13:投げられた眼鏡(アルシオ視点)
影武者になったメーテルに、ベツィリア王女として動くための基本を教え込むようになって数日後。
アルシオは騎士のフリをしながら王宮内の情報を収集していた。
訓練場に顔を出し、他の王子の騎士と交流し、とりあえず動き回っている。
(それにしても、メーテルには驚かされてばかりだ)
王宮で必要なマナーも(何故か男性向けのものだったが)完璧に覚えているし、動きにそつがない。覚えもいい。
これなら、もともとの動きを女性っぽく整えていくくらいで済むだろう。
(本人は無自覚だが、これは辺境伯家の七男に、相当大事にされてるんじゃないか?)
そんな気がする。
大体メーテルは、ベツィリアとして完璧な女装を頑張ってきたアルシオが認めるくらいの美人だ。
普段は瓶底眼鏡でわかりにくいが、よく見れば判別できる。
そんな年頃の女性が、浮いた話の一つもなく、聞いた話では婚約者もいない。
花嫁修業という名目はあるものの、かなり遠い地から単身で王宮に来ている。
(謎だ……)
彼女は何者なのか。過去に何があったのか。
ただ影武者を頼んだだけの間柄だが、彼女の共感の言葉に救われた自分がいる。
メーテルはアルシオが自由になれるようにと言ってくれた。
(どうしてしまったんだろう、俺は……)
この王宮の中、久々に部下以外で話しやすい、気を許せそうな相手が見つかったからだろうか。
何故かメーテルのことが気になった。
※
ふと、前を見ると渡り廊下の向こうにメーテルが見えた。
ハインリーの侍女たちと何やら揉めている様子だ。
というか、三人の侍女に一方的に詰め寄られている。
何があったのだろうか。
(メーテル、大丈夫か?)
気になってそちらへ足を向ける。
一人の侍女がメーテルの眼鏡を奪い、もう一人の侍女が同時に彼女を突き飛ばす。
メーテルは芝生の庭の上に転んだ。
眼鏡を奪った侍女は、それを庭のほうへと大きく投げる。
軌道を描いて宙を舞う眼鏡を追いかけ、アルシオは慌ててそれを受け止めた。
理由はわからないが、なんだか、ものすごくモヤモヤする。
新人をいびる侍女たちにも、やられっぱなしのメーテルにもだ。
「何をしている!」
侍女たちのほうへ向き直り、ずかずかと近づいていく。
「なによ、騎士風情が偉そうに! わたくしを、どこの家の者だと思っているの?」
「そうよ……って、あら、なかなかいい男。その紋章、ベツィリア様のところの騎士ね?」
侍女が服の色で判別できるように、騎士も紋章の色や形で所属を判別できるようになっていた。
「ねえ、私が口利きして、ハインリー様の護衛に推薦してあげましょうか? ベツィリア様は王女だし、病弱で落ち目でしょう?」
「…………」
周囲のベツィリアへの認識は理解している。
侍女の言葉が、王宮での実際のベツィリアの立ち位置なのだ。
「所属なんてどうでもいいが、今のやりとりをハインリー様に報告してもいいのか? 新人をいびった上に、許可なく余所の騎士を勧誘したと……」
「……!」
一番効果があるであろう言葉を選んで言い放つと、さすがに決まりが悪くなったのか、侍女たちはきびすを返して逃げていった。
「付き人があれでは、兄上も苦労するな……」
言い捨て、メーテルに歩み寄る。
「おい、立てるか?」
「はひぃ~……」
手を貸してやると、よたよたと起き上がるメーテル。
「ほら、眼鏡だ」
「ありがとうございます~」
メーテルは眼鏡を受け取ったまま、アルシオと話し始める。
辺りには誰もいない。
すぐ突き飛ばされたため、侍女に眼鏡の下は見られていないのはホッとした。
「なんで、やり返さない? お前なら、あんな侍女たちなんて軽く伸せるはずだ」
問うと、メーテルは不思議そうに首を傾げながら告げた。
「だって、それでは弱い者いじめになってしまいますから。相手は守るべきご令嬢ですよ?」
騎士教育の賜物だろう。
どんな酷い性格であれ、メーテルから見れば、彼女たちはとてもか弱い存在に見えるのかもしれない。
「無力なご令嬢をなぶるのは趣味ではありません。あと、侍女をクビになるのも困ります」
メーテルは至極真面目な顔で告げた。
「……それで、なんであんなことになっているんだ。兄上のところで、いじめられているのか?」
「いいえ、そんな。今回はたまたまというか……数日前、ハインリー様と二人で過ごしていたのがバレてしまって。皆さん、ハインリー様の妻の座を狙っていますから怒ったのだと思います」
「なんだ、それ?」
「私はお仕事で一緒にいただけなんですけど。掃除と荷物の開封とか……」
そのときの状況を、かいつまんで説明するメーテル。
しかし、話を聞けば聞くほど、アルシオは腹が立ってきた。
「それ、完全に言いがかりじゃないか。そもそも、発端は侍女たちが仕事をさぼって、街で茶をしばいていたせいだろう?」
「まあまあ、アルシオさん。落ち着いてください」
「お前は落ち着きすぎだ。まったく、兄上はどうして、こんな状況を放置しているんだ」
「ハインリー様はお仕事中ですので、気づいておられません。それにもあの方も大変なんですよ。先輩たちの親御さんは、王宮で影響力のある、お偉いさんたちですので」
どうしてだろう。
メーテルのハインリーを庇う発言を聞き、ますますモヤモヤしてくる。
そのくらい、目の前の侍女に自分が気を許しているということなのかもしれない。
「その、なんだ。兄上のところに居づらくなったら、ベツィリアの侍女として、いつでも雇ってやる」
ハインリーは、メーテルをただの新人侍女として置いているだけだ。
騎士の娘である彼女のことは、親に力のある、身分の高い侍女のようには扱っていないだろう。
(俺だったら……もっと大事に……)
しかし、メーテルは首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
しばらくメーテルと話していると、颯爽とした足音が近づいてきた。
建物の奥からハインリーが歩いてくる。
(兄上……?)
