5:身代わりになってほしいと言われました
メーテルはぽかんと口を開け、その場に突っ立っていた。
目の前の騎士に言われた言葉に衝撃を受けていたからだ。
(さっきの衛兵隊長さんが、この人はベツィリア王女の騎士だと言っていましたけど……)
ベツィリア・ダハタリウムは、この国の第一王女だ。
とても美人だが、体が弱く、離宮で引きこもって過ごしているという。
公式行事にはもちろん顔を出さないし、普段王宮で見かけることもない。
(……謎に満ちた王女様なんですよね)
メーテルもお目にかかったことはない。
「王女様の影武者……とは……?」
「詳しくは、場所を変えて話す」
「え、ちょっと……あの……」
騎士は強引に、モップを持っていないほうのメーテルの腕を掴み、ベツィリアの離宮がある方向へ歩を進める。
メーテルは焦った。王宮のややこしい裏事情を知るのはリスクが高い。
(がっつり巻き込まれるし、場合によっては口封じされると聞いたこともあります。成り上がり騎士の娘なんて、すぐに消されてしまいます……!)
王子や王女の全てが、ハインリーのような人格者ではない。
むしろ、その真逆のような人物もいると聞いている。
ベツィリア王女がそのどちらなのか、メーテルには判断が付かなかった。
「待ってください。わ、私、まだ引き受けると言ったわけでは……」
「悪いようにはしない。お前の身体能力……そして外見を見込んで頼みたいんだ」
「……身体、能力? 外見?」
「ああ、俺と髪色が同じだ。それに、さっき刺客を全滅させただろう」
「な、なんのことだか」
「とぼけても無駄だ。全て見ていた。お前、あの現場のすぐ近くに俺がいたことを不自然に思わなかったのか?」
「…………」
モップで刺客を殴り倒した現場を見られていたのなら、もう言い逃れはできない。
「あの、できれば内緒にしてほしいんです。これはボランティアで……自主的にしていることですから」
「……自主的に? 侍女が、刺客退治を?」
明らかに怪しまれている。
王族付きの侍女は貴族や準貴族の令嬢がなるもので、普通のご令嬢は刺客の撃退などしない。
メーテルはますます焦った。
「ええと、その」
「詳しくは聞かないでおいてやるから、とりあえず来い」
そう言って、騎士は強引にメーテルの手を掴むと、目的地へ引っ張っていった。
庭を抜け、手入れされていない小道を進んでいくと、古びた石造りの離宮が見えてくる。
立ち入るのは初めての場所だ。
離宮は王女の住居にしては小さめの、素朴な二階建ての建物だった。
明かりに照らされた壁の石の間には、苔や草花が張り付いて生えている。
「お、お邪魔します?」
これまた年季の入っていそうな分厚い木の扉を開けると、小さめの玄関ホールが現れる。
騎士はメーテルの手を離さず、そのまま廊下を歩き、近くの一室に入った。
温かみのある橙色と茶色の混じった絨毯の敷かれた部屋の奥で、暖炉の火がパチパチと燃えている。
手前にはテーブルセットが置かれていた。
(王女様の離宮、外も中も素朴ですね)
メーテルとしては実家を思い出して過ごしやすいが、王女の住居っぽくない印象だ。
(ここに住むベツィリア王女様は、どんな方なのでしょう……?)
ちょっと気になってくる。
「ここへ……」
騎士に促され、メーテルは椅子に腰掛ける。
向かいに座った騎士が机の上に置かれたベルを鳴らすと、ベツィリア付きと思われる侍女と騎士が一人ずつ部屋に入ってきた。
騎士はメーテルの父親ほどの年齢だ。
しかし、無精髭伸ばし放題の野性味溢れる父とは違い、こちらは上品でダンディーな雰囲気である。
オールバックの茶色の髪はきちんと整えられており、細めの四角い眼鏡をかけている。
騎士というより、官僚にいそうなタイプだ。
(眼鏡……親近感が湧きます……)
侍女のほうは、メーテルの一番上の兄くらいの年齢だった。
年齢はおそらく二十台半ば。
ほっそりとした体型で、騎士と同じ茶色の髪を上品なシニヨンで一つにまとめている。
(お仕事ができそうなオーラがあります……)
ベツィリアの侍女の制服の色は茶色のようだ。
王女は外には出ないので、メーテルはその色を初めて目にした。
彼らは最初の騎士の後ろへ移動し、並んで静かに控える。
(これから、何が始まるというのでしょう?)
訳がわからない状態に、メーテルの緊張感が自然と増した。
「怯える必要はない。先ほど言っていた事情を説明するだけだ……お前、名前は?」
問われたメーテルは慌てて名乗る。
「わ、私はメーテル・オールリンクスです。第一王子ハインリー様の侍女をしています」
一つ頷くと、騎士も自己紹介を始めた。
「俺はアルシオ・テスカベリア。しかし、それは騎士としての偽りの名前だ。本名は、ベツィリア・ダハタリウムという……」
「ベツィリア……? どういうことです? それはたしか、第一王女様のお名前では?」
「そうだ。俺こそが、そのベツィリア王女なんだ」
意味がわからないメーテルは、無言のまま、その場でぽかんと口を開けた。
(……? この方は、何を言っているのでしょう)
アルシオと名乗った青年は、どこからどう見ても普通に男性だ。
なのに、自分を王女だと言っている。
「ええと?」
どう反応していいか迷っていると、アルシオが言葉を付け足す。
「順を追って説明する」
そうして、彼は真剣な表情で話し始めた。




