第1話 バンドぎらい
主な登場人物
海辺之美少女倶楽部
キーボードの米倉夢路とベースの藤井彩音とギターの細田玲奈の3人が、中等部にいた頃に結成したオリジナル中心のガールズバンド。
看板に偽り有りで、とびきりの美少女はいないけれど、名前を見て勘違いした男子が殺到すると企んで付けられた名前なのだ!
宮原 柚 高1 海辺之美少女倶楽部作詞作曲ギター担当
好奇心旺盛で休み時間は元気なのに、授業中は照れ屋で大人しい突拍子もなくおかしな子。
米倉夢路 高1 海辺之美少女倶楽部作詞作曲ピアノ担当
スレンダーでおっとりしたメガネっ子。メガネを外すと美人という設定だが、なかなか外さないからどうしようもないのだ。
藤井彩音 高1 海辺之美少女倶楽部作詞作曲ベース担当
ぽっちゃりとデブチンの境界線にいる、さっぱりした性格の老舗旅館の女将みたいな子。たぶん痩せたらもっと可愛いかも。
大野惠梨 高1JPOPやJROCKのコピーが主体のガールズバンドBITTERPEACHのリーダーでドラム担当。大人びた身体つき故に中学時代から陰でOLと言われている。
細田玲奈 高1 元は海辺之美少女倶楽部に在籍していたがBITTERPEACHに移籍したリードギタリスト。
垂れ目で優しそうなのに、時々柚にチクチクと皮肉っぽいことを言うけれど根はとても良い子。
仁科禎介 3年生演劇部部長
背が高くて賢くて、クールに見えるのに優しいというまるでアニメに出てくるような柚の先輩。
井上信如 3年生SECONDHANDSエレクトリックギター担当 1969年から海辺之学園にタイムワープ通学中
ハードロックバンドのギター担当、寡黙で怪しげで、髪が腰まで伸びている。
佐久間冬樹 3年生SECONDHANDSドラムス担当 1969年から海辺之学園にタイムワープ通学中
ハードロックバンドのドラマー 苦労性で困ったような笑顔で 超ロングなカーリーヘアー。まさか後に禿げるとは!
琴音さん(30歳) カフェCOTTONのママ
常に左右のコメカミにトクホンを貼っている女給さんのコスチュームが好きな義理と人情に厚い自称絶世の美女。皆から「やりてババア」とか「イカズゴケ」と呼ばれている。
ホッピー小川 3年軽音部部長 ディスコミュージック好きなのに、音楽と無縁に服装は
ヒッピー文化の影響を受けていて、千葉の長生郡の山中でマリファナ畑を作っているという噂が。
セルマーさん(70代)COTTONの常連
今は警備のアルバイト 嘗てはプロのサキスフォン奏者でオーケストラの中にいらっしゃったお方。
向谷 尚(36歳)音楽教室のギター講師 スパニッシュギターの名手
温厚で穏やかなCOTTONの常連さん いつも謙虚で前向きなお方
中学3年の3学期も終わろうかという或る日の海辺之学園の放課後。
教室に忘れ物を取りに来た宮原柚は、
ロッカーの前に置かれたキャンディレッドのドラムセットを見て放心状態になった。
(うっわっ!綺麗だなぁ~) 恐る恐る近づいてしげしげと見つめ、
振り返って人がいないか確かめた。
シンバルに『Zildjian』という文字がある。
「(ジル…ドジャーン?)プッ!(なわけないか、なんて読むんだろ?)ドジャーン!」
なんにも考えず、人差し指でコンと叩いてみた。
(おおお!音がした)当たり前だ。
そして音を止めるために慌ててシンバルを指でつまんだ。
すると背後からいきなり「何してんのよぉ?」と不機嫌そうな声がした。
大野絵梨だ。大野絵梨は背が高くて大人びた雰囲気なので、
まるでOLみたいだ。だから、オオノエリが転じて
みんなから陰でOLと呼ばれていた。
柚が「ごめんよー」と両手を合わせて祈りのポーズをすると、
絵梨は苦笑いしながら「子供のオモチャじゃないんだからねっ」
とたしなめるような言い方をした。
(同級生なんだからあんただって子供じゃん!)と内心思ったけれど、
もう一度謝った。絵梨は、短気だけれど気がいいほうなので
「シンバルは指で触れると錆びるんだよぉ」と
子供を叱った後のお母さんみたいにもう笑っていた。
「さぁ、これから練習するんだから子供は帰った帰った」
(あんたも子供でしょ!)と思ったが「うん。ほいじゃね!」と
愛想良く手を振って教室を後にした。
大野絵梨は他のクラスの目立つ子ばかり集めて
5人でガールズバンドを組んでいてメンバー全員が
キャンディレッドの楽器を持っていた。
柚は個人的には絵梨たちのメンバーそれぞれと仲が良いけれど、
なんだかバンドをしている人が苦手だった。
【なんか、すかしてる感じ~】そんな偏見があったのだ。
海辺之学園は自由な校風なので、バンド活動にいそしむ生徒達も多かった。
勿論、ほとんどがコピーバンドなのだが、
たった一組だけ、中学生にしてオリジナル曲を持っているスリーピースバンドがあった。
海辺之美少女倶楽部というバンド名で、看板に偽りありで美少女はいなかった。
名前に『美少女』と入れれば勘違いした他校の男子が
押し寄せると思ったらしい。 それが正門前で手を振っている三人だ。
「おーい、ゆずー!お財布あったぁ~?」
「記憶力ないのかよっ!?」
「首にぶらさげときなさいよ!」
みんな呆れて怒り顔だ。
ぽっちゃりと言うより、もう、これはデブちんじゃないの!?
