対策会議 その1
「玄関のドアのとこにぶら下がってたぞ」
約束通り10時を少し過ぎた頃、武がそう言って紙袋を片手に俺の家にやって来た。
「あー、多分それ徹の差し入れ。……いや、賄賂かな?」
武から受け取った紙袋の中身を覗いてみると、思った通りいくつかのパンと焼き菓子が入っていた。俺の好きな塩フランクがあるところを見ると、パンについては例の信長さんのところのものらしい。では焼き菓子の方はどこのものだろうと、適当に一つ取り出して見た。おっ! このメーカー知ってる!
「すっげ! 俺ここのお菓子超好きなんだけど!」
「そりゃ、良かったじゃねぇか。……つーかそこで寝てんのはいいとして、秀一は? あいつこそ一番やらねぇとマズいだろ」
武は部屋に入って脱いだ上着を隅に置いた後、ちらとベッドの布団の塊に目をやりつつ、ベッドの脇の床の上に置かれたテーブルを前に胡坐を組んで座った。勿論、このベッドの布団の塊というのは彰のことである。彰は例によって例のごとく早朝に俺の家に侵入し、人様のベッドの上でもって睡眠を貪っている最中である。全くもってけしからんやつだ。この光景を目にすると、いつもその脇腹目掛けてダイブしてやりたくなる。
しかしまぁ、とりあえず彰については一旦目をつぶるとして、問題は秀一である。一応、武と同じく10時に約束をしたのだが、……正直約束通り来た方が驚きだ。あいつのスポーツ馬鹿をなめてはいけない。
「一応10時に約束したんだけど、昼になるまで来ないんじゃないかなぁ、あいつ。昼はお好み焼き作るって言ったから昼には来るよ、間違いなく」
スポーツ馬鹿は、食べ物に対してだけは少々弱いところがある。そんなわけで困った時は食べ物で釣れば、大体上手くいく。まぁ逆を言えば食べ物で釣らない限り、秀一はたとえ一時的であろうとスポーツをやめない。それで単位を落とそうが、あるいは留年するはめになろうが、恐らく秀一は一向に気にしない。秀一と言う人間は、一般人にはなかなか理解しがたい程のスポーツ馬鹿なのである。
「……まぁいいや。とりあえず動物生態の方、さっさと解答作っちまおうぜ。それから遺伝の内容見て、そしたら多分昼だな」
俺の言葉に武は深い溜息を吐きつつ、そう言って机の上に筆記用具や授業のノートなどを取り出し始めたので、俺もひとまず紙袋を台所の方に置いて勉強する態勢に入ることにした。
年が明けて暫くしてもなお正月ボケがなかなか抜けきらない中、早くも後期試験開始まで一週間を切り。とりあえず全く対策せずに臨むのは無謀だということが前期でよく分かったので、後期はしっかり対策しようということで今日、俺の家に集まって対策会議をすることになった。
……やっぱ大学って高校とは違うんだよな。正直、武と彰がいなかったら俺の大学生活、スタート開始早々ですっ転ぶとこだった。主に単位の関係で。俺の通う大学は絶対に単位を取らなきゃいけない必修科目がある上に、年間取得可能単位数に上限なんてものがあるからたとえたかだか一つ二つ落としたってだけでも、結構痛い。
当初この対策会議に参加するのは俺と武と、それから(お母様から是非にと頼まれた)秀一の三人の予定だったが、バイト命な徹がわざわざ差し入れをしてきたところをみると、どうやら徹も参加することになりそうだ。
***
「んー。……お前ら何やってんの」
寄りかかっている背後のベッドで何やらもぞもぞと動く気配がしたかと思うと、突如寝ぼけた声とともにのそりと両肩に重たい何かが乗せられた。目の前で交差した腕がぷらぷらと揺れている。……めちゃめちゃ肩にくる。重い。
「彰、お前やっと起きたか。いいからさっさと手を避けろ! こっちは真面目に勉強してんだよ」
あまりの重さに思わず勉強する手を止め、勢いよく振り返ってその頭をべしりと叩くと、やっと重しがなくなった。やれやれ。しかしこのまま放置しておくと余裕で二度寝しそうな雰囲気だったので、俺はそのままその無造作ヘアーの頭を両手でむんずと掴みぶるぶると細かくバイブレーションさせた。
「さっさとシャワー浴びろ。目を覚ましてこい」
俺がそう言って手を止めると、彰は黙って布団から抜け出しそのまま風呂場に向かって歩いて行った。毎度のことではあるが、寝起きが悪いのも困ったものである。
「ちょうど集中力も切れてきたし、そろそろ昼食の準備でもするかな」
彰のせいですっかり勉強する意欲が萎えてしまった俺がそう呟くと、正面に座る武も一度勉強する手を止めて俺を見た。
「そうだな。ちょうど12時になりそうだ」
「よし。んじゃ、お好み焼きの準備するから、悪いけど秀一が来たら玄関の鍵開けてやって」
「分かった」
上に向かって両腕を思い切り伸ばしつつ、俺は台所へ向かった。さっきまでやっていたDNAに関する計算問題については、また昼食の後に考えることにする。
***
「へー。今日の昼はお好み焼きか」
「そうそう。……てかお前、ちゃんと髪乾かしてこいよ」
「腹減ってるから無理」
下ごしらえを終え、キャベツや豚肉などお好み焼きの生地に乗せる具材を入れた皿を持って台所から出ようとしたところで、ちょうど風呂上がりの彰と出くわした。肩にバスタオルを引っかけた状態で、その髪からはまだ滴がぽたぽたと落ちている。
ちなみに今更だが、彰がさきほどまで着ていたスウェットの上下も風呂上がりの今着ている服も、両方とも俺の家に置かれている彰の私物である。気づいたらこんな状況になっていた。……もう何も言うまい。
腹が減った、腹が減ったと呪文のように繰り返す彰を押し退けつつ、勉強道具を片づけたテーブルの上に皿を置き、真ん中に置かれたホットプレートでもっていざ生地を焼き始めようとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。
「秀一かな」
「多分そうじゃねぇか? 俺見てくるわ」
「悪い。頼んだ」
チャイムの音を聞いてすぐに立ち上がった武に玄関の方は任せて、俺はさっさとお好み焼きを焼くことにした。