第102話
目的地を目指してルマロス北西へと一直線に進んでいたオレ達は出発して翌日の正午頃、多数のジャアントフライという巨大蠅の魔物に囲われて戦闘中だった。
ライチャスが闘気を纏わせた剣を振り下ろして斬撃を飛ばし、数m先のジャイアントフライに命中させて撃墜させる。
「やっぱり結構戦えてるなぁ、ライチャス」
「ゼノッ!見てないで助けてくれよッ!!」
小型犬ほどもあるハエ型の魔物は体当たりや、吸血に特化した槍の様な口で突き刺してくる。
人間には中々侮れない魔物だろう。
「がんばれー。走鳥はオレが守ってるからなー」
オレはというと御者台でクリヴァール片手にライチャスの応援だ。
たまに飛来して来るジャイアントフライもいたが、数匹槍を振って叩き潰してやるとこっちには近寄って来なくなっていた。
ジャイアントフライの群れを片付け、ライチャスがフラフラしながら馬車に戻って来る。
「なーんか、おかしいんだよなぁ…」
「はぁ…、はぁ…、一体…、何がだい…?」
肩で息をしているライチャスが汗の蒸気を立ち昇らせながら、オレの独り言に律儀に反応を返して来る。
「ん?あぁ、何かジャイアントフライ多くねぇか?この一帯はこんなモンなのか?」
「そういえば妙かもしれませんね…」
オレの疑問にルキアも同調する、彼女も少し気になる様だった。
それもそのはず、ジャイアントフライの群れに襲われるのは本日三度目、散発的な魔物との戦闘も全て相手は巨大蠅のみである。
「いつぞやの村みたいに近くの集落丸ごと巨大な繁殖場になってるとかだろうか?それにしちゃ統率が取れ過ぎている気がする。オレが走鳥を守って何匹か払ったらこっちには来なくなったし、動きに連携や知性を感じるんだよなぁ」
「実際、一番弱そうなライチャス様が特に狙われていましたしねぇ」
ルキアと共にぜぇぜぇと息を吐いているライチャスへと視線を向ける。
「狙われてっ…いるのがっ…わかって…いたなら…、助けてくれても…」
「安心しろライチャス、本当に危ない時はルキアが呪文省略してでも電撃飛ばしてる」
疑うような、恨めしそうな視線を返してくるライチャスの肩を叩いてやる。
「最悪、即死じゃなければサニティアの治癒魔法もあるからな!」
「はぁ…全く安心出来ないよ…。さっきのジャイアントフライが大群で襲ったのが冒険者が帰って来ない原因だろうか…」
「いーや、違うね。冒険者10人だっけか?に攻略隊組ませたのに全滅させられてるんだろう?あんなハエならいくら人間が弱いっつっても勝てるさ。もっとやばい何かがいる筈だ。ワクワクするねぇ!」
「何で君はちょっと楽しそうなんだ…」
ライチャスが呆れた顔を向けてくる。
「ライチャス、少し休憩したら進もうか」
「いやゼノ、ここまでなんだ」
「あ?」
「ギルドで得た位置情報はこの辺りまで。ここからの遺跡探しは手探りなんだよ。早く遺跡を見つけられればいいんだけどね…」
仕方ないね、と苦笑いするライチャスへとオレは得意気に答えてやった。
「ふふん。実はさっき逃げるジャイアントフライを何匹か目で追っていてな?どこへ帰っていくのかを観察していたんだ」
「えっ、そうなのかい!?」
「もしこの大量のジャイアントフライが遺跡に何か関係があるのなら、大体の方向はもうわかった。今日中に遺跡を見つけられると思うぞ」
まさかジャイアントフライ風情が跡を付けられない様に退路を偽装するとは思えないしな。
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ジャイアントフライの主であるベルゼは、今やほとんど反応の無くなってしまった、ファムという名だった元女盗賊を相手に交尾をしながら暇を潰していた。
この暗く何も無い研究施設では残された記録を読み漁るか、これくらいしか娯楽が無い。
そんな地下施設の暗い廊下を一匹の小型犬ほどもある傷付いた巨大なハエが『ぶぶぶ…』と不快な羽音を立てながら、ふらふらと飛ぶ。
