9:王女様(♂)と食事しました
影武者の話をされた翌日――メーテルはいつもどおり掃除をしていた。
コテでまっすぐにしてもらった髪は、頭を洗ったら元に戻ってしまった……。
(残念です。コテを買えば、私にもできるでしょうか)
この日の掃除場所は、ハインリーの私室だ。
そして何故か、ハインリー本人が部屋にいる。
「あの、ハインリー様は、今日はお出かけのご予定だと聞いていたのですが」
棚にはたきをかけながら、メーテルはテーブル席に座って、難しそうな書類を読んでいるハインリーに問いかけた。
「予定がずれてしまったから、時間が来るまで、ここで事務処理をしてしまおうと思って」
「そ、そうなんですね。先輩たちを呼びましょうか?」
いつも執務室で先輩侍女に囲まれているので聞いてみる。
「呼ばなくて大丈夫。こちらのほうが邪魔されずに済むし、仕事がはかどるから」
他の侍女たちは仕事でハインリーの役に立つどころか、仕事の妨害になっていたようだ。
(確かに。誘惑や、お触りは多かったですね……)
仕事中、メーテルも何度か目撃していた。
「掃除も、あとにしたほうがいいですか?」
「メーテルはそこにいて。君は安心できるから」
「……? わかりました」
言われたとおり、そのまま掃除を続行する。
(安心すると言われてしまいました……信頼していただけるのは嬉しいです、けど……)
メーテルは主である彼に隠し事をしてしまっている。
ベツィリア王女の影武者の話は誰にもできない。
(隠し事は苦手ですが、建国祭までの我慢です)
それを乗り越えれば、平穏な侍女生活が戻ってくる。
(ハインリー様、ごめんなさい。あなたのことは、影でしっかりお守りしますから!)
彼はメーテルを雇ってくれた恩人だ。
特に頼まれているわけではないし、ハインリーは気づいてもいないが、メーテルは尊敬する現在の主を守りたいのだ。
午後になってハインリーが出かける頃には、メーテルは彼の部屋の掃除を終えていた。
「いってらっしゃいませ、ハインリー様」
「ああ、行ってくるよ、メーテル。その書類、執務室のほうへ運んでおいてくれるかい?」
「はい。お気を付けて」
返事をすると、彼は微笑みを浮かべて部屋を去って行く。
ハインリーを見送ったメーテルは、彼が確認していた資料を執務室へと運ぶ。
第一王子の私室と執務室は離れていて、移動するには庭を横切るか、二つの建物同士を繋ぐ渡り廊下を歩いて行く必要があった。
メーテルは渡り廊下を選ぶ。
こちらのほうが、うっかり躓く心配が少ない。
歩いていると、ふと自分以外の人間の気配を感じた。
ザッとそちらを見ると、庭のほうから見知った顔が歩いてくる。
「……アルシオさん」
情報漏洩を防ぐため、彼のことはベツィリアではなく、アルシオと呼ぶように言われている。
騎士に化けているため、「様」も不要と言われた。
「メーテル、仕事中か?」
「ええ、これをハインリー様の執務室へ運んだら、お昼休憩ですが……」
「じゃあ、一緒に昼食にしよう」
「は、はい……」
特に断る理由もなかったので、メーテルは頷いた。
侍女たちは休憩室で昼食を取ることが多い。
だが、ハインリーの侍女たちの休憩室は小さなサロンと化しており、いつも優雅な昼食会が開かれており、とてもメーテルが入り込める余地はない。
なので、普段は従業員用の食堂へ出向いたり、部屋からパンなどを持ってきて外で食べたりする。
この日は前者のつもりだった。
「食事はこちらで用意している。エマが二人分の弁当を用意してくれたんだ」
そういえば、彼は手にバスケットを持っている。
「まあ……」
食堂で一人で過ごすのには飽きてきていたので、魅力的な提案だった。
