出発と不安②
アラマンドを乗せたバスはまたゆっくりと動き出す。
先生は相変わらずの鼻歌を、 アラマンドは黙って外を見つめている。 仲良くしてね、 と言われたがどうしたらいいのかわからず僕も黙って外を見る。 バスの中はカーヴィン先生の鼻歌だけが響いている。
「次はロシアのナタリアだよ。 仲良くしてあげてね」
カーヴィン先生は僕とアラマンドを交互に見て笑った。 どうやら次は女の子のようだ。バスは相変わらず走り続けている。 また空に飛んでいくのかと思ったがバスはそのまま道を走り続けている。 あれは夢だったのか、瞬きをした瞬間ガラッと街並みが変わった。
「これは……」
驚いたが前の席のアラマンドはただ黙って外を見ているだけ。 僕だけこんなに驚きっぱなしで恥ずかしくなり少しだけ浮かせた腰をまた座席へと戻した。
「さてナタリアのうちだ。 すこし時間がかかるかもしれないけど仲良く待っててね」
先生は僕のうちに来た時と同じように旅行鞄を片手にバスを降りていく。 今度こそ普通の女の子でありますように、 と祈りながら待っているとしばらくしてカーヴィン先生とナタリアらしき女の子が一緒にはいってきた。
ナタリアは何故か毛布をまとっていて、先生から服を渡されて後ろで着替えなさいと言われていた。 ただ黙って僕は彼女が着替え終わるのを待った。
バスの後ろにはトイレがちゃんとついていてナタリアはそこに入るとすぐにでてきた。 カーヴィン先生からもらった服をきちんと着ている。 僕の隣まで歩いてくると座席表と席を見比べた。
「ナタリアの席はケリーの隣だ。 仲良くしてね」
アラマンドの時のような自己紹介はなかったが、ナタリアは先生から言われた言葉を噛み締めたように頷くと僕へ向き直った。
「ナタリアです。 よろしくお願いします」
「ケリー・ホワイトです、 こちらこそ」
差し出された手を握り返すと雪のように冷たかった。 彼女はアラマンドとは正反対で真っ白な肌と栗色の少し癖の入った髪の毛が印象的だった。
「その髪の毛、 癖?」
「えっ、 あ、 うん。 そうなの」
ニコリと笑う彼女に僕はほっとした。 アラマンドとは正反対だ。 恐る恐る僕の隣へと座るナタリア。 座ったことを確認するとカーヴィン先生も座席へと座る。
「次はイギリスのエミーを迎えに行くよ」
そう呟くとバスは静かに発車した。
僕はイギリスにつくまでナタリアと話すことにした。
「ナタリアは、 どうしてこの夏期講習に参加したの?」
ありふれた質問だと思った。 けれど、 何歳? とか、 好きな食べ物はなに? とか聞くよりずっと仲良くなれる気がした。 ナタリアは少し考えてから、 僕の質問に答えてくれた。
「カーヴィン先生が参加してくださいっていきなりうちに来て。 政府が決めたことなのでって、 きちんとした用紙も持ってきて私のお父さんとお母さんに見せてたから……ケリー君のお家は違うの?」
「ケリーでいいよ、そういえば僕ら国が違うのに言葉が通じてるのは何故だ?僕のところには政府がどうのこうのなんてなかったよ」
「私もナタリアで構わないよ、た、 たしかに。 私たちちゃんと話しができてるよね。 なんでだろう? カーヴィン先生は不思議なことばかり言うしいきなりすぎてなんだか頭がついていかない」
「僕のうちに来た時も不思議だったよ、大雨の日に窓ガラスにへばりついてんだ。 こんな風にね」
初めて会った時のことをナタリアに話し、 カーヴィン先生の、 窓ガラスに張り付いていたモノマネをするとナタリアはくすくすと笑った。 そんな僕らに気付いたのかカーヴィン先生はゴホン、 と僕らに聞こえるように咳をした。 その声に僕らは顔を見合わせてまた静かに笑いあった。
「さて、イギリスのエミーの迎えにいってきます。 エミーがきたら仲良くしてあげてね」
次にバスが止まった場所は綺麗な庭の真ん中だった。 広い庭に大きなお屋敷が一つ。 綺麗に切りそろえられた木々たちの前には、 何人ものメイドさんが立っている。
