暴力反対
僕はよく他人をぶつ。
苛立ちを感じた瞬間に行動を起こしている。気づけば暴力という幼稚な手段に訴えて感情を相手に押し付けている、いつだって。じぃんと熱を帯び出した掌を太ももでさすりながら、頬を押さえて俯く依を見下す。校門を出てから数十秒後のことだった。田舎なので周りに通行人はいない。いても、ぶっただろうけれども。
多分僕の情動的な暴力による被害者第一号は彼女だ。屈託無く笑う依、分け隔てなく親切な依、周囲にちやほやされる依、あらゆる人間に愛される依。視界に入るたびに気管が圧迫されるような居心地の悪さを感じる。表情や人間関係を作るのが苦手な僕とはまるで違う生き物だ。
そんなのが放課後になると当然のように僕の隣を陣取って、何でもないような笑みをこちらに向け帰路につこうとするのだから、今日も今日とて右手は振り下ろされる。
「痛いよ。すぐ手が出るんだから」
ぶたれた頬を押さえながら、それでもへらへら笑ってついてくる。
「本当に痛いの」
「痛いよ、すごーく痛いのよ」
もう一度、依の頬を張った。流石に不意打ちには驚いたようで、彼女の顔から表情が完全に消えたのが分かった。
だから何だって言うんだ、別に何かが満たされるわけでもない。
「くち、切れた」
その言葉通り、彼女の唇の端から少しだけ血が流れ出ていた。それを指で拭ってから、取り繕う気もないのか無表情のまま依は呟く。
「くち、切れたよ。容赦なさすぎ」
それでもひょこひょこついてくる。会話は無い、団地の近くで遊ぶ小学生達の奇声が聞こえてくる以外は静かな夕暮れ時。なのに頭の中はせわしなく、侵食されていくような感覚でいっぱいいっぱいになっていくのだ。気に喰わない、なんだこれは。
自分が自分でないような、気持ちの悪さ。
「また、ぶつの」
点字ブロックの上をなぞって歩いていた依が、掠れた声で言った。気づけば僕はまた、無骨な右手を彼女に向けて振り上げていた。また、まただ。そこまでほとんど思考をしていなかった自分の異常さを思い知らされたような気がして、僕はたまらず目を閉じた。ゆっくりと呼吸を繰り返す。
他人を、依をぶつことに罪悪感を持っていたわけではない、後ろめたさもそれほど抱いたことはない。ただ頭に広がるのは困惑、いつだって何が正解かも分からずに、何とか自分という砦を守って生きてきた。
それが今、依の放った一言によって崩壊しかかっている。
「多分おかしいんだ、僕は」
右手をゆっくりと降ろしながら口にしてみた言葉は思っていたよりも弱弱しかった。
「僕はこの方法しか知らない。なんて言えばいいのか分からない。いつも」
「不器用すぎるってば」
今まで散々自分を虐げてきた右手を、これ以上無いくらい優しく取ってみせて、依が微笑む。頬を張った後に生まれる凶暴な熱ではなく、じんわりと沁みこむような温もりが繋がれた手から伝わってきて、不思議と頭の中の困惑はあっさりと消え去った。本当に子供だな、と自分でも思う。
馬鹿な依。消え入りそうな声で囁いたのが聞こえたのか、彼女が隣で笑って頷いた。