対策会議 その4
15時前にバイトがあると言って徹が帰った後も、途中おやつ休憩を挟みつつ、俺と武と秀一の3人は17時近くまで会議を続行し、つい先程二人が帰ったところである。今回はあくまで対策会議であって、試験前にどこをどれくらい勉強すればいいのか過去問や授業ノート、プリントを見つつまとめただけなのだが、それでも頭の疲労感が半端ない。しかしこれであとは試験の日までに今日目星をつけたところを頭に叩きこむのみである。
ちなみに過去問という存在は今や結構貴重なものだったりする。それというのも数年前から過去問が流出するのを防ぐために、学校側が試験問題の配布および回収を厳密に行うようになったからだ。おかげでそれ以前は簡単に過去問用として一部余分に試験問題を持ち帰れたというのに、今は各自の頭の中に試験問題の内容をメモる以外に手段がない。
そんな貴重な過去問を一体どうして手に入れられたかというと、それは全て秀一のおかげである。このような非常に厳しい環境にあってもどうにかして過去問を手に入れてやろうと考える人間は、俺の大学においては体育会系のサークルに多く、つまり普段秀一のスポーツ馬鹿の恩恵を受けている人間たちばかりなのだ。そういうわけで俺らにもその過去問を流してもらえるように、秀一経由で頼んだというわけだ。
役に立つと言えば、彰のあの恐ろしい勘の強さもかなり役に立つ。俺は今回の動物生態学の試験で出されるという文章問題2問について、あらかじめ知らされている5問中1問目と4問目をメインに勉強して、あとは軽く見ておく程度にするつもりである。5問中2問を選ばせるような状況において、彰の山勘はまず外れない。そうでなくても彰の山勘の的中率はかなり高い。情けない話、俺の前期の試験は7割この彰の山勘のおかげで単位を取ったようなものだ。
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不意にガーリックパンが食べたくなったので近くのパン屋でバゲットを1つ買い、ついでに通りかかった店であまりにも美味しそうな香りがしたのでそこでシュークリームを2つ買った(徹が持ってきたパンは既に全部食べられてしまった)。
腹が減っている状態で外出するのは、非常に危険な行為だ。目に入るもののあれやこれやが妙に美味しそうに見えてきて、普段はきっちり締めているはずの財布の紐がどうにも緩んでしまう。
「なぁ、彰。お前、今更だけどこれからまた出かけるんだよな?」
18時半を少し過ぎた頃。玄関から入って来るなり、腹が減った、飯はまだかとうるさくせっつく彰に、バゲットとガーリックペーストを渡してガーリックパンを作らせながら、煮込みハンバーグを作ること暫し。俺はふとあることに思い至った。
「あぁ。そうだけど」
トースターの中に並べたガーリックパンの焼け具合を観察しつつ、彰はそれがどうかしたのかというような目でちらと俺の方を見た。
「いやそれだったらさ、作らせといてなんだけど、これから出かけるやつがガーリックパンなんて食べるわけにはいかないんじゃないかと思ってさ」
ニンニクの臭いは強烈だ。その後に出かける予定がある人間は、なるべく食べるのを避けるに越したことはないだろう。そう思って、ちょっと気が利かなかったなと反省をしつつそう口にしたというのに、彰はというと鼻で笑いやがった。しばくぞ。
「ばーか。今時ニンニクの臭いぐらいいくらでも消す方法があるんだよ。それにな、俺がこれから会うやつらにそんな気遣いしたってしょうがねぇの」
「そうなのか?」
「そ。だから俺が食わねぇとか、そんなふざけた選択肢はないんだよ。おら、出来たぜ」
そう言って彰はガーリックパンが盛られた2つの皿を、俺に向かって両手でそれぞれ持ち上げて見せた。
***
19時半になる頃にはもうすっかり夕飯を終え、俺が買ってきたシュークリームも食べ終えて、2人そろって食後のコーヒーを飲んでいた。恐ろしいことに、この光景はもはや日常の一部と化している。目の前で彰がいくらだらけた様子を見せようが、それを既に何度も目にしてきている俺にとっては何の違和感もないのである。
武や徹からすると、これが問題だということらしい。
「彰。お前、俺に彼女が出来たらどうする?」
「は? 何だよ急に」
それまで人様のベッドの上でもって寝転がりながら雑誌を見ていた彰は、訝しげな目で俺を見た。その目を見返しながら、俺は瞬時に少しマズったなと思った。彰は少しでも興味を持ったことに関しては、疑問を疑問のままにしておかない。
どうも質問の内容がストレート過ぎたようだ。彰が徐に雑誌を閉じて脇に置いたのを見て、俺は心の中で溜息を吐いた。彰の興味をひいてしまった以上、俺は素直に話す以外にない。
「お前があんまり俺の家で自由気ままにやってるもんだから、武と徹が心配してさ。彼女とか出来たらどうすんだよって」
「へぇー。それで? それに対してウラはなんて答えたわけ?」
彰はベッドの上で胡坐を組んだ上に片肘をついた状態で、話の続きを促してきた。どうやらとことん聞く態勢に入ったらしい。
「別に無償の奉仕をしてるわけでもないし、彼女が出来たら出来たでその時はきっちり締め出すつもりだって言ったんだけど」
「だけど?」
「何か呆れ果てたような目で見られた気がする。でもさぁ、仮にお前にばっかりメリットがあるんなら話は別だけど、実際それとは違うわけだしさ」
そこで一度言葉を切って彰の様子を窺って見ると、いつもとは違ったどこまでも真剣な眼差しとぶつかって思わずたじろいでしまった。しかしそれでもまだ追及する目は俺から逸れてくれない。彰がこうなると面倒くさいと知っていたのに、その彰相手に我ながら本当に迂闊なことをしたものだ。
いつまでもこの空気のままでいるのが嫌で、俺は一気に事を済ませるべくそれから心持口早に話した。
「つまりだ。お前は確かに好き勝手やってるけど、お前がいるから掃除とか料理とか家事をきちんとやんないとなって思うし、何より一人飯をしなくて済む。正直この点に関してはすっげー感謝してる。女々しいかもしんないけど、どうも一人飯だと食う気がしないもんでさ。だから今暫くはこのまんまで良いんじゃないかなぁなんて思ってる。何気に今のこの生活が気に入ってるからさ」
どうだ、これで満足かとばかりに彰を見れば、ふぅんと呟いて再びベッドの上に寝転がって雑誌を見始めた。実は結構俺にとっては勇気がいることを言ったというのに、もっと他にないのかよと思っていると、彰が雑誌から目を逸らさないまま口を開いた。
「ウラが彼女作りたいっていうなら作れば? 敢えてそれを邪魔しようって気はねぇからそう言っとけよ」
それはつまり武と徹に伝えておけってことか、と咀嚼した言葉に俺が軽く頷くと、「あぁ、でも」と彰が続けて言った。
「家に泊まりに来る男友達の一人も許容できずに文句言うような女はうぜぇから、即別れさせるんでよろしく」
そう言った後で彰は雑誌から目を離し、驚きのあまり思わず目を丸くしてぽかんとした表情をした俺を見ると、堪え切れないとばかりに吹き出すようにして笑った。