悪役令嬢に転生したら実家に祠があった件
元ネタ知りません。「祠」「破壊」の文字が気になったので、勢いで書きました。
「祠」「ホコラ」などは使い分けなので誤字ではありません。
転生したら祠があった。
うん、これだけじゃ意味が分からない。私も意味が分からないんだけれどね。
***
スフィア・イヌール公爵令嬢。これが今の私の名で立場でもある。
母譲りの黒髪と黒の瞳を持ち、長身でスレンダー。華やかと言うより凜とした雰囲気を持つ十七歳の令嬢だ。
王太子の婚約者であり、若い女貴族達からは羨望の的として崇められ男女問わず人気がある。学業の成績は上位をキープし、武術や馬術もそれなりにたしなんでいる。現王、王妃からの覚えもよくまさに順風満帆、前途洋々……だったのは三年前までのこと。
実母が流行病で亡くなり、葬儀から三日も経たないうちに父は妾とその娘を屋敷に引き取った。彼女たちが弱々しく従順な猫を被っていたのは、一時間くらいだっただろうか。父の命令で公爵家に相応しいドレスに着替えた途端、二人は見事なクソ……いえ、少々気難しい女性に変わってしまったのである。
私こと、スフィアはといえば、母の死のショックで前世の記憶を取り戻したばかりで、とても彼女たちの振る舞いに対応するどころではなかった。言われるままに自室を義理の妹に明け渡したどころか、ドレス、宝石、靴、調度品等々、全てを彼女たちに取り上げられた。そして気付いたら一人、使用人の部屋よりは少し上等、程度の離れで暮らすことが決まっていた。
義理の妹、マリアは私とは正反対の金髪に碧の瞳を持ち、容姿だけならまさしく妖精。
だがその中身は、ありがちだが邪悪そのもの……とは言い過ぎたかもしれない。
ともかく、マリアはその愛くるしい美貌とトーク力を使って貴族社会に入り込み、見事に私の婚約者である王太子の心を射止めたのである。正確には王太子とその取り巻きの心だが、それぞれ自分が本命だと疑う様子もない。
で、私の方はといえば、マリアとその母がせっせと悪評をばらまいてくれたお陰で、今は誰からも見向きもされない「悪役令嬢」として名をはせていた。
正式な婚約破棄こそされていないが、王太子がプレゼントどころか手紙すら送らなくなって早一年。実質的にマリアは王太子の新たな婚約者として、一部の若い貴族達からは認められていると噂で聞いている。
幸いだったのは自分と同様、再婚相手から蔑ろにされている父が気遣ってくれている事だ。元々お坊ちゃん気質だった父は本当は妾など作る気もなく、悪友にほぼ騙される形で娼婦と一夜の過ちを犯したらしい。そしてたった一晩の過ちでマリアができてしまい、申し訳無く思った父は実子と認めてしまった。母が亡くなり葬儀の準備をしていたところ、「偶然」通りかかった妾母子は父に「メイドで良いから雇ってほしい」と頼み込んだので頷いたところ、あれよあれよという間に後妻に収まった……とスフィアはつい先程項垂れる父から聞かされたところである。
(素晴らしい乗っ取りの手口。というよりお父様がチョロすぎ案件)
今更父に文句を言ったところで事態は改善しないし、何より憔悴しきっている親をなじるのは気が引ける。控えている執事とメイド長も「私どもの落ち度です」と頭を下げてくるから、居心地の悪い事この上ない。
「お父様、事情は分かりました。それで今後の方針はいかがするのでしょうか?」
今日、わざわざ執務室に呼び出したのは、マリアと王太子の結婚に関してだろう。
大体において私の転生した悪役令嬢ものでは、通っている学園の卒業パーティー、あるいは城で行われる正式な婚約発表の場で婚約破棄イベントが行われる。現状ではマリアに分があり、自分は破棄されるのは決定事項と断言してもよい。ただ破棄されるならまだしも、無実の罪を着せられ、断罪されるのは嫌だからそれだけは避けたい。けれどマリアの性格上、敵対する相手は徹底して潰すので希望ある未来は閉ざされている。
「今のうちに退学届を出して、遠方の修道院に入ろうと思います。生前贈与に余裕があれば、海を隔てた国に長期留学という名目で移住し亡命申請をするという手も……」
私の言葉を遮り父が頭を下げた。
「スフィア、お前にはこの公爵家を継いでほしい」
「……お父様、それは現実的でないのはおわかりでしょう?」
本来スフィアが王太子に嫁ぐにあたり、この公爵家は遠縁の伯爵家次男(現在五歳)に継がせる事が決定していた。三年前の時点では妾腹の存在はなんとなく知らされていたけれど、庶子なのでとても公爵家を継がせる事はできないと誰しも思っていたのだ。
「婚約破棄をされたからといって、私がこの国に留まる事をマリアが許すとは思いません。イヌール家が取り潰しとなる前に、私を国外追放して伯爵家の次男に継がせるよう取り計らってください」
「マリアと母親の性格は、私も重々承知している。しかしお前でないと駄目なのだよスフィア。伯爵家のあの子には申し訳ないが、手に負えるとは思えない」
「どういう意味ですか?」
「ついてきなさい」
そう言うと父は席を立つ。大人しく従うと、後から執事とメイド長もついてくる。
屋敷内は普段の騒々しさが嘘のように静まりかえっていて、スフィアは首を傾げた。
(さっきまで掃除をしていたメイド達はどこに行ったのかしら? マリアは夜会だと聞いてるけど、こんなに早く出かけるのもおかしい……)
「あの、お父様? どちらに――」
「ここから先は、私がよいと言うまで口を開いてはならん」
何年ぶりかで聞く父の威厳ある声にスフィアは口を引き結ぶ。
父を先頭にして屋敷の裏門を出て、庭園を通り更にその先にある森へと入る。狩猟場として管理されてるいると聞いていたその森に、スフィアが立ち入ったことはない。
父からは単純に「王がお忍びで狩りを楽しむこともある。危険だから入ってはいけないよ」と諭されていただけだが、今思えば何か不自然だ。
(手入れ……全然されてない)
辛うじて獣道のようなものはあるけれど、王族が気軽に入れるような場所でないのはスフィアも気付く。
「アドロ、シーア。支度はできているね?」
「はい旦那様」
呼ばれた執事とメイド長が進み出て、スフィアの前に立つ。シーアと呼ばれたメイド長の手には、籐で編んだ籠。それを恭しくアドロ執事に掲げる。
アドロはイヌール公爵に視線で確認してから、籠を覆っていた白い布を取り白い杯を手にした。
(さかずき? だよね? ……でもって、御神酒徳利?)
