おにぎり屋ふくふく|言えなかった「ありがとう」
昼下がりのふくふく。
やわらかい光の中で、ふくさんはいつものようにおにぎりを握っていました。
カウンターの前に、ひとりのおじいさんが立っています。
「今日も、塩むすびをひとつ」
「はいよ」
ふくさんは、にっこり笑って手を動かしました。
ミケが小さな声で言います。
「またあの人だね」
まぐろがうなずきます。
「いつも同じだよね」
トラは首をかしげます。
「なんでだろ?」
シロは静かに答えました。
「きっと、理由があるのよ」
クロは、おじいさんをじっと見ていました。
その日は、少しだけ――
様子が違いました。
受け取ったおにぎりを、すぐに食べずに、見つめているのです。
クロは、そっと近づきました。
「にゃ」
おじいさんは、ふっと笑います。
「おや……お前さんか」
少しだけ、遠くを見るような目でした。
「これなぁ……昔、あいつがよく作ってくれてな」
クロは、となりに座ります。
おじいさんは、ぽつりと続けました。
「毎日、同じでいいのかって言ったことがある」
「でもな……今なら分かる」
指先で、おにぎりをなぞります。
「同じがいい日も、あったんだなぁ」
風が、少しだけ通り抜けました。
「ちゃんと、言えなかったんだ。
ありがとう、って」
クロは、静かにしっぽを揺らします。
店の奥で、ふくさんがそれを見ていました。
そっと、新しくおにぎりをひとつ握ります。
少しだけ、あたたかく。
少しだけ、やさしく。
クロはそれを受け取って、おじいさんの前に置きました。
「……おかわりかい?」
ふくさんが、やわらかく言います。
おじいさんは、少し驚いて――
でも、ゆっくりうなずきました。
ひとくち。
「……うまいなぁ」
その声は、どこかほどけていました。
もうひとくち。
そして、空を見上げます。
「……ありがとうな」
その言葉は、誰に向けたものなのかは分かりません。
でも――
ちゃんと、届いた気がしました。
クロは、そっと隣に座ります。
何も言わずに。
ただ、そこにいます。
おじいさんのしわのある手が、クロの頭をやさしくなでました。
「お前さんも、ありがとうな」
クロは目を細めます。
「にゃ」
その日もまた、ふくふくのおにぎりは
言葉にならなかった気持ちを、そっと運んでいました。




