ある種のクレーマーだよ
彼は値札を見るたびに、決まって同じ言葉を口にする人間が苦手だった。
「これ、原価いくらだと思う?」
その一言で、その人が何を見ているのかが透けて見える気がした。
棚に並んだ商品は、ただの物体ではない。
削られた時間、試された失敗、積み重ねられた経験、名前も残らない工程の連なり。
それらを全部まとめて、ようやく一つの値段になる。
けれど彼らは、そこに目を向けない。
原価という言葉を盾にして、世界を薄く剥がそうとする。
お金のことしか気にしないなら、自分で作ればいい。
そう思うのに、そういう人間ほど作らない。
作れないのではない。
作ろうとしない。
失敗の責任を負わず、時間を溶かさず、手を汚さずに、成果だけを欲しがる。
そして最後に残るのが「高い」という感想だ。
本当に何かに精通している人は、値段の話をしない。
代わりに、工程の工夫や素材の癖、そこに込められた思想を語る。
「この値段なら安い」とも言わない。
ただ、納得した顔で金を払う。
それが対価だと知っているからだ。
原価の話しかしない人間は、交渉をしているつもりで、実は自分の浅さを晒している。
値下げのための切り札だと思っているその言葉は、作る技術の無さを示す証明書に過ぎない。
値段以上の価値を見いだせないという告白を、彼らは誇らしげに口にする。
彼は今日も黙って金を払う。
それが誰かの時間であり、人生の一部であることを知っているから。
原価ではなく、価値に金を出すという、ごく当たり前の選択をしながら。




