エピソード2 ~承~ 残された者
10月1日。
この日、ニッポンは悪夢に包まれた。
突如、キョウトに現れた魔獣が、天変地異を引き起こし、周辺地域は環境的に大打撃を受けた。
その裏に関わるのが、やはりと言うべきか、「司闇」__ではなかった。
真に関わっていた人物は、一連の騒動の最大の被害者でもある、舞式亮夜であった。
トウキョウ魔法学校の修学旅行生として参加していた彼は、一連の事件の犯人だと疑われ、追われる立場となってしまった。
その後、どういうわけか魔獣化し、一面を恐怖のどん底へ突き落とした。
どうにか魔獣化が収まったが、彼はその影響で衰弱死__したということになっている。
世間から姿を消した彼はさておき、表の世界ではこの一連の騒動による影響が多数あった。
それは、一見すると、彼らの仕業ではないように見えて、実際にはほとんどが関わり、魔獣についても間接的に関わっていた真の黒幕、「司闇」も例外ではなかった。
10月2日。
魔獣化した亮夜から逃れた司闇一族は、全員が本家の屋敷に撤退していた。
「何をやっているのだ、貴様らは!!」
報告を大雑把に聞いた、司闇一族の4にんきょうだいの長男である、司闇闇理は机に拳を叩き下ろす程の激昂を見せた。
「貴様ら3人揃って、その体たらくは何だ!!」
闇理の説教に対し、彼の妹である深夜は身体を縮こまらせていた。
この発言からも分かる通り、闇理には3人のきょうだいがいる。
だが、この場にいるのは、深夜一人であった。
決して、深夜が生贄として囮にされたのではない。
主要メンバーで無事だったのが、彼女しかいなかったのだ。
末っ子の逆妬は、冷宮恭人の一計を阻止することに成功したが、重症を負った。
深夜の姉である華宵は、魔獣化した亮夜と戦い、致命傷こそ負わなかったが、安静にはするべきほどのダメージは受けていた。また、魔獣による痕跡が残っているため、現在は司闇の調査機関に放り込まれている。
それ以外のメンバーは大半が致命傷を受けて、ほとんどが使い物にならなくなってしまった。
つまり、今回の出撃に関わらなかったメンバーを除くと、深夜以外はほぼ全滅という、凄惨なことになっていた。
「全く、父上がご病気のクソ忙しい時期に...!」
闇理に怒りっぽいところがあるのは、実の妹である深夜でも否定することは出来ないが、今回は兄の愚痴が的確すぎて言い訳する気も起きなかった。ちなみに、彼らの父である司闇呂絶が重い病気で深部の個室で隔離治療を行っているという事実は、詳細はともかくとして、既に共有されている。
「もういい。お前らはさっさと反省して、次の準備に備えろ!」
苛立ちを隠そうともしていない声で、闇理は自室に閉じこもった。
「闇理お兄さん...」
思わぬ形で説教が早く済んだ深夜は、これからのことも忘れて、その場に立ち尽くしていた。
彼女が我を忘れて放心していた状態から戻ってきたのは、部下からの呼びかけがあった、1分後であった。
「大丈夫よ。ちょっとぼーっとしただけ」
部下からの返答はない。
「それより、逆妬と華宵姉さんが気になるわ。私はそっちに向かうから」
そのまま自分の要件を言って、深夜は足を進めた。たとえ、部下が疑問などを重ねたとしても、彼女は無視していたに違いないだろう。
「司闇」もそうだが、医療系統の技術は相応に発達しており、並大抵の傷ならば、容易に治せる。
逆妬は全身にダメージを負ってこそいたが、応急処置と本家での集中治療もあって、既に危険な域からは脱していた。
最も、治療が完了したといっても治療の成果が安定する「定着」にはどうしても時間がかかる。ここで下手に動けば、再発などで振り出しに戻ってしまう。
かつてはその「定着」を促進させる技術を発達させようとしたが、身体と精神に多大な負荷がかかるとして、緊急の時以外は使わないという結論に至った。闇理ならば無理やり使おうとしてもおかしくないが、まだデメリットを受け入れられるだけの余裕があるということなのか、実用されたことはなかった。
そして、今現在も使用されていなかった。
「そう、1週間ほど安静にしてろって?」