エマは器用な侍女だったので、料理も上手そうである。
「すぐ戻りますので、アルシオさんはそこにいてくださいね」
メーテルは素早い動きでシュババババッと書類を運び、すぐに渡り廊下へと戻ってくる。
故郷ではずっと鍛えていたので、足はかなり速いのだ。
「もう終わったのか……?」
制服の裾を翻して戻ってきたメーテルに、驚いた様子でアルシオが告げる。
「はい」
二人並んで、庭の木陰に腰掛ける。
天気もよく外出日和だ。
アルシオがバスケットを開くと、中には各種サンドウィッチが並んでいる。
「美味しそうです……」
メーテルは目を輝かせた。
「いただきます」
それぞれ、サンドウィッチを手に取って食べ始める。
「むぐむぐ、美味しいです」
「それはよかった、エマは料理が趣味らしいんだ。いろいろ作ってくれるのだが、食べるのはいつも俺とセバスチャンくらいだったから……」
「……セバスチャン?」
「離宮にいた騎士だ」
「ああ……あの方は、セバスチャンと仰るのですね」
アルシオ自身、難しい立場だ。
気軽に誰とでも食事できるわけではないのだろう。
「昨日は遅くなってしまった。仕事に支障はないか?」
「はい、いつもどおりですよ。こちらでのお仕事は平和ですので」
素直な感想を伝えたに過ぎないけれど、アルシオは「王宮勤めが平和!?」と、首を傾げている。
「ああ、そういえばメーテルは、イレイネス出身だったな。向こうでの生活は、そんなに過酷なのか?」
「イレイネスの生活というか……毒獣が多い場所柄、私のお仕事が忙しくて。主もろとも、いっつも最前線に突っ込まれていましたので」
「はぁ!? ……おい待て。お前の前職はなんだ? 主って……!?」
「騎士っぽいお仕事です。直属の主は辺境伯家の七男の……」
兄たちは全員騎士になっているが、メーテルは女なので爵位をもらえないのだった。
しかし、仕事内容は似たようなものなので、正確には「騎士っぽいお仕事」になる。
「主なお仕事は、毒獣退治です」
「毒獣だと? お前、騎士の家の令嬢じゃなかったのか?」
「父も兄も騎士ですけど、生活は平民と変わらない感じですので。私も見ての通り、ご令嬢という感じではないですね。母も祖父母の経営する食堂で働いていましたし」
「なんで、毒獣を退治できるような人材が、王宮で侍女なんてしているんだ? 俺としては助かるが……」
「ちょっと怪我をしたので、侍女をしながら療養しています。王都で見聞を広め、花嫁修業もしようと思いまして」
「王宮は保養地じゃない」
アルシオは呆れた表情を浮かべて言った。
「ここで療養ってなんだよ、魑魅魍魎の巣窟だぞ? しかも、妃や王子たちは権力争いのまっ只中だ」
「私のお仕事は、お掃除がメインなので安全ですよ。関わる王族も、ハインリー様とアルシオさんくらいです」
「昨日も、刺客を掃除していたな」
「あっちはボランティアです」
「…………」
まだもの言いたげな表情を浮かべていたが、アルシオはひとまず黙り込んだ。
「アルシオさんは、いつもは離宮にいらっしゃるのですか?」
「いや、こっちの格好で出歩いてる。引きこもっていては、何も情報が得られないからな。男の格好で堂々と出歩けるから、この格好は気に入っているんだ」
「わかります。私もフリフリの制服で生活できるのは嬉しいですので」
いつもいつも、男物の服ばかり着せられていた。
家も裕福ではなかったので贅沢も言えず、黙って与えられた服を身につけていた。
自分さえ我慢すればいいのだと、それで上手くいくのだと言い聞かせてきた。
(毒獣退治のお仕事中はフリフリした服なんて、とても着られなかったですし?)
