対策会議 その3
「体育、もう取る気ねぇの?」
パンを与えたことで大人しくなった2人を横目に、2枚目のお好み焼きを焼くべく残っていた生地を丁寧にホットプレートの上に流し入れていると、武が不意に問いかけてきた。まるでこちらの反応を窺うようなその声色に顔を上げて見れば、武がどこか困った顔をして俺を見ていた。
武がこんな顔をするなんて珍しい。そう思って作業の手は止めないまま、俺がどうしたのかと聞くと武は溜息交じりに「それがな」と口を開いた。
「教職課程を取ってる都合上、どうしてももう1単位体育を取んなきゃならなくてな。次の春にまたウラと一緒にもう一回テニスでもやろうかと思ってたんだよ」
「マジか!」
思わず手に力が入り、そのせいで握っていた卵が変な割れ方をしてしまったが、どうにか所定の位置に収めることができた。はー、あぶねあぶね。
「教職ってマジ面倒だよなー」
武の隣で徹が片手でコテを弄りながら暢気なことを言っているが、俺にとっては他人事じゃないので「だよなー」なんて安易に相槌を打ってる場合じゃない。とりあえず秀一の反応を見ようと、左隣に視線をやると無言でひたすらもくもくとパンを頬張っていた。しかも俺の好きな塩フランクを。くそ、俺も後で食おう、なんて思ったところではたと気がついた。
……後で?
確か徹が持って来てくれた紙袋の中に入っていた塩フランクは2つ。1つは既に秀一の口の中。そしてもう1つは、と恐る恐る右隣を見て見ると案の定彰の口の中にもう1つの塩フランクが消えつつあった。
この恨み晴らさでおくべきか。
「お前ら、ふざけんな。塩フランクは1つ残しとけって言っただろうが!」
そんなわけで、とりあえず近くに避けてあった生化学の教科書(厚さ推定3センチ前後)でバシバシと容赦なく両隣を殴った。これは正直結構痛いだろうが、俺の知ったこっちゃない。残しとけと言ったのに、それを食うやつが悪い。
「ウラ、引っ繰り返しといたよ」
「サンキュ! なぁ、武」
「ん?」
次の春、俺は体育の授業を取るべきか取らざるべきか。
俺の体力面における少しのリスクと武の希望と、それから食べ物の恨みを加えて考え直した時、そこから出てくる答えは1つである。
「武がやるんなら、俺も体育やるよ。そんでもって、今度こそ秀一をこてんぱんにしてやる」
だから手伝ってくれ、と俺が握り拳を片手にそう言うと、「あぁ。勿論だ」と武が笑った。
***
「それじゃ腹も満足したし、俺はもう帰るかな」
「あ、彰! ちょっと待て。帰る前に一つ訊きたいことがあるんだけど」
昼食を済ませ、テーブルの上にあったホットプレートや各人が使った食器の類もすっかり片付け終えた頃。13時半過ぎになり、そろそろ勉強を再開しようかという雰囲気を察した彰がそう言って今にも帰りそうな様子を見て、俺は慌てて彰を呼び止めた。そして再びテーブルの上に広げたプリントの中から目当ての一枚を引き出し、玄関前の廊下に立つ彰の目の前に突き出した。
「彰。ここに書かれている5問の文章問題のうち2問をそっくりそのまま試験に出すって先生が言ってたんだけど、どれとどれが出ると思う?」
「1と4」
彰は俺が手にするA4のプリント中央部に箇条書きされた5問の文章問題を上から下に向かってさらっと目を通したかと思うと、何の迷いもなく即答した。
「1と4、だな? サンキュ」
「今日の夕飯は?」
彰から不意に何の脈絡もなく問いかけられた質問に対して、俺は欲しい情報を手に入れて少し気が抜けていたのか特に訝しく思うこともなく、すんなりと答えた。
「夕飯? あぁ、今日は煮込みハンバーグでも作ろうかなと」
「7時頃、食いに来るから」
一瞬彰の言葉の意味が分からず、俺は不覚にも固まってしまった。そのため、お前今さっき帰るって言っただろうが! と俺が口にする前に、彰はすばやく玄関から出て行ってしまった。くそ。言い逃げするとはいい度胸してやがる。
「相変わらず甘いなー、ウラ」
「……え?」
部屋の方に戻って来るや否や、俺はテーブルの上のプリントに視線をやりながら手を動かす徹からそんな言葉を受けた。突然のことに先程と同様、一瞬思考回路が停止して反応が遅れてしまった。
「俺もいっつも言ってんだけどな」
さらに追い打ちをかけるかのように武からもそんなことを言われて、俺はすっかり困惑してしまった。なになに。俺の何が甘いんですって?
「マジで最近平日はほぼ入り浸ってるらしいじゃん? 彼女とか出来たらどうすんだよ」
「あいつなら彼女がいようがいまいが全く気にしねぇ気もするけどな」
プリントから顔を上げた徹と武の二人からそう言って視線を向けられながら言われた言葉に、俺はようやく何を言われているのか理解した。どうも先程の玄関前での彰とのやり取りを聞いていたらしい。まぁ、普通にしてれば普通に聞こえてくるしな。
「あー、まぁ俺も随分好き勝手にやらせてる自覚はあるし、だから別に無償の奉仕してるわけでもないし。でもまぁ、彼女が出来たなんてことになったら、その時はきっちり締め出すよ」
だから心配すんなって、というつもりで笑って見せたのだが、それに対する二人の反応はというと特に何の変化も見られず。強いて言えば、最早呆れ果てたような目で見られているような気がする。しかしそうはいっても、正直俺としても助かってる部分が結構あったりするわけで。
毎月しっかりお金も貰ってるし、これも一種のルームシェアだと考えれば大した問題ではないと思うんだけどな、なんてことをこの場で馬鹿正直に言ったりしたら勉強どころか説教タイムになりそうだから言わない。