第四話 『見知らぬ故郷と妹』
お恥ずかしいことに、森は全然深くなかった。
俺が目を覚ましたのは、5分も歩けばあっさりと村に着くような場所だった。
子供用プールで溺れることを心配して手足をジタバタしていた男が、俺だ。
「あそこが……何村でしたっけ?」
村がちょうど見えてきた辺りで俺は尋ねる。
「エルス村」
「あぁ、そうでした」
聖剣の方のインパクトが強すぎて頭から吹っ飛んでいた。
「エルスってやっぱりエルフと関係ある感じですか?」
「エルフ?あぁ、耳長いやつ?この村にはいないよ。ていうか、人族しかいない。エルフは希少だし、基本的に自分たちの集落から出てこないから私も見たことないかな」
「そうなんですか」
ファンタジー成分が足りないな。いや、存在してるってだけで十分ファンタジーか。
森の中にもちょっと日本ではお目にかからない、毒々しい色をした鳥とかもいたし、やっぱり地球ではないのだろう。
さっきの人族という言い方からして、他の種族も一般的にいるみたいだしな。
「あー、エルスっていうのは、昔の人名から取ってるんだよね」
「人名……偉人ですか」
ワシントンD.C.みたいな感じかね。
ちなみに、ワシントンが初代大統領に由来するのは誰もが知るところだが、D.C.もDistrict of Columbiaの略であり、コロンビアはコロンブスに由来するから、この地名には二人の偉人の名前が入っていることになる。どうでもいいけど。
そもそもこの豆知識は確実にこの世界じゃ通用しない。
逆に、俺からすればこの世界の偉人の名前を言われたって分かるわけな……。
「そう。エルス・アレクサンダー。太古の昔、魔王を封印した伝説の勇者の名前からね」
「へぇ……ん?」
エルス、なんだって?
そのゴツいファミリーネーム、俺さっき聞いたぞ?
「アレク、サンダー?」
「うん。アレクサンダー」
「俺?」
自分の顔を指差して尋ねる。
「うん。ウィル君、勇者の末裔」
「……マジですか」
おお。凄いステータスだ。
ちょっと特殊な感じとはいえ、一応俺も異世界転生したと言っていいのだろうから、お決まりで某かのチートを得ているはずだと考えなくもなかったが、まさか俺が勇者とは。
「てことは俺、かなり強い感じですか?」
「……いや」
あれ、何その苦虫を噛み潰したみたいな顔。
「もしかして、強くはないけど魔王を倒せって期待されてしまっているとか……」
「あははぁ……」
あれ、何その噛み潰された苦虫みたいな顔。
「えぇと?」
「うん、それはまぁ、村に入ってみればすぐ分かるかな」
なんだって言うんだろう?
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そこは大きな村ではなかった。
集落と言ったほうがしっくりくるかもしれない。
家は当然鉄筋コンクリートではなく、木やレンガなど出来ている。
少し不思議なのは、一つの村の中に様々な種類の材料で出来た家があることだが、何か理由があるのだろうか。
「ここがエルス村。どうする?とりあえず家に帰る?私たちの愛の巣に」
「同棲してるんですか?」
どうしよう。恋人とか嘘だと思ってたけど、マジで同棲してたらどうしよう。
どうしよう。据え膳……据え膳だったらどうしよう。男の恥だろうか。
「もっちろ……ん?」
満面の笑みで首肯しようとしていたレイアは、途中で口を噤んで虚空を睨んだ。
「どうしたんです、かっ!?」
「フィー!」
刹那の出来事だった。
ガキン!という鈍い音がして、どこかから飛んできた氷の礫が叩き落とされたのは。
「え?」
何、だ?
狙われてる?俺たちが?
