第88話
奴隷とギャンブルで栄える街フォルクヴァングの夜。
ようやく住民達が酔いつぶれたり寝静まり始めた頃、街を歩く二人の女性が居た。
一人は腹を貫かれた事により服が血塗れになってはいるが、掠り傷一つ無く早足で歩く半魔族のルキア。
そしてもう一人はそんなルキアの後をなんとか必死について行く寝間着姿のまま解放されたばかりの聖女サニティア。
自分達を解放する為、引き換えに残して来たゼノを一切振り返る事無く夜道を進むルキアの背中に向かって聖女が取り乱しながら声を掛けていた。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!ルキアさん!ルキアさんっ!!」
後ろからサニティアがルキアの服を掴んだ事によりようやく彼女の歩みが止まった。
「申し訳ございません、夜道でしたね。人が暗闇を歩けない事を失念しておりました」
振り返らずサニティアへとルキアが冷たく謝罪した。
フォルクヴァングはよほど潤っているのだろう、王都と遜色がないほどに道は整備され、魔力街灯も多く設置されている、だがそれでも足元が危ない事には変わりない。
しかしサニティアがルキアを呼び止めたのはそれが理由では無かった。
「せ、説明を!なぜゼノ様はあそこに残られたのですかっ!?」
「最初からお話しましょう。宿の食事に薬を盛られて、客室に賊が押し入りました。そして貴女が攫われ、それをゼノ様と二人で取り戻しに行ったのです」
「薬…、お二人は魔族だから薬の効きが悪かったのですね?なるほど、それで私だけが…」
「相手の本拠地、それが先ほどの埠頭でした。乗り込んだのですが…、この街の支配者の力はゼノ様や私を大きく超えていました」
サニティアに背を向けたまま淡々と説明を続ける。
「乗り込む前から勝てない事は分かっていました。力づくで取り返すのはほぼ不可能と判断した上で、それでもどうにかなるかもしれないと臨んだ結果がアレです」
「そんな…私など見捨てても…」
そう言いかけたサニティアの胸倉を振り返ったルキアが掴み、平手打ちをしようと腕を振り上げ、止まった。
「ゼノ様がその身に代えて取り返したのです、そんな風に言わないでくださいっ!」
「ごめんなさい…、ルキアさんは優しいですね…、本当は私のせいでゼノ様が、と責めたいのでしょう…?」
「いえ、私には貴方を責める資格がありません。私はゼノ様に貴女を見捨ててこの街を出る提案もしたのですから…」
「…。」
サニティアはルキアの告白になんと返せばいいのかわからなくなって、無言で返した。
「はぁ…私も冷静さを欠いている様です…。申し訳ありませんでした…」
サニティアを振り切りそうなほど早足で夜の道を歩いた事を言外に謝罪する。
「あの、それほどまでに強大なのですか、この街の支配者は?ゼノ様でも勝てないほどに?」
「えぇ、船の上にいたドレスの美しい女性がそうです。ああ見えて50年以上は確実に生きているそうですよ?」
「人では無い、という事ですね?魔族か何かなのでしょうか?」
「ただの魔族であればどれほど良かったか…、角も尾も翼も無く、長耳でも無い、人の外見のまま年を取らない存在なのですよ?」
「それは…そう言う事でしょうか?」
ルキアは無言で首肯した。
「そんな…絶望的では無いですか…」
「前向きに考えましょう、事態は好転しています。貴女が捕らわれているよりゼノ様が捕らわれている方が自力脱出の目はあるでしょうから」
気休めでしかない事は言っているルキアにも聞いているサニティアにもわかっていた。
上位存在相手に力づくで逃げる事などほぼ不可能である。
「とりあえず、宿に戻って何か計画を考えないと、ですね?」
サニティアがルキアに尋ねる。
「あぁ、言い忘れていました。宿はもうありません」
「えっ?」
「ゼノ様が宿屋も共犯だった事に気付いて焼き払われてしまったので…」
「えぇっと…、では今はどこに向かっているのでしょうか…?」
「この街で唯一、私たちの味方になってくれそうな人の場所ですよ」
そう言い終わるとルキアはサニティアの手を取り再び歩き始めた。
サニティアと話した事で少し落ち着いたのだろう、その歩く速度は先ほどよりも緩やかだった。
ルキアはサニティアに当たりそうになった自分を内心で恥じた。
彼女自身も胸中ではどうすればいいのかわからず、ゼノが捕らえられた事に気が動転していたのだ。
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船から降りるルキアとサニティアを見送り、セスルームニルの広い甲板でフレイアと距離を取って立った。
今から戦うとは思えないほど穏やかな雰囲気が流れている。
「なぁ、フレイア。何だあのイノシシは?とんでもない強さだったんだが…」
フレイアが可笑しそうに笑いながら答える。
「ヒルディス?強かったでしょう?彼は私の愛人よ~?」
耳に入って来た単語の意味を処理出来ずに一瞬フリーズした。
俺は『あんな強いイノシシがいて堪るか』という意味で問うたのだが…。
「あい…じん…?」
「えぇ」
フレイアがニコニコしながら頷いた。
冗談だろうか?
