9 夏の終わり
愛姫ステラとの一応の決着をつけた後、亮夜と夜美はとある温泉施設によっていた。
24時間営業となっている場所はさすがに少ないが、深夜を除いて、大体空いてあることが多い。
朝早い時間ではある(といっても8時程度である)が、ここも問題なく入ることができた。
まず、二人が行ったことは、食事だ。
まだ子供(というか小学生)生活なタイプの二人にとっては、生活リズムがずれて1食食べ損ねることは、身体的負担はともかく、かなりの精神的負担がかかった。
それは、ステラと話をしていた時に、最低限の思考を除いて、食べることばかり考えていたということからも伺えるだろう。
いつもの2倍くらい食べて__夜美がやってしまったというような顔を浮かべたのを、亮夜は見なかったフリをした__、二人が向かったのは浴場だ。
ホテルと同様、個室用の浴室を用意している施設は少なくない。
家と比べれば豪華であることが多いが、皆で入る大浴場はそれ以上に豪華であるので、贅沢的な意味で、わざわざ個室、家族向けの浴室を使うのは少ない。
それでも、一定以上の需要はあるので、ほとんどの施設には少数ながら置かれている。
亮夜と夜美は、個室用の浴室に入った。
__ちなみに、妙な厚着が目立ってはいたが、周囲にはカップルだと思われていたので、特に問題はなかった。
しっかりカギをかけて、かなり着込んでいた服を脱ぐ。
全てを脱いだ亮夜は、同じく全裸となった夜美をみつめる。
もちろん、急に妹への性欲に目覚めたわけではない。
昨日、ステラと対決した際に、傷を負っていないか心配しているのだ。
だが、それをどう解釈したのか、夜美は顔を赤くして、恥ずかしそうに亮夜に訴えた。
「お兄ちゃん、そんなに見られると、恥ずかしいよ・・・」
「ああ、ごめん。でも、無事で何よりだったよ」
どうやら、兄は純粋に心配していただけのようだった。
そのことを恥ずかしいと思いつつも、嬉しく思っていた中で、念のため、胸を張りつつもう一言加えておく。
「あんなのに、負けはしないよ。あたしはお兄ちゃんの妹だもん」
「頼もしいな、夜美は」
それに対して、亮夜は純粋に称賛を送った。
二人は浴場に向かった。
亮夜たち兄妹の家の浴室も、一般家庭と比較すれば大きい方だ(二人一緒に入ることができるくらいには)が、この浴場は、肩を並べて、あるいは向き合ってでも入れる程大きい。
すぐに入りたかった二人だったが、まずは体の汚れを落とす方が先だ。
まずは前の方を普通に洗い、大事な所も丁寧に洗っていく。
そしてその次は、二人で背中を流し合った。
足や手も細かく洗い合って、頭も綺麗に洗い終わって、湯船につかった。
「久々だね、一緒に入るの」
「高校生になってから、夜美はともかく、僕は忙しかったからな」
今は、肩を並べてゆったり入っている。亮夜の髪も、夜美の髪も長い方なので、洗い終わった髪はどちらもずぶ濡れのロングヘアになっていて、いつもと違う印象を与えていた。
湯船につかっているのでよく見えないが、亮夜は無駄の少ない体つきであった。だが、全身についている傷が、戦場で鍛えたかの如く、強さをアンバランスに生み出している。
対して、夜美は、兄とは対照的に、綺麗の一言に尽きる肌であった。一方でスタイル的にはもう少し欲しい点があると思うかもしれないが、本人は特筆して不満を持っていないので、指摘するのは野暮というものだろう。
いつもより長く、ゆっくり入っていると、夜美が話しかけてきた。
「あの時、ステラ、ううん、舞香さんも大変だったなと思った」
「同情はできないけど、僕もそう思ったよ」
「そうだよね、皆、ちゃんと生きている」
確かにどの人も、明日のため、未来のため、一歩一歩進んでいる。それは亮夜と夜美にとっても同じことだ。
「・・・ねえ、お兄ちゃん。イヤだったらすぐに止めていいけど、聞いてみたい話があるの」
「何だい?」
夜美がそう前置きして、亮夜の様子を伺う。亮夜相手には、基本的に身の程を弁えている夜美には珍しい態度だった。
「お兄ちゃんはあの時、あたしが助けに来て嬉しいと思った?」
