5 決別の懲罰
「・・・ここまでが、離れていた時の話だ」
「・・・」
「・・・」
「・・・分かっているよ・・・」
「・・・少し思い出すだけでも恐ろしい、あの過去が・・・」
1週間前と同じように、意識を失っていた。
意識を取り戻すと__。
「戻って来たか、亮夜」
「父上・・・?」
彼の父親、司闇呂絶が感情を伺わせない表情で立っていた。
それを認識して、今の状況を理解する。
亮夜は「テレポート」で、ここ、司闇の屋敷に飛ばされた。
呂絶は少し訝しげな表情で亮夜を見ていたが、すぐに目をそらした。
「色々話したいこともあるが、明日、報告してもらおう。朝食は、お前の部屋で食べろ」
父の意図は相変わらず読みにくいものであったが、亮夜は肯定して部屋を出た。
今の時間は、午後10時頃。
華宵や闇理はともかく、深夜や夜美たちはもう寝ているはずの時間だ。
自室に戻ろうとする亮夜に、芯の通った声がかけられる。
「戻って来たのか、亮夜」
その声の主は、闇理だった。
1週間ぶりに聞く声であるが、亮夜は見る前から闇理だということが分かっていた。
「只今、戻って来ました。闇理兄さん」
眠気と空気の変化もあってか、やや距離をおいた話し方を亮夜は意識せずにしていた。
「フン」
一つ、鼻で応えると、闇理はそのまま亮夜を素通りした。
言葉に出来ない変化を、亮夜は自覚していた。
翌日、亮夜は自分の部屋で目を覚ました。
昨日まで背の低い布団で眠っていたので、高さと布団の豪華さに違和感を覚えた。それと同時に、自分の家に戻ってきてしまったと思った。
昨日の話では、自室に届けられる朝食を食べてから、外に出てこいとなっている。
服を着替えた後、魔法の予備的なトレーニングと魔法書を読んで過ごす。1週間近く、魔法を運用していなかったので、その感覚を取り戻す必要もあった。
空腹を覚え始めた頃、ノックの音が聞こえた。
亮夜がドアを開けると、そこにいたのは、食事を運んできたメイドではなかった。
「夜美!?」
「お兄ちゃん、おはよう。久しぶりだね」
彼の目の前に現れたのは、朝食を持っていた夜美だった。
「あ、ああ、久しぶりだね。どうしたんだい、こんな朝早くに?」
色々言いたいことが亮夜にはあったが、ひとまず用件を尋ねてみた。
「お兄ちゃんに朝ご飯を持ってきたんだ!さ、食べよ!」
そう言って、夜美は部屋の中に入り込んできた。
着替えた直後で、妹には見せにくいものが置いていたといったことはないので、亮夜はそのまま夜美を部屋に招き入れた。
「夜美、今日の用事は?」
朝食が一段落して、亮夜は夜美に尋ねた。
亮夜は、これから父の呂絶にこの一週間のことを報告することになっている。それ以降のことは知らないが、大方闇理辺りにしごかれると予想していた。
食べている途中、亮夜は夜美が彼に聞きたがっているのは分かっていた。もし、報告で夜美も同席するのなら、それなりに気を遣わないといけないと亮夜は考えていたので、話は自分からと言わんばかりに何度か断っていた。
そのこともあって、亮夜が逆に尋ねてきたとはいえ、夜美は少し興奮しているようだった。
「いつものように深夜お姉ちゃんと修行して学問かな」
「そうか。じゃあ、話しても問題ないね。あの日__」
司闇から離れた時のことを、夜美に伝える。途中、何度も質問を挟まれ、その度に亮夜は真面目に答えた。
「いいなぁ、外って、いい人が沢山いるんだね!」
「ああ。そこに夜美がいたら、この上なく幸せだったよ」
「じゃあ、いつか二人で行こうね!」
1週間程前にも行われたやり取り。
その時は、亮夜が口に出したのを、二人でやんわりと否定した。
「うん。君と一緒に、外の世界を見たいな」
だが、外の世界を味わった今、亮夜の外への関心が高まっている。狭くて息苦しいこの世界に疲れを感じ始めていた亮夜にとって、今や夢と言える程の望みとなっていた。今の現実を無視できる程、亮夜は外の世界を歩みたかった。
「約束だよ!」
夜美が笑顔とともに、指を一本差し出す。何かというと、約束の印である。
「約束だ。二人で見に行こう」
亮夜も笑みを浮かべつつ、指を差し出して、二つの指を結んだ。
少しすると、ノックの音が聞こえた。
夜美を扉から見えないように下がらせてから、亮夜は要件を確認する。
やはりと言うべきか、呂絶が呼んでいるということだ。
少し時間をかけてからいくと返事をして、夜美をバルコニーから下げさせて、亮夜は部屋を出た。
1階の応接室に向かった亮夜は、ソファに座って父と兄と向かい合っていた。
今、この部屋にいるのは、亮夜、呂絶、そして、闇理の三人。
