第64話
クレア王国南方、関所が一望できる丘へと辿り着いたキリシアとゲイル達の目に映ったのはすでに国境を越え進軍するルマロス帝国軍だった。
「あまり多くはねェが…」
こちらはたったの100人ほど、彼我の戦力差は20倍を軽く超えている。
「私が出ます、兵をいたずらに損耗させる訳にも行きませんし」
「お伴するぜェ、一当てして、引いてくれたらラッキーだ」
「えぇ」
この数の差で兵士をぶつけた所で轢かれるだけだ。
アーティファクトで武装した元帝国将軍と、クレア王国最強の防御魔法使いがたった2人で前へ出る。
そろそろ互いの声も届くだろうという位置まで進んでも弓を射掛けられたりしない。
不審に思っていると敵兵の集団が割れて帝国軍側から2人が進み出て来た。
「おォ?ポルクス大臣じゃねェか…こんな所で奇遇だな、散歩かァ?」
声は届いているはずだが返事は無い。
両目は左右があらぬ方向へ向いており口からは涎を垂らしていた。
明らかに様子がおかしい。
「あらぁん?誰かと思えばゲイル・ランページ将軍閣下ではございませんか」
「…誰だてめェ」
薄い紫色の髪を持つ、蜂蜜の様な褐色肌の女が大臣の隣には立っていた。
その頭からは山羊の様な一対の角が生えている。
まるで娼婦の様な出で立ちをしており戦場はもちろん旅行者としても似つかわしくない。
「あたしはドゥルジナ。ポルクス大臣の、うーん、愛人?婚約者?ですかねー」
「はっ、ほざけ。元から傀儡みてェな野郎だったがどうやら大臣は本当の人形に成り下がったらしいな」
自分の話をされいるというのに大臣の反応は無い。
「うふふ、そんな事より将軍?なぜ貴方様はそちら側にいらっしゃるんですの?確か皇帝暗殺犯を追ってクレア王国へと単独潜入されていらっしゃったはずですわよね?」
「おゥ魔族の女、このやりとり必要か?」
「せっかちですねぇ」
「時間の無駄なンだよ。てめェと大臣の様子を見て全て理解したぜ。クレア王国が北の魔王軍と戦争してる間にルマロスを操って背後を取ろうって魂胆なんだろォが」
「我々が魔王軍側だとでも?」
「違うというなら北に向かってクレア王国と一緒に魔王軍と戦ってみせろ、出来ねェだろ?」
「うふふ…。えぇ、出来ませんね、あたしは魔王ジズ様の配下ですので」
ほらな、時間の無駄でしかない。この魔族の女との会話を楽しむ気もない。
ゲイルは素早く腰の翡翠色の細剣を抜打ちで振り抜いた。
一陣の風が刃となってポルクスとドゥルジナと名乗った魔族の女を襲う。
だがその瞬間ポルクスとドゥルジナの両側にいた兵士がその身を挺して2人を庇った。
兵士の身体が目に見えない風の刃にズタズタに切り裂かれて倒れる。
「いやぁん、こわぁーい、うふふ」
そう言うとドゥルジナはポルクス大臣に腕を絡めて自軍へと戻り始める。
自分の元部下だからこそわかる、ルマロス帝国兵の忠誠心はそれほど高くない。
一瞬の躊躇も見せずに自分の身体を盾にして上官を庇うような兵士などあの国にはいない。
そして相手の攻撃、しかも不可視の風の刃に対応して即座に行動に移せるような練度の高さも無い。
大臣とドゥルジナへと向けてもう一度暴風剣ヴェントルナードを振るい風の刃を飛ばす、するとなんと先ほど全身を切り裂かれて血だるまとなった兵士が即座に起き上がり、また2人の盾となった。
さらに風の刃により体を切り裂かれた兵士を観察すると、その顔には一切の表情がない。
風の刃により眼や頬、首や腕などから大量の血を流し、指まで落ちているというのに痛みすら感じている様子はない。
ボロ雑巾のようになった元部下2名が血の海に『どちゃっ』と沈んだ。
「ゲイルさん、アレは…」
キリシアが隣から話しかけて来る。