「全く、僕としたことが不覚をとるなんてね」
自室のベッドに横たわっていた逆妬は、不満そうにそう口にした。
あの時点で動くのも困難なレベルで重症を負った彼は、部下に背負われる形で帰還した。別に移動するだけなら、時間さえかければ問題ないのだが、事態が事態だったので、ややプライドを捨てる形で急がなくてはならなかったのだった。
「兄様がどう思っているかは知らないけど、あんたが無事でよかったわ、逆妬」
「...」
深夜が口に出した「兄様」というのは、言うまでもなく闇理のことだ。同じ血を分けながらも、道を違え対立することになった亮夜のことではない。__ついでに言うと、既に死んでいるはずの過闇耶でもない。
過闇耶がいなくなった頃から、闇理は変わったように、深夜は感じている。
だが、それは亮夜たちから教えられたことによる影響が大きい。
もし、あのことがなければ、闇理に対して面従腹背、とまでは言えないものの、多少は距離を置きたがることもないに違いないだろう。__そもそも、今回の件で深夜だけが無事でこうなるとも限らないが。
「強さ」を見せる闇理に対して、深夜は尊敬していたが、今では多少の恐怖を感じている。いつ、自分や逆妬たちがその「強さ」に呑まれるか、深夜は内心、不安に感じていた。
自分が人間として生き続けていれば、きっと亮夜たちが何かを変えてくれると、心の奥底で信じているから、深夜は心を「闇」に染めるつもりはまだなかった。
そのこともあって、闇理と華宵はともかくとして、逆妬に対しての態度は少し変わったと、深夜は思っている。
自分より弱いと思っているのには変わりないが、姉として、逆妬を守りたいという気持ちが芽生えていた。
「...ごめん、姉さん」
深夜は思わず、ぽかんとした顔を晒してしまう。
こうした形で、逆妬に謝られるのは初めてであった。
弟としてあまり可愛げがなく、プライドも高い逆妬は、なかなかそういった感情を出さない。__実は、闇理や華宵どころか、深夜もそういう一面があるのだが、本人はまるで気づいていない。
また、本人の優秀さも相まって、死んだことにしていた亮夜たちが再び姿を現すまで、逆妬が失敗した経験は数えるほどしかなかったのだった。
姉として謝られることはあったが、任務の失敗といった類としては、これが初めてであったのだった。
「...仕方ないわよ。アンタはともかく、華宵姉さんも芳しい結果とはいえない。アンタ一人のせいではないわ」
逆妬が残した結果は、冷宮恭人の足止め。
華宵が残した結果は、魔獣化した亮夜の断片的なデータ。
当初の目的からすれば、大分ずれているのだが、言伝の限りでは、失敗と結論を下されても仕方ないと深夜は思っていた。
「...私なんか、ただ見張り役を行っただけ。アイツらを追って失敗するならまだしも、ただ待っていた私は怒られても仕方がないわ」
深夜が残した結果は、なかった。敢えて言うなら、捕らえたトウキョウ魔法学校生徒たちを確実に連れ去ったくらいだ。
亮夜たちの捕縛作業にはやや消極的だったこともあり、深夜は裏方に徹することにしていた。
その仕事が、誘拐した生徒たちの見張りであった。
とはいっても、彼女が待機していた__仕事していたとも言う__キョウト・サウス・ウィズザード・ホテルは「司闇」にとって重要な拠点であり、もし逆襲に転じられれば、悪事などがバレて、やむを得ず撤退しなければならなかった。
「いや、姉さんは影で僕たちを助けてくれた。姉さんがいなかったら、僕は...」
実際、深夜が無傷だったから、重症の逆妬を安定して運び出すことができたのだ。もし、深夜も前線に出て致命傷を負っていたら、逆妬を連れ戻す難易度は飛躍的に上昇していたに違いない。
「はぁ...縛られるものがあるって、辛いわね...」
いくら政府の権力を恐れない「司闇」と言えど、大っぴらに犯罪行為ができるわけではない。あくまで彼らは一環境を崩すことは嫌い、パワーバランスを崩さないように動くのが基本としていた。