なぜここに闇理がいるのかと疑問に思いつつも、亮夜は呂絶に意識を集中していた。
「改めて、よく戻って来たな、亮夜。・・・随分不機嫌そうに見えるが?」
手始めに、労いの言葉をかけると同時に、亮夜の調子を気遣うかのような発言が飛んできた。
実際、亮夜はこんなところに戻されることになって、それなりに不機嫌であることは自覚していた。父や兄相手に対して、あまりいい態度をとっていないと言えるくらいには。
「知りたいものを調べきれる程の時間はありませんでしたから」
建前を使って、亮夜は誤魔化した。
魔法世界から離れっぱなしで腕がなまったことに不安を覚えていたのは事実だが、それ以上に津田家のみんなとちゃんとお別れ出来なかったことを悔やんでいた。
だからといって、この合理主義な父たちにそのようなことを認めてもらえるとは思っていなかった。
少なくとも、ある程度は穏便に済ませたいと亮夜は思っていたので、矛先を逸らすかのような説明を行った。
裏の意図を読んだ呂絶は少し気まずそうな顔をしたが、闇理は曲解したのか、苛立ちを顔に浮かべていた。
「ならば、知っているだけの情報を伝えろ」
とはいえ、父に追及されて無視する程、亮夜はひねくれていない。
「僕は飛ばされた後、とある一般家庭の所に住むことになりました」
「司闇」の世界の狭さを理解してもらいたい。
その気持ちが一片はあった亮夜は、まるで間違いを気づかせるかの如く、説明を始めた。
「全く、仮にもお前は司闇の人間だ。名もないような奴と一緒にいて恥ずかしくなかったのか?」
しかし、すぐに闇理から難癖が飛んできた。
「外のことを一部しか知っていない兄さんに言われたくない。・・・その人たちはいい人ばかりでした。困った人は助ける、そんな素晴らしい心の持ち主でした」
亮夜はその発言をすぐに言い返した後、説明を続けた。暗に、自分たちが見下しているという副音声も加えて。
「それで、魔法的な発見はあったのか?」
しかし、呂絶はそのことに反応せず__知っていて無視したのかもしれない__、実利を求めてきた。
「いいえ。強くなるという意味では、発見することはできませんでした」
「貴様・・・!」
苛立ちを募らせていた闇理が、急にソファから立ち上がると(座っていた場所は、呂絶の右側にあった別のソファである)、亮夜に重い足取りで向かってきた。
「父上の命を果たさずおめおめと帰還するとは、どこまで出来損ないだ!よくその体たらくで顔を出せたものだな!」
「兄さんは強さしか求めていないからそう言えるんだ。だから、孤立する一方なんだ!」
「お前は魔法の価値も知らないのか!?この立場を得るのに何より必要なのは強さだ!力なき者に分け与える必要などない!」
「一人一人で出来ることなんてない!強くなるためなら、何もかも犠牲にしていいと思っているのか!」
「ああ、そうだ!絶対的なもの、それが力だ!そのためなら、100人や200人、安いものだ!」
闇理が亮夜に説教するかの如く、激しく罵る。
亮夜も、兄や「司闇」の考えを拒絶するかの如く、強く反発した。
「それで本当に強くなると思っているのか!力のために使われる魔法しかないのなら、ない方がマシだ!戦うためだけにある魔法なんて、何一つ幸せを生み出しはしない!」
しかし、この発言は闇理の逆鱗に触れるも同然だった。
「・・・貴様。我ら「司闇」の創設を分かってて言っているのか?どこまで俺たちを失望させれば気が済む?」
禁忌に染めて手に入れた特別な力。
その力を背景に、「司闇」の権力を手に入れた。
亮夜の発言は、それの全てを否定することと同じだった。
「・・・もういい。貴様は俺がやる。こんな出来損ないにきょうだいの情を持ったのがバカだったな。父上、予定を繰り上げますが、よろしいですね?」
激怒しすぎて、むしろ冷酷さが先に出ている程になった闇理は、亮夜を見限ることを呂絶に報告した。
亮夜は、何が言いたかったのかは分からなかったが、分かったことはある。
闇理は、自分のことをきょうだいだと思いたがっていた。
そう思うと、事実上の絶縁を下されたことに、少しだけ罪悪感を覚えたのだった。__不快感の方が遥かに強かったのは言うまでもない。
気づいたら第三者の立場になっていた呂絶は、亮夜を見捨てるか否かの決断を迫られていた。
亮夜が、「司闇」の器に適さないのは、前から知っていた。
そのために、様々な処置を色々な方向で打ったのだが、進展はロクに見られなかった。もう一つの作戦は、今の彼の頭にはなかった。
