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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄したい令嬢と王子

作者: 鷹司


 ああ、婚約破棄したい。


「ローズ、久しぶりだね。社交界では上手くやっていけているかな」


 優雅な笑みとともに美しい花束を差し出すわたくしの婚約者は、非の打ち所のない王子様です。顔立ちも、能力も、性格も。


 金髪碧眼のThe・王子様。

 これが王族か、と敗北感すら感じるほどの美しさ。

 教養深く、内政にも外交にも貴族社会にも明るい。

 上品で穏やかで、隣にいると独特の心地よさがある。


 けれども、全然ダメなのです。なぜって、愛がないから。


 わたくしは今をときめく公爵家の令嬢で、政略結婚で王子と婚約しましたの。そうして幼い頃から一緒にいて、つくづく感じました。


 ああ、愛がない。わたくしにも、王子にも、愛がない。ときめきがない。


 別に嫌っているわけではありません。こんな事を言っていてなんですけれども、王子は誰からも好かれるとても良い人間です。隣にいて心地良い、というのは、先ほども言いましたわね。


 ただ、気が合いませんの。


 政略結婚が当たり前の公爵家の令嬢が、愛だの恋だの言っていることから分かるように、わたくしはややロマンチストなところがありますの。


 わたくしの父は、運の良さと実力とで今日の地位を築きました。結婚したのは若い頃ですので、お母様とは恋愛結婚。年が離れたわたくしの兄も恋愛結婚いたしました。


 そんなわけでわたくしは、幼い頃から恋だとか、愛だとか、そういうものに憧れて育ちましたの。だから今でもわたくしの理想は、お兄様からの愛に包まれて、愛の幸福に微笑むお義姉さまなのです。


 けれども、わたくしは愛を得られていない。だから、婚約破棄をしたい。


 そもそもわたくしは、伝説となった建国の王、また今日の繁栄を築いた英雄王、ああいうガッツのある男性が好みですの。


 ところが、建国から幾百年、国の安定した今となっては、もはや王に武力や豪快さは求められてはいません。


 だから王子ときたら、真っ白で、優美な痩せ型で、線の細い繊細な顔立ちで、剣など握ったこともなさそうな綺麗な手で、音楽や絵を嗜んでゆったりニコニコと微笑んでいるのです。


 ああ、できることなら戦乱の時代に生まれたかった。そうして、不安な中でも好みとバッチリ合う素敵な男性に守られて、支えて、愛ある家庭を築きたかった。


 王子の育った家庭はあまり幸せなものではありませんし、何よりわたくしたちには愛がない。


 たぶん、王子はまだ、恋なんてしたことがないのでしょう。わたくしだって、もちろん永遠の推しの建国の王とか英雄王とか、そういう人はいますけれど、恋をした経験はありません。


 幼い頃に結婚して、もう十年以上。今さら恋が芽生えるなんて、そんなことはないでしょう。


 ああ、婚約破棄したい。


 愛がないのに無理にほほ笑み、贈り物を差し出し、何とか守ろうと気を張る。


 そんな幼馴染を見るのは、もう嫌ですわ。














 あー、婚約破棄したい。でもできない。


 私は美しい婚約者を見つめて微笑みながら、心の中で大きくため息をついた。


 一体何のために、私はこんなにも気を張って、伝える相手にないと知られている愛を囁きながら疲れ続けているのか。


 誰も理解しようとはしないだろう。国一番の美女、しかも国一番の権力者の娘の手を、もう少しで国そのものを手に入れる私が振り払いたがっているなど。


「殿下、とてもおいしいクッキーですわ」


 長い睫毛をはためかせ、ローズがこちらを見た。


 ローズ・グレート。私の婚約者の実家であるグレート公爵家は、代々王を支え、またある意味で国を牛耳ってきた、この国になくてはならない貴族家だ。


 派手な顔立ちに、美しい銀の髪、深緑の瞳。社交界の華とも呼ばれるローズは、いつか王妃になる者の定めとして、あらゆる芸術に通じ、社交術に通じ、またある程度国政にも通じている。


 非の打ち所のない女性だ。国中の若い男が彼女に憧れている。


 たった一人、若い男の頂点に立つ、私だけを除いて。


 周囲の目を盗んで目を閉じる。思い浮かぶのは、初めて会った日の彼女の瞳の輝きだ。





 あの日、まだ十歳だった私は、急速に王位継承候補として浮上し、母の手腕で皇太子に内定していた。


 そうして、とうとうグレート公爵が重い腰を上げ、母に娘を私と婚約させると約束した。


 その一ヶ月ほど後、私たちは正式に婚約者となり、対面した。あの頃はまだ、いたいけな少年と少女として。


「殿下、この方を知っています? あ、この方でもいいですわ」


 憧れと期待の籠もった瞳で、その美しい少女は私を見つめた。そっと視線を外し、その手に握られた2つの絵を見る。


 初代国王と、中興の祖と言われる王の肖像画だった。


「ええ、もちろん存じています。建国の王と、英雄王ですね」


 生まれてからずっと仕込まれてきた王族としての所作、声音、口調、表情で、私は少女に応えた。目を合わせることは、なんだか憚られた。私と少女とでは、見ている世界も、住んでいる世界も、あまりに違う。