ステラを説得する時にも出てきた、亮夜がもう一度心を取り戻した時の話だというのは、亮夜にはすぐに分かった。
「もちろんだよ。君のおかげで生き永らえたことも、すごく嬉しかった。でも、本当に嬉しかったのは、夜美が僕を選んでくれたことだ。あの時の君は、僕以外の家族か、僕か、とてもつらい選択肢を迫られたと思う。それでも君は、もう死んでいたかもしれない僕を選んで、命を助けてくれた。その感謝は、ずっと忘れない。だからあの時以上に、君を感謝したことはない。そのくらい嬉しかった」
夜美は目頭が熱くなったのを感じた。
想いというのは、口にすることで伝わるものだと、本で読んだことがある。
それが、今こうして伝えられると、兄がどれだけ自分に感謝しているかよくわかった。
「本当に・・・よかった・・・」
実際に、泣くのをこらえているかのような様子を見て、亮夜は戸惑った。
「夜美?何か悪いこと言ったか?」
「ううん、違う。そこまで思ってくれていたなんて・・・」
少し落ち着けた後、夜美もまた、自分の想いを口にした。
「あの時のお兄ちゃんは、とてもつらい目に遭っていたことを、あたしが誰よりも感じていた。だから、少しだけ思った。もし、お兄ちゃんを助けて生き延びていたら、こんなつらい現実に戻されたあたしを恨んでいたかもって・・・。だから、本当に良かった。お兄ちゃんがそう思ってくれていて」
自分もあの時、迷いがあったことを、夜美は告白した。
「もし、お兄ちゃんを見捨てていたら今頃、あたしは・・・。あの時から、いや、生まれた時から、お兄ちゃんはあたしにとって、ただ一つの光だった。あんな人たちなんてどうでも良かった。お兄ちゃんと一緒に逃げて、お兄ちゃんが生き返ったこと、あたしもあの時以上に神様に感謝したことがなかった。信じていれば願いは叶う。お兄ちゃんがいなかったら、あたし、ただのか弱い女の子なんだよ?だから、ずっとそばにいて・・・」
妹も自分を大事にしてくれているとは思っていたが、改めて口にされると、本当にどれだけ想っているか、計り知れない。
亮夜としては、兄として、妹の願いは叶えてやりたいと思っている。
だが、それが到底叶いそうにないということも分かっていた。
夜美に分かっているかは分からない。
だが、自分も、妹も、お互いにとって地獄の中でただ一つ残されていた光だったのだ。
もし突き放すとなれば、夜美の家族を捨てた決断以上に、恐るべき選択となるだろう。
何より、こんな哀しい思いをさせていた以上、もう妹を悲しませることなどできない。
それが、生き返った代償だと、亮夜は思っていた。
「僕も君と一緒にいたい。例え、世間が許さなくても、ずっとそばにいる。それがどんな形になっても構わない。だから、二人で夢を叶えよう。生きた僕たちが、魔法に、世界に縛られない魔法師というのを、証明しよう」
肩に手を回して、亮夜はそう答えた。
話が終わった後の夜美は泣いていた。
ただ、それは、うれしさと、希望からあふれ出る涙であった。
温泉から出た亮夜と夜美は、そのまま家に帰った。
最近、忙しくて放置していた、新魔法の開発である。
しかし、今日も今すぐ取り掛かりたいことがあったので、やはり後回しにされた。
それは、魔力暴走現象の新理論を立てることだった。
現状、魔力暴走現象を取り扱っている本は少ない。
何せ、明確な名前すら決まっていない程、マイナーなのだから。
その中に記されているのは、発動条件の一説と、その現象くらいである。
心の崩壊によって起きる可能性があるこの現象。これを起こした魔法師は、自分の魔力を制御出来なくなり、自分の体ごと飲み込まれてしまう__という程度しか書かれていなかった。
しかし、昨夜のステラとの戦いで、この説の核心に近づけた。
そのために、早いとこまとめたいと亮夜は考えていたのだ。
コンピュータの前に亮夜が座り、その側で夜美が補足する、そんなスタイルをとっている。
ステラとの戦いの時、魔力暴走現象を目の前で見ていた夜美は、亮夜の注文通り、できる限り正確に答えた。
