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白亜の灯台

作者: 小林あきら



 それは、白亜の灯台であった。



 八月に入り、いよいよ蝉が煩わしく泣き叫ぶこの頃。

 目の前は輝く海、振り返れば鬱蒼とした森という、非常に自然豊かな場所に建つ祖父母の家に、「帰省」という形でやって来たのは、夏休みが始まってすぐの頃だった。

 行きは新幹線で三時間。窓の外をぼんやり眺めてたら、あっという間に着いた。向かいに座る母親は始終静かで、眉を寄せてずっと難しい顔をしていた。


 祖父母の家に着いて、何より感動したのはその景色だった。内陸県で育ったため、リビングの窓から海が見える光景は、想像以上に胸を躍らせた。荷物も下ろさず窓際に立ち尽くしていれば、祖母が一つの空き部屋に案内してくれた。そこの窓からは広い海が良く見渡せた。祖母はこの部屋を好きに使っていいからと、穏やかに笑った。一人部屋にしては十分に広いその部屋に文句など言えるはずもなかった。大きな窓の向こうに広がる海を見つめながら、ありがとう、と言うと、祖母は何も言わずにただ頷いた。


 「帰省」したその日は、なかなかに忙しい一日であった。荷物を解き、母と自分の物とをそれぞれ片付けた後、せっかくだからと観光に出かけ、温泉にも行った。母は、実家ということもあるのか、始終緩んだ表情で思い出話などに花を咲かせていた。久し振りに見る明るい表情に、こちらも嬉しくなった。

 「帰省」して初めての夜は、母と布団を引っ張り出してきて、リビングに敷いて寝た。明日ベッドを買いに行こうね、と布団にもぐった母が呟いた。母の方を見ると、仰向けに寝転び、目を閉じていた。その横顔に何か言おうと思って口を開くが、結局何も言葉が出て来ることはなかった。あの時、何を言おうとしていたのか、自分でもよく覚えていない。


 翌日からは、夏休みを満喫しようと様々な事をした。祖父母と海辺を散歩したり、魚を釣りに行ったり、裏手に広がる森を散策に行ったり……、もちろん海で泳いだりもした。

 例の空き部屋にベッドも届き、日が経つごとに部屋の中に物は増えていった。八月になる頃には、海と森に囲まれた生活が「日常」になりつつあった。

 だからその日も、別段何か特筆することもない、「日常」と表すに相応しい一日だった。あえて言うとするなら、朝、少し早く起きて海辺を散歩し、美味しい魚を食べて、森へ散策に行き、海に泳ぎに行って、近所の銭湯で汗を流して帰って来る。そんな「日常」の一日(ひとひ)

 帰って来たら夜ご飯だ。祖母の料理に舌鼓を打っていると、その「非日常」はやって来た。

 唐突だった。もうすっかり暗くなっていた外が昼間かと思うほど、一瞬だけ明るくなったと思ったら、刹那すさまじい音が鳴り響き、同時にバケツをひっくり返したかのような大雨が降り出した。

 今年も来たか、と祖父が呟くように言ったのが聞こえた。大丈夫、毎年のことよ、と祖母がこちらに優しく微笑んだ。母は嫌そうに眉を寄せ、これだけは慣れないわと溜息をついた。雷が鳴り、雨粒が窓を叩く。しかし家の中には普段と何ら変わらない「日常」があった。談笑し合う祖父母と母。しばらくしたら誰も外の様子を気にすることはなくなった。


 寝る前、窓の外から見える海を眺めることが楽しみの一つになっていた。暗い中、銀色にゆらゆらと光って揺れる波に映る月明かり。夜の海は非常に静かで、それでいて神秘的であった。

 しかしその日、海は荒れていた。月など映る隙もないほど、叩くように波がうねり、激しく銀色を弾かせていた。まるで怒り狂うかのような海を見るのは、その日が初めてであった。呆然と、うねる海を見つめる。まるで夢から醒めたかのような感覚に包まれる。普段の静けさが嘘のように、表情を変えた海。波が激しくぶつかり合う度、無性に叫び出したい衝動に駆られた。足元が不安定な場所に立っているような、自分が真っ直ぐ立てているのかさえ分からなくなるような……。冷水を浴びせられたように体の芯がヒンヤリとした。


 どれくらい時間が経ったのか、視界の端で、揺らめく灯りが目に入った。一瞬見間違いかと思うほど、微かな灯りであったが、それは確かに揺れていた。街灯などではない。そもそも、ここ周辺は娯楽施設があるわけでもない山の中だ。夜に頼りにする灯りは街灯ではなく、月明かりのみである。

 しかしその日、確かに月以外の灯りがぼんやりと見えた。あれは何だろうか。激しい雨に歪んで見えづらいが、まるで海に浮かぶように一つ、白い灯りが見える。でも船の灯りにしては上下の揺らぎがない。あの灯りはどこで光っているのだろう。窓に手をつくと、ヒンヤリとしていた。

