第94話
夜、街道から少し外れた場所に野営を張り、ルキアとオレで焚き火を囲って座っていた。
サニティアは荷台の上で静かな寝息を立てている。
フォルクヴァングで貰った大きな黒い走鳥も昼行性なので瞼を閉じ足を畳んで眠りについている。
「あの…、ゼノ様?」
「んー?」
「一体いつからでしょうか…?アレ…」
「アレか?」
クリヴァールの穂先で焚き火を突きながら視線を焚き火に向けたまま聞き返す。
「はい…」
「わからねぇ、気付いた時には居たからな」
元ルマロス帝都を目指してオレ達が街を昼頃に出発し、気付いたらそれは居た。
全身に何枚もの色の違う毛布を巻きつけた上から更に外套を羽織った着ぶくれした出で立ちをしている。頭には煙突帽を被っており、顔は仮面を付けていた。
一切肌を見せておらず男か女かすらも定かでは無い。おかしな見た目の奴だったが問題は見た目じゃない。
何と奴は手ぶらだった。
この街道はフォルクヴァングと元ルマロス帝都を結ぶ街道で、走鳥を使っても数日かかる行程だ。
手ぶらで移動する距離では無いし近くに集落も無さそうだ。
何より何度か奴を振り切ってみようとルキアに走鳥を走らせさせてみたのだが、気付いたらまた追い付かれていた。
この時点でサニティアは怖がり始め、ルキアも不気味がっていた。
「気付いたか、ルキア」
「何にでしょう…?」
「奴はオレ達の跡を付けだしてから一度も食事も排泄もしていない、水すら飲んでいない」
「それは…、何度か振り切った際に済ませたのでは…?」
「そうかな?走る走鳥に足で追いつくだけでも大変なのに食事やトイレを済ませる暇なんかあるだろうか?」
「…。」
「ま、どちらにせよ人間じゃないな、アレ」
「こ、怖がらせないでくださいよゼノ様っ!」
「もしかしてルキアは霊体の魔物を怖がるタイプか?あれらは物理が効かないだけのただの魔物の一種だぞ?どうせアレも帽子で角隠した魔族か何かだろ」
「それでも不気味です…」
「まぁ、それは同意するが…」
パチッと爆ぜる焚き火をボーっと眺めているとオレ達が野営を始めてから3時間以上もの間、離れた所で何もせず棒立ちだった奴が唐突にこちらに向かって歩き始めた。
「ゼ、ゼノ様っ!!」
「わかってるよ…」
はぁ、とため息を付きながら立ち上がってクリヴァールの穂先を奴に向けた。
「それ以上近付くな、殺すぞ」
5mほどの距離まで近付いて来ていた奴がオレの警告にその歩みを止めた。
「火」
「火?」
喋った。仮面の下から発された声はくぐもっており老婆の様にも老人の様にも聞こえる。
「寒イ。火ニ、当タラセテクレ」
「はぁ…?」
そんなに着込んでおいてまだ寒いのかと呆れながら、奴を視界に収めたまま『どうする?』とルキアに視線を送ると顔を横にブンブン振っていた。
「悪いな、ツレがお前を怖がってる。それ以上近付かないでくれ」
「…。」
『別に怖がっている訳では…』と隣のルキアが抗議していた。
「寒イ」
「見た所何も持っていないようだが、あんた旅の荷物とか持って無いのか?」
「無イ」
これ、魔族かすら怪しいぞ。それが少し喋ってみた俺の感想だった。
「わかった、薪をお前が用意して来い。そしたら火を点けてやる」
「薪、木ノ事カ?」
「そうだ」
「ワカッタ」
そう言うと男?はこちらに背を向けて離れて行った。
「何なんですかね…、アレ…」
ルキアが不安そうな顔で奴が消えた先を警戒しながらオレに聞いて来るが、俺も知らない。分からない。
「さぁな、人間どころか魔族かすら怪しい。魔物かもしれんな」
数分後、人の足ほど太い薪を十数本抱えた奴が戻って来た。
薪を下から掬い上げる様に抱えたその両手は指のある部分まで布で覆われており、指の数すら分からない。
どうやって両手の上に薪を乗せたのだろう?
