10 亮夜の敗北
亮夜が最後の手段として使用したのは、覚醒薬。
身体を魔力に最適化させ、魔法師としての能力を飛躍的に上げるという一品だ。
だが、効果が切れると、かなりの後遺症を引き起こす。
逃亡をし続けなくてはならないこの状況で使うということは、自殺行為同然だが、「司闇」の手に落ちた夜美を救うには、この方法しかなかった。
そして、夜美を救うことは出来た。
夜美も吹っ切れたのか、腹をくくったのか、もう弱みを見せることなく、勇敢に立ち向かった。
目の前に迫ろうとする、現実から、目を背けながら。
強力な足止め系統の魔法を次々と放ち、逃亡を続ける亮夜とそれを追う夜美。
夜美は、亮夜が覚醒薬を使用した時から、弱みを見せない覚悟を決めた。
今の亮夜に応えるには、対等に立たなくてはならない。
そして、亮夜を救えるのは、自分だけだと理解していた。
しかし、夜美は非常に嫌な予感がしていた。
まるで、今の状況が、自分たちの死期を延ばそうとしているだけではないのかと。
いや、死ぬかどうかは別にしても、自分たちの運命はここで終わるということだが、いずれにせよ、決して口に出そうとはしなかった。
だが、そうだとしても、心残りはある。
自分と亮夜の夢は叶えられないことはもちろんとしても、自分の本当の想いは__。
今まで、夜美はそのことに、ずっと目を背けようとしていた。
実の兄として振る舞う亮夜に応えるべく、実の妹としての態度をとり続けた。
かつては、ただ一人、本当の意味で、兄として慕うことが出来たのだが、運命が変わったあの日から、亮夜をどんな目で見ているか分からなくなっている自分が確かにいた。
かつての立場から、妹としてなのか。
庇護欲と保護する立場から、姉としてなのか。あるいは、母としてなのか。
共にある立場から、パートナーとしてなのか。
亮夜に対して、異常な感情を抱いてしまったのは、あまりに異常な立場からであったからかもしれない。
しかし、どういうことであれ、亮夜が好きで愛しているという感情は、どういう方向から見ても、変わることはなかった。
そして、自分の行動方針や行動原動力にまで取り憑かれており、亮夜とは離れることなど絶対にありえないと言えるほどの情を抱いていた。
それだけの想いを、一度でいいから告げたい。
もし、一度だけ、人間として、間違ったことが許されるなら__。
そんな妄執を抱いてしまうほど、今の夜美は亮夜に対して気持ちが向いていた。
とはいえ、今の使命を、亮夜の奮闘を無下にするつもりは、夜美にはなかった。
ほんの僅かな可能性と亮夜を信じて、まだ戦うことはできた。
亮夜の魔法から逃れた相手を、自分の魔法で狙撃して、撃退する。時には、亮夜と共に移動魔法、二人で敵陣に切り込み、かき乱すこともした。
精神と身体の全てからあげる悲鳴を全て無視して、夜美は亮夜とともに立った。
しかし、亮夜の身体はもう限界に近い。
いつ倒れてもおかしくない状況の中、魔法で移動していた亮夜が、急激に速度が低下した。
危機を悟った夜美は、すぐに戻って亮夜を背負った。
ここからは、自分一人で、司闇に立ち向かわなくてはならない。
今にも倒れそうな極限状態の中、夜美は力を振り絞り、再び逃亡を始めた。
しかし、目に見えて動きが悪いというのは、もはや考える必要すらなく感じていた。
そして、日が落ち始めた頃、ついに夜美の全方位から包囲されてしまった。
「さあ、今度こそ追いかけっこはここまでだ。おとなしく捕まれ」
「・・・」
満足に魔法を使うことも出来ない夜美はなすすべもなく、司闇の連中に捕まった。
「ハハハハハ!ようやく亮夜たちを捕まえたか!!」
その報告を聞いて、闇理は大笑いしていた。少し前まで、「まだ終わらないのか」などと、目に見えてイライラしている態度を見せていたが、部下の報告を聞いて、ようやく怒りは引っ込んだ。
「これで奴は終わりだ!今度こそ、我ら栄光の時代が始まるのだ!」
一方、現場で動いていた司闇きょうだいの華宵、深夜、逆妬はそれぞれが全く違った反応をしていた。