「心の崩壊・・・これは実際に起きていた。舞香さんは、夜美に負けたくないという気持ちと、圧倒的な差で追い詰められた恐怖心のせいで、心が壊れそうになったみたいだね」
そうまとめると、夜美が不安そうな顔になったので、亮夜はフォローする。
「真剣勝負だった以上、文句を言われる筋合いはない。予防するには、未知の強さへの恐怖心を克服する必要があるみたいだけど・・・想像以上に難しいな」
亮夜の言う通り、そんなことが出来るくらいなら、才能の差で引退してしまうといった事態がすごく減ることになる。
それ以前に、亮夜本人も克服できていないと自覚している。
己の弱さを理解していると同時に、強い使命感を持っていた。
もし、それが絶望的な力の差で折られたら、果たして正気を保てるのだろうか。
今の亮夜たちには、ただ強くなるという、消極的な方法しかとれなかった。
「次に暴走した魔力は、周囲を溶かしていた。成分が何なのかは今のところ不明か・・・。一応、同じく魔力で相殺できるみたいだが、まだ仮定論としておこう。今のところ、ケースが限られているからね。今回は、暴走した魔力を直接魔力で抑え込むことで、封じることはできた。これを応用して、暴走した相手の意識に、直接魔力を流し込めば、抑えることも可能だ。でも、周囲を妨害する魔力に加えて、全身を蝕む魔力に抗って、自分の魔力を流し込むのは至難の業だろう。この点は、夜美が優れた魔法師で本当に助かったよ」
「成程、まとめるとわかりやすいね」
「機会があったら、また書き足しておこう」
そう結論づけて、この件は終わりだった。
魔力暴走現象の新理論に、相手に直接魔力を流し込むことで、暴走を抑えられる可能性があると、新たに加えられた。
これとは別に、亮夜は新たな魔法を考案した。それはまた、後の話である。
トウキョウ某日某所。
総帥は、部下からの報告を受け取って、指示を出していた。
「了解しました!」
それが終わって、数か月前に用意した、計画について確認した。
「さて、奴はどうだ?」
「は、順調です。我らの仕掛けたものとは全く気付かず、積極的に進めています」
「そうか・・・後は奴らが食らいつくのを待て。十分に進めた所で、我らが奪い返しに行く」
「しかし、相手はあの司闇一族。いくら何でも、我々では全戦力を集めても、荷が重いのでは?」
「心配するな。こちらにも策がある。今進めても意味はないがな」
どうやら、総帥には、ちゃんと計画があるようだ。これ以上、この話を進めても意味がないと思った代わりに、懸念事項を口にする。
「もし、司闇一族が手を出さなかった場合はいかがいたしましょう?奴らにあずけたままにするのですか?」
「そうする。時間はかかるが、焦る必要はない。全てをそろえてからでも構わん」
「仰せの通りに」
「む・・・少し用事を思い出した。下がれ」
部下が下がって、この件はおしまいだった。
仲間に連絡するために、総帥は一人になったのだ。
それを生で見るのも悪くはないと総帥は思った。
万が一のこともあるので、自分たちで回収する手段も用意しておいた方がいい。
総帥は、その人物と連絡を取った。
「私だ」
「お久しぶりでございます、リーダー」
「お前に、新たな指令を与える」
「はっ」
「10月のあの件についてだ」
「あの件といいますと、以前散布したあの件でしょうか」
「うむ。そこに、お前も出撃してもらう。目的は見学だ。進捗状況を確かめて、とってこられるものだけとってこい」
「了解しました」
その後、少しだけの雑談を挟んで、連絡を切った。
自分たちの大いなる計画の大きな一歩をようやく踏み出せそうとしている。
かつてあったあの愚か者どもにようやく復讐が出来る。
そう考えると、笑みが浮かぶ。
総帥は大きく、ニヤリと笑いを浮かべた。
その後も、亮夜たちは休みを過ごした。
いつもの日常と変わらない、でも少し変わっている、そんな日常を。
終わりが近づくにつれ、少しずつ寂しくなっていきながらも、生き生きと、毎日を過ごしていた。
そして、夏休みが終わり、2学期が始まったのであった。
[続く]




