第87話
サングイスの鈍色の刀身が抱き寄せたルキアの腹に刺さり背中まで抜けた。
腕の中で死にゆく彼女は苦しかったのだろう、少しだけ眉根を寄せたがオレがまだ生きている事を確認しながら最期まで微笑みを湛えながら逝った。
直後、サングイスの能力により潰れたオレの内臓が一瞬で再生され、骨が接がれたと気付いた時には全く痛みは無くなっていた。
治癒魔法よりも圧倒的に回復速度が早い、まるで上級吸血鬼の再生である。
これほどのドレイン効果なら、これ一本を持って一騎当千の英雄にでもなれるだろう。
改めて恐ろしい性能のアーティファクトだと実感した。
おっと、こうしてはいられない!
ルキアの体からサングイスを慌てて引き抜く。
抜いたと同時にルキアの腹の傷は塞がった様だ、まるで水面から剣を引き抜いたみたいである。
二人を覆っていた外套を『バサッ』と払いのけて彼女の頬を撫でると瞼がゆっくりと開いた。
「ゼノ、様…、良かった…、間に合ったの…ですね…?」
「あぁ、助かった。危うく死にかけたぞ」
「ふふ…、私は実際…、死んじゃいましたけどね」
「うっ…すまない、本当に助かった。ありがとうルキア」
「いえいえ…、これも従者の務めですので」
これも従者の務めらしい。
従者の仕事内容が多すぎる!
誰も従者なんか務まらないぞそれ…。
「ちょっとここで待っててくれ、勝って来る」
「はい…!」
蘇生したばかりでまだうまく体が動かないのだろう、ルキアを混凝土の床に横たえてクリヴァールを彼女の傍に置き、立ち上がって猪へと向き直った。
「ドウイウ事ダ、小僧。何故生キテイル?今ノ手応エ、確実ニ致命傷ダッタハズ…」
片目の潰れた金色の猪が明らかにこちらを警戒しながら残った片目で睨んでいた。
「怖気付いたのか?そら、さっきのもう一回やろうぜ?次は決着を着けてやる」
「フゴッ…!」
鼻鳴らした猪が体をぶるぶるっと震わせた後、全身に闘気を纏わせたのが分かった。
身体が一回り膨らんだようにすら見える。
オレも左手で左肩にサングイスを担ぎ、振り下ろす瞬間に両手で握る為に右手を柄に添えて腰を落とした。
「おい…、イノシシ。名前は?」
「ヒルディス…!」
「良い名前だな、オレは『ゼノ・アルマス』だ。」
「ゼノ?ゼノ・アルマスダト…?ソレハ…」
「行くぜ、ヒルディスッ!!」
オレの名を聞いて同姓同名の有名人が頭に浮かんだのだろう、ヒルディスの戸惑いに張りつめた緊張が僅かに弛緩したその瞬間、オレは地面を蹴りヒルディスへと向かって飛び出した。
虚を突かれたヒルディスも慌てて突進を始める。
目の前に迫った巨大な猪へと左肩に担いだ蛮刀を左斜め上から右下へと斜めに振り下ろした!
先ほどの一撃は蛮刀の刀身の半ばを使って牙や目を潰した一撃であったが、今回はかなり早いタイミングで振った。
最大火力が作用点へ効くように蛮刀の切っ先を意識する、全身全霊で振り下ろされた蛮刀の先端がヒルディスの顎、その右側面へと当たり、喉を切り裂き、鎖骨を切断、胸骨を斜めに断ち割る!