というくらいふくよかなベースの藤井彩音。
メガネをかけてスレンダーで、おっとりしているというより、
もう惚けてない?というくらいのんびりした感じのキーボード米倉夢路。
見ようによっては美少女に見えるような気がする、
垂れ目で優しそうなのに根がクールなギターの細田玲奈だ。
最初に言った通り、柚はバンドをやっている連中が苦手だった。
でも、この3人はそもそも音楽をやっているとは思わなかった。
中1からの友達だったが、どう見てもバンドをしているように見えなかったのだ。
それなのに中2の時に、卒業生を送る会で、
オリジナル曲を演奏しているのを見た時は尊敬してしまった。
教諭たちも3人の作詞作曲演奏ともに感心したらしい。
主に作詞作曲をしているのはピアノの夢路とベースの彩音なのだが、
柚は中1の時から夢路に恋心めいたものを抱いていた。
女に生まれたからには当然のこととして、
男子から告白されたこともあったし、
周りから「やーやー、おめでとう」と茶化されたしたこともたあった。、
でも、男子より夢路のことが好きだった。
前出の絵梨が背伸びをした『大人めいた』だとしたら、
夢路は背伸びしていない聡明な大人めいた少女だった。
彩音と夢路は柚に対して手放しに好意を持っていた。
しかし、玲奈は柚に不思議なライバル心めいたものを抱いていた。
とはいえども4人は仲良しだ。
いつからか、作詞だけならと柚も作る時だけ仲間になっていた。
時折り、3人から柚も一緒にみんなの前でやろうよと誘われることがあった。
「あんたんちピアノ教室やってるんだからなんかできるでしょ?」と
特に彩音がしつこく誘ってきた。
実は、その教室を開いていた母親のスパルタ教育こそが柚の音楽嫌いの原因だった。
「実は音符読めないんだよっ…。」
「うそ!この前ピアノ弾いてたじゃん?ある意味天才だよっ」
夢路も驚きを隠せなかった。ただ玲奈だけは
「誰だって苦手はあるんだから無理に誘うのはやめよー」と言ってくれた。
実は、内心玲奈は柚がバンドの仲間に入ることを心よく思っていなかったようだ。
しかし、高等部になると一転、玲奈は申し訳なさそうに「辞めてもいい?」と
夢路と彩音に両手を合わせた。
大野絵梨たちのバンド内で揉め事があってギター担当が辞めて、
男子4人のバンドに移ることになったので、
玲奈がその穴埋めに誘われていたのだった。
元々玲奈がアコースティック系の音楽よりも、
ロック系の音楽をやりたかったことは彩音も夢路も知っていたし、
なるべく意識して、そういう方向性の曲も夢路は作っていた。
でも、引き止める理由は無かった。夢路も彩音も、
海辺之美少女倶楽部を辞めても友達でいることを約束させて、
玲奈を気持ちよく見送った。
そして、一人抜けたので当然のように
「人前ではやらないからギター弾いてよ。お願いだよー!
アルハンブラの思い出弾いてたじゃない!」と
2人がかりで拝み倒されて、
とうとう柚は海辺之美少女倶楽部の正規メンバーとなった。
彩音の父親の知り合いの工場の二階が練習場所で、
日曜の度に迷子町の隣町まで市電に乗って出かけた。
意外にも両親は 気持ち良くバンド活動を始めることを喜んでくれて、
Kヤイリというメーカーの小ぶりのエレアコを買い与えてくれた。
いざ始めてみると思いの他楽しかった。
特に夢路の歌はハモリが多いので、上手に出来ると嬉しかった。
玲奈はギターは上手だが歌はてんでダメだった。
だからボーカルは彩音と夢路だけだった。
ところが柚は玲奈の逆で、
演奏があまりよろしくなかったが歌は良かった。
人とは違う変わった声だが、魅力的な声質とも言えた。
しかし、一人で歌うとそこそこの歌唱力だが、
主線を歌えばコーラスにつられ、
コーラスをやらせれば主線につられるという弱点があった。
「なんていう致命傷なのよ!」彩音は呆れ果てていたが、
夢路が丁寧に一音づつ指導してくれたお陰で
なんとか様になってきた。しかも、
夢路や彩音が曲を作り上げるところを
長い間傍らで眺めていたので、
見よう見まねで自分も作れるようになった。
それでも文化祭はやっぱり柚は抜けていた。
体育館の一番後ろでコンサートを見ている時だった。
仲のいい演劇部の部長の仁科先輩が
「なんで宮原は出ないの?」と優しく尋ねてきた。
「なんだか照れくさいじゃないですかぁ。それに見てるの好きなんですよっ!
ファンクラブ会員番号1番」柚がそう言うと、
クスクスと笑って「でも、君は本当はお芝居もやりたいし、
米倉や藤井とステージに立ちたいんじゃない?
うちの連中が出たそうだよねー?宮原って言ってたよ。
声かけると逃げるけどねって」と面白そうに笑った。
実は演劇部にいる親友から「脚本、公募しているから書いてみなよ」と言われて、
遊び半分に脚本を書いたのが柚で、
何故かそれを読んだ演劇部の顧問が
ゴーサインを出してくれたのだった。だが、
それは仁科部長が夜更かしして推敲してくれたお陰だということを
柚自身は知らないでいた。てっきり顧問の教師が書き直したものだと勝手に思い込んでいたのだった。
兎にも角にも、それからというもの柚は
演劇部の部員達とは仲が良かったのだ。
「宮原が書いてくれた『午後の亡霊』の主人公は自分だよね?
俺ね、なんだか勿体ないと思ったんだ。
うちに入らない?一緒にやってみない?練習だけ?遊び半分で?
そうしたら米倉や藤井たちとステージ立てるかもよ?