華宵は、その報告をただ聞いただけで、別の案件を優先していた。
逆妬は、応答がない。
そして、深夜も、返事を返しただけだった。
(これで、兄さんも夜美も終わりか・・・)
だが、その秘めた心には、それだけではすまない、複雑な感情が宿っていた。
「深夜様・・・それは・・・?」
部下から指摘されて、ようやく深夜は自分がどうしているのかを理解した。
「っ、何を見ている!女の汗をじろじろ見るなんて、サイテーよ!セクハラでおしおきよ!」
「ひいい、申し訳ありません!」
動揺しきった深夜は、わざとキレたふりをして、部下に八つ当たりした。
「だいたいアンタね__」
深夜の口撃が続く中、部下から更なる予想もしない追撃がきた。
「あの・・・今のは・・・?」
「っ!!」
誤解して完全に暴走した深夜は、とうとう本当にキレてしまった。
「アンタら全員、終わったらおしおきするから覚悟しなさい!!私はもう降りる!!」
「それは・・・」
「とにかく、後はアンタらだけで何とかなるでしょ!!私はしばらく部屋に閉じこもるから、緊急の用事以外は持ってこないで!!」
言いたいことだけ言って、深夜は勝手に確保した部屋に入った。
自分が、完全に理解不能な状態になっていることを、深夜は確信していた。
瞳に映る涙が、深夜の心の動揺を、僅かに表していた。
亮夜ごと殴られた夜美は、地面に倒れた。
そして、亮夜は捨て置かれ、夜美は2人がかりで拘束された。
「これで、ようやく終わりか。手こずらせやがって」
「確か、闇理様の元に、この二人を送るんだろ?」
「ああ。最も、今、殺しさえしなければ、どう扱おうと、俺たちの勝手だそうだが」
「つまり?」
「こういうことだよ!」
男の一人が、突如、倒れていた亮夜を蹴り飛ばした。
「!!」
夜美は声をあげようとするも、意識を保つのでさえ精一杯な中、そのことさえ許されなかった。
そして、最愛の兄が言葉にならない苦痛を受けているのを、ただ黙って見ることが、どれほど屈辱的に感じているのか、想像にも及ばない程だった。
「やっぱいいよな、人間サンドバッグ!」
「クソナマイキなコイツをいたぶるのはサイコーだな!」
「おい、俺にもやらせろよ!」
いい歳した大人が、子供でしかない男の子をいたぶる構図。
亮夜は声すら出ない状態だったが、その音だけで、どれだけの苦痛を受けているのか、夜美は憤りを強く自覚していた。
そして、胸中に眠る、強い邪心が、夜美を蝕もうとするのも、自覚し始めていた。
(さあ、早く私を解放しなさい!)
(・・・!)
亮夜は言った。
司闇の血族となったが故の副作用。いや、欠陥。
正常とは程遠い、異常な狂気を生まれ持った人間。
それが、司闇を狂わせる、悪魔の果実。
それを分かっているから、手に染めてはならない。
もはや、正常に思考することもできず、夜美はもう何をしているのか分からなくなるほど、追い詰められていた。
「そういえばよ、夜美様もやっていいっていうことだよな、アレ?」
「・・・ま、いいんじゃねえか?どうせ死ぬんだ、いくまでにやってもいいだろ」
「お、それはいいな、じゃあ・・・」
亮夜をイジメていた司闇の男たちの矛先が突如、夜美に代わった。
(!!!)
そして、夜美に手をかけると、とんでもない辱めをしようとしてきたではないか!
「楽しませてくれよ・・・!」
女として強い屈辱と恐怖を与え、その悪魔の手は、禁断の領域をはがそうとした__。
(助けて・・・お兄ちゃん・・・)
意識をほぼ失った亮夜は、現在の状況把握について、極めて朧気であった。
夜美に背負われた。
敵が来た。
夜美が蹴られた。
自分が蹴られた。
自分が__。
意識を失っているに等しい亮夜は、精神的な激痛を引き起こし、辛うじて事態を把握できている程度だった。
目も、耳も、肌も、感覚も、極めてわずかにしか映らなかった。
その僅かな感覚で、夜美が屈辱的な目に遭っているという事態を把握した。
(!!!!!)
