3:眼鏡が吹っ飛びました
その夜、メーテルは遅くまで仕事で居残っていた。
ハインリーも自室に戻り、先輩侍女たちもそれぞれ王都の屋敷に帰っている。
(静かですね)
メーテルは無人の図書室の窓から、月明かりに照らされた薄暗い王宮の庭を眺めた。
「一人、二人、三人……ゆっくりと、第一王子の寝室がある棟へ向かっています……」
掃除は全て終わったが、まだやることがある。
侍女のお仕着せのまま片手にモップを持ったメーテルは、一旦図書室の施錠を済ませ、廊下側の窓からふわりと庭へ飛び降りた。
そうして駆け足で芝生の庭を進み、人の気配がある場所へ飛び出す。
「あなた、ハインリー様を狙う刺客ですね? 先ほどから怪しい動きをしておられました」
「なっ……!? いつの間に……!?」
そこにいた人物はハッとメーテルを振り返り、警戒する素振りを見せた。
男の声だ。
「なんだお前は? 第一王子の侍女か……?」
「見ての通り、そうです」
この国では侍女のお仕着せというものが存在している。
フリフリ、ヒラヒラした白と黒の可愛い制服だ。
色によって、どの王族の侍女かが一目でわかるようになっている。
メーテルの着ている組み合わせは、ハインリーに仕える侍女の色だった。
他の王族に仕える侍女の制服では、深緑色、臙脂色、紺色などもある。
「侍女の制服について知っているとは、王宮の事情にお詳しい方のようですね。さすが刺客です」
怪しげな男は、懐から銀色に光る短刀を取り出し、その切っ先をメーテルへ向けた。
「見られたからには仕方がない、消えてもらう。ここにいるのがハインリー王子への刺客だとわかっていながら、迂闊に話しかけた自分を恨むんだな」
男は右手で大きく短刀を横薙ぎに切り払う。
「うおらぁーっ!!」
しかし、メーテルは軽く後ろに飛び退いてそれを避けた。
「……遅いです」
そうして、持ってきたモップの柄で、ドンと男のみぞおちを突いた。
「ぐっ!?」
さらにモップを上に掲げ、勢いよく男の脳天に振り下ろす。
「ダハァッ!」
苦しげな声を上げた男は、ドサリと芝生の上に倒れて気を失った。
「一人目、完了です。あとで衛兵さんか騎士さんに報告しなければ」
仲間の大きな声に気づいたのだろうか。
残りの二人の刺客も、メーテルのほうへ駆けてきた。
「おのれ、王宮の手の者か!」
一人に問われ、メーテルは、その場でしばし考える。
侍女は一応、王宮の働き手である。なので、頷くことにする。
「はい、そうです」
「そうか、侍女のふりをした専属護衛か何かなんだな。どうりで強いはずだ。だが、相手が悪かったな。ここでくたばれ!」
何かとお喋りな刺客である。
先ほどの男と同じような短剣を両手に持ち、今度は二人同時に飛びかかってきた。
だが、メーテルの敵ではない。
「……やっぱり、遅いです」
モップを大きく振りかぶり、横から二人をめがけてスイングする。
「ベフォッ!」
「ゲフッ!」
刺客たちは、揃って吹っ飛ばされ、近くに生えていた木に一人目が衝突したあと、もう一人がその人物にぶつかった。
衝突した衝撃で、二人は揃ってずるずると地面にずり落ちる。
「念のため、気絶してください」
メーテルは再びモップを振り上げると、ダメージを受けて動けない彼らの脳天に向かって一回ずつ、ガンッ、ゴンッと叩きつけた。
全ては尊敬する主のためだ。
「ふぅ、辺境の毒獣のほうが何十倍も手強いですね」
気絶した刺客たちはもう、誰一人として動かない。
「今日も淑女らしからぬ行いをしてしまいました。侍女になったら上品に振る舞おうと思っていたのに……ですが、今回はハインリー様のためなので仕方がありません」
男たちを一カ所にまとめたメーテルは、キョロキョロと辺りを見回す。
「……衛兵さんか騎士さんへの報告と、運んでくれる人を呼びに行きましょう」
誰も侍女のメーテルがやっつけたとは思わないので、怪しい人たちが庭にいたと報告すればいいだけだ。
(それにしても、ハインリー様に向けた刺客は多いですね。これでもう五件目です)
今日の刺客はいかにもな見た目なので、素直に報告すればすぐにご用となるだろう。
(さて、さっさと知らせに……)
メーテルはモップを持ったまま駆け足で人を呼びに行こうとし、足元の石に躓いて盛大にすっ転んだ。
その拍子に……眼鏡が、吹っ飛んだ。