「火…、火…」
「わかってる、そこに薪を数本置いて離れてろ」
奴が4本ほど地面に薪を落として10歩ほど離れたのを確認し、オレは奴が地面に残した薪にクリヴァールの切っ先を当てて火を点けてやる。
「オォ…」
「後は自分で薪を足すなりしろ」
「アリガトウ」
「…。」
そう言うと全身もこもこに着ぶくれした怪人はオレが点けてやった燃き火の前に腰を降ろし、抱えていた薪を二本ほど足して火に当たり始めた。
微動だにせず、寝ているのか起きているのかすら分からない。
奴からは呼吸する息遣いすら聞こえて来なかった。
朝、目覚めたサニティアが『ひっ』と小さく悲鳴を上げ、慌てて荷車から降りてオレの背中に抱きついて来た。
「おはよう、サニティア」
「ゼ、ゼゼ、ゼノ様っ!あれ!あれっ!!」
「あぁ」
サニティアが指差す先。
そこには一晩中、一歩たりとも動かずに薪を足し続けた怪人が座っていた。
ルキア達と温かいスープを作り、日持ちするカチカチのパンで朝食を済ませ、広げていた荷物を荷車に積み込んで出発の準備をする。
「おい、お前」
「ナンダ」
一晩中、一言も発さなかった怪人がこちらに仮面のツラを向けた。
「まだオレ達に付いて来る気か?」
「オ前達ハ、何処へ行ク?」
「ルマロスって大きな街だ」
「其処ハ此処ヨリ温カイカ?」
「いや。ルマロスだけじゃない、ここいら一帯はもっと寒くなるだろうな。これから冬だぞ?雪も降るだろう」
「冬…、雪…」
そう呟くと怪人は黙り込んでしまった。
「じゃあな、オレ達は出発する。そんなに寒いのが嫌なら冬という季節が無いルドラにでも向かえ」
「ルドラ…?」
「南だ、大山脈を越えるか海を渡らねばならないけどな」
「山脈…海…」
別について来て欲しい訳でも無いし、世話を焼いてやるつもりも無い。
金も荷物も持ってない上に人間ですら無さそうな奴の相手をこれ以上する気は無かった。
ルキアの駆る走鳥が進み始め、陽が昇ったというのに未だ焚き火の前に座ったままの怪人をその場に残してオレ達は出発した。
「何だったんですかね、アレ」
「さぁな、人間では無い事は確かだが」
オレにも分からない、何だったんだアイツ。
見えなくなるほど小さくなっても怪人は未だ焚き火の前に座ったままだった。
どうやらもう付いて来る気はないらしい。
ほんと、何だったんだ、アレ。
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荷台の上でサニティアと一緒にずっとサボっていた文字の勉強をしながらルマロスを目指す。
ガタゴトと、しかしそれでも以前の荷車より遥かに振動が抑えられている荷台の上で似ている文字の見分け方をサニティアから学んでいると急にルキアが走鳥を止めた。
「どうした、ルキア?」
「前方に人が…」
「あぁ…?」
荷台から乗り出してルキア越しに前方を見ると女が一人、道のど真ん中に立って塞いでいた。
「野盗か」
「野盗ですか?」
「十中八九。身なりも装備も冒険者じゃないな」
「どうします?」
「そのまま少し進め」
「わかりました」
ルキアが少し緊張した声色で返事をし、止めていた走鳥を再び歩かせ始めた。
「止まりなッ!」
くすんだ金髪を後ろで纏めた女が声を張り上げてこちらを制止し、その手のクロスボウを構えた。
ルキアが『どうしますか?』とこちらを振り返って判断を仰いでくる。
「オレが出るよ」
戸惑ってオロオロしているサニティアの肩をポンと一つ叩いて荷台から飛び降りる。
オレもルキアもあんな物怖くも何ともないが、走鳥に当たったら面倒だ。荷車を手で牽いてルマロスを目指すなんて御免である。