氷の礫が横合いから飛んで来るなんていう現象、攻撃であるとしか思えない。
雹は上からしか降ってこないはずだし、そもそも今日は晴れている。
攻撃。
日本で暮らしていて、誰かに物理攻撃されることなんてまずない。
ご多分に漏れず、俺も喧嘩は物心ついてから一度もしたことがないのだ。
甘かった、甘かったのか?
ここは異世界で、もしかしたら魔物なんかもいるのかもしれない。
今の氷を見る限り、魔法だって存在しているのかもしれない。
そんな世界において、俺は何も把握しようとせず遠足気分でここまで来てしまった。
そうだ。レイアが信じられるという根拠は?
俺はそこから疑うべきだったんじゃないのか?
ここに連れて来られたのも、俺を殺すため?
いや待て、今この子は氷の礫を弾いてくれた。
何をどうしたのかは見えなかったけど、とにかく俺を守ってくれた。
そうだ。レイアは俺のために何かしてくれたんだ。
恋人というのも本当のことに違いない。
俺は彼女を信じたい。この可愛い女の子のことを。
俺は、これから先何があっても、君を信じると誓……。
「お兄ちゃーん!」
「おふっ!?」
背中に衝撃。マズい!そうこう言ってる内に敵襲が!?
「だーれだ?」
目を隠される。視界を封じるだと!?コイツぁかなりの手練……って。
お兄ちゃん?
「恐らくは、妹ですか?」
「大正解!天才ですねぇ、流石はお兄ちゃん!」
いや、記憶のない俺で分かったんだから誰だって分かるよ。
こんなことでさす◯にとか言われても、本家の最強お兄様だって苦笑いだろう。
おっと、そうだ。俺は同じ失敗を二度繰り返さないぞ。
「あの、すみません。先に説明しておきますが、俺は今記憶喪失です」
「え?妹以外の全ての人間を忘れちゃったんですか?なぁんだ、全然問題無いですね」
違うがな。
どんなピンポイント記憶保持だよそれ。
って、あぁそうか。勘違いの理由が分かった。
「いえ、さっきのは『お兄ちゃん』と呼ばれたことから推測しただけで、正直貴女の声に聞き覚えがあったわけではありません」
「え、えぇぇ!!この妹のことを忘れちゃったんですか!?」
「はい。申し訳ないですけど、自己紹介して頂けると……というか、まず振り返ってもいいですか?」
抱きつかれているせいで顔も見えない。
正直に言って、少し怖い。
見ず知らずの人間に後ろからしがみつかれるという状況がここまで恐ろしいものだとは思わなかった。
抱きつかれるのを許容するには結構な信頼関係が必要だったんだな。
恐怖のあまり、背中に当たるふんわりとした感触だとか、ふんわりとした感触の押し付けられ具合だとか、ふんわりとした感触の押し付けられ具合からしてもそうだなきっとBカップかなあははとかそういうことには全然頭が回らない。
いや、背中の感覚だけでカップ数を当てるような特技はそもそも持ち合わせてないけど。
「そんなに妹の顔が見たいんですか?しょうがないですねぇ」
間違っちゃない。ないけどさ。
「はい、ご対面!」
首に回していた腕を肩に突っ張らせて、その状態でクルッと俺の体を一回転させる(自称)妹。
そこにいたのは……。
美少女だった。
語彙力が足りていないことは自覚している。
しかし、それくらいの美少女……というか、タイプの顔だった。
髪は俺の体と同じ金髪で、ふわっと丸っこくカールしている。なんて言うんだっけかこれ、ほら、よくこんな感じの髪型のキャラがアニメにもいたりする……そうだ、ボブカット?