あの猪が?この女の?まさか。
「ははは、面白い冗談だな。イノシシが愛人とは」
「冗談?本当の事なのだけれど」
何を言っているんだこの上位存在は…。
「だってアイツは…動物だろう…」
「自分で言うのも何だけれど、私ってそういう所奔放なの、ふふふ」
フレイアの姿を見る。
すれ違う男が全員振り返るほどの美女だ、いや、人間ではないのだが…。
獣人オーズが旦那だと自称していたが、獣人と獣ではずいぶんとハードルが違うだろう…。
オレの脳内に四つん這いのフレイアに圧し掛かり腰をへこへこ振るイノシシのイメージが浮かぶ。
イノシシと…?本当に…?
奔放の一言で済ませて良いのかそれは…。
「あー…、そういえばオーズという自称アンタの旦那に出会ったが、旦那がいるのに浮気、しかも相手が獣だと?どうなってんだアンタの倫理観は」
「あら、動物相手がそんなにおかしいかしら?愛の前に種族という垣根はないのよ?」
頭おかしいぞコイツ。
獣人、魔族、竜人、エルフだったりの異種族と婚姻する異種婚のケースを動物と媾う事を同列に語りやがる。
「ヒルディスだけじゃないわよ?犬や馬、山羊に豚に猿だって…」
「もういい、戦う気が削がれるからやめてくれ」
「あら、そぉ?」
何を言っているんだこの女は…。
「獣人オーズを旦那にしていたり、アンタは動物性愛者か何かか?」
「獣人は好きよ、不細工がいないから。ふふふ」
犬や猫を可愛がる様な風に言ってのける。
頭が痛くなって来た。
「そもそもアンタにはオーズがいるだろう?」
「愛はいくらあっても良い物よ?」
フレイアは少し寂しそうに微笑んだ。
「随分話が逸れたな、あと2時間もせずに夜が明ける。そろそろ始めようか」
「そうね、お互いの事はこれからゆっくり知っていけばいいものね」
「オレが勝って夜明け前に自由になるかもしれないぞ…?」
「貴方が私に勝つつもり?ゼノ、それ本気で言ってるのかしら?」
「ヒルディスと双子を失い、ようやく手に入れたオレをアンタがこの場で殺すとは思えないからな。アンタはオレを殺せない、オレはアンタを殺すつもりで戦う、これは大きなハンデだと思うが?」
「その程度のハンデで敵う訳ないでしょうに…」
ご尤もである、寝ている彼女にすら勝てる気がしない。
一応、一つだけ解放されるかもしれない手は残されているのだが…、そっちは確証が無かった。
「あ、ちょっと待て」
「なぁに?」
「アンタはオレとヒルディスの戦いを盗み見ていたな?オレはアンタの戦い方を知らない、せめてその怪しい羽衣と首飾りの能力を教えてくれないか?不公平だろ」
情報は武器だ、アーティファクトには初見殺しの魔道具が多い。
知っておくだけでも勝率が大きく変わる。
「えぇ、いいわよ?」
嫌がられるかと思ったがそんな些事では全く勝敗は揺るがないという驕りからなのか、二つ返事でフレイアは了承した。
「この羽衣は『鷹翼ヴェズルフェル』、空を飛べるのよ?それに鷹に変身する事も出来るわ」
「アンタはそれが無くとも空くらい飛べそうだが」
「うふふ」
この世界には浮遊魔法や飛行魔法が普通に存在する。
浮遊魔法『フロト』は浮くだけなので落下時に助かったり、高い所の物を取れる登れるなどの便利魔法だ、多くの魔法使いが習得している。
飛行魔法『ウォラレ』はそのままフロトの上位版である。
熟練者ならば自由に空が飛べるらしいが魔力消費量が凄まじい上にコントロールの難易度が跳ね上がり使いこなせる者は少ないらしい。