いつでも遊びに来いよ。なっ?」
仁科先輩は柚の肩をポンと叩くと
他所のクラブの知り合いの方に歩いて行ってしまった。
折しもステージでは玲奈が仲間入りした
大野絵梨のバンドのステージが始まっていた。
タイトな黒いミニワンピにキャンディレッドのレスポールを
手にした玲奈の大音響のリードソロで曲が始まると
「レナー!」と男子達の声が響いた。
(みんなやりたいことをやってるんだなぁ)柚はため息をついた。
正直、心の奥底で、時々だけれど、
自分に対してチクリと皮肉や意地悪を言う玲奈を
苦手だと思っていた。けれど、水を得た魚のように
ギターを弾いている今この瞬間の玲奈は
やっぱりけっこう美人に見えた。
(人は好きなことをしている時、キレーになるのかもしれない)
そう思った。
相変わらず、彩音や夢路とは練習につきあうだけだったが、
何の因果か放送部が、ランチタイムに三日連続で
演劇部の放送劇を流すことになって、事の顛末を描くと
あまりに長い話になるので割愛するが、
その放送劇に柚の声が流れることになった。
実は、文化祭の後、仁科部長の言葉に誘われてふらふらと
演劇部に遊びに行き、「放送劇をやるんだけれど、顔は出ないし、
ほら、コメディだし!冗談でやろう!宮原ならできる!」といいように持ち上げられて
気がつけば主役だった。
ランチタイム。教室内で何故かみんな笑っていた。
どうやらウケているらしい。
担任の教師が大笑いしながら
「お前は日本では珍しいと言われている
コメディエンヌになれるかもしれないな」と言ってくれた。
(なーるほどー。みんなが笑ってくれると嬉しいなぁ。
それにしても、ずっと練習してきた演劇部の人たちはよく怒らないなぁ。
選ばれし恍惚と不安我にありだにゃ)
なんとはなしに許されてしまう。甘えているわけではないのに、
反論されることなく通過してしまう。
柚には不具合な悩みもそれなりにはあったが、
生まれついてそういうところだけは運に恵まれていた。
しかし、成功者の多くがそういう折角の運を上手に利用しているからこそ
成功を掴むのに対して、柚はその運に恵まれた自然の成り行きが堪らなく嫌だった。
申し訳ない気がしてならなかった。
「ゆぅぅぅずぅぅぅぅ!おまえはいい男に誘われると
ホイホイついて行って人前に出るのかぁ!?
あん?この自意識過剰めっ!こっちもやれ!出ろっ!
12月に軽音部の発表会があるから出るんだ!」
放送劇を聞いた彩音がにじり寄ってきて
柚の首を両手でつかんで揺さぶった。
「ヒィィィ!怪力だよっ!リード取れないからさ…」と
言い訳をすると「期待してないよぉー。
前奏間奏後奏はピアノで出来るし。
なんならほとんど打ち込み出来るし。」と夢路が笑った。
「わたしのベースソロもあるし。ハァハァ」と
彩音も狂おしそうな顔で畳み掛けてきた。
かくして、とうとう柚も黄昏市市民会館の大ホールでの
コンサートに出演することに決まってしまった。
しかし、いきなりはハードルが高すぎるので、
先ずは校内の発表会からということになった。
柚は、彩音や夢路とは仲間だが、
軽音部には入部していなかったので、入部するところから始まった。
初めて会った軽音部の部長は、
もしもし?いつの時代から来たんですか?と尋ねたいような高3だった。
長髪で花柄のシャツを着て「Ya-Ya-Yah!僕が部長のデリカシー小川だよ!
ヒッピーハッピー大ホッピー!」と言った後、
柚を力任せに抱きしめた。
新入部員の自己紹介をした後、周りを見ると、
さすが海辺之学園。最新の音楽をやりそうな連中に混じって、
クルーカットのグループサウンズみたいな人や、
70年代のハードロックバンドみたいな人や、
やたら「ナウ!」とか「ヤング!」とか言っている
アフロへアの軽薄そうな人まで、
こんなにバラエティに富んだ部員をまとめる部長は
余程の人物に違いない! 柚は開いた口が塞がらないまま呆然とした。
大きなサングラスにアフロヘアの2年生が聞こえる距離なのに
マイク越しにPAを通して「ヘイ?柚!Let's groove!
ナウな俺たちにとっては音楽はNO、border!OK?」と語りかけてきた。
すると照明が落ちて、大音響で
EARTH WIND&FIREの『Let's groove』が流れてくると、
天井のミラーボールが回りはじめて部室は大昔のディスコになってしまった。
椅子に腰掛けたまま呆然としていると
誰かが背後から脇に手を入れてきたので、
くすぐりに弱い柚は電気が走ったように直立に立ち上がった。
振り返ると玲奈が笑っていた。
玲奈は柚の耳元に唇を近づけると大声で
「ゆず!おーどーれー!踊っちゃえー!Let's dance!」と叫んだ。
(あれ?音楽は楽しいぞっ!ノーボーダーだ!)
ここで、ドラマやアニメなら、
部内発表は大成功といくのでしょうが、
そうは甘くはありません。たかだか五十数人を目の前にしただけで、
柚の演奏はどうにもよろしくなかった。ミスタッチだけではなく、
演奏が幾度か中断するということもあった。
。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜
部内発表の翌日の土曜日、三人は学校帰りにCOTTONという名のカフェに寄って
ミーティングをした。 実は、月水金の三日間たけ柚がバイトしているお店であった。
3人はさえない表情で柚を真ん中に挟んでL字型のカウンター席の角に腰掛けていた。
「それにしてもさぁ……」夢路が口を開くと、
すぐに柚は「面目無い」と古めかしい言い方で謝った。
「なんで演奏中に『ア』とか『ウォ』とかオンマイクで言うのさ。
わたし霊現象だと思ったよ!」直情的な彩音は本気で怒っていた。
「彩音ちゃん、あれはね、ウォッ!ミスしそうとか、
あ、できたとか、そういう気持ちが声に出るんだね。ハハハハハ」
「諭すように言うなぁ!笑い事じゃないよっ!」「ひ!すみませんっ!」
カウンターの中では、鋏で小さく切ったトクホンを左右のこめかみに貼った
着物にエプロン姿の風変わりなママが、洗い物をしながら、
聞くともなしに聞こえてくる珍妙な会話に、
俯きながら肩を震わせて笑いを堪えていた。
「でもさ、みやちゃんさ、あんなあがり症でさ、
いくら放送劇とは言っても、よくできたよねぇ?」
夢路は特に怒ってはいなかったけれど打開策を模索していた。
「あれは、ほら、役になりきってたし、お客さん見えないしさ」
ステージに立つことに喜びを感じている彩音からすると、
休み時間と放課後は沢山の友達と笑ったり
ふざけあったりしているくせに、
あがり症という柚の頭の中身がまったく理解できなかった。
「でも、お客さんじゃないよっ?部員だよ?