その直後、狂った精神の中に、特大の怒りが現れた。
しかし、それと同時に、どうにもならない現実を諦める、自分も僅かにいた。
(・・・ごめん、夜美・・・。僕の力が・・・足りないばかりに・・・)
もし、身体がまともに機能していたら、多大な涙が流れていただろう。
それだけ、この状況を変えられない、自分の弱さと運の無さを悔やんでいた。
(それでいいのか?)
しかし、別の自分が、亮夜本人を鼓舞する。
「夜美は今、お前にとって、最も許しがたい屈辱を受けている」
(・・・うん・・・)
「ならば、それを救うのが、お前の役目だ」
(・・・分かっている・・・でも・・・)
「力なら、まだある」
どうにもならないから、諦めていた本来の亮夜。
しかし、別の自分は、それを否定した。
いや、否定でもなく、鼓舞でもない。
悪魔の囁きだ。
「お前の封印した心の中には、最大の力がある」
(・・・それは・・・)
「しかも、今は混沌に満ちた結果なのか、さらに異常な力に目覚めた」
(・・・)
「これがあれば、夜美は救える」
(・・・でも・・・)
確かにそうかもしれない。
だが、それは、人間であることを捨て、司闇に屈すると暗に示した、禁断の力。
「お前の妹は、絶対に許してはならないことを、されているのだぞ」
「それに怒らずして、何が兄だ」
「そんなちっぽけなプライド、捨ててしまえ」
(うっ・・・くっ・・・)
こいつの言っていることは紛れもない事実だ。
だが、そのためには、この力を手にするということであるが__。
「何より、ここで立ち上がらなければ、お前も夜美も死ぬのだぞ」
「そう、お前には夢があった」
「その夢は、俺が叶えてやる」
「何も心配するな」
(や・・・め・・・ろ・・・)
「早く俺を解放しろ」
「こんなことを我慢しても、身体に毒、いや、死でしかないぞ」
「ほら、今使えば、夜美もお前も助かる」
(・・・・・・)
「今、やるべきことなど、本当は分かっているはずだ」
もはや、今の亮夜に、言い返せる力などなかった。
「さあ、俺を・・・」
(解放しろ!!!)
亮夜の心は、己の奥底に封印した、邪心に明け渡された。
自身に襲い掛かるいやらしい手。
限界を通り越している夜美の心に、更なる痛みが襲い掛かった。
「・・・っ・・・」
唯一の救いは、普段着に戦闘用の特殊スーツを着て、さらにその上に、フードを被っていたので、脱がされるまでに大分時間をかけられたというくらいだ。
だからといって、服の上から襲い掛かる嫌らしい手つきが、デリケートな所に触れてくることについては、極めて不愉快であることに変わりない。
亮夜に触れられるのとは違う、愛も情もない、ただ嫌がらせでしかない、悪意の手は、夜美の女としての本能を強く不快に刺激した。
わけもわからず女としての屈辱を味わっていると、更なる異常を知らせる事態に、夜美の精神は完全に明後日の方向に向かった。
亮夜の精神が、目に見えて異常なことになっている。
魔法師でなくても分かるほど、亮夜の状態が異常であると伝わってくる。
無論、辛うじて普段着までで止められた夜美も、夜美を玩具にしていた男たちも、例外なく、亮夜に意識を向けられた。
既に意識を失っていたはずの亮夜が、突如、ものすごい勢いで魔力が充満し始めたのだ。
それどころか、魔力が全身を覆い、新たな姿へと変わろうとしていた。
「な・・・なんだ、あれは!?」
「一体、何が起ころうとしているんだ・・・!?」
拘束を解かれ、膝から座り込んだ夜美は、今の状況を忘れ、亮夜がいた空間を見ていた。
(・・・!!)
もはや、あの姿は、断じて人間ではない。
怪物だ。
化け物だ。
魔獣だ。
亮夜がいたはずの空間には、黒紫色をした、人間によく似た魔獣が現れていた。




