御に集中して、見る範囲を変えていく。
亮夜の部屋に差し掛かると、二つの生命的な反応を感知した。
おそらく、亮夜と闇理か、彼に関係する人物か。
(常に一緒にいる気?)
魔力へのリソースを放棄して、今度は思考の世界に集中した。
(やはり出し抜かないといけないか)
(別の方向で騒ぎを起こした隙に助ける?)
(・・・どちらにしても、チャンスを見つけないとダメだわ・・・)
(今日はもう寝よう。肝心な時にしっかりしていなくちゃ)
逸る気持ちを抑えて、夜美は明日のために、眠りについた。
次の日、見るに堪えない程、ボロボロのままであった亮夜は、下界に用意したある方法を使って金儲けの道具とされた。
どう考えても、世間公表のできない代物であったが、そのことを無視して集まった女性客は少なくなかった。
ネットの掲示板を利用して、裏で情報を拡散させたそれは、一部の人物にとっては夢のようなものであった。
やはり、亮夜は手を下さず、ひたすら耐えた。
しかし、一日が終わるころには、精神が崩壊しかけて、まともな思考決定が出来なくなっていた。
同日、夜美は亮夜がいないことに不安を持っていた。
魔法の感知で探しても、反応は見つけられず、孤独感に似た恐怖を味わっていた。特訓しても、昼食を摂っても、課題を終えても、その気持ちは変わらなかった。
その状況が変化したのは、夕食を終えて、図書館にいた時であった。
この里の入り口から、亮夜を感知することに成功した。
幸い、いつもの倍は頑張って、既に課題を終えていた夜美は、一応の自由を与えられている。
図書館から出て、建物の裏に隠れた夜美は、そこから亮夜を歩かせている闇理を目撃した。
以前会った時よりも、悲惨さがさらに伝わる。
何をどう考えても、異常と言える事態だ。
それなのに、逆妬も、深夜も、華宵も、呂絶も、そして、闇理も、誰も亮夜の心配をしていない。
闇理がくっついているのは想定内だが、この様子では隙を見つけるのは難しいだろう。
移動魔法を駆使して、見つからないように屋敷の裏口から侵入した夜美は、今日使えるようになった魔法の準備をした。
事前に、意識を空に向けておいた所に意識を本格的に移す。
その場に、風の力を変化させて、雷と化す。
その雷を地面に叩き落とす。
風魔法の亜種・雷魔法「スナイプ・サンダー」は地面にぶつけられ、強烈な衝撃と音と光が発生した。
(今だ!)
僅かに見ていた闇理の意識は、亮夜からそれていた。
その隙に、亮夜と自身に「ライト・リバース」の魔法をかけて__光の屈折を利用して周りから見えなくする光魔法だ__、自分の部屋に連れ込んだ。
やっと、亮夜を闇理から解放した。
そして、上手く逃げられた__と思ったが、改めて亮夜を見て唖然とした。
全身がボロボロなのは、遠目から見ても分かるが、こうして近くで見ると、説明が難しい程酷いことになっている。
服は傷だらけかつボロボロ、触ると生暖かさと同時にヌメヌメしている。目は光がないように見えるし、肌色もヌメヌメと重なってあらゆる意味で混沌としている。
既に度重なる訓練__もはやイジメだと夜美は思っていた__で身も心も壊れかかっているのを見て、夜美は恐怖を覚えた。傷だらけの亮夜ではなく、残酷な行為ばかりする闇理に。
自然と流れ出そうな涙をこらえて、亮夜に世話を焼こうとする。
せめて今だけは休ませてあげよう。
そう思った夜美はこっそり食堂から取ってきたたくさんの食べ物を亮夜に与えようとした。
しかし、亮夜は食べようとしなかった。
「お兄ちゃん、いいんだよ?黙っていてあげるから」
それでも亮夜の手は動こうとしなかった。いや、よく見ると、すごく食べたそうにしているが、すごい形相で我慢しているように見えた。きっと闇理から、あのひどい食べ物以外食べてはならないと脅されているのだろう。
