第三話 『スタート地点』
「それで、どうしてあんなことを?」
「それは話せば長くなるんだけど、この機に乗じてキスされちゃおうかと思いまして」
「うん、一言でしたね」
2秒で説明できたね。もっとも、なんでそういう思考に至ったのかは別途説明を欲するけどね。
俺はあれから、狸寝入り系女子な娘と対面に座って話し合いを開始した。
彼女の話も聞きたかったし、俺の話……というか、ここがどこで俺が誰なのかについても聞きたかったからだ。
話すべきことは山のようにある。何から訊いていいかが分からないほどに。
と、頭の中で様々なことを整理するために少し黙っていたら、向こうの方から話しかけられた。
「えーと……私からも訊いていい?」
ちょこんとひじから上だけで可愛く手を挙げる。む、あざとい動作をするなこの娘。
俺は騙されないぞ。
でも、とにかく今はこの子に頼るしかないんだ。
出来る限り優しくしておくべきだと思う。
「はい、どうぞ」
「……どうしたの?その喋り方」
気付けば、凄く訝しげな顔をされていた。
「あー……確認なんですけど、俺は貴女と知り合いなんですよね?」
「……え?」
俺の言葉に多大なショックを受けたのか、彼女はよろよろと倒れかけて左手を地面につく。
この世の終わりのような顔をしている。させてしまった。凄く申し訳ない。
そうか、これは言葉が悪かったな。失敗した。
「すみません。先に説明しておくべきことがありました。その、どうやら俺は記憶喪失であるようなんです」
「記憶、喪失……?」
ぽけっとした様子でオウム返しにする女の子。
「はい。自分が誰で、ここがどこなのかもサッパリ分かりません」
正確に言えばそれは違う。
俺は日本で暮らしてきた生活を覚えているし、人生で数えきれないほど口にしてきた日本人の名前も記憶にある。
とは言え、この場所のことやこの体のことは全く知らない。端から見れば、記憶を喪失したのと何ら変わりないと言える。
勿論、俺はこの体と入れ替わった別の精神であるみたいです……という嘘みたいな本当の話をするなら別だ。
でもそれをしてしまえば、目の前の彼女からの信頼を失ってしまう可能性がある。
どうやら俺……の体の持ち主と懇意なようだし、それを利用させてもらうのが良いだろう。
ハッキリ言ってゲスい思考だが、こんな森の中で今放置されたら本当に死にかねない。こっちも必死だしテンパっているのだ。
最悪、後で思い出したと言って俺が別人であることを語ればいいわけだし、今だけは申し訳ないがこの設定で行かせてもらおう。
「あぁ、口調がいつもと違うんですよね。もっと砕けた感じでしたか?すみません、なにぶん俺には貴女が初対面に見えるもので。違和感には目を瞑って頂ければと」
さっきまでみたいに。という言葉は余りにも皮肉すぎたので飲み込んだ。俺は初対面の人にブラックジョークをかっ飛ばせるほどコミュ力に長けていない。
「そう、なんだ……」
女の子はかなり驚いたようだが、一応は俺の説明に納得してくれたのか。
「えっと、何から話したらいいかな?」
と尋ねてくれた。
「じゃあまずは俺の名前からお願いします」
「名前ね……んんっ!貴方の名前はウィルハート。ウィルハート・A・アレクサンダー」
思っていた通り、外人だな。
まぁこの肌の色だし、視界に映る髪の毛も金色に見えるし、仮に日本人だとしてもハーフか帰化だろうとは思っていたが。
しかし、俺がそんな大仰な名前か……実感ねえなぁ。
まぁアレクサンダーって、別に普通の名字なんだっけか。日本人の感覚だと凄くゴツいイメージだけど。
「あ、私の名前も言わなきゃか。私はレイア・フォレスト。ウィル君との関係はなんと……幼馴染!」
溜めを作って言われてしまった。
でもごめん、やっぱりまだそれも実感が湧かないよ。
どころか、ウィル君ってのが俺の名前の短縮形だってことすら一瞬分からなかった。
それにしても。
「幼馴染ですか」
素晴らしい言葉だ。幼馴染。
俺には幼馴染なぞいなかった。
いや、いたのかもしれないが、疎遠すぎてもう分からない。
多分、覚えてもいないのだから可愛い女の子の幼馴染はいなかったのだろう。
「そうだよ……あっ!そうだ!そうだよ!後ね、ウィル君と私は恋人だったの!」
「恋人……交際していたんですか?」
俺が?こんな可愛い娘と?