仲間だよ?恥ずかしくないでしょーが!」
やっぱり彩音にとっては疑問だらけの柚だった。
そこに、ママが「い~い?」と話しに割り込んできた。
3人は30前後にして『やり手ばばぁ』とか『行かず後家』とか言われている
人生の先輩の言葉に神妙に背筋を伸ばした。
「つまりさ、その発表会の時は小さな場所でさ、
聞いている人の顔が見えたんでしょっ?そりゃ~わたしみたいに美人だとさ、
毎日もう生きてるだけでねっ、他人の視線浴びまくりだから慣れてるけどさ
ギャハハハハハハハハハ!」と品のない笑い声を上げた。
3人はしげしげとママの顔を見つめた。
ママは「ヤン!見つめないで!」と顔を両掌で覆って照れているふりだけはした。
しかし、すぐに真顔になるとこう言った。
「次にやる時は、本番の時と同じように照明を落として
スポット当ててもらってみなよ?
見ている人の顔見えなくなるよっ。
それと役になりきれたんならさ、芸名付けて、
その役になりきればいいんだよっ」
全然期待していなかったが、さすが人生の先輩!
ママの言葉に夢路と彩音は目からウロコ。
二人は顔を見合わせてユニゾった(ユニゾンのこと)
「それいってみよー!」
尚もママはまじめに語り続けた。
「10代ってね、まぁさ、青春ってさ、
はにかみやの目立ちたがり屋とっては、なんだろ、
とってもめんどくさい時間なのよ。でもさ、柚ちゃん。
あなたには誰かに伝えたくて表現したくて
仕方ないことがあるんでしょ?、もーね、マグマみたいのがね、
頭の中でドッロドロなんでしょっ?だからさ、
そのめんどくさい自意識とさ、伝えたいことを天秤にかけてごらんよ、ね?」
そう言い残すとカウンターの奥の常連客の方に行って、
「キングー!カンチー!トラー!今月のツケを払いな!」と怒鳴っていた。
次の部内発表は、夢路の進言で、部内発表とはいえども、
公開ライブの形を取ることになった。
視聴覚室に小さなステージを作り、隣の教室を楽屋がわりにして、
リハーサルも行った。
タイムテーブルは、1年生から順に発表することになっていて、
1人目は1942年から転校してきた学生で、
バイオリンとアコーディオンとギターをバックに
ボーカルが直立不動で歌うという柚にとっては初めて見るスタイルだった。
丸メガネに燕尾服という出で立ちのボーカルが、真っ直ぐに背筋を伸ばして
「『一唱民楽』の言葉のごとく!『歌は民のため』という信念を持ち!
演奏させていただきます!」と幕開けの言葉を言うと、
場内から「なんだかよくわかんねぇけど、いいぞー!」と声が掛かり、
怒涛の如く場内は湧き上がった。
のバンドは全員ゴスロリファッションで、
「御主人様、お嬢様、いらっしゃいませ」
と言い終えたと同時に強烈なヘビィメタルを始めた。
大音響の中、部長の小川が背後から柚に近づいてきて耳元で
怒鳴るような大声を出した。
「HEY!HEY!宮Girl!ヒッピーハッピー大ホッピー!
この魔法のジュースをDrinking!」
緊張しきっていた柚は部長から渡された缶ジュースを一気に飲み干した。
「OK?いいかぁーい?、入部した日の
あのディスコティックのgrooveを思い出すんだ!」
部長はそう言うと、にやにやと笑いながらミキサー卓に戻ってしまった。
柚は「楽屋に行くよー!!」と彩音と夢路に手を引かれ隣の教室に行ったけれど、
音が筒抜けでチューニングしづらかった。
柚は、ライブの音が聞こえなくなるくらい離れた教室まで行って
音を合わせてから楽屋に戻った。
「どうせたったの3曲だからさ、ね?」
夢路がそう言った後、夢路も彩音も柚を両側から抱きしめた。
「大丈夫?」と夢路が尋ねると、柚は「だいじょぶだいじょぶ」と答えた。
「そうさ、だいじょぶさ」彩音は、玲奈の時には無かったはずのこのピンチさえ
楽しい気がして、なんだか可笑しくてたまらなくなった。
2年生の男子がドアを開けて「出番だよー!」と声を掛けてきた。
照明が落とされた暗い中でマイクセッティングや
譜面台を用意してくれているのは2年生たちだ。
「用意はできたかーい!」MC担当の部長の問いかけに3人が頷くと
「だーんし!5番手は1年A組のこうさぎちゃんたちだ!