ならばと、お風呂を勧めたのだが、こちらも同じようなことなのか、やはりすごく我慢しているように見える。一体あの人はどこまで過酷なことをさせたのか怯える夜美だった。
とはいえ、もし自分の部屋で寝かせるのだったら、さすがにこの悪臭には耐えられない。
(・・・仕方がないわ。これはお兄ちゃんの為。変なことなんて考えていない・・・)
心を鬼に、いや、あらゆる意味でプライドを捨てて、亮夜を無理やりお風呂に連れ込んで、無理やり全身を洗い__あらゆる所を含めて__、無理やり浴槽に放り込んだ。
さすがに、たがが外れたのか、亮夜はようやく抵抗をあきらめてゆったりとお風呂に浸かっている。夜美も気がついたら、亮夜と一緒にお風呂に入っていた。
まさかの兄妹混浴に、夜美は少し動揺するも、兄がようやく笑顔を見せたことによって、そんな些細な感情は吹っ飛んでしまった。兄の受けた苦痛と比較すれば、この程度ハエに当たるくらいの問題だ。それに説得を諦めたという罪悪感も、夜美の判断を狂わせていた。
ふと、亮夜を見ると、こちらに倒れこんできた。
予想もしなかった展開に夜美も慌てるが、少し考えれば当然のことだった。
亮夜を連れ出した時、彼は寝不足かつかなりの空腹で、いつ倒れてもおかしくない状態であった。そんな中でお風呂に入れたのだから、のぼせて倒れこむのも仕方がなかっただろう。
急いで亮夜を上がらせて、体を拭いてあげて、椅子に座らせた。なお、夜美の部屋には亮夜が着られそうな服は置いてなかったので、やむをえずタオルで代用した。なお、亮夜が着ていたボロボロの服は、脱衣所に離して置いておいた。
水と、先ほど出した食べ物を用意して、亮夜に食べていいと話す。
すると、亮夜は目もくれずすごい勢いで食べ始めた。
余りの速さに時々喉を詰まらせそうになったりもしたが、そんなことを気にしていなかったくらいとんでもない速さであった。早食い大会みたいなのがあれば、優勝を狙えるレベルだっただろう。もちろん、食べた量も相当で、夜美に今日の夕食を持ってきた方がよかったと後悔させるほどだった。
2日分程の食事を終えてようやく気力が戻ってきたのか、亮夜の体に力が入ったように夜美は見えた。
体は綺麗になり__あくまで夜美が連れてくる前と比較した場合の話であり、お世辞にも綺麗とは言えない__、ほとんど忘失していた意識は、わずかに取り戻して、目にも光が僅かに戻っていた。それでも、誰がどう見ても病気にしか見えないが、ここで文句をつけるのは、二人にとっては野暮というものだろう。
まともに動かせるようになった亮夜の意識は、考えることが出来なくなっていた。
だが、目の前にいる夜美が、自分を救ってくれたということは、考えるまでもなく分かった。
まず、亮夜は妹に頭を下げた。
「ありがとう、夜美。おかげで助かったよ」
「いいよ、そんなこと。それより頭をあげてよ」
二人にとって久しぶりの兄妹としての会話に、二人ともほっこりしている。
「でも、こんな勝手なことをしてよかったのか?僕はともかく、夜美がすごく心配だ」
「お兄ちゃんを見捨てるほど、あたし悪い人じゃないもん!あたしがすべて勝手にやったから気にしなくてもいいよ!それより、その・・・」
夜美が言い淀んだのは、闇理にどんなことをされたのか聞こうとしたのを戸惑ったからだ。少なくとも、イジメを越えた何かをさせられているのは夜美にもわかっている。想像できることでさえとんでもないというのに、思い出させるような発言することは、とても酷いことではないかと夜美にはそう思えた。
「ねえ、お兄ちゃん、大切な話があるの・・・。聞いてくれる?」
ここで夜美がとった手段は、話の矛先を変える方法だった。亮夜が頷いたのを見て、話を続ける。
これから話すことは、亮夜へのイジメが始まった時に本気で浮上した考えだ。