……ありえねー。
と思うところだけど、もしかしたらこの体はイケメンなのかもしれない。
体つきは細い割にがっしりしていて格好良いし。以前の俺とは似ても似つかない。
うん、きっと絶世の美男子だろう。
であれば納得も出来る。イケメンは嫉妬の対象なのだが、今は自分の顔がそうだというのだから不思議な感覚に陥るな。
「……なんて幸運……今なら何でも教え放題……キスどころじゃない……も、もしかしてもっと……既成事実?……両親への挨拶?……勝った!!」
何に勝ったのだろうか。
ていうか、この娘は俺に本当のことを教えてくれるのだろうか。
嘘吐かれまくる気がする。多分、恋人ってのは嘘だな。この感じだと。
「あの、良いですか?」
「は、はい!どんと来いや!」
口調がおかしくなってるぞ。
益々不安だよ。
でも今の俺に他の選択肢はないし。
「俺たちは今、遭難しているわけではないんですよね?」
「え?あ、あぁそういうことね。大丈夫、ちゃんと村にはすぐ帰れるよ。そんなに森の奥ってわけじゃないから」
「そうですか、良かった」
とりあえず命の心配はないらしい。
ふぅ、少し心に余裕が持てるようになった。
となれば、俄然他にも聞きたいことがある。
「ここはどこ?私は誰?」
「え?名前はさっき言わなかった?」
「……失礼」
一度言いたかった台詞を言ってしまったが、既に機を逃していた。ミスったな。
「よく分からないけど……場所の話なら、ここは聖剣の森。エルス村の裏手で……あ、エルス村っていうのは私達が住んでる村ね」
「せい、けん……?」
エルスという明らかに日本離れした地名も気にはなったが、もっと異様な単語が聞こえた。
せいけん。政権じゃないよな?まさか、聖剣?
そんなファンタジーでしか出てこないような名詞……あれ?
漢字変換という、極めて日本人っぽい作業を脳内でこなした瞬間、俺は違和感に気が付いた。
そもそも、なんで言葉が通じてるんだ?
日本語だよな、これ。
自慢じゃないが俺は英語の成績は余りよろしくなかった。特にリスニングなんかは壊滅的だ。
ナチュラルにネイティヴとお喋りできるわけない。
でも名前は外人だったよな?場所も外国っぽかった。
……なんだ?何かがおかしい。
別に外国にも日本語を喋れる人はいるだろう。それはいい。
でも、何かが。俺の持ってる常識ってやつと食い違っている気がしてならない。
……このおかしさはどこから来ている?
「どうしたの?あぁ、聖剣ならあっちだよ」
急に思索に耽り出した俺を見て何か勘違いしたのか、彼女……レイアは俺の後ろを指差す。
その差された方向に首を回すと、そこには……鉄の臭いの正体。
台座に刺さった剣があった。
「あぁ、なんという……聖剣」
そうとしか言いようがない。日本でゲームや漫画の文化に触れたことあれば、誰が見ても聖剣と呼ぶだろう。
そういう佇まいだ、あれは。
ここが舞台か何かの上で、ネタで言ってるのでなければ。
あれはきっと、本当に聖剣なのだろう。
だからだろうか。
急に合点がいってしまったのは。
「もう一つだけ質問をしてもいいですか?」
「ん?何?」
振り返って、俺はレイアに尋ねる。
決定的な質問を。
「ここは……地球じゃないんですか?」
この台詞にはそれなりの覚悟が必要だった。
もし外したら、相当なバカになってしまうからだ。
レイアはきょとんとした顔で固まっている。
この反応からはどっちなのかまだ分からない。
恥ずかしい。凄く恥ずかしいんだが。この間が辛いよ。
早く、答えてくれないだろうか。
「えぇと」
そしてレイアは困惑を滲ませながら口を開く。
当たりか、外れか……。
「チキュウって、何?」
当たり、だよ……マジか。
トラックにハネられて目を覚ましたら、そこは異世界でした。
俺は、新しい人生の予感に、期待に、静かに胸を震わせた。