1 悪夢
9月末。
修学旅行に参加した亮夜と、サポートのために共に向かった夜美。
しかし、司闇一族の策略によって、彼らは追われる身となってしまう。
キョウトを舞台に、繰り広げられる死闘。
亮夜は暴走を起こし、司闇と夜美をも巻き込んで、決着がつく。
しかし、その代償はあまりに大きかった。
亮夜も、夜美も、意識が、命が、消えうせようとしていた。
__ここは、どこだろう。
意識を持った彼女は、最初にそう認識した。
ずっと、長い夢を見ていたような気がするのだが、何一つ思い出せない。
だが、彼女自身には、記憶がある。
兄がいたという記憶が。
(お兄ちゃん...!)
声が出ない。
いや、声は出ているのだが、喋っていると感じられない。
耳から、ちゃんと聞こえてくるのに。
それどころか、それが分かっていても、それも感じられない。
そんなことを気にせず、彼女は歩みを進めることにした。
荒地を走ると、歓声が聞こえてくる。
極めて下劣で、卑しい、男女入り混じった、狂気を感じる声が。
いつの間にか出来ていた人だかりには、見たくもない光景が映っていた。
__あの人が、屈辱的な目に遭っている。
(お兄ちゃん!!)
__かつて、7年前、あの人を奪われる原因となった、あのことが。
しかし、なぜか、自分のことのようにも感じる。
(そうだ...)
それを意識した直後、彼女の手と足は拘束された。
そして、彼女のきわどい部分に、男たちの__。
(いやあああああ!!!)
そう叫んだ。
今度は、叫んだつもりだったのに、叫べなかった。
(今のは...夢?)
彼女が見ていたのは、夢だった。
(...ん?)
だが、いつもの感じではない。
布団は、妙に柔らかい。
枕も、妙に材質がいい気がする。
身体の触感は、どう形用したらいいか分からない。
肌を保護する感じだし、何かをつなげられているように感じる。
何より、あの人の人肌を感じない。
そういえば、まだ視界が何も入ってこない。
瞼がやたらと重い気がするが、気にする余裕はない。
意識を整え、瞼に力を入れた。
ゆっくりと、視界が広がる。
しかし、見覚えのない、白すぎる空間だった。
(...)
情報量が多すぎて、どこから考えればいいのか、彼女は途方にくれてしまった。
その少女は、再び目を閉じて、現在の状況について考え直した。
少女の名は、舞式夜美。
トウキョウ魔法学校1年1組として通う女子高校生相当の少女だ。
彼女には実の兄である、舞式亮夜がいた。彼は魔法学校2年10組であり、夜美より一つ年が上であった。
その兄を助けるために、修学旅行にこっそりと参加していた。
しかし、司闇一族に自分たちの存在がばれてしまい、総力をあげて逃亡することになった。
だが、追いつかれてしまい、亮夜は、夜美を救おうと、力の限り戦った。
それから、夜美もまた、兄とともに戦い__。
__そこから、記憶がうまく繋がらない。
何か、とても危険な目に遭った気がするのだが、思い出すことが出来ない。
不可解なのは、この場に亮夜がいないということだった。
いつも、目覚めた後ならすぐそばにいるし、覚えている部分の最後にしても、亮夜とともにいた。
記憶のない部分で、亮夜と離れたのだろうか。
だとしたら、ここはどこだろう。
もう一度、目を開き、周囲の状況を確認しようとする。
しかし、身体を動かそうとした途端、激痛が走った。
(っ...!!)
それと同時に、身体に何があったのかを冷静に判断する。
驚くことに、全身が包帯で巻かれていた感覚だった。
一応、包帯の上に何かを着ているようなのだが、どう考えても普通の事態ではない。
(...ということは、あたし、一度脱がされた...?)