 しばらくその灯りを見つめた後、カーテンを閉め、ベッドに入った。目を閉じる。ゆらゆら揺れる白い灯りを閉じ込めるように。


 朝起きて一番最初に思い出したことは、あの白い光のことであった。カーテンを開けると眩しい朝日が飛び込んでくる。昨日の荒れた様子が嘘のように、煌めく凪いだ海が広がっていた。晴天だ。昨夜あの光を見たのはどこら辺であったか、だいたいの目星を付け、部屋を出た。

 朝食を食べ終え、早速出かける準備をする。祖父母も母も何も言わず、それぞれが自分の時間を過ごしていた。その光景はいつも通りであり、何も変わったところは無かった。行ってきます、と彼らに言えば、「朝の散歩かい?精が出るねえ」と、祖母が笑った。母と祖父は、気を付けて、と毎回のように言うが、その日もやはりそう言った。


 玄関を出ると、真っ青な海が一面に広がっている。穏やかに波を立て、朝日を反射して輝き、潮風がカモメの鳴き声を運んでくる。空を見上げると、絵の具で塗ったかのような青空が広がっていた。

 地面は濡れていて、コンクリートにところどころ水溜まりを残していた。海辺の砂浜にはゴミが打ち上げられており、近所の人達がゴミ袋を片手に掃除をしていた。道路には折れた木の枝が何本も転がっており、裏手の森の様子を後で見に行くことを予定に組み込んだ。


 昨夜、白い光が見えたのは海の上であった。道路沿いを真っ直ぐ歩き続ける。湾岸道路となっている道路に沿って歩き続けることは、つまり海沿いを歩き続けることになる。それはいつもの散歩コースでもあった。普段はその道が途絶えたところでUターンするのだが、その日は海に沿うように左へ曲がった。

 漁船が止まる船場を歩き、民家の横を抜け、山道を登った。雨が降ったばかりだからだろうか、よく出る狸や野良猫はあまり見かけることもなく、やがて道は険しくなっていった。昨晩の雨で地面がぬかるみ、歩きづらい。それほど深くない森だが、道らしい道はなく、木々の隙間から見る街並みを確認しながら進まなければ迷いそうだ。しかし、歩みを止めることはしなかった。

 森から抜け、小高い丘のような場所に出た時の達成感は、今まで感じた中で一番の清々しさだった。太陽はすでに頭の上で輝いており、先ほどから泣き止むことを忘れたように蝉がギャーギャーと喧しい。相反するように、さわさわと微かな海風に揺れる草木は涼しだ。

 左手に見える海の方へ行くと、ここが切り立った崖の上であり、街並みが見下ろせるほどには高い位置にあることが分かった。結構登って来たんだなあと、眼下を眺めていたが、ふと視界の端に白いものが入り込み、そちらを見遣る。

 崖に沿って歩いていくと、少しずつ海の方へと近付いていく。その先、まさに崖っぷちというような場所に、それはあった。


 それは、白亜の灯台であった。


 真っ白な体は細長く、真っ直ぐに天へ伸び、その姿は太陽に照らされ、堂々とそこにあった。綺麗だと思った。これだ、とも思った。

 昨晩見た光の正体はこれだ、と、なぜかひどく腑に落ちた。そうと分かると好奇心がうずき、中に入ってみようかと、灯台を見上げる。昨日、灯りが見えたということは、今も使われているのだろう。まるで、新しく作られたばかりのような美しさで聳え立っている。


 入り口はすぐに分かった。階段の先にある厳重な鉄の扉に一瞬ためらうが、やはり好奇心が勝った。恐る恐る引っ張ると、両開きの扉はすんなりと開いた。しかしその後ろには、さらに扉があった。重そうな鉄の扉が決意を鈍らせる。取っ手に手をかけ、しかしすぐに離す。もう日も高い。いつもならとっくに帰っている時間だ。きっと皆心配している。扉を閉め直し、階段を下りる。もう一度灯台を見上げる。白い輝きが眩しくて目を眇めた。


 帰りは別の道で帰った。崖を回り込むと下り坂になっている道を見つけた。この道を使えば、森の道なき道を通らなくても、街へ辿り着けそうだ。街へ降りるのに三十分、家まで走って十五分。息を切らして急いだものの、やはりいつもよりは遅い時間に家に着いた。母はひどく心配していたようで、帰って来て早々に説教を受けることになってしまった。

 いつもより少し長い朝の散歩から帰ったその日は、いつも通り海へ行ったり、裏の山の様子を見に行ったりと、「日常」が戻ってきたように変わり映えのない生活を送った。昨夜の嵐で木が倒れていないかと心配していたが、どの木もたくましくそこに立っており、自然の雄々しさを「格好いい」と率直に思ったりした。