実際には、過闇耶がいなくなって、感覚的にこの一族が、いや、きょうだいたちが変わった時から、密かに考えていたのだが、まだ家族としての情があった夜美には、決断することはなかった。
「あたし、ここから逃げたいの。ここにいたら、ずっと酷いことばかりさせられそうな気がする。そんなことばかりするのは、間違っていると思う。だから、この家を抜け出したい」
亮夜はただ、無言で聞いていた。夜美はさらに話を続ける。
「お兄ちゃんも一緒に。ここにいたら、あなたはきっと__」
殺されてしまう。
その一言は口が震えて言葉にならなかった。だが、亮夜には何が言いたいのかはっきりとわかった。
「夜美・・・分かっているのかい?僕が記憶しているだけでも、警備体制は3重にはある。何より抜け出した後、どうする気だ?僕を気遣っているのはうれしいけど、無理があるんじゃないか?」
今、亮夜の思考は、夜美にのみ向けられていた。
確かに、夜美のアイデアは、元から考えていたものだし、理には適っている。
だが、思い出せる記憶の中ですら、司闇の力量は異常と言える程だ。
どう考えても、夜美と自分の手で負える相手ではない。
もし、家出が失敗すれば、確実に夜美の信頼は地の底に落ちるだろう。
下手をすれば、処刑される恐れもある。
綿密な作戦があるならともかく、無謀としか言いようがなかった。
亮夜はあくまで、妹の立場を心配して諭しているのだ。
兄の反論に、夜美の弁舌は止まる。しかし、夜美はこの計画を放棄するつもりはなかった。夜美もまた、兄の立場を考慮して脱走を勧めている。
お互い、考え方が違うだけで二人は思い合ってはいるのだった。
「本当にそれでいいの!?ここにいるのと、外に逃げ出すのとどっちがいいのか分かっている!?どっちが生き残られるかわかっているの!?」
冷静に否定を続けた兄に対して、強く感情をぶつける夜美。
彼女にとって、亮夜は実の兄であると同時に、最も大切な存在となっていた。
彼を想うからこそ、生きていてほしい。
今、逃げなければ、地獄のような場所で生きていかなくてはならなくなる。
そして、逃げ出すならば、家族を、捨てることとなる。
だが、夜美は亮夜と一緒ならば、最早捨てることも厭わなかった。
そのためには、二人で外の世界へ脱出する__。
しかし、その想いは亮夜には届かなかった。
「あなたねえ、自分の__!!?」
無理やり口を塞がれたことで。
「静かにしてくれ、アイツにバレたらどうするんだ?」
その一言に沸騰した夜美の意識は一瞬で冷却された。同時に実の兄でありながら、ヒステリックな態度をぶつけたことに夜美は恥じた。
今の亮夜には、妹の気遣いは理解できても、妹の覚悟は理解することが出来なかった。
自暴自棄のように解釈してしまった亮夜の意識は、夜美の暴走を止めることを優先してしまった。
夜美の望みを、自分の強引な願いを叶えるために、亮夜を口実にしたと解釈してしまった。
だから、夜美の願いを、叶えるという選択肢は消えていた。
二人は息を吐き、亮夜は妹の口に乗せていた手をゆっくりとよける。幸いなことに、他の人間に気づかれた様子はなかった。
「「・・・」」
ヒートアップして、すっかり気まずい雰囲気になってしまった二人。
亮夜はこれ以上、夜美に心配をかけたくなかった。
夜美は、亮夜を救える他の手段が思いつかなかった。
二人の気遣いは、最悪の形ですれ違ってしまった。
亮夜は、夜美に一言だけ伝えた。
「・・・今日は、もう帰るよ。お休み、夜美」
夜美が頷くのを確認して、亮夜はバルコニーから外へ出た。
屋敷から去った亮夜に、夜美は声を何一つかけることは出来なかった。
これが、司闇亮夜と司闇夜美の最期の会話であったことを、二人とも気づいていなかった。