ふらつきながら飛んでいたハエがようやく目当ての研究室へと辿り着き、半開きになった扉の隙間から室内へと進入して主の傍でホバリングして止まった。
「ほぅ…。どうやら侵入者のようですよ、ケエファさん」
焚き火に当たって背中を向けていた巨大なカブトムシの背にベルゼが声をかける。
「久々ダナ」
「えぇ、何人か殺したら人間達が情報を共有したのか最近めっきり近付かなくなっていたんですがねぇ…。手練れでも送り込んで来たのかもしれませんねぇ」
「手練レ、強者カ…。此処デ迎エ討ツカ?」
「どうしましょうかねぇ…」
ベルゼが思案しながら、とりあえずファムからずるりと生殖器官を引き抜いて立ち上がった。
「折角ノ拠点ダ。捨テルニハ惜シイ」
「ふーむ…。では久々に外の空気も吸いたいですし、侵入者の排除に私が出ましょうかね」
「現人類ノ強者ガドレホドノ強サナノカ未知数ダ。我々ハ魔法モ使エヌ。ベルゼ殿ハ私ト違ッテ戦闘特化型デハ無イ、心配ダ」
「大丈夫ですよ、危なくなった戻って来ますので」
蠅の怪人がまるで人間かのように肩を竦めておどける仕草をしてみせる。
「此処マデ追ッテ来タラ?」
「その時はケエファさんか私がここに残り、もう片方が王をお連れして別拠点に逃げるとしましょうかね」
「ワカッタ。コノ女ハ?ドウスル?」
ベルゼに注がれた汚液の跡を、蛞蝓の様に床に残しながら地面を這う褐色の肌の女に昆虫怪人二人の視線が向けられる。
女は歩く事すら忘れたのかずりずりと床を這いずり進んで可愛い我が子へと辿り着くと、両手で捕らえて愛おしそうにその胸に抱きしめた。
ファムの胸に抱かれているのは一匹の巨大な乳白色のウジ虫だった。
ぶよぶよのウジ虫が彼女の腕の中で蠢き、ファムが人間の乳児にそうするように自分の乳房を片手で持ち上げてウジ虫の口元にその乳頭を差し出すと、ウジ虫は口鉤と呼ばれる黒い咢でファムの胸、その先端にかぶりついて大人しくなる。
部屋の隅でウジ虫の背を優しく撫でながら慈愛の表情を浮かべて授乳させている彼女は、ベルゼによって大量に投与された催淫効果のある快楽物質と心理的外傷に因り明らかに正気を失い壊れてしまっていた。
「捨て置きます、もはや検証も済みましたし」
感情の読み取れない赤い複眼でファムを見るベルゼが冷酷にファムを捨てる選択をした。
ここに捨てて行くと言われた当の本人であるファムは、怪人二人が何の話をしているのか一切気にした素振りも見せず、譫言を言いながら我が子である巨大なウジ虫に母乳を与えている。
「しかし産ませてはみましたが、私の元となったジャイアントフライの近縁種止まりでしたねぇ…」
「アレガ育ッタラ、ベルゼ殿ノ様ニ成長ハシナイノカ?」
「恐らくほぼ確実にしませんね。成虫になるのを見届けるまでもない、これはジャイアントフライの幼体で間違いありません。悲しい事ですがやはり私たちは失敗作なのでしょう…」
「失敗作、カ…」
ケエファが短く反芻する。
「淡い期待ではありましたが、やはり私達は自分で増える事が出来ない様に調整されている可能性が高いですねぇ」
「何故ソンナ事ヲ…?」
「勝手に増えられたら困るからでしょう。我々は人間と比較してあまりに強すぎるので」
「後々量産化ノ暁ニハ、個体数ヲ管理スル為カ」
ケエファが丸太の様に太い外骨格の上腕や前腕、そして細い手首へと自身の鉤爪の手を滑らせる。
「気落ちしていても仕方ありません。我々には最後の希望、『王』がいるではありませんか」
「ソウダナ…」
「それでは行って参ります、留守を頼みましたよ」
「ウム、ゴ武運ヲ」
壁に立て掛けていた銀色の杖を手に取ったベルゼが、わざと明るく前向きにケエファを励まして研究室から侵入者を撃退すべき出かけて行く。
残されたケエファは焚き火をじっと見つめ、思考の海に沈んだままであった。
今は自分達が作られた時代より数百年…、いや、もしかすると数千年経っている可能性もある。
外の世情はどうなっているのだろうか?
途中で研究の止まった失敗作の存在意義とはなんだろうか?
我らの寿命は?いつまで生きる?生きる意味は?存在意義は?
