仕事とプライベートは分けたい派
事務所がある建物の前で、「おはようございます」「ああ、おはよう」と窓ガラスを掃除していた一階にある喫茶店のマスターと挨拶をかわし、ハイジは、いつものように事務所に出勤した。
いつものように階段を上り、建物の二階にある事務所へ行く。
そこで、いつものように行動する。
不安になるくらい、いつも通りの日常だ。
クロとシロにコーヒーを入れてあげ、彼らの雑談に付き合ったり掃除したり。
本当に何でも屋なのかと疑うくらいに、何も変化の無い日常である。
しかし、この日は少し違った。
「クロ」
優雅過ぎる午後二時過ぎ、シロが言った。
「ん?」
「俺、今日 仕事入っているから」
そう言い残し、シロは事務所を出ていった。
何事もないように「あ、そう」とクロは見送った。
が、ハイジは言わずにはいられなかった。
「仕事あるんかい!」
「どうした、ハイジ?」
「いや、仕事があったことがあまりにも衝撃的だったので」
取り繕うように答えるハイジに、平然と「そりゃあ、あるだろ」とクロは言った。
「俺らだって、そうそう暇じゃないんだ」
「前だったら違うと思いますが、ここ数日のせいで その言葉に説得力を感じられません」
「なぜ?」
「なぜって、よく言えますね」
「言うぜ、俺は」
得意顔で、クロは言った。
「そんなに強気では、こちらも立つ瀬ありません。お願いですから、ここは私に譲ってください」
「……いいだろう、『なぜ』とは言わないでおこう」
クロから許可をもらい、ようやくハイジは一息つけた。
「仕事、あったんですね」
発言権を得たハイジが、言った。
「はい」
「私はコーヒーを入れることしかさせてもらえないのに」
愚痴るハイジ。
「そりゃあ、そうさ」平然と、クロは言った。「シロの仕事はシロの仕事、ハイジの出る幕じゃないだけよ」
「むっ」
まるで役立たずと言われているようだ、とハイジは不満に感じた。
しかし、ハイジの気持ちに鈍感なクロは、そのまま続ける。
「突然ハイジに来られても、困るだけだよ」
「そ、そこまでいいますか?」ハイジはつい、声を高くしてしまった。「たしかにまだ経験値が少ないかもしれませんが、まったくの役立たずということはないはずです」
「役に立つかどうか話は別だよ」
「つまり、ただただ邪魔ってことですか!」
「おい、なに騒いでんだよ?」
どこかへ行ったシロが、戻ってきた。
「どうした? どこかへ行ったシロ、忘れ物か?」
「……まぁな」苦い顔をして、シロが答えた。「どこかへ行っていた俺は、ケータイを忘れて戻ってきただけだよ。で、俺の質問」
「ああ。ハイジが何やら騒いでいる」
「あ?」
「人が狂っているみたいに言わないでください」
クロは役に立たないということで、ハイジがシロに事の次第を説明した。
「なるほど」納得して、シロは頷いた。「つまり、日頃お茶淹れしかさせてもらえないハイジが、何かしら やる事あるらしき俺を羨んでいたワケだ」
「……まぁ、それでいいです」不愉快な解釈だが、間違いではない。
ハイジが言うと、クロが「俺は関係ないの?」と訊いた。
「ありません」
「クロは事態をややこしくする発言をしていただけ、だろ」
「……オーノー」
蚊帳の外にされている感じがしたクロは、黙って、シロの「ハイジ、勘違いだ」という説明を傍で聞いた。
「俺の仕事っていうのは、この事務所とは無関係、俺個人のモノだ」
「シロさん、個人の?」
「そ。俺、個人の」
「シロ…個人の…?」
「お前は知ってるだろ。黙ってろ」
驚いた演技をしていたクロは、シロに言われてシュンとなった。
クロを静かにし、シロは言った。
「俺は、こことは無関係の仕事もしているの」
「……何を?」
ハイジは、訊いてもいいですか、と遠慮がちだ。
なんか話を引き伸ばされているみたいで、もしかして隠されているのと疑問に思った。
「別に、普通のバイトだよ」
「…え、バイト?」
バイトしているの、と驚いた。
そんなハイジに、「そ」と苦い顔をしてシロは続けた。
「ハイジも薄々勘付いているかもしれないが、うちの事務所は仕事が少ない」
「あ、それはなんとなく」
薄々ではなく、ほぼ確信している、と思わず言いそうになる。
「だから、俺は、俺の生活費を稼ぐためにバイトしているってワケだ」
当然だろ、とシロ。
「……あの、とても言い辛いのですが」聞くのが怖いが、ハイジは訊いた。「いろいろな意味で、大丈夫なのでしょうか? その、私のこととか…」
「仕方ないだろ」
「仕方ない?」
「俺とクロだけじゃ、仕事がうまく回らない。人件費を節約するとかどうこう言っていられない、必要経費ってわけだ」
「言っている意味は、なんとなく解らなくはないですが…」
でも、とハイジは思う。
――うまく回らないのは努力が足りないだけで、どうにかできるのでは?
――その必要な経費は、ちゃんと出せるの?
考えれば考えるほど、疑いたくなる。
――私は、本当に必要なの?
――私の給料は、本当に出るの?
「副社長に問題あり、って気もするが」
そう言った社長のクロは、暇すぎて白地のパズルをやっていた。
――あんたも だよ
全面が白くて無地のパズルは、難しい。
どれくらい難しいかというと、四百ピースのパズルの四つ角を見つけただけで、クロが音を上げるほどだ。
「ハイジ、採用試験だ」
テーブルの上に散らばるパズルのピースを指差すクロに、ハイジは「それはイヤです」と即答した。
「御自分で頑張ってください」
「御自分で頑張る気は、ない」
「言い切りましたね…」と、呆れるハイジ。
「完成した所を見たくないか?」
「それだったら、白画用紙を見ます」
「これが出来ないようじゃあ、一流の何でも屋になれないぞ」
「なら、お二人は出来るのですか?」
「シロ…」
と、ハイジの質問の矛先を変えようとしたクロだが、「あ、バイトに遅れる」とシロは居なくなった。
「「逃げた…」」
なんだか納得できないと言った面持ちで、ハイジはいた。
色々な経験をしたくて何でも屋でバイトすることにしたのに、実際はコーヒーを入れることしかさせてもらっていない。それなのに、事務所の人(副社長)は、他所で何やらやっている。それをズルイと非難するワケではないが、どこか納得がいかない。自分と違い、ちゃんとバイト先では仕事を与えてもらい、それに見合った給料も(たぶん)ちゃんと貰っている。
「あの…シロさんのバイトって、何ですか?」
シロが居なくなったところで、ハイジは、クロに訊いた。
ハイジの質問に対し、クロは「下の喫茶店」と答えた。
「近っ! てゆうか、結局コーヒーかい!」
ハイジのツッコミが、事務所の下にある喫茶店まで響いたとかどうか…。
なでしこ、おめでとうございます。
ハラハラしましたが、いい試合でした。ちょっと審判に不満はあるけど…。
結局は勝てたし、楽しかったです。
ちなみに、雑居ビルの二階にクロたちの事務所があります。その下が喫茶店になっています。作中で伝わっていなかったら困るので、ここでいちおう。