オレは猪の体の下へ潜り込み、ヒルディスの腹を割って奴の左脇へと抜けた。
「ハァッ…ハァッ…、オレの、勝ちだ!」
先ほど斬り付けたのに突進を止められずそのまま体当たりを喰らった経験を活かし、相手を頭蓋ごと真っ二つにしてやる意気込みの両手持ち、それに加えて突進を躱す為に奴の腹の下に潜り込むというのは駆け出す前からもう決めていた。
作戦が成功して本当に良かった、正直生きた心地はしなかった…。
奴が巨体で俺が子供の姿だから成し得た事だろう。
振り返るとヒルディスもその足を止めていた。
そしてゆっくりとこちらへ頭を向け振り返りながら言った。
「見事…」
直後、振り返ろうとしたヒルディス、奴のその巨体に収まっていた肺以外のありとあらゆる臓器が一斉に足元にビチャビチャボタボタと零れ落ち、大量の血と臓物が混凝土で出来た埠頭の地面にぶち撒けられる。
そしてヒルディスは振り返ろうと方向転換しかかった姿勢のまま『ドサァ…』と横倒しになって絶命した。
全身甲冑の人間をバッサバッサと両断出来るオレの手は、まるで岩石か竜でも真っ二つにしたかの様に未だビリビリと痺れている、とてつもない堅さだった。
強敵を倒して『ふぅ…』と一息つこうと思った時、背後で『ピシャァン!!』と落雷の音がして慌てて振り返る。
そこには街から埠頭へ戻って来たのであろうヴァナヘイムの団員達とオレの預けた魔槍を手に戦闘を開始しているルキアの姿があった。
今の音は彼女の雷撃魔法だったのだろう。
船から敵が湧いて来ないので忘れていたが、そういえばこの街の中にもオレとルキアを捕らえる為のヴァナヘイム達が大量に展開しているんだったな。
サングイスを手に姿勢を低くしてルキアの元へと駆け寄り、そのまま青いバンダナを巻いた男を二人斬り捨ててルキアの隣に立つ。
「大丈夫かルキア?」
「はい!勝てたのですね!?」
「はは、当然だ。オレがあんなイノイシに負ける訳ないだろう?」
正直かなりギリギリだったがルキアからクリヴァールを受け取りながらカッコつけて不敵に笑って見せた。
オレとルキアを取り囲もうとするヴァナヘイム達と睨み合いながらオレは声を張り上げた。
「さっさと出て来いフレイアッ!イノシシは死んだぞッ!!ここにいる青バンダナ達じゃオレ達二人は止められない!いたずらに部下の命を散らすつもりかッ!?」
オレとて無駄に人を殺めたい訳では無い。
どうせまた返事は無いのだろうと心のどこかで思いつつ、無駄と分かっていてもフレイアに呼びかけた。
するとオレ達を取り囲んでいたヴァナヘイム達が何かに気付いた様に次々と武器を収め始め、波が引く様に下がった。
「ゼノ様、あれは…」
ルキアが見ている方向へと顔を向ける。
そこには白いシルクドレスを纏った女がいた。
屈んで死んだ猪の鼻先に手を伸ばし、数秒そのままの姿勢を維持した後、スッ…と立ち上がる。
アレがこの街の支配者のフレイアか。
そして女がこちらへとゆっくり歩みを進め始めた時、全身に鳥肌が立った。
恐怖だ。
先ほどの猪との決死の一騎打ちですら感じなかった恐怖がオレの全身を包んでいた。
アレは不味い…、アレには勝てない…。
「ルキアは、逃げろ」
「嫌です」
ルキアには分からないのだろうか?生物として、アレは格が違う。
いや、彼女とて雷皇ミカレの血を引き上級魔族にも引けを取らない400年生きた魔族だ、あの女の強さくらいは感じているはず。
オレが逃げなければルキアも逃げない覚悟なのだ。
夜目の利く魔族の眼でその顔を視認した。
ルキアに負けないほどの美貌を持つ金髪の美しい女だった。
アレが半世紀オーズと過ごしただと?どう見ても20代前半にしか見えない。
フレイアの頭の上から下まで装備を確認する。
素手、なんの変哲もなさそうな大きなスリットの入った純白のシルクドレス、肩に掛けられた鷹の羽の模様の羽衣、履物は足首までストラップのある一般的なサンダル、そして一体いくらするのか想像も出来ない豪華な黄金の首飾りをしていた。
羽衣は間違いなくアーティファクトだろう、そして首飾りも。
「フォルクヴァングへようこそ、旅の方。こんな夜更けに観光ですか?」
女は微笑みながら鈴の様な声で話しかけて来た。
「投宿していた宿が失火してな、こんな時間に放り出されたんだ」
「失火ですか?ふふふ。そちらの母君では無く貴方が説明するんですね?」
「もう演技は止めた、オレとルキアが親子では無い事くらいわかっているんだろう?」
「ふふふ、勿論。貴方と、後ろの女性が人間では無い事も気付いていますよ」
「チッ…、人間じゃねぇのはお互い様だろ?」