「私、 メイドさんなんて初めて見たわ」
「僕もだよ」
バスの中から外を見て驚きを隠せない僕とナタリア。 だけど前の席のアラマンドは変わらずただ外を見つめている。
メイドさん達の中心にカーヴィン先生が歩いて行くと綺麗なブロンドの髪の毛に立派な服を身にまとった女の子が立っている。 なんだか少しだけ偉そうだ。
なにやらカーヴィン先生と話をしている。 僕らはバスの中にいるから会話が聞こえない。 でもなんとなく女の子が怒っているのはわかる。
「なにを怒っているのかな?」
「さあ、 僕にはわからないけど。 なんだろうね?検討もつかないや」
しばらく二人で見つめているとカーヴィン先生は女の子の腕を掴んでバスへと乗り込んできた。 僕とナタリアは急いで前へと向き直って見てなかったフリをした。
「やぁ、お待たせ。 イギリス在住のエミーだよ。 みんな仲良く……」
「仲良くしなくて結構! 私には構わないで頂戴」
ふんっ、横を向いてしまうエミー。 ナタリアと違いこちらの子は仲良くなるのが難しそうだ。 ナタリアと二人で顔を見合わせてため息をついた。
「君の席は……」
「席? 勝手に決めないで! 私は好きな場所に座るし、勝手にやるわよ。私に指図しないで」
カーヴィン先生に近寄りものすごい剣幕で怒るエミーだが、カーヴィン先生はニコニコと笑うだけ。
「じゃあ仕方がないね。 でもちゃんと座らないと後で困るのは君だよ?」
「どうぞ、 お構いなく!」
カーヴィン先生の言葉を無視して好きな席に座るエミー。
「さて、 次で最後の子だよ。 中国に向かうからね」
僕はエミーの剣幕に少し圧倒されながらも次は中国か、 と呑気に考えていた。 それからカーヴィン先生やこの不思議な夏期講習についても。 ナタリアの話を聞くとそれぞれこの夏期講習に参加した経緯は違うらしい。 カーヴィン先生は偉い人なのか? でも僕が考えていたカーヴィン先生は、もっともっと別の次元の人のような気がしている。あくまでこれらは僕の思ったことでなにが本当かなんてわからないけど。
バスの中には沈黙が流れている。 さっきまではカーヴィン先生が鼻歌を歌ってくれていたのに。 まあどうせ歌い出したところでエミーがうるさい! なんていって怒鳴り散らすのが目に見えている。 そういえばバスに乗った時から先生はしつこいくらいに仲良くしろって言ってる気がする。 正直僕はナタリア以外のこと仲良くなれる自信がない。 でも何故か僕を一番最初に見てからカーヴィン先生は言うんだ。 仲良くしてね、と。
空飛ぶバスや瞬間移動するバス、 よく考えてみれば僕は今世界中をこのバスで飛び回っているんだ。 今のバスの外の景色は何故か砂嵐だけど。 窓ガラスによりかかり額をガラスにつけるも少し冷たくて気持ちがいい。 この夏期講習無事に終えられるのだろうか。
「さ、 到着だ。 おとなしく待っててね。 あ、 仲良くするんだよ」
先生は人差し指を出した後に、両手を広げておどけて見せた。 そしてそのままバスから降りていく。
ここが中国か、 初めて見る景色に僕の目は釘付けになっていた。
「ちょっと、そこの人」
「あ、 私ですか?」
「そうよ、 見るからに貧乏そうな服を着てる貴女よ」
「あ……」
カーヴィン先生が出て行った後、 エミーが立ち上がり僕らの席までやってきた。 そしてナタリアに話しかけ始めた。 ひどい話だ。 ナタリアの着てる服はさっきカーヴィン先生からもらった服だ。 僕には立派な服に見えるけれど。
「喉が渇いたからお茶を用意してちょうだい」
「えっ?」
ナタリアの代わりに僕が変な声を出してしまった。 いきなりなにを言い出すのかと思えばなんだそれは。
ナタリアの様子を伺うと、 カーヴィン先生からもらった服を胸なところでぎゅっと抱きしめながら、 ブツブツと何か言っている。 僕にも聞き取れないくらい小さな声だ。
「ナタリア?」