海辺之美少女倶楽部!Beachside!Beautifulgirl!Club!BBC!」
もう1度繰り返した。「B!B!C!」やたらに煽るのがうまかった。
夢路が「どーもー!曾我廼家パンチでーす!」と言うと、
柚が「曾我廼家ピンチでーす!」と言い、
彩音が「柳原加奈子じゃねーよ!」と怒った後、
「うそうそ!曾我廼家ポンチでーす!三人合わせて?」
「海辺之美少女倶楽部でーす」とバンドらしからぬMCを始めた。
上級生が「おまえら何練習してたんだー!?」と
野次を飛ばすと場内から失笑が漏れた。3人はへこたれずに
「つかみはOK」とお腹のあたりで拳を握ったが、
他の上級生がふざけ半分に「全然OKじゃねー!」
と怒声を上げると、視聴覚室に爆笑が起きた。
1曲目は彩音オリジナルのポップな曲で始まった。
この曲のイントロは、柚のカッティングで始まり
彩音のリードベースが入ってくる。
サビのハーモニーが聴き心地のいい仕上がりになっていた。
2曲目は、リーダー夢路が作った『やさしさの形』という夢路が中2の時、
卒業生に向けて作り、学年代表で発表することになった
誰もが認める名曲だった。
そして、ラストに柚の曲を用意したのだが、
柚の目が座っているではないか。 PAの小川部長の隣の副部長が
「なんか彼女様子が変ですよねぇ?」と言うと
「あいつにあげた缶ジュースにこれを少しばかりね」と
笑いながらジンのボトルをつまんで持ち上げた。
副部長が悟達したかのような、
まるで五百羅漢の一体かと見紛うような表情で
「先輩?またやっちゃったんですね?下手すると、また停学ですよね?」と言うと、
小川は「ヒッピー!ハッピー!大ホッピー!」と
お決まりのセリフを吐いて副部長の肩を抱いた。
3曲目は語りから始まる『招待状』という曲だ。
或る日、イジメに遭って自殺に追い込まれたクラスメイトから
同窓会の招待状が届くというショッキングな内容で、
音も内容もディープでダークでヘビィなハードロック調の曲だった。
夢路としては、なるべく誰にも頼らずに3人で仕上げたかったが、
これだけはどうにもならず、
ドラムとエレキギターは1969年から転入してきた3年の男子にお願いすることにした。
あらかじめ、ドラム担当者には、なるべくオカズを入れないで下さいとお願いし、
ギター担当には出来ましたら、
なるべくボーカルに音をかぶせないようにしていただけたらと
丁重に深々と頭を下げてお願いしていた。
1969年からタイムワープして通学している高3男子は大人だった。
ボーカルを如何に生かすかが大切さ。
な?と二人苦笑いして夢路の願いを叶えてくれた。
果たして三曲目のステージはどうであったかと言うと、
柚は、小川から渡された魔法のジュースの効力なのか、
まったくあがっているふうには見えず、
緊張しているどころか寧ろ挑発的とも言えるほどの
パンキッシュなステージアクトであった。
照明が落とされた視聴覚室の壁に背中をもたれて、
演劇部の仁科部長は、スポットライトの中の柚を見つめながら、
ポカンと口を開けたまま「宮原…覚醒」と独り言を呟くと
口元に拳をあてて声を出さずに笑った。
3曲演奏が終わり、 夢路、彩音、柚の三人と高三の男子二人が
隣の楽屋代わりの教室に戻ると、
メークを落として制服に着替えていた玲奈が
ハイタッチのポーズで待ち構えていた。
五人は、玲奈や他にも待ち受けていた次の出演バンドとハイタッチを交わした後、
みんなで、「できた!できたー!ミスタッチ無かったね!」と
大はしゃぎして抱き合って低次元な喜びを噛み締めた。
模擬コンサートは大成功を納めたのだ。
翌週の月曜日、柚はバイト先のカフェCOTTONのカウンターに立ち、
ママに録音しておいたライブの音源を聴いてもらった。
「へー、思ってたよりまともなんだね。ねーねー、
常連さんたちに聴いてもらおうよ?けっこう音楽好きというか、
アーティスティックなお客様が多いからさ。なんかアドバイスしてくれると思うよ」と
ママが言うと柚は「それは畏れ多いからいいですよぉ~」と
ママの提案を低姿勢に断った。すると、ママはにやにやと笑って柚の顔を見つめた。
「え?そうなの?へええええ、わたしだったらもっと良くする為に
アドバイスが欲しいけどなぁ。もっと良くしたいなぁ~」
そこに常連客が二人現れた。ピアノ教室の香菜と、日本を代表する調律師の根沖だ。
二人は同じ歳で、共にクラッシック畑で育ったが、
どんな音楽でも弾くし聴けるという寛容な人物だ。
香菜はいつも優しい微笑を浮かべた常連の中のマドンナのような存在で、
根沖は柚の顔を見ると、必ず両手を胸のところに幽霊のように手の甲を下げてみせて
「た~わ~け~、元気~」と声を掛けてくる口は悪いが白黒ハッキリした紳士だ。
継いで次々に常連客が現れた。
今は貿易商の社長だが、嘗てはフリージャズのバンドでドラムを叩いていたジャン、
夕方5時になると警備の仕事が終わり必ず訪ねてくる、
大昔、箱バンでサックス奏者をしていた70代のセルマー、
スパニッシュギターを弾いている向谷、
常連さんたちのまとめ役のような立場のドラ、
タイガースの羽織りを着た通訳のひふみ、
大学で昆虫の生態研究をしているすみれ、
デザイン事務所のキング、公務員のアキラ、
ウニどんとなまこさんと言うコンビの売れないお笑い芸人、
バラエティに富んだ人々が集まって来てそれぞれに談笑している。
柚はこの穏やかな賑わいを眺めているのが大好きだ。
但し未成年なのでアルバイトは22時までと決まっていた。
22時からの5時間は大学生とバトンタッチだ。
賑わいを制すようにママが皆に「聴いて聴いてー!柚が歌ってる音源があるのー!」と