くりっとした目は大きく、ともすれば日本人離れしたビジュアルなのだが、どこか親近感のある愛嬌も感じさせる。
身長はやや低いが、道中聞いたところによると俺が15歳らしいから、その下だと考えれば平均的だろう。
とにかく、可愛い。俺の妹とは思えない。
「私がお兄ちゃんの妹、メイル・アレクサンダー。14歳で天才魔術師です!」
「これはご丁寧に。俺は……って、知ってますよね」
むしろ俺よりも俺のことを知っているだろう。
「はい。お兄ちゃんはお兄ちゃんです」
いや、それじゃ何の説明にもなってないが……。
「それで、天才魔術師とはどういう意味でしょう?」
「それは……あ、待って。お兄ちゃん、まず私は妹ですよ?」
「はい。それは理解しました」
妹……メイルは、それが分かってて何故そうなる?と言いたげな顔で首を傾げている。
「いえ、妹に敬語を使う兄なんていませんよ。もっと命令口調で喋ってください、さぁ!」
「なるほど。命令はしませ……しないけど、んんっ!これでどうだろう?いいかな?」
「な、なんかまだ丁寧感が凄い……新感覚お兄ちゃんだ……新おにぃ……」
そ、その言い方はやめてくれ。ガ◯使を思い出しちゃうから。
「えっと、話を戻して、天才魔術師って言うのはどういう意味?」
「そのままの意味ですよ。私が天才魔術師だという意味です。魔術協会が定める八人の『特級魔術師』、その序列七位ですから」
自慢げに言ったメイルは、更にどうだと言わんばかりに自慢するほどはない胸を張って鼻を鳴らした。
魔術師。やっぱりさっきの氷はそういう世界観か。
ていうか、厨二要素が半端ないワードが並べられたなぁ。
何?魔術協会?八人の特級魔術師?序列七位?
大丈夫だよな?これ?
ドッキリじゃないよな?
某映画みたいに、俺だけが知らされてないけど実は自分の生まれてからの生活が全てリアルタイムで全国放送されてましたとか、そういうのないよな?
俺は一抹の不安を抱いて恐る恐る訊き返す。
「魔術……というものがあるんですね?」
「お兄ちゃん、けーご」
「あっ、と。あるんだね?」
「はい。まぁ正確に言うと、私が今使ったのはただの魔法であって魔術ではないんですけど……そういう常識みたいなのも忘れちゃってるんですか?」
「みたいですね」
本当は記憶喪失といえばエピソード記憶がなくなっても意味記憶は残るというパターンが多いと思うのだが、ここは納得してもらうしかない。
まぁライトノベルや漫画、あるいはテレビドラマや映画なんかも普及してなさそうな世界観だし、記憶喪失にまつわる知識なんぞ多分一般的ではなかろう。案外バレないと踏んでいる。
「では不肖天才魔術師の妹が説明しましょう」
メイルは兄に何かを解説できるのが嬉しいのか、初対面の俺にも分かるほどご機嫌な口調で言う。
「不肖と天才って同時に使う言葉じゃないような……っと、その前にひとついいですか?レイアにも聞きたいんですが」
「な、何々!?何でも分かるよ!そこの女よりも!」
蚊帳の外気味で寂しかったのか、レイアの反応は素早かった。
ていうか、仲悪いなこの二人。
「いや、こんな物理的に争ってるのに……誰一人村の人たちが感知しないのはなんでですか?」
氷とか飛んでたらヤバいと思うんだけど。それともこの世界では魔法で簡単に怪我が治るから問題ない感じなのだろうか。
いや、だとしても変だ。
だって、村人はさっきからいるのだ。
通りかかったり、窓越しに目があったりしている。
しかし、誰も感知してこない。
争いを怖れるでもなく、またやってるよと呆れるでもなく。
ただ避けられている。無視されている。
まるで……誰もいないみたいに。
「あー、それは……」
レイアが言い淀む。
「うーん、なんて言いますか……」
メイルも全く同じ反応。
これは、一体なんだ?
何が、あるんだ。
「簡単に言えば、イジメられてるの」
「え?誰がです?」
「誰って、そりゃ……」
先程までの諍いはどこへやら、二人は息ぴったりに目を合わせて、言った。
「ウィル君」「お兄ちゃん」