「ルキア、こういうのは大体仲間がいる、逃げられない様にな。注意しろ」
走鳥に跨るルキアへ追い越しざまに注意する。
「おや、殊勝だねぇ。自分はいいから姉と母親は見逃してくれってかい?」
「命乞いすりゃ助けてくれんのか?」
「勿論だよ。ほらっ、残りの二人も降りな!!」
「ハッ、どうせ殺す癖に」
挑発すると『へぇ…』と呟いて女の雰囲気が変わった。
「どうせ殺されるなら抵抗したり、必死に逃げたり、命乞いすべきだと思わないかい?」
女の構えるクロスボウの照準がオレへと向けられる。
「この荷車の刻印が何か分かってて襲っているのか?」
「さあね、そんな事知ったこっちゃないよ」
「これはフォルクヴァングを治めるフレイアの紋章だぞ?」
「へぇ!てことは積み荷はルドラの交易品か何かかい!?」
女の声に『当たりを引いた』という喜びが混じる。
馬鹿か、女が子供二人連れてルドラの交易品なんか運ぶかよ。
「違うが。もしそうだとしたら積み荷がルマロスに届かなきゃ問題になるぜ?」
「そん頃にゃアタイ等はルドラを目指して海の上さ」
「等?ははっ、口を滑らせたな?やっぱ仲間がいるのか」
「…。」
ガサガサと枝葉を掻き分ける音が背後からした、少し振り返り視界の端で確認すると荷車の後方に両手剣を担いだ男が現れた。
「ファム、ガキはやりづらいってんなら俺が代わるぞ?」
「舐めんじゃないよ、今殺る所さ」
女が仲間の申し出を蹴ってクロスボウを構え直し、片目で狙いをオレにつける。
「忠告する、やめとけ」
殺すのは造作も無いが、純粋な優しさで警告してやった。
野盗相手とはいえサニティアも目の前で人間が死ぬのは気分が悪いだろう。
「一応理由を聞いておいてあげるよ、どうしてだい?」
「こんな上等の走鳥に荷車、身なりの良い女子供だけの旅、今まで野盗や魔物にオレ達が襲われなかったと思うか?」
「…。」
女が無言でオレ達の後方、両手剣の男に視線を送った後、小さく頷いて視線をこちらへ戻した。
「土壇場でハッタリをかませる度胸は認めてあげる。なかなか良い演技だったわね、ボウヤ」
そして女が引き金を引いた。
クロスボウの引き絞られて張りつめた弦が解放され、鉄の矢が音速に迫るほどの勢いで射出され、女の狙い通りにオレへと真っすぐ飛ぶ。
その吸い込まれるように撃ち出された矢をオレは素手で掴んで止めた。
「な…、止めた…?ベイトッ!!こいつ人間じゃないッ!!!」
「ご名答、だからやめておけと言った」
オレは片手に矢を持ったまま女へと歩き始めた。当然殺すべく、だ。
忠告も無視して先に殺そうとして来たのだ、同情の余地は無い。
慌てた女の野盗が腰の片手剣を引き抜き、オレの頭へと上段から振り下ろす。
オレはその一撃を少しだけ首を傾けそのまま頭で受け止めた。
野盗たちからはアーティファクト『投影鏡環スペキオム』の効果により、ただ白髪で赤目のガキに見えているだろうがオレは魔族だ。
オレの頭には耳の斜め後ろから前へ突き出すように一対の角が生えていた。
オレの角へと叩きつけられた明らかに安物の片手剣が『ギンッ!!』と甲高い音を立て、折れた切っ先がくるくると回って二人の傍に落ちた。
「待てッ!動くなッ!!!」
今まさに、女を素手で殺そうとしていたオレの動きを後方にいた男の声が止めた。
「動けばこの女を殺す!!」
振り返ると両手剣の男がその得物を地面に放り出して短剣を抜き、荷台の上でサニティアの後ろから彼女を羽交い絞めにしてその首に切っ先を当てている。
「サニティア、自分で何とか出来そうか?」
「む、無理無理っ!無理ですっ!申し訳ありませんっ!」