アルシオは慌ててメーテルから眼鏡を奪い、彼女の顔にかけた。
間一髪、メーテルの素顔は見られずに済んだ。
ハインリーはアルシオたちのほうへ近づいてくる。
「メーテル、大丈夫かい? さっき、侍女たちが君のことを話しているのを聞いて……一人だけ戻ってこないから、心配になって探しに来たんだ」
なんと、彼はメーテルの様子を見に渡り廊下を訪れたようだ。
(第一王子が、わざわざ下っ端侍女のために動くか普通……?)
不思議に思いながらも、アルシオはハインリーのほうへ一歩踏み出す。
メーテルが口を開くより先に、言葉を挟んだ。
「彼女、侍女たちにいびられていましたよ。眼鏡を投げられて、突き飛ばされていました」
メーテルは、アルシオの言葉にオロオロしている。隠し通すつもりだったみたいだ。
だが、主である以上、身近な侍女の問題は把握しておくべきである。
「……ベツィリア様がメーテルを気に入っています。そちらで不要でしたら、ぜひ我々のほうで引き取りたいのですが?」
後ろで、メーテルが「やめて」とジェスチャーで訴えている。
しかし、アルシオは意見を撤回する気はなかった。
メーテルが理不尽な理由で酷い扱いを受けるのは我慢ならない。
(短い付き合いだが、こいつはわりといい奴だ。こんな仕打ちを受けるべきじゃない)
ハインリーは黙ってアルシオの訴えを聞いていたが、ややあって口を開く。
「その提案は受け入れられない。メーテルは僕の大事な侍女だよ」
「あんな扱いをしておいて、よく言う。今日のようなことが、また会ったらどうするつもりですか。メーテルは大丈夫だと言うが、俺は友人として放っておけない」
すると、ハインリーは薄らと微笑んだ。
「……その件なら、ここへ来るまでに手を打ったよ。先ほど戻ってきた侍女たちは、近いうちに仕事を辞めることになる。少々手間取ったけど余罪もあったし、敢えて処罰しないことで親のほうに却って恩を着せられた」
「…………」
「これで満足かな? 心配しなくても、先ほどの侍女が職場に戻ることはない」
こういうところだ、涼しい顔をしてあっさり今のような発言をする。
だから彼は油断ならない。
メーテルの言うような、優しいだけの聖人君子では決してないのだ。
「それで、ベツィリアは元気なのかな? 建国祭に出ると聞いているのだけれど」
唐突にハインリーが問いかけてくる。アルシオは少し考えてから答えた。
「相変わらずだが、今は少し容体が落ち着いている。医者も建国祭の参加だけなら、なんとか大丈夫だろうという見立てだった」
「会えるのは何年ぶりだろうね」
ハインリーは一応、妹思いの兄である。少なくとも表面的には。
忙しいこともあり、直接離宮まで顔は出さないが、他の王子たちとは違って定期的に贈り物が来る。
「メーテルはあげられないけど、普通に会う分には口は出さないよ」
どれだけ下っ端であろうと、ハインリーにメーテルを手放すつもりはないらしい。
(俺にもっと力があれば、何かが変わるのだろうか)
わからない。
ただ、あらゆる意味でハインリーの足元にも及ばない今の自分に猛烈な情けなさを感じる。
「さて、そろそろ行こうか。メーテル」
「は、はい」
呼ばれて、メーテルは慌てて返事をする。
そうして、ハインリーのところへ歩み寄ると、アルシオに向けて告げた。
「アルシオさん、助けていただきありがとうございました。ベツィリア様にもよろしくお伝えください」
アルシオの設定に乗っかってくれるらしい。
しかし、これで、メーテルが離宮へ行き来できる正当な理由ができた。
(建国祭までの間だが)
少しだけ、彼女と別れがたく感じてしまっている自分がいた。