 夜ご飯の最中、ふと思い立って灯台について聞いてみた。

「山の上に白い塔があるやろ」

 母は怪訝な顔をし、祖父がしばらくして思い出したように膝を叩いた。

「ああ、あの白い灯台か」

 どこか懐かしむように遠い目をする祖父に、灯台まで行ってきた、と言うと目を丸くした。

「あそこまで行ったんか」

「行った。綺麗なトーダイじゃった」

 思えば、間近で灯台と言うものを見たのはこの時が初めてであった。祖父母の言葉を真似て訛りのある言葉で答えれば、祖父は懐かしむように窓へ目を遣った。母は、そんな場所あった?と、首を傾げている。祖母は、小さい頃行ったから覚えていないのよ、と気にした風でもなく食事を再開する。だから今度皆で行こう、と笑ってみると、祖母も同じように笑ってくれた。


 夜、寝る前にカーテンを開け、海を眺めることは日課となっていた。その日もいつものようにカーテンを開けた。凪いだ波が、月明かりを反射し煌めく様子は、夜の海でしか見ることはできない。寝る前に静かな海を見るとよく眠れた。

 今夜は満月だ。海面に映り、ゆらゆらと揺れる月をぼうっと見つめていると、それを遮るように視界の端に何かが入った。

 白い光だ。あの嵐の夜に見た光と同じ。違うのは、あの時雨で歪んで見えた光が、今夜は満月に負けないくらい、明々と輝いていたことだ。月とは違う人工的な灯り。しかし海の上ではどの光も同じように乱反射し、銀色の一部となって溶けていく。月も、あの白い光も、海の前では同じような存在なのだ。そう思うと、何だかもう一度あの灯台に行きたくなってきた。


 それからは毎夜、海を眺めるという日課の中に、灯台の灯りが点いているか確認する作業が増えた。灯台の灯りは、海が穏やかな時は点いており、逆に海が荒れている時は、白い光を見ることは無かった。


 ――嵐が来た夜から二週間が過ぎた頃、その電話はかかってきた。


 電話に出たのは運悪く、母だった。時刻は夕時。電話に出た母の顔が盛大に歪むのが見えた。

「今さら何」

 母の声は冷たく、鋭かった。祖父はテレビを見つめたまま、我関せずというようにソファに座っていたが、表情は厳しかった。祖母は母の方を心配そうに見つめていた。しばらく相手と言い争いをしていた母は、不意に声を大きくした。

「何でそう勝手なの!?」

 祖母がソファから腰を浮かせた。段々と激しくなる電話越しの口論。ついに怒鳴るように母は叫んだ。

「あんたがそんなんだから!あの子は……っ」

 息を詰まらせ、不意に嗚咽を漏らす母を見かねて、祖母が近寄ろうとしたが、祖父の方が早かった。勢い良くソファから立ち上がると、母の方へ早足で近付き、受話器を奪う。そして耳に当てることなく口を近付け、

「二度とかけてくんじゃないっ!」

 そう叫び、投げるように切ってしまった。母は何も言わず、リビングを出て行き、祖父はこちらへ戻ってくると、ソファにドカリと座り、貧乏揺すりをし始めた。祖母が静かに言う。

「……ああいう言い方はどうかと思いますよ」

 祖父は何も言わず、テレビのリモコンでチャンネルを変えている。その表情は相変わらず険しいものであった。

 心配しないで、きっと大丈夫よ。祖母が笑ってそう言った。自分に言われたものだと気付くのに少しかかった。頷くと、祖母は少し眉を下げた。

 その後の夜ご飯に、母は姿を見せなかった。「帰省」して初めてのことだった。その日の夕飯の味は、よく覚えていない。


 部屋に入り、カーテンを開けた。静かな波と月と、白い光。

 ふと、あの灯台に行ってみようかと思い立った。時計を見れば、二十一時。寝るにはまだ早いと思った。

 玄関から出ようとして、思い留まる。スニーカーを掴み、ゆっくり自室に戻り、ベランダから外に出た。一瞬だけ家を振り返り、すぐに海の方へと走り出した。夜にジョギングするのは初めてだったが、案外良いものだなと思った。静かな海沿いに自分の息遣いが響く。それさえ心地よく感じた。


 山を通らず、多少明かりの灯っている町の方から坂を上っていく。街から離れて間もなく、その白亜の灯台は姿を現した。月に照らされた灯台は、その白さも相まってか、神秘的な雰囲気を演出していた。日の下で見るのとはだいぶ印象が変わるように思う。上の方を見上げれば、海に向かってあの白い光が伸びていた。

 あの扉の前に立つ。両開きの鉄扉を開けると、更にもう一つ、鉄の扉が。前に来た時は、開けなかった扉だ。取っ手はヒンヤリとしていて、夏の生ぬるい空気との温度差が心地よく感じる。下に押しながら、手前にゆっくり引くと、ギイッと錆びついた音を立て、扉は開いた。隙間から中をのぞくと、内装は案外あっさりとしていて、中央に一本、太い柱が伸びていて、そこに沿って螺旋階段が続いていた。釣られるように上を見上げると、淡く光が漏れており、そのせいか暗闇に慣れればそこまで暗くは感じなかった。隙間から体を滑り込ませるように中に入り、もう一度上を見上げる。唾を飲み込む音がやけに大きく響いて聞こえた。