もし、政府転覆などを実行すると、結果的にニッポンの完全なる支配者となる。そうなると、ただの一組織では済まされない土俵に引きずり出されることになる。
彼らが総力を挙げれば世界征服すら不可能ではないだろうが、全てを支配するということは、全てを保たなくてはならないということである。
そんなことになると、支配した分だけ環境を整えるのに奔走する必要があり、結果として「司闇」としての自由を大きく損ねることになる。
今回の作戦でも、拠点を奪われたならば、犯罪行為を黙認してもらうのは困難になる他、安定して連絡をとるのも難しくなる。それ以外の悪条件を付加されても当初の目的を行うだけなら不可能ではないが、安定した退路や後ろ盾がないというのは、不慮の事故を起こした際のカバーが難しくなる。
実際、魔獣降臨による影響で多数の犠牲者、負傷者が発生して、スムーズに撤退できたのはこの存在が大きい。もしなかったら、負傷者はさらに増加し、逆妬の行方を始めとして、「司闇」としての活動はあまりに大きく制限されることになったかもしれない。
「姉さんは結果こそ出していないけど、僕と華宵姉さんと違って、失敗はしていない。姉さんだけ責められる筋合いはない。僕も同じだ」
「逆妬...」
どうやら逆妬が歪んでいたと思い込んでいたのは、深夜の勘違いだったようだ。
司闇の教育はあまりに残酷でハードなものであり、事実、きょうだいであった亮夜と夜美は死亡という形で姿を消したことになっている。
姉である華宵はもはや手遅れと言っていいレベルだし、深夜も神髄に近づこうとしているが、まだ抗うことができている。
しかし、逆妬の返したものは、彼女の思い込みを根本から覆した。
(逆妬と同じくらいの時には、ほとんど思想教育は終わっていた。ならば...)
もしかすると、司闇の教育そのものが、狂っているのではないか。
深夜はそう思った。
亮夜たちは「死」という教育を避けるべく脱走したのだが、教育の秘密に気づいているのだろうか。
物理的な洗脳ではなく、ただの一般的な教育であるということを。
そして、人間の可能性というものを。
(...これは、じっくり考える必要がありそうね)
この答えを一人で出すのは到底無理だと思っている。
もし、答えを出せるとしたら、亮夜と夜美の知恵が必要不可欠だと思っている。
だが、自分で考えて可能性を改めて見定める必要があると深夜は思った。
「逆妬」
その先のために、弟に変わってはならないことを告げる必要がある。
「あなたのその思い、大事にしなさい。闇理お兄さんたちは殺人でより研ぎ澄まそうとするけど、それが全てじゃないということは忘れないで」
最近では、闇理に対しての呼び方が不安定になっていると、深夜は思っていた。
普段は「兄様」とややかっこつけたような呼び方であるのに対し、動揺したりすると、昔と同じ呼び方になってしまう。
きっと自分は兄から離れたがっているのだろうか。
今回の一件の間、その感情が確かに感じているのを、深夜は自覚していた。
願わくば、兄に、司闇に、弟が取り込まれぬようにと__。
逆妬と話し終えた深夜は、華宵が入院していることになっている部屋を訪ねた。
司闇一族の居住地となっている里は、本家の屋敷以外にも、多数の研究施設を始めとする様々な設備が存在する。病院もその一つだ。といっても、治療を専門とした研究所というべき実態になっているのだが。
華宵が入院している部屋に顔パスで通してもらい__血族をもつ人物以外にはほとんどが別の検査を通す必要がある__深夜は華宵と向かい合っていた。
「深夜がここに来るなんてね」
「一応、ね。華宵姉さんも思ったよりひどくなさそうでなによりだわ」
部屋に入った時、華宵はベッドで寝込んでいたが、深夜が通されるとすぐに身体を起こした。
「無理はできないけど、動くには問題ない。ただ、調査と回復を優先するためにこうしているだけ」
「そう...」
実際、華宵の言う通りそれほど問題はないようで、深夜は心の中でほっとしていた。
「...深夜。少し変わった?」
しかし、華宵の鋭い発言には深夜も動揺するのは避けられなかった。
