第1話 さあ、冒険の始まりだ!
大人から“いけない”って教わる事は色々ある。
だけど、その“いけない”には、皆何かしら理由があるんだ。
例えば畑に使う水を貯めておく貯水池で遊んだら“いけない”のは、それがとても深くて、間違って落ちたら、溺れてしまうかもしれないから。
例えば、暖炉のそばで遊んだら“いけない”のは、間違って火傷するかもしれないし、火事になるかもしれないからだ。
だから、それが“いけない”事なんだって、なんとなくだけど私にも分かる。
でも、村を囲むようにあるいくつもある里山のうちの一つ、そのお屋敷が頂上に建つお山には、狼も熊も居ない。
山の上までちゃんとした道が一本通っているから、うっかり道に迷うなんて事もない。
高くも険しくもない、殆ど丘と変わりないような、そんなお山だから、私くらいの子どもの足でも、朝ごはんを食べたあとで出かけても、お昼ご飯の前に帰って来れる。
よっぽど天気の悪い日でなければ、危ないことなんて何もないはずの、お山。
そのお山に建つお屋敷だって、今は誰も住んでいない空き家。
もしもそのお屋敷が、貴族様や、お役人様みたいな偉い人のお家なら、村の子どもがちょっとでも近づこうものなら、門番の兵隊さんが怖い顔をして追い払う。
だから、そのお山と逆の方角に半日ほど歩いた場所にある領主様のお屋敷も、大人は近づいちゃ“いけない”って言う。
だけど、悪戯好きのジャックがある日、綺麗なお屋敷見たさに言いつけを破って出かけたら、兵隊さんたちにポイっと放り投げられたって言ってた。
お父さんにこっぴどく叱られて、丸一日ご飯抜きだったんだって。
だけど、あのお山の上のそのお屋敷には、見張りの兵隊さんどころか、番犬の一匹だっていない。
居るのは、野生の小鳥や小動物だけ。
なのに、何で近づいちゃ“いけない”のか、誰もその理由を教えてくれないんだ。
理由も分からないのに、ただ“いけない”なんて言われても、納得なんかできない。
だから、私はその理由を知りたくて、その日、言いつけを破って、一人でお山に登ることにしたんだ。
その日は、雲一つない綺麗な青空が広がる天気のいい日だった。
花が咲き乱れ、ミツバチやチョウが忙しく飛び回るこの季節なら、晴れた日は一日ぽかぽかと暖かい。
日が暮れるのも、寒い季節よりずっと遅い時間だ。
私は、台所からこっそり持ち出したパンとチーズ、おやつのりんごをリュックに詰めて、冒険の第一歩を踏み出す。
お屋敷へ続く道は、荷馬車も問題なく通れるくらいに広く、上り坂も緩やかだ。
ジャックが行った領主様のお屋敷に比べれば、半分以下の距離。
だから、意気込んだわりに、冒険はあっさりと終わってしまった。
7時の鐘を聞きながら、いつものように朝ご飯を食べて、それから出てきたのに、まだ10時の鐘も聞こえない。
おやつにするにもあまりに早すぎて、お腹もそんなに減っていない。
私は、お屋敷の門の前に立って、目の前にそびえるそれを見上げる。
そこにはもちろん門番は居ないし、ドーベルマンだって居ない。
だけど、蔦で覆われた、黒い大きな門は、見上げるほどに高い。
門の左右から、敷地をぐるりと囲む黒い鉄柵の塀も、やっぱり門と同じくらい高くて、木登りが得意な私でも、何のとっかかりもなさそうな上、天辺に槍の穂先みたいに尖った物がついたそれをよじ登って越えるのは無理そうだった。
ならば、どこか獣が出入りに使っているような穴でもないかと探してみたけれど、見つけたのは、せいぜいウサギが通るのがギリギリという小さなものだけ。
私が入ろうとすれば、きっと途中で頭かお尻がつっかえるだろう。
「むぅ、せっかくここまで来たのに。ここで冒険はおしまいなの?」
目的だった“理由”も見つけられないまま?
そんな私を笑うように、門の上に舞い降りたカラスが、カァと鳴いた。
「こらぁ!」
私はそれが悔しくて、両手を頭の上に振り上げて、カラスを脅かした。
だけど、カラスは私を見下ろしたまま、もう一度カァ、と鳴いた。
……それは、よく見れば「入るな」と言っているようにも見えて。
振り上げた拳が、カシャン、と門の柵に触れ、音を立てる。
音に驚いたのか、カァカァ鳴きながら、カラスが空へと飛び立っていった。
その、拍子に。
キィ、と、音を立てて、門が僅かに開いた。
この、お屋敷に近づいちゃいけない理由。
少なくとも、ここへたどり着くまでの道に、その理由は見つけられなかった。
だから、理由があるとしたら、このお屋敷の中にそれはあるのだろう。
そう思いはしても、今は空き家といえど、元は領主様のお屋敷よりも立派だったんじゃないかと思う館と、蔦だらけでも、まだまだしっかりしている門。
それを見て、その門に鍵が掛かっていないなんて思ってもみなかった。
私は慌てて門の格子に飛びついて、力いっぱいそれを押し開けた。
頑丈に作られた大きな門は、やっぱり重たくて、全身に全力をこめて押さなければびくともしない。
だけど、別に全開にする必用はない。ただ、私一人が通れるだけの隙間が開けば、それで――
そう思って、まずは一歩、雑草が伸び放題の庭に足を踏み入れる。
その、達成感と言ったら。
それは、あまりに簡単にたどり着けてしまったここまでの道のりのがっかりを帳消しにしてくれるくらいに爽快なものだった。
そして、改めてお屋敷を見上げた私は――あんまりに驚いて、思わず息を飲んだ。
そこにあるのは、蔦に覆われた、古ぼけたお屋敷――だったはず。
なのに……これは、どういうこと!?