声かけると、みんな口々に「聴く聴くっ!どんな酷いのでも聴くぞぉ!」
「酒がまずくなったら半額だぁー!」と口々に出鱈目な事を言っている。
そして、みんなが沈黙するとMC部分がカットされたライブ音源が流れた。
音が止まると温かな拍手が鳴り響いた。
「意外と聴けたなぁ。1曲目と2曲目は」と
一番年配のセルマーさんが大滝秀治みたいな声で口を開くと皆笑った。
「柚ちゃん、何を聴いてきたの?」スパニッシュギターの向谷が
不思議そうな顔をして柚に尋ねたが、柚も首を傾げているので答えを諦めた。
年配の常連客達が口々に寸評を出し合った。
「なんか……アイドルがカルメンマキ&OZを歌ってるみたいだなぁ」
「あー、声と曲と詩がチグハグなんだよ」
「なんだろう?ウィスパーボイスなんだけど、バックがハードロックで歌がパンク?みたいな?ハハハハ」
「でも良かったぞ!」「もう無いの?なんかこの場でやってみ?」
「そうだよ!そこにギターあるからさ」
「あんまり何段階も展開しないやつな」
みんないい加減なことを言わせたら天下逸品の人々だ。
柚は大いに戸惑ったが褒め言葉に気を良くしたのか、
ママがソーダ水に垂らしたジンで酔っているのか、ギターを手に取り、
おずおずと店の片隅の椅子に腰掛けた。
すると、商社の社長ジャンが柚の背後にセットされたドラムの椅子に腰掛け、
根沖がベースを向谷がセミアコのギターをチューニングしはじめ、
そして微笑みながら香菜かアップライトピアノの前に腰掛けた。
「え?根沖さんベース弾けるの?」 柚が尋ねると
「うん。君の作る曲程度なら」と爽やかに毒舌を吐いた。
「1番と2番とリフだけの曲?じゃぁ、1番2回歌って間奏、
それで2番、サビリピート、後奏ね」
「ほいじゃ、『君はルナパーク』と言う曲を」
おどおどしながら短く拙いギターのイントロを弾くと
「お、スローブギなんだな」とセルマーさんが呟いたと同時に
サックスのハードケースの留め金を外した。
向谷は柚の左手が押さえているトニックコードを見つめながら
「良かったぁ、循環コード、王道のブギーだ」と言いつつ、
もうバッキングを始めていた。ベースもピアノもドラムも先は読めたとばかりに
1番のサビに入る前に演奏を始めていた。
サビの追っかけのコーラスも何10年も練習していたかのように完璧だった。
間奏に入ると向谷のギターとセルマーのサックスが絡み合ってリードを取り始めた。
そこで根沖が柚のギターに掌を当てて片目をつぶり音を止めさせた。
ギター、サックス、ベース、ピアノとソロを取った後、
根沖が「はい、ボーカル」と柚の耳元に声を掛けた。
夢見心地で柚が歌うと、2番のサビ、そしてサビのリフレインと、
みんなのコーラスが聴いていて気持ち良かった。 そして、
エンディングで、まさかのママのピアニカが流れてみんな爆笑した。
演奏が終了すると、奏者もだが、
常連客たちも立ち上がって全員が拍手をした。
偶然にして、塾の帰り道にCOTTONの前を通りかかった夢路と彩音は
大勢の大人達に囲まれて歌を歌っている柚を見て目を見開いた。
「入ろうよ!」反射的な彩音の誘いに夢路は少しだけ考えてから
「今日は通り過ぎよっ」と柔和な眼差しで彩音を制した。
「そうだね」と彩音も賛同した。
そして二人は肩を小さくぶつけ合いながら
子犬の兄弟みたいにして帰路についた。
プロでさえあることだろうが、アマチュアの場合、
人前でのライブは後悔がつきものだ。柚も、御多分に漏れず
チクチクと後悔の念に苛まれることもあった。しかし、それとは裏腹に、
ささやかながらでも拍手をされたり、褒められたりしたらそう簡単に
辞められるものではない。他人に認められるという喜びは
麻薬のように表現者を魅了するものだ。柚はもう辞められない。
兎に角、柚はやる気になった。そんな柚に必要なのは場数をこなすことだ!
そこで、夢路のアイデアで三人は迷子町駅の駅前広場で、
ストリートライブを繰り返すことにした。友人でも知り合いでもない、
不特定多数の、しかも通りすがりの、素人の演奏になど興味もないだろう赤の
他人に向けて演奏するのは、柚は勿論のこと、夢路や彩音にも初体験だ。二人もこればかりは緊張を隠せなかった。
しかし、意外にも通りすがりの人々は立ち止まり、人だかりができ、
警官に注意されたこともあった。そうこうするうちに、柚のあがり症は、
なりを潜めて、生き生きとライブをしている姿に夢路も彩音も
ホッと胸をなでおろした。
そして、ついにその日はやって来た。
『12・24、海辺之高校軽音楽部Xmasコンサートat黄昏市市民会館大ホール』
二日間貸し切りで前日の23日はリハーサルに終始した。
柚はホールの大きさに圧倒されたものの、いざ照明を落とされたホールで
スポットライトが当たると観客がハッキリ見えないことに気づいた。
演奏時間は1年生は20分、2年は25分、3年は30分。
演奏の順番だが、それは顧問が悩みに悩んだ末に各学年の中での巧拙で決まる。
意外なことに、柚たちは1年生のトリに決まった。
様々な時代からタイムワープ通学してくる学生たちがいる海辺之学園。
この高校の軽音楽部のコンサートは町でも有名だった。
戦後歌謡、グループサウンズ、フォーク、ハードロック、ヘビィメタル、
テクノ、ポップス、R&B、AOR、モータウン、ブラックコンテンポラリー、
ブルース、ボサノバ、ありとあらゆる音楽の祭典となるからだ。
特に、娯楽の少なかった時代からタイムワープしてきた学生たちの演奏レベルは高い。
ゲームもスマートフォンも何も無い時代の学生ほど
練習に明け暮れていたということだろう。
