刺繍デザイナー兼縫製職人①
「……まぶしい……。ううーん、もう少しだけ寝かせて……」
カーテンの隙間から入る朝日が眩しくて、意識が覚醒したメリーナだったが、モゾモゾと布団の中に頭を隠してもう一度眠りの世界に旅立とうとする。
「お嬢様、寝ないでください! そろそろ起きて下さらないとアルバ様がくる時間になってしまいます! 身支度が間に合いません!」
その出鼻をくじくマリンの焦り声。仕方なしにメリーナはノソノソと起き上がるが、その目はいまだ開いてはいなかった。
「失礼いたします!」
「あー、あったかい」
顔に押し当てられた布巾の温かさに、メリーナはこれではますます眠くなると思いながら、されるがままに身支度をはじめる。
メリーナが伯爵令嬢として相応しい格好になった頃には、すでにアルバがサウザン家を訪れていた。
「お待たせいたしましたわ」
「とんでもございません。それではご案内いたします」
メリーナはマリンを連れ、アルバとともにラウルがいる店に向かって街へと繰り出した。
「ご令嬢、本当に馬車ではなくて良かったのですか?」
「いいのよ。皇都の様子を間近で見たかったの」
アルバが店の場所を案内するため、メリーナの斜め前を歩きながら聞いてきたので、メリーナは朗らかな声で断る。
「そうですか。お疲れになられたらいつでも仰ってくださいね。馬車をご用意いたしますので」
「ありがとう。マリンに疲れが見えたらお願いするわ」
「お嬢様、私は侍女として鍛えられておりますので、そこまでか弱くは……」
和やかに会話をしながら歩いていくと、街の喧騒が聞こえはじめ、さらに歩くと大きな繁華街に到着した。
フロリア駅からフロリア城に向かって一直線に広がっている、皇都で一番大きな街である。
人の多さに浮き足立っていたところ
「……! 無礼者! ……なさい!」
「申し訳…………! ……しを!!」
ザワザワと近くで騒動が起こった。
豪奢なドレスに身を包んだ、メリーナと同年代ほどの金髪の女性が、一組の親子に対して怒声を発し、親子が縮み上がっているようだ。
「仕置をしなくては」
金髪の女性はそう言うと、手に持っている扇を振りかざし、縮み上がっている母親を打とうと構える。
「ちょっと待ったあ!」「ちょっと待て!!」
メリーナが止めに入るのと同時に、もう一人別の男性も止めに入った。
「……え?」「うん?」
声がした方を見ると、相手も同じようにメリーナを疑問の眼差しでみてくる。
「なんですの!? あなた達は! ……この者達の知り合いか何かですの?! それなら同罪ですわね?」
「知り合いではありません」「知らねえ」
メリーナと男性はまたも同時に答える。金髪の女性に言いたいことがあるメリーナは、隣の男性に目でうかがうと、どうぞというように頷かれた。
「その扇、見せていただけますか?」
「え……扇ですの? まあ、よろしくてよ」
メリーナの言葉が予想外だったのか、毒気を抜かれたように、扇を渡してくる女性。
(やっぱり。刺繍月刊本の「今年の流行はズバリこれ」のページに載っていた人気作じゃない! こんな貴重な扇で人を叩こうとするだなんてありえないわ……)
「理解できねぇ」
いつの間にか、メリーナが持つ扇を凝視していた男性も、そう呟いてため息をついた。
「なに、なんなのよ。もうよろしいでしょう? 返してちょうだい」
「眼福でした。ご令嬢、物で人を叩くのはよくありませんわ。叩くのであれば、どうぞその手でお叩きくださいませ」
扇を丁寧に返しながら意見を述べたメリーナだが、 男性に怪訝な目で見られて小首をかしげる。
「……帰りますわ。そこの親子! 次からは気をつけることね!」
金髪の女性は、いまだに縮み上がっていた親子にきつい眼差しを向けて、去っていった。
その後、メリーナと男性は親子に感謝を伝えられ、ひと息つく頃には、ラウルの店に着いていないとおかしい時間になっていて慌ててしまう。
「マリンたちはどこかしら」
扇で親子を叩こうとする、衝撃の現場を見たせいで忘れていた。辺りを見回すと、近くからメリーナを探す声が聞こえてくる。
「マリン! ここよ」
「お嬢様! 急に走らないでください。皇都は物騒なんですよ! 何かあったらどうするのですか!」
「ごめんなさい」
メリーナを見つけたマリンが、険しい形相で駆け寄って来たのを、やわらかく受け止めた。
「おや、店から出てくるなんて珍しい」
「店の前で騒ぎがあったんだ。出てこない訳にはいかねぇだろ」
マリンと一緒にいたアルバが、メリーナの隣りに立っている男性に声をかけた。
「アルバさんのお知り合いですか?」
「失礼いたしました。ご令嬢、こちらが今日会う予定でした、刺繍デザイナーであり縫製職人のラウル氏です」
アルバのその紹介で、メリーナの目には、横に立っている男性が、途端に輝きだしたように見えた。
(この方が、あの素敵なドレスを考案されたのね! 刺繍デザインについて、たくさんお話を聞きたいわ)