壁に叩きつけられた泥団子の様になった魔法使いは多いと聞く。
なるほど飛行用アーティファクトだったか、自由自在に飛べるというのならオレの槍も剣も拳も届かない。
「そしてこの首飾りは『魅了頸飾ブリシンガル』」
「魅了だと…?」
魅了と聞いて無意識に片眉が上がってしまう。
脳裏に真っ赤な髪の女が一瞬浮かびかけたが急いで振り払った。
「えぇ、魅了。効果はそのままよ?相手を魅了する、ただそれだけ」
「ははっ、実にシンプルだな」
「ゼノ・アルマスならこの能力の強さがわかるはずだけれど」
フレイアが不敵に笑う。
わかっていて含みを持たせた言い方をするフレイアに苦々しい思いを抱いた。
魔王ジズと戦うクレア伝説では関係が無い為、一切語られておらず人間側には失伝している逸話だがこいつなら知っていても不思議では無い。
強引に思考を魅了の話に戻す。
「どれほどの強度だ…?」
「この世界最高峰よ。だけど安心して、たとえ私が死の間際だとしてもこの戦いの間は使わないと約束するわ」
「そりゃどーも…」
ポーカーフェイスで返したが一気に嫌な汗が噴き出した。
世界最高峰だと…?冗談では無いッ…!!
世界最強クラスの魅了とはつまり指先一つすら抵抗出来ず、自我も記憶も一切残らない完全な操り人形である。
掛けられた者は命令一つで平気で親友を裏切り、一切の躊躇無く恋人や妻を殺し、泣き叫ぶ娘や姉妹を犯し、自分自身の命すら笑いながら捨てる、世界最高峰の魅了とはそのレベルだ。
ルキアの首飾りと並ぶほどのイカれたアーティファクトだった。
そしてフレイアの言った『この戦いの間は』という言葉、それはその気になればいつでもオレを支配できるという意味でもあった。
「凄いアーティファクトだな…」
「作らせたのよ?ドワーフに」
「あ?アーティファクトをか…?そりゃ何千年前の話だ?」
魔道具を作るのとやる事は同じ事であるが、遺跡なんかから出て来るアーティファクトの様な性能の魔道具を現代で作成する事など可能なのだろうか?
「えぇ、そうよ。国宝指定される様な魔石、私の魔力、ドワーフ達が受け継ぐ技術、そして最高の職人が揃えばこの現代でもゼロからアーティファクトは作り出せるのよ?」
「ハッ、さぞ高かったろう。城が建つほどの金でも足りなかったんじゃないか?」
「うふ、ふふふ…」
値段の話をしたら突然フレイアが笑い始めた。
「何が可笑しい…?」
「いいえ、ね。この首飾りの値段だったわね。なんと無料だったのよ?凄いでしょう?うふふ…」
何を言っているんだこの女は、世界最高クラスの魅了を使えるアーティファクトがタダな訳があるか。
それ一つで世界征服出来るほどの性能だぞ。
「嘘を付くな、嘘を」
「うふふふ、本当よぉ?鍛冶以外興味の無さそうなドワーフの職人が対価に求めたのは金貨でも希少鉱石でも無かったの、何だと思う?」
「…。」
「それはね、私のこの身体だったの。笑ってしまうわよねぇ?ドワーフ職人4人がかりに朝か夜かも分からないほど何日間も抱かれる、それがこの首飾りの代金よ?ね、無料でしょう?うふふ」
呆れた女神だった、開いた口が塞がらなくなりそうだ。
実際に猪を愛人にし、本人曰く犬や豚や山羊と交わるそうだからな、ドワーフのオッサン4人に抱かれるくらいタダ同然なのだろう。
なるほど、無料か。言い得て妙だった。
おい、女神フレイア。お前の貞操がタダってマジかよ…。
え…?こんな女神に飼われるのかオレは…?
見ているか女神レスティアよ…、お前の同族どうなってんだ…。