一般客にはコピーバンドの方がウケはいい。しかし、顧問の教諭の心の底には、
巧拙を考慮しつつもオリジナル曲を持つバンドに光を当ててあげたいという気持ちが
あったのかもしれない。それだけ、あまりにも多様な音楽が溢れている現代に於いて
オリジナリティを求めるのはとても困難なことだからなのかもしれない。
当日の出演者は以下の通りだ。バンド名を見ているだけでも人によっては
興味深いものがあるだろうし、吹き出す者もいるかもしれない。
軽音部の顧問は出演者の順番を何度も確認した。
1年生。演奏はピカイチだが「特攻の精神で1番目にやらせて戴きとうございます !」と
懇願してきた1940年代から通学している昭和歌謡中心の帝都大民学団/
レディースバンドの草分けバングルズのコピーバンド、バンクルワセズ/
スリーピースのロックンロールバンド、ショットガンズ/
JPOP・JRockのガールズバンドのヒット曲を集めたBitterPeach/
お笑い系Hip Hopユニット、韋駄天銀次/
テクノ系のサイレントノイズ/
ムード歌謡とグループサウンズを織り交ぜた松尾加代と暇なスターズ/
オリジナル曲中心の海辺之美少女倶楽部with Wolves/
次いで2年生。お笑い系パンクのスリーピースバンド根本浣腸と脳チラス號/
名前から連想できないポップロックの女子5人組、ハグ屋姫/
60年代から通学しているカントリー&ウェスタンバンド、荒野の東尋坊/
ニューウェイブ系の女子5人組、パドゥドゥ/
ネタウケ狙いのコミックバンド、アーモンドヘーゲルオーケストラ/
メンヘラ系の女子4人のメレンヘラー/
ブラスバンド部からかなりの人数を応援要請したらしい
昭和刑事ドラマのテーマ曲を演奏するtheたいほえズ/
その名の通りサイモン&ガーファンクルのそっくりコピーバンド、大門&サーファンケル/
そして3年生。3年生は腕は確かだがコミカルなバンドが多いのが特徴だ。
全員ロボットのような衣装でアカペラでゴスペル調の下ネタ満載の歌を唄うシーモネーター/
やたらに艶っぽい女子3人のボーカルが、夜の匂いが立ち込めるような演奏をする男子をバックに集めたP!nk salon special/
軽音部というより、ただのマイケルジャクソンのモノマネ芸人としか
言いようがない舞蹴瑠寂聴/
1年女子がボーカルだが、演奏するのは
バイトに明け暮れて疲れきった3年男子4人のCuty Gold+アルファ/
18歳にして、恋人が出来るのは夢の夢と諦観している
電子音を多用する不思議サウンドのイカズゴケミドロ/
69年から通学している正統派ハードロックバンド、SECOND HAND'S/
その名の通りディスコ全盛時を彷彿とさせる音楽を発信するMars wing&fighter/
「なんだか、今年も凄いなぁ?」 軽音部の顧問は長い時間苦笑いしつづけていた。
おおよその巷のライブハウスでは、ブッキングされるバンドは似通っている。
例えばパンクバンドが3バンド立て続けとか、
ビジュアル系が並ぶとか、
観客の音楽の趣味に合わせるようにブッキングするわけだ。
ところが、海辺之学園のコンサートのジャンルは多岐に渡る。
このような催しで問われるのはMCの力量に他ならない。
放送部から借り出したアナウンサー志望の3年男子と2年女子、
そして軽音部部長デリカシー小川を合わせた3人の、バンド紹介と音楽の解説が、
決して内輪受けや楽屋オチではないユーモアに溢れ、軽妙洒脱とさえ言えた。
まるでテレビの音楽番組の総合司会者のようであった。
だから、老若男女問わず、聴きなれない音楽であっても、拙いテクニックであっても、
飽きられす、そして呆れられず温もりあるステージ進行となっていた。
あちらこちら探検していた柚が楽屋を覗くと、
大野絵梨と玲奈のバンド、Bitter Peachの面々が常温の水を
ちびちびと飲みながら喉を潤していた。なんでも熱すぎても冷たすぎても
喉にはよろしくないらしい。「玲奈でも緊張するの?」柚が尋ねると
じーっと柚を見返して「あったり前じゃん!」と笑った。
「みんな緊張してるよー!でもさ、緊張を楽しもーよ?」
怜奈の隣の大野絵梨も口角を上げてにんまりしている。
(そっか、緊張を楽しむんだ。ジェットコースターやお化け屋敷とおんなじだっ)
とうとう柚たちの出番になったが、夢路から「行こう!みんなが待ってるよっ」と
言われた時には気持ちが落ち着いていた。
(待ってる?待ってるの?そうなんだァ?待ってるんだっ。)
MCが煽るように声を上げる「海辺之美少女倶楽部!」「with!」「Wolves!」
1曲目は『Judas is Crying』柚のオリジナルだ。
柚はボサノバや静かな曲を好んで聴くくせに、作るとハードロック調になる。
2曲目は明るいポップな音楽が好きな彩音のオリジナル『ハートはノーメーク』
3曲目は夢路の小洒落たバラード『Coolネ、君は』
最後は3人で作った『片翼のゆめ』という、夢に駆け上がる為の翼が傷つき
絶望している友達の為に自分の翼をあげようという内容の
静かに始まり、だんだんと展開して盛り上がる曲を用意した。
全曲演奏を終えると、観客席からまるで爆発音ように、ドン!と声援が沸き起こった。
拍手の音がなかなか鳴り止まない。5人が深々とお辞儀をして灯りが落ちても、
バックステージに姿を消しても拍手は続いていたが、
MCが上手に観客の興奮を収めてギャグを交えて笑いに転じさせた。
楽屋に戻ると、2年生のトップバッター、脳チラス號のリーダー、根本ニャンが
「あんたたち本気だすんじゃないわよっ!やりずらいったりゃありゃしないわ!