そう思考した夜美の顔に浮かんだのは、羞恥ではなく、恐怖。
彼女の身体には、秘密が数多くある。
実際には、遺伝子改造の類の秘密であり、亮夜と違って、直接見られても機密的な意味で困るわけではない。
女性としての不快感については言うまでもないが、この状況では、何が起こるか分からないという点が、夜美を恐怖に縛り付けていた。
例えば、DNA鑑定で、司闇一族の血を引くと特定されてしまえば、どうなるか考えただけでも恐ろしい。
そこまで考えて、夜美は一つの推論に至った。
まさか、亮夜は__。
「お目覚めになりましたか」
幸い、思考がネガティブに囚われる前に、新たに入ってきた情報が、夜美の意識を変えた。
「まさか、あの状況から生還を果たすとは、あなたは本当に幸運ですね」
どことなく、詐欺まがいのキャッチフレーズに聞こえてくるが、それを気のせいと片付けて、女性と思われる声に耳を傾けた。
「ここは病院です。あなたは重症を負っていたところをここに運ばれて、1週間近く寝込んでいたのですよ」
10月1日。
その日、キョウト地方を中心に、謎の現象が発生。
正体不明の魔獣が現れた影響により、世界中で異変が発生した。
しばらくして、異変がある程度収まった直後、この「キョウト大病院」に謎の連絡が来た。
メッセージなし。
届いたのは、謎の信号と、発信地のみだった。
この異常事態の中、何があったのかと確かめる必要があると早急に結論を出した病院は、医療部隊と救急車を出した。
その現場では、騒然としかいいようがなかった。
60人近い死体が倒れ、ものすごい血の匂いがしており、まるで戦争が終わった直後のような惨事となっていた。
そんな中、若い男の子と、若い女の子が寄り添って倒れていた。
異常な出血を起こしていた女の子と、その上で全裸だった男の子は、辛うじて意識を感じられた。
応急処置を済ませ、二人を大急ぎで病院に運び、徹底的な治療を行った。
そして、1週間が経過して、ようやく女の子が目覚めたのである__。
「...信じ難いけど、あたしが助かったのは、お兄ちゃんとあなたたちのおかげなんだね」
空白の時間に何があったのかを教えてもらった夜美が思ったのはコレだった。
喉がつぶれかかっているが、落ち着いて喋れば、何とか言葉になる。叫んだりしなければ、一応は大丈夫のようだ。
「...そう、あの子は、やっぱりあなたのお兄さんだったのね」
ベッドの横に座った女性は、夜美のコメントから、二人が兄妹であることを推測した。
「...それじゃ、お兄ちゃんは?」
「...」
当然、来ると思われた夜美の詰問に、女性は言葉を詰まらせた。
「...」
「...話してください」
女性はベッドの横から立ち上がった。
「...今は、回復に集中しなさい。悪いようにはしないから」
「まっ!!」
女性の言葉をかなり悪意をもって解釈したのか、夜美は声を荒げようとした。
しかし、喉に血が噴き出したのか、咳き込んでしまう。
その隙に、女性は夜美の前から去った。
気になることが多すぎるが、残念ながら、今の夜美に出来ることはない。
仕方なく、もうひと眠りすることにした。
現在の医療技術は相応に発展しており、骨の再生や大半の病気の治療が可能だ。時間こそかかるが、脳細胞の再生も行うことが出来る。
重症どころか、致命傷と言っても過言ではなかった夜美も、1週間かけて行われた集中治療のおかげで、ぎりぎり通常の生活を行うことが可能となっていた。それでも、身体が総じて重い、全身から鈍い痛みを感じる、魔法がほとんど使えない__使おうとすると、激痛が走る__、少し大きく動けば、激痛か出血と、とてもまともな生活とは言えないが。
既に学校のことなど抜け落ちている中、専用の医療食を頂きながら、夜美は亮夜に対する不安を抑えきれなかった。入浴も出来ず、身体にこびりついた不安が拭えず、イライラも募り始め、腹がたっていることを自覚していた。
このままこうして、寝込んでいるわけにはいかない。
しかし、このまま動いても、今の自分にできることはたかが知れている。
その状況が、夜美を精神的に追い詰めていた。
痺れを切らそうとした時、夜美の空間に新たな人物が入り込んできた。
ベッドをアシストで持ち上がっていたので、首を横に向けるだけで、状況を把握することが出来る。
入ってきたのは、一度話していた女性と、大分年上の男性。服装を見る限り、医者であることは間違いないようだ。
「いくら若いとはいえ、その回復力は恐るべきものじゃな」