「司闇」を裏切るつもりはないとはいえ、そう邪推されるのはたまったものではない。そういう意味では、深夜は亮夜たちより小物と言える。
動揺を悟られぬように、なるべくシリアスな態度で「何が?」と返した。
「昔の貴方は馴れ合うどころか、近づけることすら好まなかった。それが今では、こうして私や逆妬の心配をしてくれる」
「...嬉しい?」
思ったよりも好意的な解釈をされた深夜は、つい余計な一言を加えてしまった。
「嫌、というわけではない。昔の...」
その反応にどうとでも捉えられる返答をした後、華宵は口ごもってしまった。
冷徹、あるいはクールという言葉が先行する印象のある華宵がこのように戸惑いを見せるのはかなり珍しいと深夜は思った。実際、深夜が華宵のこうした姿を見た記憶はない。
発言の先が気になったが、隠し事をしているのは自分も同じだ。掘り下げたい気持ちを抑えて深夜は辛抱強く姉の言葉の続きを待った。
「...とにかく、あの亮夜たちと同じ末路を辿らなければ、私に否はない」
華宵がとったのは、気にせず話をまとめる方法だった。
深夜は姉に密かに感謝しながら、「ありがとう」と返した。
「それはそうとして、今回の一件は面白いものが出てきた」
「何が?」
「...ここで言えることは、魔法による完全な変形の可能性ということ」
今回の一件というのは、華宵が持ち帰ったデータのことだと、深夜はすぐに至った。
亮夜の人外的な力を耐えきり、部分的な傷を残した結果、検証データとして華宵の身体そのものに埋め込まれたのだ。
そのデータは、判明している部分だけでも__司闇の精鋭部隊をほぼ壊滅に追い込んだという実績だけでも__司闇にとって無視できない代物だ。
「人造魔獣を作り出すことや、部分的な変化を使って戦闘能力の飛躍的な向上が期待できる」
確かにその結果は凄まじいだろうと深夜も思っている。
しかし、当然の如く安全配慮などは無視されているはずだ。
現時点では第一人者である亮夜は完全に姿を消しており、安全の保障の可能性すら潰されている。
華宵はともかく、闇理ならばこのリスクを無視して人体実験を行うだろうと考えると、深夜は心の奥底が痛むことを感じた。
「...そうね。安定して使えるようになればますます安泰でしょうね」
言うまでもないが、このような不満を表に出すわけにはいかない深夜は、戦力的にはプラスと解釈できるコメントをすることにした。
「なるべく早く終わらせてね。姉さんがいないと、みんな困るから」
立ち去り際に深夜の残した祈りは、華宵の表情を和らげるには十分だった。
それ以降、逆妬は集中治療、華宵は集中検査に携わり、闇理は当主代理__ということになっている__としての責務に追われていた。
唯一、手の空いていた深夜は、魔獣来襲事件で手に入れた収穫の吟味と、代理補佐としての部下の監督を行っていた。
10月6日。
遂に「司闇」が動いた。
闇理一人だけで。
「俺はこれより、キョウト大病院に向かう」
4日間かけて体制を整えた後に最初に下されたのが、総大将自らの出陣であった。
「留守は私にお任せを」
闇理の装備は特筆するほどの大きさのものは所持していない。よく言えば一般人に紛れ込める凡庸さがあり、悪く言えば想定できる事態を甘く見すぎている手抜きであった。
しかし、彼を見送る人物たちは深夜を含め、闇理を心配しているものはいなかった。むしろ、彼がいない間の代理当主の手腕を不安にしているほどだ。
「ひとまず施設運用を再開できる程度には復旧させた。お前に与える役割は...分かるな?」
「はい」
曲りなりにも当主としての統率力を見せた闇理は、この4日間で人員に関わる問題以外はほぼ解決させた。さすがに普段通りの開発や諜報を行うことはできないが、2つ3つを掛け持ちするくらいのレベルなら十分だ。
__つまり、深夜は形だけの責任者を押し付けられたということになる。
しかし、深夜は微塵も不満に思わず、丁重に頭を下げた。
「闇理兄様、ご武運を」
深夜の激励に対し、闇理は身体を翻して出撃した。
深夜が何を思っているのか、闇理は読み取るつもりもなかった。