「あァ、操られてるな。全員ではなさそうだが周囲の兵士は文字通り人形だ。こりゃ手足となる敵兵を全滅させねぇとあの2人を獲れそうにねェな。痛みも感じず立ち上がって来やがるぞ…」
「そうですね、では私が戦います。ゲイルさんは討ち漏らした敵をお願いします」
2人で打ち合わせているとルマロス帝国兵が弓に矢をつがえ、キリシアとゲイルのたった2人に目掛けて数百の矢を放とうとしている。
撃ち落とそうとゲイルが翡翠色の剣を素早く構えたが、それを右手で制したキリシアが前を真っすぐ見つめてそのまま左手を前に翳した。
こちらへ殺到していた筈の数百の矢の雨が全て空中で、まるで壁に当たったかのようにバラバラと落ちる。
「噂には聞いていたが…『拒絶』、すげェ能力だな…」
ゲイルがキリシアの障壁魔法に感嘆しているとキリシアは敵へと翳していた左手を『スッ…』と前へ倒す。
その瞬間、声が届くほどの距離にいた視界一杯の敵兵が潰れた。
一瞬にして100人を超える敵兵が、障壁の壁に上から潰されて地面のシミとなった。
「デタラメだな…」
ゲイルが呆けているとキリシアが『ゲイルさん討ち漏らしを頼みます』と言った。
なるほどな、倒れた不可視の壁の両側からこちらへ敵兵が向かってくる。
それほど厚みが無いのであろう、不可視の魔法障壁へよじ登ろうとしている敵兵の姿も見える。
「くっくく、楽しくなって来やがった」
ルマロス帝国兵とキリシア、ゲイルの2人が戦い始めて大して時間も経っていないというのにそこは正に地獄の様相を呈していた。
ほとんどのルマロス帝国兵が目に見えない壁に阻まれ、潰され。
なんとか壁を越えた兵もゲイルの風の刃に沈む。
2000を超える帝国兵が絶命しており、もはやポルクスとドゥルジナには数百ほどしか兵が残されてはいない。
「おーい、無駄な抵抗はやめて降伏しろ。もうてめェらに勝ちはねェぞ。その数じゃどの道王都は落とせねェ」
「うふ、降伏すれば助けて頂けるんですの?」
「いやァ?ポルクスとてめェは処刑だな」
「あら残念、ではあたしの兵士達にもう少し頑張って頂くとしますわぁ」
そう言うとドゥルジナが捻くれた長杖を『トン…』と地面に突く。
その瞬間、ドゥルジナを中心として禍々しい魔力が波紋の様に広がり駆け抜けた。
「あ?何しやがったァ?」
「うふ、うふふふふ…」
すると周りに倒れていた帝国兵が『ぐ、ぐぐ…』と折れた手や剣をついて起き上がり始めた。
「なんと…悍ましい…」
キリシアが生命の冒涜を目の当たりにして忌避感を口に漏らしている。
「これはアーティファクト『傀儡屍杖カイライ』、その効果は死者の操作ですの。さぁ、踊りなさい!あたしの可愛い人形達っ!!」
周りにいた数百の屍がその身を起こし、潰れた身体で剣を振り上げ切りかかって来る!
「チィ…」
ゲイルはすかさず翡翠の剣を振るって風の刃を飛ばすが、屍兵は全身を切り刻まれてもその身体を止めない。
「一旦退くぞッ!!」
キリシアを抱き抱えて黒金のグリーブ『轟音靴フラゴール』で地面を蹴り爆発を斜め後ろへの推進力に変えて大きく後方へ飛び、屍の包囲から逃れる。
「困りましたね…、潰れても死なない兵とは…」
「いや、戦う方針はさっきまでと一緒で良いはずだ、俺のヴェントルナードは効果が無いがなァ…」
「潰しても起き上がって来ますが?」
「限界はある、アレ見てみろ」
そう言ってゲイルが指差す先には足が折れて剣も折れ、楕円に潰れた兜から眼球を溢しながら這いつくばるルマロス帝国兵の姿がある。
起き上がろうと地面に手を突くが、折れた腕の骨が皮を突き破って肘や上腕から飛び出してしまっている。
「なるほど…徹底的に…、物理的に起き上がれない様に潰せばよいのですね。しかし私の魔力が待つかどうか…」
「それでもやるしかねェ…」
「そうですね…」
不死の軍勢と2人の戦いが幕を開けた。