 螺旋階段の手すりは程良く冷たく、灯台の中のどこかヒンヤリとした気温は、夏が過ぎ秋が来たかのような感覚にさせられた。足元は暗く、目を凝らしながら階段を上る。踏むたびにカンカンと音が響き、心臓の音が早くなる。どれくらい昇っただろうか。ふと横を見ると、小さな窓があった。上を見上げると、小さな丸窓は均等に感覚を空けて付いている。そこから月明かりが漏れて、灯台の中を照らしていた。小窓から見える海は、さきほど灯台の下から見た時より遠くに見えて、随分昇ってきたようだと気付く。再びカンカンと音を鳴らしながら、手すりを離すことなく昇っていく。

 螺旋階段を昇り切った次に待っていたのは梯子であった。そこは小さな踊り場のようになっていて、梯子の先、上から漏れる白い光のおかげか、中の様子がよく見えた。小さな窓が一つ付いていて、そこからやはり海が良く見えた。

 梯子を少し引っ張って動かないことを確認し、ゆっくり昇っていく。十段ほどの短い梯子であったが、心臓の鼓動は一際早くなり、急くように足が動いた。


 梯子の先にあったのは海だった。大きな宝石のような機械が真ん中に置いてあり、あの白い光を海に伸ばしていた。壁は全て窓になっていて、一面海を見渡せた。梯子を昇り切り、その白い床に足を下ろし、ぐるりと中を見回す。昼間のように明るい場所だ。明暗差に目を眇める。


「良い場所だろう」


 一瞬、幻聴かと思った。

 若い男性の声。もう一度辺りを見回すが、姿は見えない。やはり空耳か、と握り締めた手を開く。と、機械の向こう側で何かが動いた。

 ハッと息をのむと、反対側、ちょうど機械に隠れて死角になっていた場所から、ひょっこりとその人は顔をのぞかせた。


「こんばんは」


 挨拶されるが、咄嗟に言葉が出て来なかった。まさか人がいるとは思っていなかったのだ。いや、灯台に昇る前まではいるかもと思っていたが、姿が見えなかったため、いないと思い込んでいた。


「ごめんね。驚いた?」


 少し困ったように笑う表情が祖母と重なって見え、我に返る。


「……大丈夫」

「そう……。座るかい?こっちにおいでよ」


 そう言うと青年は機械の裏側へ引っ込んだ。壁沿いに回り込むと、そこにはパイプ椅子が一つ置いてあった。青年はパイプ椅子に向かい合うように、海を背に立った。


「座ったら?」


 椅子を勧められ、パイプ椅子を見る。比較的新しいもののようだ。錆も見当たらない。ゆっくりとパイプ椅子に腰かけて、目の前で微笑む青年を見上げる。二十代くらいだろうか。


