第7話 いけない理由の真実
王子が、私の手を強く引っ張る。
抵抗する事も許されず、私は王子の胸に抱き抱えられた。
不意に、くらりと目眩がして、気づけばいつの間にか明るい部屋の中に私は居た。
その内装には見覚えが有る。
ここは、この屋敷に来て最初に招かれた食堂――けれど、あの時にあった大きなテーブルはどこかへ片付けられ、代わりにいくつの丸いテーブルが並べられ、その上には様々なご馳走が所狭しとセッティングされている。
「おお、我らが王子が参られたぞ」
「それでは、あれが我らの新たな道を開く贄かね?」
「少々貧相な娘であるが……。既にあれから200年。我らもそろそろ我慢の限界だ。かねてからの念願の達成のためならば、多少の妥協はやむを得ぬか」
「全く、先代の門番が倒れた、この千載一遇の機会に、奇跡のように迷い込んだ愚かな娘……。これを好機と呼ばずとして、何とする?」
ざわざわと騒がしい喧騒の中、よく分からない会話が交わされている。
「皆の者、待たせたな。今宵、我らの悲願が叶う。まずは、前祝いだ。祝杯をあげろ!」
執事が差し出したワイングラスを高く掲げ、王子が声高く音頭を取る。
「我らの偉大なる王、我らが誇る王子に栄光あれ!」
喧騒がほんのひと時途切れ、綺麗に揃った声が、彼を称える言の葉をなぞる。
「それでは我が主、今宵、その手にて門番を見事打ち倒し、清らかなる乙女の魂を鍵に、扉の封を破り、我らに道を拓いてくださいませ」
「うむ。それでは、行こうか。皆の者はもうしばし、ここで待つがいい。祝いの酒で杯を満たし、時を待つのだ」
芝居がかった台詞を残して食堂を後にした王子は、私の手を引いて、屋敷の2階へ上がる。
屋敷の様子は、やはりとても廃墟とは思えない豪邸そのもの。
あの時カラスたちが壊した窓ガラスも、何事もなかったかのように直されている。
そうして、引きずるようにして連れて行かれた先は、あの物置き――その奥にあった、あの扉の前だった。
けれど、今、その部屋の様子は一変していた。
あの時、この部屋を物置き然とさせていた荷物も棚も全て片付けられ、何もないがらんとした部屋に変貌を遂げていた。
ただ、一つ。“それ”を除いては――。
「やあ、従僕。いや、我らが闇の一族の裏切り者、魔界と人界とを結ぶ扉を守護する門番よ。そろそろ無駄な抵抗をやめて、大人しく楽になったらどうだい?」
磨かれた床に広がる、赤黒い血だまり。その中にある、黒いカタマリ。
それを、王子が、下足のまま笑いながら踏みつける。
「お前を倒し、扉の封印を壊せば、もはや我らを縛る忌まわしい枷は外れ、これまで指をくわえて眺めるしかなかった人間どもを相手に、思う存分遊んでやれる」
王子の言葉に、私はようやく自分が何に触れてしまったかを悟る。
王子が私の腕を掴んでいた手を離し、その彼の手に、執事が抜き身の剣を手渡した。
王子は、それを逆手に持ち、剣の切っ先を従僕に突きつける。
「人の生き血の味も知らぬ、半人前の吸血鬼ごときが、悪魔の王子たる僕に勝てるはずもない。――さあ、王手だ」
踏みつけられた従僕の指が、ぴくりとけいれんするように震え、床をかく。
しかし、王子の足を退ける程の余力はもうないのか、震えるばかりで動かない。
――このままでは、彼が殺されてしまう。
よくは分からないけれど、彼が殺されてしまったら、良くないことが起こるらしいことは、さっきの王子の言葉を聞けば嫌でも分かる。
だから、それが振り下ろされた時、私はとっさに飛び出して、彼を踏みつける王子の足に飛びついた。
不意の攻撃にバランスを崩した王子は狙いを誤り、剣先が私の肩をえぐって床に突き立った。
鞭で叩かれたよりも何倍もひどい痛みが肩を焼く。
溢れ出した私の血が、彼の血の上に落ちて、床の血だまりを更に広げていく。
目眩がする程の痛みに、私の手が王子の足から外れ、彼は煩わしそうに私の背を蹴飛ばし、私はべしゃりと従僕の上へと崩れ落ちた。
「――邪魔をするな!」
王子が、再び剣を持ち上げ、切っ先をこちらへ向ける。
そして、今度こそ狙い違わず、空を切る音と共に、それは振り下ろされた。
振り下ろされる武器を、最後まで見ていられなくて、私はギュッと目をつぶった。
すぐにくらりと目眩のような感覚がして、不意に周囲の空気が変わる。
――少し、冷たい風が肌を撫でて……
……風? ――室内なのに?