「ええ、本当に」
「今度は何です?」
夜美の口調が少し乱暴になっているが、夜美の精神状態が極めて不安定であることがよく表れていた。彼らに通じたかは定かではない。いや、通じていても、あまり気にしなかっただろう。
「そろそろ、君の兄について、話しておいた方がいいと思っての」
その言葉を聞いた瞬間、夜美の意識は急激に活性化し、目に見えて食いついた。快調だったら、思わず立ち上がっていたに違いない。
「...でもね、とても大事な話なの」
しかし、女性のシリアスすぎる声色に、夜美の意識は再び極度の緊張をもった。
「何を言われても、目を背けない覚悟がある?」
「...まさか」
そのセリフを聞いた時、夜美の意識には、最悪の予想が浮かんでいた。
絶対に受け入れられない、最悪の現実が。
そして、次々とフラッシュバックする、亮夜との記憶。
いや、それは、亮夜との記憶だけではない。
あれは、自分と兄が味わった、死に匹敵する苦しみ。
それは__。
「...いかん、過呼吸じゃ!急いで__」
意識を取り戻した夜美は、少し前までの自分をうっすらと思い出していた。
「...そうだ、お兄ちゃんは!?」
どういうわけか、喉は回復しており、面白いくらい身体が軽い。
「今から話を」
「生きているんでしょ!?早く会わせてよ!」
そして、自制心が全く機能していなかった。
もし、普段の夜美だったら、ものすごく丁寧な態度で、耳を貸すだろう。
今の夜美はまるで、純粋な子供そのもののように、亮夜を求めていた。
「そうね...どこから話せばいいかしら」
「最初から、全部」
「分かったわ。でも、質問は最後まで終わってからにして」
舞式亮夜は、夜美と同じ現場で発見された。
全身から出血、大量骨折、破れていた服、潰れていた眼、無くなっていた足と腕__。
正直、生きている方がおかしいと断言できるレベルだった。
だが、ごく僅かに動いたことと、生命反応がごく僅かに残っていたことを調べられたため、生存ということにした。
しかし、問題はここからだった。
現在の医療技術では、生きてさえいれば、ほとんどが治療できる。
しかし、最低限の治療__出血の治療と点滴の追加__を終えただけで、足と腕が再生した。
少なくとも、人間に物理的な再生能力はない。
そうなると、無意識による魔法か、改造されて、再生能力をもっていたのか__。
意を決して、DNA鑑定を行った。
驚くことに、判明したデータは、衝撃的なものだった。
何と、何一つ、明確に分かるデータがなかったのだ。
同じタイミングでとった妹である夜美と比較しても、血の繋がりがあると断言できる結果ではなかった。
__ちなみに、この時点で、別口でとったデータによって、この二人が舞式亮夜と舞式夜美だということは判明している。データベースの照合は、ある程度上の立場ならば、容易に行うことが可能であるからだ。
さらにおかしいのはここからだった。
亮夜が暴れ始めたのだ。
しかも、過去に記録されていたデータとは、全く一致しない魔法を使った。
常軌を逸脱した、全く新しい魔法。
強制麻酔により、無理やり仮死状態とし、今度は精神状態を調べた。
こちらでも、驚くべき結果が出た。
脳のほとんどが、機能停止していたのだ。
しかし、実際には、機能停止していたわけではなく、一種の暴走状態になっていた。
彼の身体の調査を続けた結果、薬物反応まで出ていた。厳密に言えば、薬物依存の類ではないが、実態はほぼ、薬物依存に近いと言えた。
それらを総合的にまとめた結果、彼の状態はこうだ。
舞式亮夜は、重度の魔法中毒による、精神暴走を引き起こしていると。
「そんな...」
想像以上に重い、亮夜の病気に、夜美は絶句した。
「こんなケース、今まで見たことがない。彼が示した魔力暴走現象に近い部分はある他、過去の患者にもそういうのはいたが、この子はそんな生易しいものではないのじゃ」
「症例者第一号ということね。名誉とするべきかは分からないけど」
「今もDNA鑑定のデータを元にして、新たな関係性を探しておる。それ以外にも、精神分析を始めとして、少しでも可能性を探っておるのじゃが...」
言葉を区切った医者を前にして、夜美に正常な緊張が走った。
「...お兄ちゃんは、助かるの?」
「...はっきり言ってよいか?」
思わせぶりな発言に、夜美は意識を整えて、無言でうなずいた。
「現状、舞式亮夜の生存する確率は」
「0%に等しい」




