17:モサモサ眼鏡は信頼されているようです
建国祭の前日、メーテルは変わらず、第一王子ハインリーの執務室の掃除をしていた。
今は箒で床を掃いている。
侍女の日常は、いつもと変わらない。
他の侍女が仕事をせず、ハインリーの執務机に群がっているのもいつもと変わらない。
侍女たちは彼の仕事机の周りを囲んで、何やら必死に話しかけていた。
「ねえ、ハインリー様。わたくし、今日は化粧を変えてみましたの」
「ええ、侍女長。今日もお美しいですね」
「きゃあっ、光栄ですわぁ!」
侍女長は頬を染め、少女のようにはしゃぐ。
「ハインリー様、わ、わたくしは髪型を変えてみたんですの!」
「気付いておりましたよ。とてもお似合いかと」
「はうっ! 何という破壊力……! 今日は人生最良の日ですわ……」
別の侍女も額を抑えて、くらくらとその場にしゃがみ込んだ。
黙々と、何枚もある書類にサインをしながら、侍女たちの相手もこなすハインリーはとても器用な人だ。
(ハインリー様、人気ですねえ)
メーテルはそっと彼らの様子を窺い、次の掃除場所であるハインリー専用の図書室へと移動する。
なんせ、掃除係は一人なので、回る場所はたくさんあるのだ。
(ハインリー様の執務室、彼の図書室、廊下、倉庫……)
ちょこまかと、あちこちを動き回る。
することがたくさんあるのは、メーテルにとっていいことだった。
(故郷のイレイネスでのことについて、あまり考えずに済みますから)
やはりまだ、心の整理はつかない。
ここにいられる半年から一年が過ぎたあとで、果たして自分はどんな顔をして故郷へ戻ればいいのだろう。
(いずれにせよ、父の部下の誰かに嫁がされるのでしょうけれど)
それを考えると、どういうわけか気が滅入った。
父親から役立たずとして扱われた身だが、ここでなら侍女として役に立てる。
「メーテル、今後のことなんだけど、僕個人の部屋の掃除もお願いできるかな」
「えっ……というと、ハインリー様のプライベートなお部屋ということです?」
「まあそうだね。先日、部屋の掃除を担当していた侍女に寝込みを襲われそうになったんだ。そういうのはちょっとね……。だから、信用のおける人に掃除を頼みたい」
個人の部屋でも、ハインリーは様々な意味で狙われて落ち着けないようだ。
(お気の毒です……)
メーテルは彼に同情した。同時に、自分が信頼されていると言われて嬉しく思う。
できればハインリーの力になりたい。
自室への出入りを許されれば、彼をもっと守ることができる。
けれど……。
「……先輩方を差し置いて、私ごときがハインリー様のプライベートなお部屋へ行ってもいいのでしょうか」
「碌に掃除してくれない人を呼んでもね。あと、今回の二の舞になりそうだ」
「確かに」
否定したいができない。
他の侍女たちは虎視眈々とハインリーの伴侶になる隙を窺っている。
今のところ、侍女長がやや優勢だ。身分で他の女性を圧倒している。
しかし、表には出さないが他の侍女も、侍女長を出し抜いてハインリーに気に入られようと、こっそり自分をアピールしに動いていることは多い。
(話しかけたり、差し入れをしたり、散歩に誘ったり、転んだフリをしてしなだれかかったり……)
いつも間近で見ているメーテルは知っている。先輩侍女たちは策士なのだと。
「心配しなくても、他の侍女には事情を説明しておく。彼女たちがやりたがらない重労働をしてもらう人が必要だって」
「重労働、ですか?」
「ただの方便だよ。実際の仕事は今と同じだから心配しないで」
「そうですか。もちろん、きれいにお掃除させていただきます」
ハインリーに頼まれれば断るという選択肢はない。
普通の掃除から、危険人物の掃除まで、しっかり綺麗にするつもりだ。
「明日は建国祭だから、明後日からお願いするね」
「は、はい! おまかせ下さい。建国祭、楽しみです」
「うーん……。街はお祭り状態で盛り上がっているね。僕ら王族は、一日中大変だけど」
「確かに」
「当日は何が起こるかわからないから、気を抜けないよね」
「そうかもしれません」
ハインリーの場合は特に、命を狙われる機会が多い。
建国祭に乗じて、何か仕掛けてくる人がいないとは限らなかった。
(私が完璧にお守りしたい……のですが)
それは難しい。メーテルはメーテルで、やることがある。
アルシオに代わって、ベツィリア王女を演じなければならない。
(でも、ハインリー様の安全は建国祭の間も気にかけておきましょう)
ハインリーとベツィリアはどちらも王族。
建国祭の最中も、同じような場所にいることが多いはずだ。
(それにしても気の毒です。いつでも狙われてしまうなんて……)
彼は全ての王子の中で一番頑張って仕事をしていると思う。
なのに、そんな人だから、次の王位に近いからと狙われてしまう。
(王宮とは困った場所ですね)
メーテルは彼の励まし方がわからず、かといって適当な気休めも言えず、箒を持ったままただ立ち尽くす。
「あの、ハインリー様。どうかご無事で」
「心配してくれるの?」
「もちろんです」
断言すると、ハインリーはくすくすと笑った。
(本心から言っているんですけど)
普通に、笑っていられない事態だと思う。
「ありがとう、メーテル。なんとか建国祭を乗り切れそうだよ」
冗談なのか本気なのか、いまいち読めないけれど、ハインリーは楽しそうに微笑んだ。




