悲劇買います
冬の凍てつくような寒さの夜、その男は全ての店が閉まった商店街の隅に座っている。
男の前には布を被せた机と椅子が置いてある。チープなセットとは裏腹に男は有名ブランドとおぼしきスーツとコートに身を包み、腕時計の文字盤には誰もが知る高級時計の文字が刻まれていた。一見すると占い師の様にも見受けられるが、よく見ると“悲劇買います【悲劇屋】”と布に書かれている。
おおよそ客など来そうにないが、あにはからんや、くたびれた様子の中年男性がその前に立ち止まり、訝しげに男を見て声をかける。
「悲劇を買うってどういうことだ?」
中年男性は酒に酔っているようで頬が赤く染まっている、白い息も酒臭そうだ。
声をかけられた男、つまり悲劇屋は落ち着いた声でこう答える。
「私は人の不幸な話、いわば人生に起きた悲劇を聞くのが大好きなのです。私は裕福な家庭に生まれついて今に至るまでまったく苦労と言うものを知らず生きてきたのです。ですから悲劇と言うものとは無縁なんです。なので代わりに悲劇的なオペラや映画を見ていたのですが、やはりリアルな経験談が一番面白くてこういったお店を出させていただいているわけです」
「はあ? ずいぶんいい身分だな!」
中年男性が忌々し気に吐き捨てるが、そのまま対面の椅子に腰をかけた。
「お座りになったということは何らかの悲劇をお持ちの様で。是非お売り下さい。やけ酒代くらいはお支払いできると思いますよ」
「ふん、そんなに聞きたいなら売ってやる。金も要るしな」
悲劇屋はもう一度「是非」と言い手を机の上に組んで話を聞く体制を作った。
「いいか? 俺は入社以来営業一筋、上司の厳しい指導に耐えてやっと管理職になったんだ。部下にも同じ様に厳しく指導してきた。それなのに数年前から会社の様子が変わった」
悲劇屋が興味深そうに前のめりになる。
「社内研修を受けさせられてパワハラだのモラハラだの事例を説明された。それって俺が今まで二十年以上も上司にされてきたことばかりじゃないか。それが全部駄目だと!」
中年男性が力を込めた握りこぶしには血管が浮き出ている。
「時代の流れという奴ですね」
「けっ! 腹立たしい。そのくせ売上目標は年々ハードルを上げてきやがる。そんなの厳しく指導しないと無理に決まってるのに上の奴らときたら、『部下の意見をよく聞いて理論的に指導すれば、結果は出るんだ』だと?」
赤かった顔が更にゆでダコのようになる。
「どの口が言ってやがるんだ! 奴ら昔から俺に一切の言い訳も許さず何かというと『この役立たず! やめちまえ!』と脅してやがったのに。それでも俺は我慢して部下にも気を使ってやってたんだ、それなのに……」
「ハラスメントだと言われたんですか?」
男はガクンと頷いて話を続ける。
「新人のくせにいつも遅刻する奴がいて、俺がカミナリを落としてやったんだ。そしたらそいつ翌日から会社に来なくなって、三日後に【退職代行のヤメテーナ】とかふざけた会社から退職と精神的苦痛を受けたことで裁判を起こすと連絡して来やがった」
「それは大変ですね」
「結果、俺は依願退職することになった。会社は俺を守ってくれなかった。俺は妻になんと説明すればいい? 生活の為、妻にも仕事に出るよう頼まなければならん。しかしこれまで逆に妻は家にいるものだと妻が外で働くのを許してこなかったのはこの俺だ。そして昨日のことだ。泥のような足を引きずり、たどり着いた我が家はもぬけの殻だった」
男は一度目をつむり大きく息を吐いてから話を続けた。
茫然とした俺の目に入ったのは離婚届と一枚のメモだ。そこには、
—もうあなたの横暴に耐えられません。さようなら。尚、この家は私の父が買った物なので売りに出します。
と書かれていたよ。おれは仕事も家族も、そして住む所も失ってしまった……」
それきり中年男性は黙り込んでしまった。悲劇屋は何か感情を押し殺しているような表情で財布を取りだし、樋口一葉の描かれた紙幣を男に手渡すと店仕舞いを始めた。
「金持ちの道楽か。アンタにも悲劇が訪れるといいな」
中年男性は恨めしそうに吐き捨てる。
悲劇屋は軽く会釈をして裏に置いていた台車に荷物を乗せて颯爽と去って行った。
しばらくして悲劇屋が大きな道に出ると一台のタクシーが止まり、後部座席からから若い男が出てくる。
「先生、今日の首尾はどうでしたか?」
「中々いい話が聞けたよ。これで何とかなりそうだ」
「良かった! じゃこのまま自宅に戻って、明日の締め切りまでに書き上げてください」
「すぐ取りかかるよ。やっぱり実体験を聞くのが一番だね。中々自分の身に起きた悲劇なんて話したくないだろうけど、お金を出せば意外と釣れるもんだ」
そう言って若い男は悲劇屋をタクシーに乗せた。
「それじゃ先生、私はまた明日原稿を取りに行きますのでよろしくお願いします」
「ああ、楽しみにしてくれ」
悲劇屋はそういい残し、タクシーは去って行った。
タクシーの姿が見えなくなった頃、そこに残った若い男に中年男性が近づく。先ほど悲劇屋と喋っていた男だ。
「編集者さん、あんな感じで良かったですか?」
「ああ、おかげさんで締め切りに間に合いそうだ。あの作家先生はなにかと言うと『ネタがない』が口癖でね」
「でも、さっきの話も編集者さんが創作したんだから、直接作家さんにネタを提供したらいいのでは?」
「それが、あの先生編集者のアドバイスとかアイデアなんて全く聞かない人でね。なまじ新人の頃に賞を取ったものだから無駄にプライドが高くて。でも、ネームバリューだけはあるから連載をお願いしてるんだけど」
編集者と呼ばれた若い男はため息交じりに話す。
「確かに私でも名前だけは聞いたことありますね。作品は読んだことないですが」
「今は週刊誌の【他人の不幸は蜜の味コーナー】の連載だけが仕事なのに、それも結局は僕がゴーストライターやってるようなもんなんだけどね」
「ご苦労お察しします」
「ともあれご苦労様。これ今日のバイト代です。さっき先生から貰った分はチップとして取っておいてください」
「ありがとうございます」
中年男性はバイト代の入った茶封筒をうやうやしく受け取り、軽くお辞儀をして去って行く。
男は胸ポケットから煙草を取り出しながらつぶやいた。。
「あ~俺も小説家になろうかな」
終