いや、それともここはもしかして天国だったり? ……それにしては随分と寒い。
ああ、最後に言いつけを破ってとんでもない事をしでかしてしまったから、地獄へ落とされてしまったんだろうか?
恐る恐る薄目を開いて、周囲をうかがってみると――
「え……ここは……」
月と、星屑とが浮かぶ夜空も、周囲の景色にも見覚えがあった。
「……バルコニー?」
そう、私が今居るここは、お屋敷のバルコニー。そして、彼――従僕も。
その彼は、息も絶え絶えに床に伏せたまま動かない。
今、ここには、王子も、他の誰も居ない。
でもここでは、追っ手はあっという間に私たちを見つけてしまうだろう。
逃げようにも、私も怪我をしているせいで思うようには動けない。
「ねえ、あの……、大丈夫?」
見れば、大丈夫じゃないのは分かる。それでも、聞かずにはいられなかった。
だって、振り下ろされた凶器からこうして逃がしてくれたのは、きっと彼だと思うから。
「王子が言っていた事……。あなたが、吸血鬼だって、本当なの……?」
ああ、違う。今私が一番尋ねたいのはそんな事じゃない。
「ねえ、どうしたら私、あなたの事を助けられる……?」
私の問いかけに、彼はぴくりと反応を返した。
「きっと、あなたは『今すぐ帰れ』って言いたいんでしょう? ……でも多分、こうして怪我をしていなかったとしても、私一人じゃあの人からは逃げ切れないよ」
どこからともなく突然現れる、人ならざる者。その手に捕らえられれば逃れることはかなわない。
「それに。もしもこんな事になったのが、ほんの少しでも私のせいだとしたら、私も黙って見ているわけにはいかないもの」
悪いことをしたなら、罰を受ける。それを償うのは人として当然のこと。
「だから……ね? 私にできることがあるなら、教えて欲しいの」
彼は、苦しそうに呻きながら、床にうつ伏せていた体をゆっくり仰向けにして天を見上げ、ひとつ大きくため息を吐いた。
――その瞳は、人ならざる者の証のように、煌々と紅い光を帯びて闇の中に輝いていた。
「……そうだよ。俺は、吸血鬼だ。魔の世界のものが、いたずらに、人間世界を脅かさないよう、世界と世界を隔て、つなぐ扉の守護を任された門番の、息子だ」
彼は、ポツリ、ポツリとゆっくりと言葉を吐き出す。
「彼――先代は、人の世界へ出て来ようとするあいつらと、何度も刃を交えて、その度いつも奴らの企みを潰してきた。だけど、ある時、奴らとの戦いの最中に大きな傷を負った。……そのせいで、寿命を縮めてしまったんだ」
そして、数年前、彼はとうとう息を引き取り、灰となって消滅した。――ただ一人、息子だけを残して。
「だから、俺は父の跡を継いで門番になった。……だけど。……悔しいけど、あいつらの言った事は本当だ。俺は生まれてこの方、一度も人間の血を口にしたことがない。人の血を吸ったことのない吸血鬼は半人前で、力も弱い。……だから、俺は父さんみたいには上手く奴らを抑えておけなくて」
彼は悔しそうに言った。
「父さんなら、奴らをあの扉のこちら側へ出してしまうような失敗はしなかった。だけど俺では、奴らをこの屋敷に閉じ込めておくのが精一杯だった」
けれど、今日、王子はその屋敷をも出て、山を降り、村へとやって来た。
「俺が死ねば、屋敷の結界は完全に解かれる。そして、君の――人間の魂を鍵にすれば、扉に仕掛けられた、父さんが残した最後の封印も解けてしまう。そうなったら、ありとあらゆる魔物があの扉からやって来て、ふもとの村だけでなく、この国――ひいてはこの世界をも襲うだろう」
彼が口にした未来は、予想以上に恐ろしいもので。
「そ、そんなの駄目……! な、なんとかする方法はないの……?」
必死になって尋ねるけれど、彼はその問いには答えようとせず、黙り込んでしまう。
「ねえ、方法があるのなら、教えてよ。早くしないと、見つかっちゃうよ……!」
きっと彼は、さっき王子がどうやってか私を村から屋敷へ一瞬で連れてきたのと同じような方法でここへ連れてきてくれたのだろう。
だけど、こんな状態では、王子がやったように遠くへは逃げられなかったのかもしれない。
そして、こんな状態でもう一度、同じことができるのかどうかも怪しい。
今、見つかってしまったらその時点でアウトだ。だから、今、出来ること――。
「ねえ、血を吸ったことのない吸血鬼は半人前だって言ったよね? それってつまり、血を飲めば、一人前になれるんだよね?」
吸血鬼は、人の血を吸うことで力を得る、おぞましい化物だと、神父様は教会でお説教していた。
……だったら。
「私の血を、あなたにあげたら、あなたのその怪我は治るの……?」