「ごめん、なさい。勝手に入っちゃって……」

「いやいや、僕も退屈してたから」

「おにいさんは、トーダイの人?」


 灯台で働いている——灯台守かと尋ねてみれば、「おにいさん」は一瞬視線を泳がせた。


「まあ、そんなところかな」


 おにいさんは不思議な格好をしていた。白装束と言うのか、全身真っ白な服を着ていた。


「それってお仕事の服?」

「うん。……いや、違うかな」


 どちらともつかない返事。視線をそらしたおにいさんは、気まずそうに腕を組んだ。


「ところで、こんな遅くに出歩いて、親御さんは心配しないの?」


 話しが反らされ、おにいさんの視線がこちらに戻った。今度はこちらが視線を逸らす番だった。


「きづいてないから」

「こっそり抜け出してきたの?」

「……」

「何か嫌な事でもあったの?」

「嫌な事なんてないよ。毎日楽しいし」

「じゃあ何で家出なんか」

「家出じゃないよ」

「……ふうん」


 ただ、白い光が気になっただけ。おにいさんに視線を戻す。全身真っ白なこの人は、あの白い光の様だと思った。


「光が」


 ポロリと口からこぼれた言葉は、静かな空間では大きく聞こえた。


「光?」

「……白い光が、見えたから」

「この灯台の?」


 それで気になって来ちゃったの?と、驚くおにいさんに頷けば、面白そうに笑われた。


「やんちゃだね」


 やんちゃ?と首を傾げる。そんなことを言われたのは初めてだった。


「家は近く?」

「走ったら近いよ。時計の針が一周するくらい!」

「結構遠いんだね」


 何がそんなに面白いのか、また笑われた。


「でも、何かあったから此処に来たんでしょ?」

「なんでそう思うの?」

「なんとなく」


 しばらく沈黙が続いた。時々、波と波がぶつかり合う音が微かに聞こえて、ここ数日で聞き慣れたはずの音なのに、ひどく遠くまで来てしまったような気分になった。

 白い光に照らされた海は、家の窓から見える海と何ら変わりはない。ただ、上から見下ろした方が、海が広く見える。


「どうしてこうなっちゃったのかな」


 ポツリと声が落ちた。無意識の独り言だった。何だか全てどうでもよくなった。


「なんで幸せってこんなに難しいのかな」

「幸せが難しい?」

「幸せになりたくない人なんていないのに。でも皆、それを忘れちゃうんだ」

「そうなのかな……」

「だって、幸せになりたいってこと覚えていたら、人を傷つけたり、怒ったりしないはずだもん」

「……誰かに怒られたの?」

「怒られてない。でも嫌な気持ちになる」


 手を強く握りこんで、目の前の暗い海を睨みつけた。視界の端で白が揺れた。


「きっとお母さんは、幸せを諦めてるんだ」

「お母さん」

「……」

「わかった」


 不意にお兄さんが手を打って、笑みを浮かべた。


「お母さんに怒られて家出しちゃったんでしょ」

「だから、家出じゃないって。優しいよ、お母さん」

「そっか、優しいお母さんなんだ」

「うん。優し——かったのにな……」


 いつから……なんて分かり切っている。あの日から、崩れ始めた。段々と、徐々に。


「もう戻れないのに。怒っても泣いても、前には戻れないのに」

「……そうだね」


 おにいさんと目が合った。おにいさんは、まるで泣きそうな、どこか痛いような顔をしてこちらを見つめていた。すっと、水が胃に落ちたような気分になった。


「別にいいんだけどね!」


 我ながら空元気な響きだった。しかし、笑顔はいつも通り浮かべられた。


「……ごめんね」

「なんでおにいさんが謝るの?」


 謝られるようなことなんて何もされていない。むしろ、謝るとしたらこちらの方である。


「ごめんなさい」

「え、ええ?何で?」

「おもしろいお話じゃなかったから」

「でも、大事な話しだったよ」


 大事な話し。お兄さんはそう言った。その意味が良く分からなかった。


「そんなことないよ」

「いいや。だって君は悩んでいるんでしょ?十分大事な話しだよ」

「……悩んでないよ。悲しいだけ」

「悲しいの?」

「うん。死んだ人は、生き返らないでしょ?悩んでもどうにもならないから。だから、悲しいだけが残ったの」


 「帰省」する一ヶ月と十日前、兄が死んだ。それから母も父も変わってしまった。


「きっとお兄ちゃんがまだ生きてたら、家族がバラバラにならなかったんだよ」

「お兄ちゃんは……、何で死んでしまったの?」

「病気。体が弱かったんだ」


 兄は色白で細くて、いつも人のよさそうな笑みを浮かべていた。ベッドでずっと寝たきりだった兄は、あまり外にも行けず、兄と遊んだ記憶もあまりなかった。

 兄の最期は誰も知らない。誰も家にいなかったのだ。最初に気付いたのは母だった。いつもの時間に帰ってきた母は、家に誰もいないことに気付き、兄の様子を見に行った。父はその日、早く帰る予定だったが、上司に飲み会に誘われ断れずそちらへ行った。


「お兄ちゃんが死んだ日、帰って来たらお母さんがお父さんに何か叫んでた。そんなお母さん見るの初めてだった」


 それから兄の葬式があって、母は笑わなくなった。厳しい時もあるけど、優しい母だったのだ。しかしその日から、父に対して常にイライラと当たるようになった。


「それで、お母さんが家を出るって」

「……」

「一緒に来る?ってお母さんが言ったから、ついてきた」


 この夏の期間は、母の休養期間でもあった。主に精神的な面で。


「お母さん、家に戻る気なんてないのかも。今日だってお父さんと……。あ、ごめんなさい。また面白くない話ししてた」

「別に気にしないよ。続きをどうぞ」


 そう言われると、続けなければならないような気がして口を開く。


「今日お父さんから電話が来て、お母さん泣いてた」

「……泣いてたの?」

「いつもそう。もう慣れたよ」

「慰めたりしないの?」

「なぐさめる?」


 お兄さんの顔を見る。恐らく間抜けな表情をしているだろう自分を見つめるおにいさんは、驚いたように瞬きを数回した。


「何か変なこと言ったかな?」

「……ううん。でも、お父さんだけが悪いわけじゃないって、思うから」

「どういうこと?」

「お兄ちゃんが元気ないこと、皆知ってた。でもあの時誰も家にいなかったのは、皆が大丈夫だって思ってたからだと思う。まだお兄ちゃんは大丈夫。お仕事も学校も……、休まなくても大丈夫だって」


 だけどあの日、兄は死んだ。それは誰のせいでもない。誰かが家にいたって、結果は同じだったかもしれないのだから。


「でもお母さんは、お兄ちゃんが死んだ時、誰も傍にいなかったことをお父さんのせいにしてる。何であの日、ノミカイになんて行ったんだって」

「……」

「お兄ちゃんが死ななければって思うことはいっぱいあるけど、でも変えられないことでしょ?」


 過去は変えられない。だけど母は、兄の最期の日を引きずって進めないでいるのだ。

 父だって後悔してる。お酒が大好きで、どうしようもない父だったけど、あの日から家でお酒を飲む父は見なくなった。葬式の日に、夜中一人で涙を流す父の姿がもうずっと頭から離れない。


