日常 その3
―――――中静秀一。勉学に関しては全く期待できない奴らこと、俺の友人その3である。
秀一はスポーツへの情熱が半端でなく、とにかく一度何かに興味が沸くとそれを自分の中で納得のいく形に出来るまでとことんのめり込む。秀一に関しては本当に全てをなげうってでも何かを成し遂げようとするので、かなり危険である。そもそも彼は見事なまでに生活能力ゼロで、家事も掃除もこちらが思わず笑ってしまうほどに全く出来ない。しかしながらそんな欠点が気にならなくなるほどに秀一の運動能力は凄まじく、実際に彼の極めたスポーツに関しての腕前というのはどれも余裕でプロ級である。
秀一と初めて出会ったのは、大学での体育の授業においてであった。中学で3年間みっちりテニスをやっていたことから、それなりの自信を持ってテニスを選択したというのに、初日から秀一という俺からすると化け物並みの強さを持つプレイヤーと当たったことで俺のその自信は即座に地の底にまで落ちた。あっという間に3ゲームをストレートで落としたところで俺は一旦タイムを取り、隣のコートにいた武を問答無用で緊急招集した。そして秀一に対して1対2での試合続行を申し入れ、武を俺の背後に配置した後、無理やり試合を再開させた。
武は最初こそ戸惑っていたが次第にその実力を発揮し、結果としては3ゲーム中1ゲームしか取れなかったものの俺としては大満足で秀一に握手を求めたところ、「次は最初からこれで行こう」と言われて思わず固まってしまった。正直、もう二度とお前と戦うものかと思っていたにもかかわらず、結局その日以降もその授業は始終、武と一緒に秀一と戦うはめになってしまった。
秀一の体は同じ男として憧れを抱かざるを得ない。俺は残念ながら腹が6つに割れたことが未だに一度もない。秀一のように体脂肪率が7%みたいな体になりたいわけではないが、あの見事に6つに割れた腹を見る度にどうにも羨ましく思ってしまう。そんなことを思っていたせいか無意識に秀一の腹を凝視してしまっていたようで、ある日秀一から「一カ月もあれば6つに割れるぞ?」と誘われた。少し惹かれるものがあったが、そのトレーニング内容が恐ろしいことになっていそうだったので丁重に断っておいた。
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「それにしてもまた来週から実験始まるんだよな。しかも次の実験担当する教授がすっげーレポート厳しいんだってさ」
今日の授業を終え、武と並んで校門に向かって歩く途中、視界に入った白衣姿の学生に俺は実験という言葉を思い出し、思わずそんな愚痴を零した。ほぼ毎週一回行われる実験及びそのレポートは、俺にとって本当に憂鬱そのものである。つい最近やっと前の実験のレポートを仕上げたばかりだというのに、すぐにまた新しい実験が始まるとは本当にげんなりだ。これでまた暫くの間、図書館に通いつめる日々が始まることになる。
「らしいな。おまけに提出期限に1秒でも遅れると受け取ってもらえねぇんだってな」
「マジかよ……。しかもあれだろ。またいろんな薬品取って混ぜて、機械か何かでデータ取ってそれをグラフにして、みたいなやつなんだろ?」
「まぁ、大体そんな感じだろ」
「うげー。俺、そういうの一番苦手なんだよな。それならまだスケッチしてる方がマシ」
これまでいくつかの実験を行ってきて分かったことだが、俺は本当に実験に向いていない。うっかり作業に手を出せば、もれなく失敗がついてくること請け合いだ。前の実験でも希釈シリーズを作っている時に誤って薬品を入れるべき試験管を間違え、結局そこだけ一からやり直しをすることになってしまった。実験は基本的に4~5人からなる班で行われるもので、俺の失敗はすなわち班員全員の失敗となる。あれは本当にかなり自己嫌悪に陥った。
「でもまぁ、やらなきゃ単位もらえねぇし」
「それなんだよなぁ。……本当に俺の実験の単位は武が取ってくれてるようなもんだよ。武がいなかったらマジで無理だから」
出席番号で俺のすぐ前を武にしてくれたことについては、本当に自分の運の良さとやらに感謝したい。実験はそのほぼ全てが出席番号順に班が組まれる。普段の授業はともかくとして、実験に関して言えば俺は完全に武におんぶにだっこ状態である。前の実験での失敗も結局は班員の誰からも非難を浴びることなく、同じ実験班にいた武を主導として速やかに修正が施され、事無きを得た。
「お前もしかして、まだこの間のやつ気にしてんのか?」
校門を出たすぐ先にある道路に突き当たり、俺たちの前を横切って行く車がいなくなるのを待っていると、武がそう言って不意に真横から俺の顔を覗き込んできた。
「いや、別にそういうわけでも……あるっちゃあるんだけど」
「あのくらいどうってことねぇだろ。実習なんだから失敗の一つや二つは当然想定内。……まぁ、中には絶対に失敗しちゃいけねぇところもあるけどな」
「確かにその通りなんだけどさ、」
「ウラ。渡るぞ」
武の言葉に俺がまた何かを言おうとした時、武はそう言ってそれまでの会話を打ち切るようにして車の切れた道路を渡り始めた。