「あら、気付いていらっしゃったのですね?ふふふ…。気付いていてなお、その態度を取る貴方の蛮勇、嫌いでは無いですよ?態度を改めない貴方の豪胆さに免じて不敬を許しましょう」
「跪いて足でも舐めて欲しいのか?」
「そうさせたいのは山々ですが、そんな事をしに来たのでは無いのでしょう?」
フレイアが全て分かっているという表情でその美しい目を細めた。
なら話が早い。
「仲間を返せ」
周りのヴァナヘイム達はいつの間にか片膝をついて頭を垂れていた。
そのヴァナヘイムの団員達がオレの言葉遣いに動揺する。
不興を買う事を恐れているのかもしれない。
「ふふ、ついて来なさい」
フレイアがくるりとこちらに背を向けて巨大船の方へと先導するように歩き始めた。
背中の大きく空いたドレスからは陶器の様な美しい背中が無防備に晒されている。
だが全力でサングイスで斬りかかろうとも万が一すら無いとオレの勘が告げていた。
無防備なのでは無い、彼女の立ち振る舞いから圧倒的な余裕を感じる。
「さ、こちらへ」
前を行くフレイアがそう言うと『ボッ、ボッ、ボッ、ボッ…』とタラップを照らすように幾つもの証明用火炎魔法が発動した。
魔法発動の速さも、光球の大きさも、その発光の強さも、一つ一つの間隔すらも、何もかも同じ魔法がセスルームニルに伸びる長いタラップを照らす。
凄まじい魔法練度だ。
威力ではなく精度に呆気に取られた。
感心した事を隠す為に咄嗟に口から強がりが漏れてしまう。
「別に、無くとも視えるがな」
「ふふふ、そうなのですか?」
長い長い金属製のタラップを登り船へと乗船し、フレイアに続いて船の階段を上り甲板に出る。
ここが奴隷を売買する会場なのだろう、とても広い甲板だった。
当然この船に帆は無い、魔力で動く魔導力船だ。
これほどの巨大船、動かすのにとんでもない魔力を喰うだろう。
フレイアが甲板の中央で止まりこちらを振り返り微笑んだ。
「如何ですか?この星で2番目に大きい船は」
「船を見に来た訳では無い。仲間を返して貰おうか」
これで2番目だと?だがそんな話をしに来た訳では無い。
フレイアが微笑んだ表情のまま止まった。
「拒否しますわ。美しく、魔力量も申し分ない。すでに私の手中にあるあの娘をどうして返さなくてはならないのかしら」
やはり無理矢理取り返すか、何かを差し出さなくてはダメか…?
「アイツは、サニティアはオレ達の仲間だ。双子が死んでも、あのイノシシが死んでも、一切怒りや悲しみを見せない様なアンタにはとても渡せない」
「一応悲しんではいるのですよ?それにベイグもトリエグも、そしてヒルディスも、魂までは消えておりません」
比喩表現では無く魂をどうこう言っている、もう確定だろ、これ…。
こいつ神の1人で間違いない。
勝てる訳が無かった。
「どうにか返して貰う方法は無いのか、フレイア」
「後ろの女性も、貴方も、全員で私に飼われるというのは如何でしょう?」
やはりルキアもターゲットだったか、そしてオレも。
「到底受け入れられない、オレは好き勝手に生きると決めている」
「好き勝手に生きられますよ?この街の中でなら」
「この街、アンタの手の届く檻の中を自由とは言わない」
「毎日好きな時に好きなだけ眠り、好きな物を好きなだけ食べて、好きな女と好きなだけ媾う。まさに地上の楽園の様な生活をお約束しますよ?」
「ハッ、だったら今の暮らしと大して変わらんな。益々アンタに飼われるメリットが無くなった」
「もちろん、私もお相手を致しますわよ?」
フレイアがシルクドレスの上から右手で自身の豊かな片胸を鷲掴んで持ち上げ、左手を己の左内腿へと擦る様に『スゥ…』っと伸ばした。
「非常に魅力的な提案だがな、今回の人生では極力誰の下にも就かないと決めているんだ」
「あら、おかしいですね。大抵の男はこれでイチコロなのですが…。ん~?今回の人生では?」
しまった、口を滑らせた。
「うふふ、そう言えばお互いの自己紹介がまだでしたね?私はフレイアと申します」
「オレは、ゼノだ」
フレイアの笑みが深くなる。
「あぁ、なぁるほど…。なるほどなるほど…。そう言う事ですか、なるほどねぇ」
多分全部バレたな、これは。
「では、こうしましょう。貴方が私の物になると言うのであれば、先に捕らえた娘と後ろの女は解放しましょう」
「三人とも解放される方法は無いのか…?」
「女二人を諦めてでも、貴方一人が欲しくなりました」
どうする、オレ…。
サニティアを無理矢理救い出し逃げるか?逃げ切れる訳が無い。
戦って無理矢理取り返すか?勝てるはずが無い。
では一旦飼われるフリをして脱走するか?