「わたくし、この二人が大好きですの。殿下、ぜひとも、この二人のような立派な王、素敵な夫になってくださいませ」


 ……それは無理だ。私には、そのような特別な王になれる才能も、カリスマも、気力もない。


 どう答えるのか正解か。背後から突き刺さる母の視線が痛い。


「頷くのも恐れ多い方々だが、ローズの意に添えるよう努力しよう」


 きっと無理だ。そもそも、今の時代には求められていない。今君の背後で相好を崩している君の父親が、何より望まない王の姿だ。


「そのためにも、ローズ嬢、息子をよろしくお願いいたしますわ」


 背後から、母が声をかけた。少女は元気よく頷く。きっと母は笑っているのだろう。母の政敵が、かつては父が、そして私自身が何より恐れる笑顔だ。


 まだ何にも気づいていない美しく無垢な笑顔を、ローズが私に向けた。目をそらして、逃げてしまおうと思った。けれども私は母と公爵の圧に負け、視線を合わせた。


 それが全ての始まりで、また私が全ての過程と結末を受け入れた瞬間でもあった。





 どうしたら自分はこの運命から逃れられるだろうか。


 久しく考えなかった事を、久しぶりに会う幼馴染を見て思い出した。彼女だって、建国の王にも英雄王にもほど遠い自分を求めているはずがないのだから。


 婚約破棄。それが自分と彼女にとって何より良い選択だということは理解している。私だって望んでいる。しかし、できない。誰もそんなことは許さないし、また国を預かる身として、私自身もそれを許容することはできない。何よりも、あの人が許さない。


 "愛を裏切った"夫を見返す、それが私の母の原動力だ。そのためにこそ彼女は走り続け、己の力のみで私を皇太子の座まで押し上げた。


 もはや、私に逃げ道はない。私の代わりはおらず、逃げようとしたって母と公爵が離さない。


 この過程も、いつか疲れ果てた私がローズを置いて目を閉じることも、全て私は受け入れた。


 今私がするのは、耐えること、そして無力を嘆いて目を閉じること、ただそれだけだ。













 ――もう耐えられませんわ!


 わたくしは憤然として廊下を歩いておりました。お父様は分からずや、お母様も分からずや、誰もわたくしと王子の間に愛がないことを理解してくださらない!


「第一、婚約破棄なんて認められないに決まっているだろう」


 お父様ったら、見損ないましてよ!


 わたくしは知りました。お父様とお母様は、わたくしにとってどれほど優しく素晴らしい人であっても、所詮世間から見れば、身分が高く、素晴らしい政治的手腕を持つだけの、俗物に過ぎなかった。


 わたくしは今、久しぶりの王子との対面から生まれた衝動による行動で、ついにその事実を見つめました。そして傷ついています。


 親を否定すること、それは自分自身をも否定すること。


 心の中で泣きながら、それでも訓練されたままの顔は崩さずに、わたくしはその夜のパーティーに向けて動き出しました。


 ともかく、もはやお父様もお母様も信用ならない。ならば、今隣国に留学中のお兄様とお義姉様を頼るしかない。


 今宵は、その隣国の王子とのパーティー。久しぶりに2人に会える夜。


 いくら傷ついていても、わたくしだって己の力で時代を築いた公爵の娘。俯いてばかりでは居られないのです。


 パーティーで、わたくしの婚約者は相変わらず完璧な王子様でした。その彼と踊りながらわたくしは、お兄様とお義姉様に接触する機会を伺っておりました。


 すると、ダンスをしながら二人と近づく機会が巡ってきました。そこでわたくしは、こっそりお兄様の耳元にささやいたのです。


「あとでお庭で話がございます」


 やがて、パーティーが終わりかけると、わたくしは隙を見計らって庭へ向かいました。


 ああ、月明かりに照らされた花のなんと美しいことか。


 すると、月光の貴公子とでもいうべきか、スラリとして背の高い男性が待っておりました。


「お待たせしまして?」

「待ったのは少しだけど、とても長い気がしたよ、素敵なお嬢さん」


 振り返ったのは、お兄様ではありませんでした。けれどもわたくしは逃げることもできず、ただその瞳の中に輝く情熱的な炎の虜になってしまったのです。


 ああ、この感覚、そしてこの表現、まさに幼い頃わたくしが建国の王に出会ったときと、そして英雄王に出会ったときと、まったく同じですわ。


「何の御用ですの?」

「君の兄が、君の手紙の内容を教えてくれたんだ。君は王子と婚約破棄したいんだってね。うわさに聞く美貌の姫だ。この国の王子の代わりに、隣国の王子と踊るのはどうかな」


 ああ、これが恋というものか。なんと心躍る、楽しく素敵なものなのだろう。


 己の魅力を理解している自信満々のその顔が、むしろ憎らしくなり、わたくしは、恋に落ちたわたくしの、本気の表情を見せましたの。


 なぜか自信がありました。今のわたくしは美しい。そして、このもう一人の王子、わたくしの王は、わたくしの虜となるでしょう。


「まあ、ずいぶん好戦的ですわね。この国の王子からわたくしを奪うのでしたら、わたくしの好みにふさわしく、国ごととるような気でいてもらわねば困りますわ」


 夢が叶うかもしれない、それがただただ幸福でした。今のわたくしは、恋に落ち、愛をつかもうとする戦闘者。


 現状を嘆くだけの令嬢から、恋を知った一人の女に、憧れ続けたお義姉様と同じところへ、わたくしは登っていくのですね。


 運命的な恋というものが本当にあることを、わたくしは身を持って知りました。身動きが取れない、けだるい現実の奥底で、諦めきれずに焦がれ続けたあの愛が、あの世界が、今わたくしの眼の前に広がっているのですわ。