 それに自分だって……。


「お兄ちゃんともっと……、お話したかった」

 兄のことが好きじゃなかった。母は病気の兄ばかり気に掛けるし、家のお金はほとんど兄の医療費に使われる。こんな病弱な兄を持ったせいだと八つ当たりをしたこともあった。


「――きっと」


 おにいさんがポツリと、言葉を落とした。


「きっと、お兄さんも後悔してると思う」

「え、お兄ちゃんが?」

「もっといろんなこと、したかったなとか、もっと家族と、遊びたかったなとか」


 死んだ兄の気持ちなんて、考えたことがなかった。心のどこかで思っていた。人は死んだら終わりだって。


「そうだといいな」

「お兄さんが後悔してる方がいいって?」

「消えちゃうより、ずっといいよ」

「――そうだね。そっちの方が面白いかも」

「……そういうの、フキンシンって言うんだよ」

「お、難しい言葉知ってるなあ」


 いつの間にか、気持ちは凪いだ海のように落ち着いていた。


「お母さんと、よく話し合ってみたらどうかな」

「勇気がないよ……」

「大丈夫だよ」


 おにいさんは温和な笑顔でそう言った。初めて会った、名前も知らない青年。だけど、そんな彼の言葉を、なぜか信じてみたくなった。


「もし大丈夫じゃなかったら?」

「なにも気負う必要はないよ。君がやれるだけのことをしたと思うなら」

「……わかった」


 頷く。明日、母と話してみようと思った。何だか、どうでもないことのような気がしてきたのだ。


「ありがとう」

「何もしてないよ」

「ううん。勇気が出てきた。誰にも話したことなんてなかったから」

「……そう。役に立てたのならよかった」


 そう言って、おにいさんは優しく微笑んだ。


「おにいさんって、トーダイみたいだね」

「それってどうなんだろう。ありがとう……?」

「全身真っ白だし、あの白い光みたい」

「それは君の方なんだけどね」

「え?」

「なんでもないよ。そろそろ帰った方がいいんじゃない?」

「うん!」


 パイプ椅子から立ち上がると、少し歪むギシッとした音が響いた。


「また来てもいい?」

「もちろん。ただ、次に会うのは随分先になりそうだね」

「なんで?」

「灯台守は僕一人じゃないってこと」

「ふーん」


 ひらひらと手を振るおにいさんは、灯台の白い光と相俟って、やけに眩しく感じた。


「足元暗いから気を付けて」

「うん。また会おうね!」

「楽しみにしてるよ」


 それは八月上旬、満月が綺麗な日だった。






「こんばんは」

「おやおや。これは可愛いお客さんだね」


 二人目の灯台守は、白いひげのはえたサンタクロースのようなおじいさんだった。


「おいで。ここに座るといい」

「大丈夫だよ!おじいさんが座りなよ」


 パイプ椅子から立ち上がろうとするおじいさんを慌てて止める。そして、この前おにいさんが立っていた場所に立った。


「おじいさんも、その白い服着てるんだね」

「これかい?わしらの正装だからのお」

「ふーん」

「お前さんは家出かい?」

「おにいさんと同じこと言ってる」

「違ったかい?」

「違うよ」

「じゃあ何か話したいことがあってここに来たんじゃろ」

「……なんで?」

「年の功じゃよ」

「としのこう?……この前お話したおにいさんに会いたかったんだ。お母さんとお話したって」

「ほほう、どうやら良い結果だったようじゃの」

「あのね、今まで思ってたこと、お母さんに全部話してみたんだ。最初は喧嘩みたいになっちゃったんだけど……。最後にぎゅってしてくれたんだ。もう少し待っててって」

「ほっほっほ。うんうん、そうかそうか」

「おじいさん、おにいさんのこと知ってるの?」

「わしらは灯台守じゃからの。全部知っとるよ。何を話していたのかも、知っとるわい」

「ふーん?」

「今日はわしで残念じゃったか」

「そんなことないよ!何か話そうよ」

「ほっほ。優しい子じゃの」

「そうかな。優しい子じゃないと思う」

「何か悪いことでもしたのかの」

「うーん。良いことばっかするのって大変じゃない?」

「ほっほっほ。やんちゃじゃのお。じゃあ数えてみるといい」

「数えるって、悪いことを?」

「悪いことも、良いことも両方じゃよ」

「でも、悪いことでも良いことでもないことってあるじゃん。喧嘩を見て見ぬ振りをする、とか」

「ふむ。じゃあ考えてみるといい。その喧嘩を見た時、お前さんは『止めなきゃ』という感情と、『関係ない』という感情が自分の中にあるから悩むのじゃろう?」

「関係ないというか……、どうにもならないって思う」

「では、その二つの行動を起こした自分を、それぞれ想像してみるといい。喧嘩を止めに行った自分と、見て見ぬ振りをした自分。その先にある未来がより良いものになってると思った方が正しい道じゃよ」