多分それしか方法は無さそうだ。
「オレはアンタに飼われる事にしよう…」
「ゼノ様ッ!?」
ルキアが慌てたようにオレの背後で声を荒げるが無視だ。
「その代わり先に捕らえたサニティアと後ろのルキアを解放して貰おう」
「わかりました、連れてきなさい」
誰に向けたのか、何をどこに連れて来るのか、曖昧な指示を誰かに出すとすぐに青いバンダナを付けた男が戸惑い怯えているサニティアを連れてやって来た。
こうなる事を予想して近くに控えさせていたらしい。
男がサニティアの手枷を外して解放する。
「サニティア、遅くなってすまなかったな」
「聞いておりましたッ!いけません、ゼノ様ッ!私の代わりに捕らわれるなどとッ!」
「そうですゼノ様、クレアに残してきたクオンはどうするのですッ!?」
魔王ジズ・コルニクスの侵略を撃退した後、レスティアス神聖国へ発つ前に妊娠が分かっていたクオンの腹には俺の子供がいる。
魔族だから季節の移り変わりなど時間間隔が人間とはかなり違うが、あれからずいぶんと経った、獣人の出産までの期間はよく知らないが今はもう腹も大きくなっているかもしれん。
ルキアを抱きしめて耳に口を寄せ小声で話す。
「ルキア、わかってくれ。戦っても勝てない、逃げるのも不可能、なら一旦フレイアに飼われてから隙を付いて逃げ出してみるしか無い」
「そんな…」
「少なくともこれならサニティアとお前二人は確実に逃がせる、わかってくれ」
「…。」
ルキアと抱擁を交わした後、振り返ってフレイアと向き直った。
「もう二人は帰らせていいんだな?」
「えぇ、もちろんよ」
「二人とも、フレイアの気が変わらない内にここから離れるんだ」
「ゼノ様ッ!!」
尚も食い下がろうとするサニティアの手をルキアが牽いた。
「行きましょうサニティアさん…」
「ですがっ!」
「ゼノ様の犠牲を無駄にするおつもりですか?」
「…ッ!!わかりました…」
ルキアとサニティアが階段を下り、タラップを降りて行く姿を船のヘリから確認する。
「ところでフレイア、あ~…様って呼んだ方がいいのか?」
「好きにしなさい」
いつの間にか隣に並んでいたフレイアに少し驚いた。
そして敬語では無くなっている。
「フレイア、手合わせ願えないか?」
「良いわよ?飼い主としてどちらが上か、しっかりと叩き込んで差し上げましょう。ただし条件があります」
「条件…?」
「なんらかの方法で姿を偽っているのでしょう?それを解きなさい」
「いいだろう」
指に嵌めていた『投影鏡環スペキオム』を指から抜き、また嵌めなおした。
これで一度本来の姿を見せてしまったのでもう二度とフレイアにスペキオムの効果は通用しない。
「まぁ…、まぁまぁまぁ!角も尾もとっても可愛いわよ!ゼノ!やっぱり魔族だったのねぇ!?」
「可愛いと言われたのは多分人生で初めてだ…」
フレイアに抱きしめれ、髪を撫でられ、ついでに尻も撫でられる。
今にも甲板で押し倒されそうな勢いだ。
「ほら、約束だぞ、戦え。あと、オレが勝ったらオレを自由にしろ」
真面目なトーンでしっかりとフレイアの眼を見つめる。
「ふーん…?えぇ、いいわよぉ。貴方が私に勝つ事が出来れば、その願い叶えましょう」
万に一つもそんな事はあり得ないとお互い分かり切っていた。
どうにかして『負けました』と言わせられないだろうか…。