うーん、魔物は殺せるが人はまだ無理か。
「おいガキッ!ファムから離れて両手を頭の後ろに回して跪けッ!!」
「うるせぇ」
オレは手にあったクロスボウの矢を投げナイフの要領で投擲した。
手から放たれた矢は男が反応するよりも早く男の右目に突き刺さる。
「ぐぁあぁぁ…」
男が呻き声を上げよろめいた隙にサニティアが男を振り解き、その瞬間を逃さずにルキアが走鳥の背からベイトと呼ばれた男へ向かって跳躍した。そのまま空中で体を捻って男の胸へと後ろ回しの飛び蹴りを放つ。
ルキアは甘いな、殺してしまえばいいのに。
「よくやった、ルキア」
右目にボルトの矢が突き立ったまま地面を転げ回る男にトドメを刺すつもりで歩き出したオレの足にファムとか呼ばれた女盗賊が縋りつく。
「お願いっ!ベイトを殺さないでおくれっ!!もう諦めるっ!諦めるからっ!!」
「先に殺して奪おうとしたのはそっちだろ。相手が強かったから見逃してくれなんて通用すると思うか?」
オレの足に両手で縋りつく女を先に始末しようかと逡巡する。
「あの、ゼノ様…。見逃してやってはどうでしょうか…?私たちは何も失っておりませんし…」
「甘いなぁサニティア。こいつら多分商人を何人も殺してるぞ?」
「もう誰も殺さない!襲わない!ルドラを目指してるって言ったろ!?元々盗賊は辞めるつもりだったんだ!」
女が必死に嘆願して来るがちっともオレの心は揺れなかった。
「どうせ散々稼いだからもう盗賊やらなくてもよくなっただけじゃねぇのか?」
「…。」
ほらな、んなこったろうと思ったぜ。
ルマロスがクレア王国に負けて奴隷解放されちまったからな、大方獣人奴隷を売り逃げた商人でも襲っていたのだろう。
ここで殺したらサニティアに嫌われるだろうか?はぁ…。
「チッ、しょうがねぇな」
「ホントかい!?」
「あぁ、本当だよ。仲間連れてさっさとどこかに行きやがれ」
女に纏わり付かれていた足を強引を振り払って地面で目に突き立つ矢を押さえながらこっちを睨んでいる男へと歩み寄る。
「二度目は無いぞ、てめぇが人質に取ったサニティアの温情に感謝しろ」
そう言って男の目に突き立つ矢を無造作に掴んで引き抜いてやった。
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夕暮れ、フォルクヴァングへと続く街道を二人の元野盗がそれぞれ走鳥に乗って街を目指し進んでいた。
「クソッ、目の奥がジンジンと疼きやがる…」
「大丈夫かい?ベイト…」
男が眼帯の様に布を巻いた右目には血が滲んでいた。
「これが大丈夫に見えるかッ!?」
「アタシに当たるんじゃないよ…、そもそもあの女とガキ二人を襲おうと決めたのはアンタじゃないか…」
「クソ…」
「命が助かっただけでもありがたいと思わないと…。今日進めるのはこの辺りまでかね、朝出発すれば明日の昼過ぎにはフォルクヴァングへ着けるよ」
「あぁ…そうだな…」
「ん?あれは何だい?」
ファムが指差す先、真っ赤な夕暮れで気付くのが遅れたが焚き火とその前に座り込む大きな人影が逆光の中に見えた。
「先客か…?」
「そうみたいだね」
走鳥でそのまま進み、焚き火の前で微動だにしない人影に近付き声をかけた。
「よ、よぉ。アンタも野営かい?街道とは言え野盗や魔物も出る。一緒に夜を過ごさないか?」
こちらの呼びかけに反応してそいつがその顔をこっちへと向けた時、二人は声を掛けた事を後悔した。
全身に何枚もの布を巻きつけた上から外套を羽織り、頭には長めの煙突帽を被り、こちらを向いた顔には仮面を被っていたから。
こんなナリの奴がまともな訳が無い、と。