仕事着は、動きやすさ重視の騎士服だった。
もちろん、男性陣と同じデザインだ。
そういう服装が好きな女性もいるけれどメーテルは違う。
似合う似合わないはさておき、可愛いものが大好きなのだ。
「アルシオさんは、だくさん我慢をなさってきた方なのですね」
「ん? ああ……生き延びるために、仕方ないことだ」
だが、王宮という場所で、危険と隣り合わせで……メーテルよりも苦しい思いをしているだろう。
「あなたの努力が報われるよう、私に少しでも、アルシオさんが自由に生きるためのお手伝いができればいいのですが……」
告げると、アルシオは僅かに動揺した様子を見せた。
赤い顔で、慌てて話題を変える。
「そ、その、メーテルは制服が好きなのか?」
「はい、フリルがたくさん付いていて可愛いので。毎日気分が上がります」
「そうか……っていうか、療養って、お前どこか体が悪いのか?」
「毒獣の毒が目に入ってしまって視力が戻らないんです。でも、日常生活に支障はありませんよ。王宮へ来たのも、向こうにいる主――幼なじみが心配して気を回してくださっただけですので」
「……お前の眼鏡は、それが原因か」
「はい。失明は免れましたが近視になってしまったんです」
「それは、回復するのか?」
「わかりません。ですが、先ほども言ったように日常生活は眼鏡があれば送れます。眼鏡を取っても、ぼやけますが見えはしますので大体において問題ありません。困るのは離れた場所の文字を読むのと、人の顔の判別くらいです。気づかないまま知り合いの前を通ると、無視されたと思われたりしてしまいますから」
「ああ。王宮勤めだと、その辺りは気を遣うな」
「ええ。ですので、ここでは眼鏡は必須なんです。影武者になるときは眼鏡を取るので心配ですけど」
「サポートする。俺が近くでベツィリア王女の騎士として控えるから、お前はこちらの指示に従って動けばいい」
「はい……」
「そういうわけだから、今日から王女として振る舞う練習をするぞ。仕事が終わったら、離宮まで来い」
「練習って? そんなものまで必要なのですか?」
「あのな、王宮にはややこしい作法が山ほどある。そして、高位の者ほどそれに振り回される。王女であるベツィリアも例外じゃない。お前には建国祭までに最低限、そういった動きを覚えてもらう必要があるんだ」
「……考えていた以上に大変そうな役目です」
王女の影武者になる以上、仕方がない。メーテルは渋々頷いた。
「あの、ふと思ったんですけど、建国祭のあと、王女としてのベツィリア様はどうなるんです? 政略結婚とか、いろいろあるのでは……?」
「それは……いずれ、なんとかする」
「どうやって?」
「事故死に見せかけるとか、そういう感じで」
「だったら、もっと前から、そうすればよかったのでは……」
「言うな。いろいろややこしいんだ。王女が死んだとなると詳しく調べられるだろ。一番いいのは城から離れた土地で死んだように見せかけることだが、病弱設定で動いてきたせいで外出しづらい。秘密を知る俺の味方は多くない上に、王女が死んだことで誰も犠牲にしたくないからな」
王女を失った責任を取らされるとか、いろいろあるのだろう。
周りの人のことも考えられる彼は、優しい王族だと思う。
「でも、そろそろ結婚が視野に入ってくるお年頃ですよね。大丈夫なのですか?」
「婚約者はいる。幼い頃に決められた、侯爵家の息子が」
「えっ……」
「だが、ずっと会っていないし、向こうも乗り気ではない。病弱すぎて跡取りを産むことができないとかなんとか言って、婚約を破綻に持っていく予定だ」
なんだか大変そうだ。
「とりあえず、お前は建国祭の心配だけしていればいい」
「はい……私にできることであれば、なんでも言ってくださいね」
食事しながら話していると、午後の仕事の時間が近づいてきた。
「そろそろ時間か」
「はい、午後からは執務室周りのお掃除をする予定です。終わったら伺いますね」
「感謝する。それじゃあな」
空になったバスケットを片付けると、アルシオはそれを持って立ち上がる。
そうして、離宮の方向へと去って行った。