「『王』ヲ孵ラセタ後、ベルゼ殿ハドウスルツモリナノデアロウナ…。王ヲ神輿ニ担イデ虫ノ王国デモ作ラレル気ダロウカ…」
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夕暮れ、空が真っ赤に染まる頃。
ついにオレ達は山の斜面、岩肌に隠れる様に存在する人工物の入り口を見つけた。
「どうする?ゼノ。遺跡の突入は明日にするか?」
「そうだな、今日はこの辺りで野営して明日の朝から探索を始めるか」
魔族であるオレやルキアにとっては昼も夜も関係ないが、人間のサニティアとライチャスは違う。
遺跡の中の機能が完全停止している場合はどうせ真っ暗闇だろうから朝も夜も同じではあるのだが、二人の体力的にも今日はここで休むべきだと判断した。
馬車の中に居るサニティアに『今日はここで野営をするぞ』と伝えようとしたその時だった。
背後で『ババッ』と手拭いを素早く振った様な音が鳴り、振り返るとルキアが紫電を纏って瞬時に戦闘態勢を取り、遅れてルキアに突き飛ばされたらしいライチャスが尻餅を付いていた。
「おや、今の一撃で仕留めるつもりだったのですが。何故人間を庇うのですか?」
少し離れた位置に成人ほどの背丈の虫人間が立っていた。
一見すると蟻人と呼ばれる魔物に似ているが胴や顔が違う。なんだありゃ、あんな魔物見たことないぞ?
エメラルド色の光沢を放つ昆虫の様な胴体から、硬そうな外骨格の黒くて細長い手足が生え、二足歩行で直立している。
こちらを見つめる目は赤い複眼で、本来口がある部分には管の様な物が垂れ下がっている。
蠅か…?蠅人間は片手には銀の杖、もう片手には人間の生首を四つもぶら下げていた。
背後からだったとはいえ、どうやらオレですら反応出来ない高速の奇襲でライチャスを狙われ、ルキアが彼を庇って攻撃を受けたらしい。
ルキアの上腕の辺りの服が破れて出血しているが、布の下の傷口は『カリタスモニーレ』の効果でとっくに塞がっているはずだ。突き飛ばされたおかげでライチャスも無傷、彼女のおかげで蠅人間の先制攻撃を完全に防ぐ事に成功していた。
よかった、ルキアにライチャス周りを警戒させておいて…。
こちらも向こうも短い時間で頭をフル回転させてお互いを探り合う。
『なぜ人間を庇うのか』だと?
魔族だとバレているのか?いや、オレもルキアも女王から借りた『投影鏡環スペキオム』を装備済みだ。
つまりこの蠅人間にオレとルキアは同種に見えているはず。
「その纏っている電撃は何ですか?まさか魔法が使えるのですか?何かの魔道具でしょうか?」
筒の様な口を振るわせて蠅人間が尋ねて来る。
魔物の蟻人は一切魔力を持たない魔物だ。目の前の蠅人間もどうやら蟻人同様魔力を持たない為、ルキアがどうやって電撃を発生させているのか不思議がっている様だった。
ライチャスは後ずさりしながら、目の前に現れた異形の化物を見た事による悲鳴を何とか片手で口を押さえてせき止め、ヨロヨロと立ち上がろうとしていた。
「出るなサニティア、中にいろ」
外の異変を察したサニティアが馬車から出ようとするが止める。
「貴方達ですね?私の仲間を殺したのは」
「…先に襲って来たのはジャイアントフライの方だぞ。自衛の為に戦わせてもらった。アンタの、俺達の仲間とは知らなかった。許せ」
感情の読み取れない赤い複眼がこちらを見つめて来る。
「あぁ、別に責めている訳では無いのでご安心ください。『近寄る者がいれば排除しろ、勝て無さそうなら報告しろ』と命じてありましたので、戦闘になっても致し方ありません」
声は明るく怒っている訳では無さそうだ。
「それにこちらも謝罪しなければいけないかもしれません、少し離れて付いて来ていたこの方達を私も殺してしまいました、貴方達のお知り合いですかね?」
蠅人間が片手に髪を掴んで纏めてぶら下げていた四つの生首を掲げる。
あれはルマロスからずっとオレ達の跡を付けていた冒険者か?
「いや、知らん。だからこちらも謝罪は不要だ」
「そうですか、それは安心しました。それで?この場所に何の御用ですか?何故人間と行動を共にしているのでしょう?」
「近くにオレ達の仲間がいると知って住処を探していた、アンタの事だろう?人間は手土産だ」
「おや、そうだったのですか!ですが同種というのは間違いですよ。我々は人間により生み出された生物です。自然に進化を遂げた貴方達とは見た目は似ていても別物なのですよ」
人間によって生み出された?ミラか?