「未来……」

「それじゃあ、さっきの二つの選択肢の内、どちらがより良いと思う?」

「うーん。でも止めに行っても、未来は変わらないと思うから、『止めない』」

「なるほど。ペケじゃな」

「ぺけ?」

「ぶっぶーってことじゃ」

「ええ!」

「選択肢を選ぶときに注意することは二つある。一つ、未来や可能性を消さないこと。二つ、自己保身に走らないこと」

「じこほしん?」

「自分を守ろうとすることじゃよ。これさえ間違わなければ、正しい方を選択できるぞい」

「本当?おじいさんは選択肢を間違えたことある?」

「あるぞ。むしろ人生全てが間違いじゃったわ」

「え、全部?」

「わしは戦時中に生まれてのお。国のために戦うことが当たり前の世の中じゃった。今じゃあ、戦争は平和を侵すものとして悪なるものじゃろう。わしも、せめて戦争のない時代を生きたかったのお」

「何で昔の人は、戦争は悪い事って気付けなかったの?」

「価値観なんぞ時代によって変わる脆いもんじゃ。兵士になると殺人なんて、日常茶飯事だったからの。当時は、道徳的な悪いことは綺麗事で、国のために戦わないことが悪いことだったのじゃよ」

「……明日から数えてみる。良いことと悪いこと」

「そうじゃな」

「なんだか良いことを早くしたくなってきた!」

「ほっほっほ。そりゃあ良いことじゃの」

「あ、一個目!もう良いことしちゃった!」

「ほっほっほ」






 八月中旬。まだまだ暑い日が続く真夏まっ只中。夜もその気温はたいして変わらない。


「こんばんは」

「うわっ!びっくりした」

「ご、ごめんなさい」

「いやいや、こちらこそ。君はもしかしてあれ?最近この灯台を訪れてくると噂の」

「噂?」


 三人目の灯台守は、眼鏡をかけた妙齢の女性だった。


「ウチらの間でね。ちょっとね」

「そうなんだ」

「ちょうど暇してたところ。読書でもしてみようかと思ってね」

「なんて本?」

「さあね。題名なんてないから」

「え?題名がない本なんてあるの?」

「これは自叙伝だから」

「じじょでんって?」

「自分の生き様を綴った本よ」

「へえ。それは誰の人生が書かれてるの?」

「これ?……秘密」

「そんなあ」

「これ、貸してあげるから読んでごらんよ。自分で誰が書いた自叙伝なのか当ててみるといい」

「でも、返せるか分かんないよ?」

「じゃああげるよ、それ」

「ええ!」

「大丈夫だって。はい」

「……ありがとう」

「さてと、今日も海は穏やかだね。こうも日照りが続くと逆に心配になって来るけど」

「なんで?」

「そりゃあ、雨も降ってくんないと。あっという間に全域砂漠化しちゃうよ」

「そんなすぐに砂漠になんないよ」

「いや分かんないね。ウチは雨の方が砂漠より断然マシ」

「雨、この前すごい降ってたけど」

「え、そうなの」

「ここら辺に住んでるんじゃないの?」

「あー、まあここら辺ではないね。遠いとこだよ」

「ふうん。わざわざここまでお仕事に来てるの?」

「……それが生きがいでね」

「そっかあ。なんか、おばあちゃんみたいなこと言うんだね」

「はっはっは!こう見えて結構年取ってるからね!」

「え、何歳なの?」

「こら、女性に年なんて聞くもんじゃないよ」

「あ、ごめんなさい」

「よしよし。素直に謝れるのは良いことだ」

「良いこと……。あ、そう言えば」

「ん?」

「この前、おじいさんが良いことと悪いことの見分け方を教えてくれたの、思い出した」

「あー、はいはい。あのおじいさんね。へー、ちょっとそれ面白そうじゃん」

「でも忘れちゃってた」

「人間は忘れる生き物だよ。大事なことも次第に忘れていくもんさ」

「大事なことも?」

「そうさ。だが、挑戦は悪い事じゃない。平坦な道を行こうとする奴こそ、悪者だよ」

「悪者」

「良いことをしたいと言ってたね。平坦な、苦労しない道を選ぶことをすれば、それは裏切りだ。」

「誰を裏切ったことになるの?」

「あんたが生まれるまでの過程すべてだよ」

「……難しくてよく分かんない」

「ははは。そうだなあ、物事は決して君一人だけの力で動くわけじゃない。笑う人がいれば、泣く人たちもいるってことさ」

「ええ、もっと分かんなくなったよ」

「いつか理解できるさ。ウチは期待してるんだ、あんたに」

「なんかやっぱり、おねえさん若いのにお年寄りみたい」

「はっはっは!違いないさ!」




 それからも、いろんな灯台守に会った。絵を描くのが好きなおじさん、歌が上手なおねえさん、編み物が上手なおばあさん……。皆、何かしら信念を持っていて、最後にはそれを「覚えておけ」と託してきた。