 わたくしを縛り付けていた鎖が溶けていくのが感じられました。


「ああ……。君となら、私はどこまででも飛んでいけるだろう。私はこの国から君を奪い取る。君は私に向かって手を伸ばしてくれるか」


 こうして自分を愛してくれる人が現れるというのは、なんと幸福なのでしょう。苦しみや嘆きから解き放たれ、空へ飛んでいくような気持ちでした。


 もちろんですわ、とわたくしは頷きました。その瞬間、まるで追いすがるかのように、あの独特の心地よさが一瞬、わたくしの世界にあらわれたのです。


 救ってやらねば、と思いました。この幸福はわたくしには大きすぎる。分けてあげなければ、と思いました。


 もしかしたら、わたくしとあの人の間には、恋とも愛とも違う、何か独特のつながりがあったのかもしれません。


「そうだわ、一つ、お願いがありますの」















 突如国境を越えた隣国の軍は、あっという間に多くの貴族家を降伏させ、王都にまで迫った。


 現実は、私が受け入れる前に猛威を振るった。国は壊れていき、私が自分とローズを生贄に守ろうとしていたものは、瞬く間に瓦礫となっていった。


「さようなら」


 別れ際、そう言ったローズの瞳は輝いていた。その美しさと強さを、黙って見つめた。抗うこともできず、私はまた現実を受け入れた。


「あなた! あなた! 助けて、あなた!」


 昨日のことを思い出しながら彼女のいなくなった部屋を眺めていたら、途方に暮れたような、されど激しい叫び声が聞こえてきた。


 驚いて向かうと、母が私室で何かを抱きしめて叫んでいた。それが数年前に死んだ父の形見だと私が気づいたころ、母はもう泣いていた。


「あああああ、どうして、どうして! これじゃあ、あなたも私も救われないじゃないの!」


 私はどうしたらいいのか分からなくて、そのままその場から立ち去った。ついぞ私を抱きしめることが無かった母親を、私は抱きしめてやれなかった。


 やがて城が燃えだした。城は私のすべてだった。それが燃えていた。


 言われるがままに火の手から逃げる途中、公爵夫妻の亡骸を見た。どうやら敵との密通を疑われて、味方に殺されてしまったらしい。2人抱きしめ合って死んでいた。


 私を安全なところへと押していく人々の数は、やがて減っていった。人々とはぐれた私は、誰にも逃げろと言われないのでその場に立ち尽くした。


 火はいつの間にか収まっていた。夜もいつの間にか明けていた。


「皇太子殿下か」


 やがて迎えが来た。帝国の兵士に囲まれた男が、私の前にたった。彼が、ローズに惚れ、ローズに惚れられた男か。なるほど、たしかに建国の王や英雄王の肖像画とどことなく似た雰囲気を持っている。


「ええ」


 私は微笑んだ。何も持たない私は、今までずっとそうやってきたままに、王子としてふさわしい所作、声音、口調、表情で、隣国の王子と対話した。


「あなたの国は破れた。妻との約束だ、あなたは生かしておこう。これから、何かしたいことはあるか」


 何を、したいか。


 今まで一度も聞かれなかったことだ。そして、意識的に思わないようにしてきたことだ。


 ああいや、一つだけ、したいと思ってできなかったことがあった。許されなかった、叶わなかった願いがあった。


 私は、婚約破棄をしたかった。


「ふふっ」


 思わず笑いが溢れた。王子らしい笑みだったろう。


「どうかしたのか」

「いや。先ほどの質問だが、私が今までにしたいと願ったことは、もうすべて叶ったよ」


 私は微笑んだまま、隣国の王子の顔を見た。彼は帰ったら、私の話をローズにするだろう。ローズは私の願いが叶ったことを喜ぶだろうか。


「……では、城から出ていただこう。ここはもはやあなたの城ではない」

「ああ、そうだね」


 私はゆっくりと歩き出し、唯一まともに残っていた出口から城を出た。


 城を出た先は丘になっていて、街を、いや、この国を一望することができた。


 燃えたのは城だけで、意外にも町は無事だった。


 歴史を刻む美しい街に、朝の光が降り注いでいる。

 その向こうには青々としたはるかな草原が広がり、遠く、決して手の届かない場所で空をつかんでいる。


 朝露が草の上できらきらと輝いていた。朝を迎え、太陽を頂く空は真っ青に澄んで美しかった。


 さあ、これから何をしよう。私は何がしたいだろう。

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