「予定」に適合させて、一人前の「司闇」の魔法師にするという計画は、かなりの崩れを覚悟していた。
だが、闇理が手を下すというなら、直接的な責任を持たずに済む。
きょうだいが、互いのきょうだいの情をあまり持っていないように、呂絶も、子供たちに親としての情はそれほどなかった。
もう一人いた子供、過闇耶がいなくなってから、そのようなことになっていた。
だが、呂絶の思考は異常をきたしている。
今、自分と闇理が下すことを、自分に課せられたことで。
呂絶は、群の強さを求める。
だが、そこには、何の感情もない、狂気的な意思があった。
それは、司闇当主としてなのか、呂絶個人としてなのか。
そして、それを自覚していても、止めることは出来なかった。
取り憑かれたかのように、呂絶は闇理に命令した。
「好きにしろ」
それが、話を終えるサインでもあった。
亮夜は闇理に連れてこられて、訓練施設のとある一室に放り込まれていた。
「これより、全方位からの茨の鞭が襲い掛かる。打たれたくなければ、こいつらを殺せ」
今、亮夜は鞭を持った四人の男と共に、狭いチューブ状の部屋に閉じ込められていた。逃げられない状態で打ち続けるのだろうと亮夜は確信した。
「うわっ!」
一人の男の茨の鞭に当たる。続けて次々と茨の鞭が襲い掛かる。
亮夜は苦痛を受けつつも、自分の体の周囲に薄い障壁をはる魔法を使用し続けて耐える。だが、頻繁にかつ全方位から飛んでくる鞭に度々直撃し、ダメージを受ける。
そんな凄まじい痛みが3時間ほど続いて、亮夜はようやく解放された。__というより、鞭が壊れたことにより続行が不可能になったからだ。
たくさんの茨の鞭に当てられて、亮夜の体は傷だらけだ。既に血を流している部分も少なくない。長時間の魔法の行使も相まって、既に亮夜はかなり疲労していた。
「この程度では生ぬるいか・・・。まあいい、飯の時間だ。食うか?」
その言葉に亮夜は頷き、食堂へ向かった。__すぐ後悔することを知らずに。
昼食として出されたのは、常人ならば一口も食べられない程の獄辛カレーだった。しかも飲み物なしである。
昼食さえこんなものであったが、亮夜はかなりの時間をかけつつも、完食した。__既にもう何かが壊れ始めているのを、亮夜はまだ自覚していなかった。
午後に出された課題は、超速エレベーターだった。時速20キロの高速移動を延々と走らされるというもので、しかも下に落ちると、100度の鉄板を踏むことになる上、上から男たちの手で、度々樽やらなんやらが降り注いでくるという処刑としか思えないようなものであった。
いくら魔法が使えるといっても、何時間も繰り返すのは限界がある。1時間を越えようとした頃、亮夜はいがくりの束の回避に失敗して、鉄板を踏んでしまう。それを機に、エレベーターに引っかかったり、体が追い付かずに落ちてしまったり、さらに魔法でわずかに浮いて鉄板を回避する不正がばれて、くし刺しにされたりと、またしてもぼろぼろにされつつも、亮夜は3時間後、エレベーターが故障したことにより突破した。
「まだ懲りていないようだな・・・!次からもっとすごいことをしてやる!!」
こうして、地獄の特訓の一日目が__終わらなかった。
その後の夕食は渋柿の山だったが、亮夜はこれを食べ切った。__先ほどの特訓までと比べれば屁でもなかった。
しかし、その後は輪にかけて酷くなり、入浴禁止、睡眠禁止とされ、代わりに瞑想を強いられることとなった。失敗したらくし刺しであり、もう感覚が分からなくなり始めた中、亮夜は何とか本当に一日目を越えた。
続く二日目、今度は精神的な苦痛を受けることとなった。前半は不気味な生物の束の中で過ごされ、後半は悪臭と毒ガスを縛り付けられた状態で耐えることになった。
亮夜の精神はさらに悪化し、一切の移動ができなかった後半は屈辱的な事態に遭い、常識が崩壊し始めていた。
「さあ、早くこいつを殺せ。そうすれば、楽になる」
「・・・」
亮夜からすれば、悪魔の契約書そのものであった。
他者の命と、自分の正義の心を引き換えに、自身の生きる道を与えられる。
だが、どれだけ屈辱的な目に遭っても、亮夜は自分の信念を変えようとしなかった。
睡眠不足による思考の麻痺。全身強打による激痛。空腹による体力の低下。異常食による精神的苦痛。不潔な体による蝕み。その他諸々の苦痛。
それらの痛みに、亮夜はまだ耐えていた。
芽生え始めた、確かな使命のために。
1つは、自分の正義を信じて。
1つは、ただ一人の妹との約束を果たすため。
そして、既に家族としての情を捨てた、汚らわしい家族たちへの決別を。




