皇都フロリア
素朴なドレスを着た少女が、花畑の中、野生動物に追われて必死の形相で走っている。
緩やかなカールを描いている髪に被せられた花冠も、走る中でずり落ちる寸前だ。
あわや野生動物に捕まる……というところで、メリーナは目を覚ました。
「……はっ……っ、あの後、どうなったんだっけ……」
「メリーナ、大丈夫……? うなされていたわよ」
「悪い夢でも見てたのかい?」
お母様とお父様がこちらを心配そうに覗き込みながら、声をかけてくる。
「大丈夫よ。それより、もうすぐ皇都に着くの?」
列車の窓から、ゆっくりと流れていく外の景色を見つめ、建物が多いことに気づく。
今までお父様の仕事の都合で、のどかな田舎を転々としてきたけれど、都会は本当に建物が多いのね!
「そうよ。メリーナが赤ちゃんのときは皇都に居たのだけれど、覚えてないわよね」
お母様が頬に手をあて、笑いながら冗談を言う。さすがに赤ん坊の頃のことは覚えてない。
「エレーナ。私たちの娘であっても、赤子の頃の記憶が残ってたら凄すぎるよ! でも、どうなんだいメリーナ。覚えてたりするかい?」
「……お父様まで……。覚えてるわけないわ……?」
お母様に便乗して、楽しげにこちらを見てくるお父様を、上目遣いでみつめ、メリーナはため息をついた。
『紳士、淑女の皆さま。本日は皇都フロリア行きの列車をご利用いただき、誠にありがとうございます』
『当列車はまもなく終点、皇都フロリアに到着いたします。お忘れ物ございませんように、いまいちど……』
列車の放送で、メリーナたちは少ない手荷物を確認しはじめる。
「やはり列車は早いな。馬車とは大違いだ」
「そうねぇ。馬車だと何日もかかるわよね」
「お父様、お母様! 着いたみたい!……大きい駅…… 」
田舎の駅もとても大きいと思ったけれど、皇都の駅は大きさに加えて活気も段違いで、別世界に来た気分!
停車した列車の窓から外を眺めて、人の多さに圧倒される。
「メリーナ、そろそろ降りるわよ? 窓に張りついてたら真夜中になってしまうわ」
「お母様は、この人の多さに驚かないのね……? 私はとても驚いているのに!」
「それは……。これでも私は皇都の伯爵家出身ですもの。見慣れた景色なのよ?」
困り顔のお母様を見て、メリーナはそうだったと合点がいった。
こんなふわふわした雰囲気を醸し出しているお母様だけど、独身時代は社交界の華と謳われていたらしい。
そんなお母様を射止めた私は、天にも登る気持ちだったとお父様がよく惚気け話として語ってくる。
「エレーナ、メリーナ。私は仕事があるから、先に屋敷に行きなさい。駅の外に執事が待っているはずだから」
列車を降りたあと、お父様はそう言って駅を見渡した。
「サウザン卿! こちらです。無事にお着きになられて安堵しました」
メリーナとさほど歳が変わらなそうな青年が、こちらに近寄って来て、お父様に声をかける。
「これは! ノーザランド侯爵令息! 御自ら来られるとは思いも寄りませんで!」
「……それが、少し厄介事が発生して、急きょ私が……」
(……ノーザランド家の人?! なんでそんな高貴な人とお父様が……?)
青年はチラリとメリーナに目を向けたが、すぐに視線をお父様にきりかえ、難しい話をし始めた。
一瞬合った優しげな青緑の目が印象的で、少しドキリとする。
「お仕事の邪魔はできないわね。私たちはこれで失礼いたしますわ」
お母様が淑女の礼をしながら暇を告げるので、メリーナもそそくさと礼をした。
「あ、配慮が行き届かず申し訳ない、サウザン伯爵夫人とご令嬢。ご挨拶はまた次の機会に」
「お気になさらないでくださいな。お急ぎなのでしょう? 見ていれば分かりますわ」
「ありがとうございます。代わりに私の従者をお連れください。大抵の暴漢には対応できるはずです」
素早い会話の応酬に、メリーナは耳をそばだてるしか無かった。
お母様と青年の会話のあとに残されたのは、礼をとりっぱなしのメリーナと、隣りに立っているお母様。それから、会話の内容的に青年の従者だけらしい。
(都会って……、会話まで目まぐるしいのね……!?……それに)
「伯爵令嬢……? 私たちの家は子爵家では……??」
「メリーナ、あなた……。さては、こっちに来る前のお父様の話、ちゃんと聞いて無かったのね?」
普段は柔らかく垂れている目を、野生動物が獲物を見つけたときのように尖らせるお母様。ちょっとこわい。
「ごめんなさいお母様。刺繍の図案を考えてたの! 許して?」
「仕方のない子ね、まったく! お説教はお屋敷に着いてからじっくりしますからね」
(そんなぁ! あんまりよ! 少し、いえ、ほとんど? 刺繍に意識を持っていかれてただけなのに……)
「レインさんでしたかしら? お待たせしてごめんなさいね。 私たちの家の者が外に居るの。そこまで案内お願いするわね」
「とんでもございません! お任せください。こちらでございます」
従者というよりは、騎士といった方がしっくりくる雰囲気の男性だとメリーナは思う。
(動作に無駄がないわ。従者ならもう少しおっとりとした空気を出しそうなものだけれど……)
田舎の領主に仕えていた従者たちを思い出しながら、感嘆の吐息が漏れそうになるのをおさえる。
従者の案内で、やっと大きな駅から抜け出すと、そこには本の中でしか見た事がない、豪華な噴水広場があり、遠くには都民の暮らしが垣間見える住宅街と、立派な皇城が存在した。
皇都に着いたのが夕方だったからか、街灯に明かりが灯っていて、これから夜の精霊が舞う時間だというような、幻想的な風景が目の前に広がっている。
(……これが皇都フロリア! 富と名声が一身に集まった都! 誰もが一度は訪れたがるという噂も頷けるわ!)
フローリア皇国のことには詳しいつもりだったメリーナは、皇都の発展ぶりにあぜんとしてしまう。
メリーナは自身の世界がいかに狭かったのかを知ると同時に、これからの生活には驚きがまだまだたくさんあるのだろうかと考え、興奮をおさえられなかった。