この、ばーかっ♡」となじってきた。根本ニャンはオカマキャラで
誰にでも毒舌家だが、柚たちに対しては愛情深い毒を吐いているようだ。
「ま、いいわっ、わたしたちのライバルは痴漢ネタしかやらないラッパーの韋駄天銀次と、
シーモネーターの連中だからね♡
おまえらみたいな薄ぎたねーエセシンデレラは敵じゃなんいだよっ!」
乱暴なんだか乙女チックなんだかわからないセリフを吐くと
「おう!おまえら行くわよ!」とドスの効いた声でベースとドラムスを従えて3人で
スキップをしながらステージに向かっていった。
もうそれだけで場内から笑いが漏れていた。脳チラス號。恐るべしバンドだ。
夢路と彩音が「ニャンさんがいつも言ってる『うすぎたねーエセシンデレラ』って
なんだろうね?」と柚に尋ねるので、
柚が「それは、だねぇ、1985年の小泉今日子主演の大映テレビ制作のテレビドラマ
『少女に何が起こったか』の中で悪徳刑事を装ったほんとは正義の刑事が
ヒロインに浴びせる言葉だぬん!ラストでは
『可愛いシンデレラ』と言い替えるのさ!」と
テレ玉で仕入れたばかりの知識を披露した。更に
「ちなみに、にゃんさんは80年代からのタイムワープ入学なんだね」の言葉に、
夢路と彩音は大いに納得した。
さて、話しをコンサートに戻そう。
と雖も、全ての出演者の話しを書いたらキリがないので、
最も場内を爆笑の渦に飲み込んだアーティストのお話しをしよう。
それは舞蹴瑠寂聴だった。ダンス部の全部員を
バックダンサーとして招いてのステージアクトは圧巻。
折角中心の本人もダンスもプロかと見紛うばかりなのに、
何故か途中で裸になった。
見れば、競泳パンツ一枚の全身に電子治療器のパッドが貼ってあるではないか。
実はコンサートの一週間前、柚は寂聴から拝み倒されて、
キメのところで、離れたところから電圧最高値で
スイッチを押してくれと頼まれていたのだ。そこで、
例のマイケル特有の「アオ!」とか「フゥー!」とか奇声を発して、
カラダが感電したように跳ねたり硬直したりすればウケるという目論みであった。
しかし、頼んだ相手が悪かった。なんども練習したのに、柚があまりにも不器用で、
タイミング悪く出鱈目にスイッチを押すので、音楽とまったく合わず、
無意味に寂聴が奇声を上げるたびに場内に爆笑が沸き起こった。
とうとう寂聴が怒りだして、競泳パンツのお尻に差し込んでいたハリセンで
柚の頭を叩くところでダンサーの動きがピタリと止まり、
割れんばかりの歓声が上がった。
これを見ていたお笑い系バンド、韋駄天銀次、脳チラス、シーモネーターの連中は
みんな舌打ちをした。「チキショウ」「美味しいやないけぇ?」「トウシロの柚を使うとは卑劣なやっちゃで、ほんまぁ」何故かみんな関西弁になって青白い嫉妬の炎を燃やしていた。
夢路と彩音は、悔しがるお笑い系バンドの面々を見ながら、
どう考えても、モノマネ選手権とか、
M1グランプリに出るべき人達ではないかしら?と首を傾げた。
ともあれ、笑いあり、感動あり、懐かしさあり、新鮮さありの
コンサートのラストを飾るのは小川部長のMars wing&fighterだ。
『Let's Groove』『September』『宇宙のファンタジー』と
往年のディスコヒットが流れ場内は巨大なダンスフロアと化した。
途中、ボーカルが小川部長からP!nk salon specialの歌姫3人組に代わった。
彼女たちは背中が大きく開いたドレスや、スリットの深いワンピースや、
カラダに張り付くようなミニを穿いて現れ『君の瞳に恋してる』を歌い始めた。
盛り上がりは佳境に達した。迷子町の人々、海辺之学園の様々な時代から
タイムワープしてきた学生たち、教師陣、謎の動物、幽霊、宇宙人、妖怪、
みんなリズムに身を委ねて心の底から楽しんでいるようだ。
そして、ラストソングは、原曲がなんなのかさっぱりわからないくらいに
ダンスアレンジされたビング・クロスビーの『ホワイトクリスマス』だ。
この曲では、軽音部全男子と校長以下全男性教諭陣からのたっての願いで、
全女子部員がミニスカサンタに早着替えして再登場することが
半ば強制的に決められていた。
果たして10代のミニスカサンタが37人現れると、
場内の男性客は子供からお年寄りまで
アイドルヲタクの追っかけのように歓喜の雄叫びを上げた。
観客席の暗闇の中で、顧問は指を折って人数を数えて首をひねった。
はて?女子部員は36人だったような?顧問の教師が双眼鏡で、よく見ると
ミニスカサンタの中に1人だけ男子の根本ニャン吉が混ざっていた。
ついにエンディング。最後に全部員が手を繋ぎ「メリークリスマス!」
と言って頭を下げると照明がだんだんと暗くなり、幕が降りてきた。
コンサートは大成功だ。 あまりの感動に柚は幕が閉じた後も号泣しつづけていた。
「部長!楽しいよぉ!あぁぁぁ!もっと早く入部すればよかったよぉ!
音楽はいいなぁ!部長!もっと早く会いたかったよっ!ぶわぁぁ!どこにいたのさっ!?」
柚は涙と鼻水でぐちゃぐちゃのまま小川部長に抱きついた。
小川部長は、シャツが汚れるのをとても気にしつつも苦笑いしながら
柚の耳元で呟いた。
「みんなで一緒におまえを待っていたのさ」
【つづく】
2017年8月23日 20:40:27