ジャイアントフライもコイツが放っていた様だしやはり遺跡絡みだろう。当たりだな。
「あぁ!自己紹介がまだでしたね、お名前はお持ちですかな?私はベルゼと申します、以後お見知りおきを」
「オレはゼノ、そっちの…、雌はルキアという名前だ」
「ゼノさんにルキアさんですね!よろしくお願いします!」
姿を同種と誤認させている為、非情に友好的な雰囲気である。
だがコイツが冒険者を返り討ちにしている化物の可能性が極めて高く、こちらは緊張感に包まれたままだった。
「まさかお客様だったとは…。そうと分かれば安心致しました。私に付いて来て下さい、我が家に歓迎しましょう!」
表情の無い虫の顔だから感情は読めないが、声の抑揚と身振り手振りから機嫌が良さそうな事が伺えた。
「いやぁ、しかしそうとは知らずに不意打ちしてしまい申し訳ございませんでした。ルキアさん、お怪我は大丈夫ですかな?」
蠅人間がライチャスを庇ったルキアに謝罪し、傷の具合を心配そうに尋ねる。
「えぇ…」
ルキアが恐る恐る相槌を打つと、我が家とやらに先導しようとしていた蠅人間が足を止めた。
「人間の様に声が女性なのですね…?ふむ、自然進化した貴女方には雌雄があるのも当然ですよね、やはり同種同士でないと生殖出来ないのです?」
矢継ぎ早にルキアに質問を投げかける。
「むしろアンタは出来るのか?」
ルキアへと投げられた質問にオレが割り込んで質問で返す。
「出来ますよ、私の元となったのはジャイアントフライという他種族の腹を借りてでも繁殖する事が可能な魔物ですので」
「アンタに番いはいないのか?」
話の流れでさりげなく仲間の有無を確認する。
「いませんよ。私は他種族の雌とも交配可能なのですが人間で試した所、産まれてくるのは私の元となった近縁種のジャイアントフライなのですよ…。貴方達に出会えたのは僥倖でした、もし差し支えなければ後で交尾させて頂けませんか?姿形が似通った私達ならば、もしかすると繁殖に成功するやもしれません!失敗作の烙印を押された私の未来も、貴方達の未来も開けますよ!取れちゃいますよ、この世界を!!ほっほっほ」
己を失敗作と呼んだベルゼが筒の様な口を震わせて笑う。
他人の女の腹を使って勝手に繁殖しようとしないで欲しい。
倫理観とか無いのかこのハエ野郎。無さそうだな、虫だし。
上機嫌で捲し立てていたベルゼが、ルキアを攻撃したのに使用したと思われる銀の杖にその口吻を伸ばし『じゅるるっ…』と杖に付着した血を舐めた所でその動きをピタリと止めた。
「貴女の血の味、不思議ですね…。人間の物とも似ていますが少し違う…、これは一体…?」
ようやく弛緩しかけていたオレ達の緊張が一気に張りつめる。
「人間の味と…、後は、何でしょうか?獣人?魔族?エルフ?ドワーフ?わかりませんねぇ…。ですが、少なくとも虫では無い」
ベルゼがこちらをゆっくりと振り返る。
「貴方達、本当に私の仲間ですか?」
夕暮れ山の麓、暗い森の中でベルゼの複眼が真っ赤に光って見えた。
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「おいアトラ!アトラはどこだっ!!」
夕食後、夜のルマロス城をキョーノスが大声でアトラを探しながら歩いていた。
「全く、兄上不在の間は僕専属の侍女となった自覚がまだ無いらしいな…!」
自分ではいつも通りのつもりなのだろう、しかし父親であるブロムにあれほど釘を刺されたというのに彼の頭の中は今日一日中ほとんどアトラの事で一色に染まっていた。
朝は勉強を途中で放り出し、昼食後の散歩では空き部屋に連れ込み、午後の稽古後には風呂で背中を流させたというのにまだ足りない。
「ええい!何故自分の部屋にもおらぬのだ!」
もぬけの殻だったアトラの部屋の前で悪態を吐いていると丁度一人の侍女が通りかかった。
「おい、そこのお前、お前だ!」
「は、はい!?何で御座いましょうキョーノス様っ!」
キョーノスに呼び止められた侍女が驚き立ち止まる。
「夕食の途中に離席してからアトラの姿が無い。お前何か知らないか?」
「い、いえっ、あの、私にはちょっと…」
侍女の目が泳ぎ、狼狽え、明らかに嘘を吐いているのがキョーノスにも分かった。
言い澱む侍女の肩を突き飛ばして廊下の壁へと追いやり、怯える侍女に目を合わせてキョーノスが凄む。
「知らぬと言うのなら、別に貴様が相手でも構わんのだぞ?」
「あ、アトラさんでしたら…、その…、地下牢に向かわれるのを、お見かけしたような…」
「それを早く言わぬか!」
もう用は無いとばかりにキョーノスが礼も言わずにその身を翻して、大股で足早に地下牢へと向かい始めた。