 ――そうして、八月ももうすぐ終わるという頃、母が言った。家に帰りましょう、と。






「こんばんは」


 そう声をかければ、その人はゆっくりとこちらを振り向いた。


「久しぶりだね」

「……そうだね」


 優しく微笑む彼は、一人目のおにいさん。


「お母さんと話し合えたんだってね」

「うん。もう明日、家に帰るよ」

「そう。良かった」

「あのね」


 微笑み続ける彼を真っ直ぐ見つめ、口を開く。しかし言葉を発するのに少し躊躇って、小さく息を吸った。

 大丈夫、言うんだ。今日できっと最後だから。ここ数日、いろんな灯台守と会って確信したことが一つある。


「あのね、お兄ちゃんのこと、嫌いだった」

「……」

「でもね、ずっと会いたいって……っ」


 声が詰まった。だけど、何とか続ける。


「願ってた。もう一度、お兄ちゃんに会えたら、そしたら、言わなきゃいけないことがたくさんあるから」

「それは……」

「ごめんなさい」

「え?」

「ずっと謝りたかった。ずっとずっと」


 涙で視界が滲む。目の前の彼がどんな表情をしているのか、歪んだ景色からは読み取れない。しかし、構わず言葉を続ける。


「お兄ちゃんにイライラしたりもした。嫌いだった。でも、もっとお兄ちゃんと遊んだりしたかった。お兄ちゃんと喧嘩したりはしゃいだりしたかった……!」

「……うん」

「病気でずっとベッドにいるお兄ちゃんなんてつまんなくて。誰も悪くないよ。病気のお兄ちゃんも、遅く帰ってきたお父さんも、お母さんも。ただ皆、自分が許せなかっただけで」


 海は穏やかだった。白い人は、静かに微笑んでいた。


「そっか」

「……っ」

「良かった」

「っな、んで」

「心残りだったから、ずっと」


 そうずっと。この一か月間。


「……お兄ちゃん、大きくなってたから、全然気付かなかった」

「コッチは時間の流れが早くてね。だから、気付かれないと思ったんだけどなあ」

「歌のおねえさんが、同じこと言ってた。“私達が住んでるアッチは時間が早いのよ”って」

「まったくあの人は……。口が軽いんだから」

「それに、もらったジジョデンにも書いてあったよ。“ウチは死んでから灯台守になった”って」

「自叙伝まで!?」

「絵描きのおじさんも、おにいさんの絵だよってお兄ちゃんの似顔絵をくれたし、昨日会ったおばあさんは、明日来ればお兄ちゃんに会えるよって教えてくれたよ?」

「ええ……。みんな隠す気ないじゃん……」

「あははっ!」


 がっくりと肩を落とす様子に、思わず笑い声が漏れる。涙を拭って、改めて()に向き合う。


「――心配だったんだ。大丈夫かなって。でもきっと、これからもずっと心配ばっか、することになるなあ」

「心配、させないようにする」

「本当?」

「でもずっと見守っててよ。とうだいもり、なんでしょ?」

「もちろん。ずっと見守ってるよ」

「……明日には帰っちゃうから」

「うん」

「お兄ちゃんには、どこに行ったら会えるの?」


 驚いたような表情をされた。でもすぐに、いたずらっ子のような表情で笑った。


「君のいる場所になら、どこにでもいるよ。君が気付いていないだけで」






 帰りは新幹線で三時間。母と談笑していたらあっという間に着いた。向かいに座る母親は始終笑っていて、楽しそうにずっと明るい表情をしていた。


 母の顔を見つめながら、今朝の出来事を思い出す。






 祖父母の家を出立する日の、朝。祖父母と母と、灯台に寄った。

 日に照らされた白亜の灯台。祖父が上を見上げ、感慨深げに呟く。


「すっかり、荒廃しちまったなあ」


 扉が朽ち果て、白い塗装は剥がれ落ち、周りは雑草が生え、荒れ放題な土地。何度も見てきた、白く輝く綺麗な灯台の面影は全くない。

 呆然としていると、祖父が言った。この灯台は随分前からもう使われていない、と。




 あの不思議な体験は、夢だったのだろうか。時が経つにつれてそう考えることも増えたけど、その度に本棚から一冊の(じじょでん)を取り出しては、あれは夢なんかじゃなかったんだと息を吐く。



 いよいよ八月に入り、蝉が煩わしく泣き叫ぶこの頃。今年も墓に花を供えながら、にっこりと微笑む。


「いつもありがとう、お兄ちゃん。おかげさまで家族三人、幸せに過ごしてるよ」











——どうじゃ、最近。(あかり)ちゃんは。

——あ、こんにちは。とても楽しそうですよ。恋人もできたみたいで。

——さすがウチの子孫。可愛い顔してるもんねえ。遺伝だね、遺伝。

――今年で20歳だっけ?早いわねえ。お話した時はまだ10歳だったのに。また一緒に歌いたいわ。

——僕も、書き溜めた肖像画を渡してあげたいなあ。毎年誕生日に描いてるんだけど、溜まっていく一方だよ。

――うふふ。また皆で会えるまで、しっかり守ってあげないとねえ。何と言っても、私達は灯台守なのですから。

――――そうですね。兄としても、まだまだ妹を嫁にあげるわけにはいきませんから。



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