彼女のおかしな様子を不思議に思い声をかけてみるとはっとしたように前を向く。
「えっと、 じゃあカーヴィン先生にお茶がないか聞いてみるね。 私、 ちょっといってくる」
「おい、 ナタリア……」
急いで座席を立ち上がるとナタリアは駆け足でバスを降りていく。 沈黙が再びバスの中に訪れる。
エミーは自分の座席に戻ると足を組んだ。 僕は非常にエミーに腹が立ったが、 どうせ僕が何か言ったところでどうにかなるような子じゃないと思う。 それよりも、 ナタリアの様子が気になって仕方がなかった。
ちらりと前の席を見てみるが、 アラマンドは相変わらずだ。
聞こえないようにため息を漏らすと再び窓ガラスに寄りかかった。
しばらくするとカーヴィン先生と小柄な眼鏡をかけた男の子がやってきた。
「中国在住の浩宇ーーハオユーーー君だ、 みんな仲良くしてね。 あ、それから君の席はアラマンド君、 彼の隣だよ」
無表情の彼はただ黙って先生に従った。 一言も彼は喋らない。 小柄なのに細くて長い手足に、 眼鏡を少し隠している前髪のせいで彼の顔はわかりにくかった。 その後ろからナタリアがひょい、 と顔を出す。 無事に帰ってこれたんだと安堵しているとエミーの声が耳に入る。
「ちょっと、お茶は?なんでなんにも持ってないの?」
「あ、 の……えと……」
ナタリアに詰め寄るエミーを遮ったのはカーヴィン先生だ。
「エミー、 ナタリアは君の小間使いでも奴隷でもメイドでもない。 喉が渇いたなら先生にいいなさい」
「貴方には関け……」
「関係あります、私は君たちの先生ですから。 こういうトラブルもきちんと対処しなくては」
ゴホン、 と咳き込むと先生はまたにこしだした。
「しかしエミーの言うことも最もだ。 喉の心配をしていなかった先生が悪い。 みんなに飲み物を配ろう」
先生は胸元のポケットに手を入れるとゴソゴソとなにかを探している。 探し物が見つかったようで先生のポケットから出てきたのはペットボトルの水だった。
「さ、 エミー。喉が渇いたならこれを飲みなさい」
これですべて解決だ、 と言わんばかりの頷きをしてからエミーにペットボトルを渡すカーヴィン先生。 エミーは怒りにふるえながらペットボトルを無視した。
「おや、 いらないのかい?じゃあ、 これはナタリアにあげよう。 アラマンド、ハオユーにも。ケリーにもね」
次々と胸元から出てくるペットボトルに、驚きながらペットボトルを受け取ると蓋を開けてごくり、 と水を飲んだ。 渇いていた喉に潤いが戻った。 今日は朝から驚かされてばかりだ。 少し疲れた。
「さて、 これで夏期講習に参加する五人の生徒が揃った。 これからみんなが授業を受ける学校に向かいたいと思います」
カーヴィン先生が僕らに見える位置に立ってアナウンスをしだす。 僕は黙って先生をみつめた。
「注意事項ですが、 席を立たないこと。 ペットボトルの蓋はきちんと閉めること。 荷物は座席の下の網の中に入れてね。それから、 絶叫マシンが嫌いな子は目でもつぶってて」
五人全員がはぁ? という顔をしたと思う。先生が指をパチンと鳴らすと景色は一瞬にして夜へと変わった。 その光景にもびっくりなのに綺麗な満月が僕らを照らす。 バスはまた空に浮かんでゆっくり走っている。 どうやら下は海のようだ。 街の灯りが一つも見えない。
「今日は素晴らしい門出になりそうだ。 さぁ、 みんな出発だよ!」
カーヴィン先生が僕らに叫ぶとバスは止まりゆっくり下を向いていく。僕の背中に冷や汗が流れる。 これは、 まさか。
海面から垂直に傾いたバスはもはや落ちるだけ。
先生が再び指を鳴らすとバスは重力に逆らうことなく真っ逆さまに落ちていく。
「うわぁああぁああ!」
落ちていく恐怖の中で見えたのは、 海面に空いた巨大な穴と、 カーヴィン先生の笑顔だけ。
絶叫マシンが大嫌いな僕はこの時初めてこの夏期講習に参加したことを後悔したのだ。