この世界観に相応しくない道具を前に、頭の中をハテナマークが飛び交う。
「スフィア、アドロ、シーアの順で、オミキを飲みなさい」
(やっぱり御神酒だ! ってちょっと待って。これってなんか、ヤバイよねえ……どうやっても、嫌な展開になる怪異絡みのヤツだよねえ?)
悪役令嬢ものの断罪なら、ある程度は知識もあるし回避の仕方も知っている。なぜならああいう話は大好物だったからだ。
そして同じくらい、前世のスフィアはオカルトも大好物だった。
だからこそ……怪異の回避は断罪なんかよりずっと難しいと知っている。
「お、お父様……私……今から異国に旅立ちたく……」
「口を開いてしまったね。お前は森に立ち入るのは初めてだから、すぐに飲みなさい」
「お嬢様」
「さ、早く。時間がございません」
有無を言わせぬ圧をかけられ、スフィアは杯にそそがれた透明な御神酒を飲み干した。
すると大人三人がほっと息を吐く。
「この森に立ち入る条件として、当主以外はオミキを飲まねばならない。よく覚えておきなさい」
「保管場所はお屋敷に戻りましたら、正式な儀式の後でお伝えいたします」
(儀式ってなに?)
笑顔の執事にスフィアは引きつった笑みを返す。
四人は再び公爵を先頭にして歩き出す。森の緑は益々濃くなるが、鳥の声も獣の気配すらもしない。風が吹き抜けても木の葉のざわめきすら聞こえず、気味の悪い静寂が辺りを包んでいる。とにかく屋敷に戻りたかったけれど、なんだか後ろを振り返るのも怖い。
仕方なく父について進んでいくと、突然視界が開けた。
「えっ?」
そこは十人ほどがピクニックを楽しめそうな円形の広場となっており、空を覆う木々もなく陽光がさんさんと降り注いでいた。一流の庭師が管理していると思われる美しい芝生と、可憐な白い花をつけた低木が広場を囲む生け垣のように綺麗に配置されている。簡素だがまるでこの世のものではないような美しさに、スフィアはため息を吐く。が、すぐに異様なものが目に飛び込んできた。
スフィア達の正面、丁度広場の中心に「それ」は建っていた。
(祠……)
小さいながらも、それは確かに「祠」と確信する。幼い子どもが入れるくらいの観音扉を持つ木製の祠は、これまたあつらえたような丁度良い岩を台座に鎮座している。桧皮葺きの屋根には所々苔が生えており古びてはいるが、それが何とも言えない雰囲気を醸し出していた。
アドロとシーアが祠に向かい頭を下げ、残った御神酒を捧げる。シーアは更に玉串を籠から出して、公爵とスフィアに渡した。
「これから私の真似をして、これを捧げなさい」
「……はい」
嫌だ、なんてとても言える雰囲気ではない。
(こっちの世界観だと邪神? 悪魔崇拝?)
一応この世界の宗教は、一神教である。殆どの国が同じ神を信仰しているが、「魔術」や「聖女」の存在もあるので、あからさまな邪教でなければ土着神的なものも信仰の対象となっている。まあガバガバな訳だが、これまでスフィアは神学でも史学でも、目の前の「祠」のような形状の信仰対象など見たことがない。
いや、前世では嫌って程ファンアートで触れていたから全く知らないというのは違う……などと現実逃避をしつつ目を泳がせる。
そんな愛娘を、公爵は緊張していると勘違いしたのかことさら優しく話しかける。
「スフィアよ、よくお聞き。わがイヌール家では代々このホコラをお守りしてきた」
(あ、やっぱり祠っていうんだ)
「当主、嫁いできたもの、長年仕えている選ばれた使用人。大体十名ほどが、当主と共にホコラを守る。これは王家でも務まらぬ、とても栄誉ある仕事だ」
「あ、あの。教会の許可は」
「勿論得ている。彼らの力では御しがたい故に、イヌール家がお守りする役目を頂いている」
それはつまり、この国の主教である神様と同格かそれ以上という意味だろうか。
(深く考えちゃ駄目だ。とにかく、話を聞こう)
大体において、失敗のパターンは話を聞かない、あるいは都合良く曲解することで惨劇スイッチが入る。言われたことをきちんと守り、従えば怪異は何もしないのが基本だ。
「イヌール家の子どもは十七になると、この事実を伝えられホコラに参り挨拶をする。年に二度、夏至と冬至にオミキとタマグシを捧げて。ホコラに敬意を表す」
「……それだけ、ですか?」
「それだけとは?」
「肉や香草を絶つとか、夜は十二時までに寝ないと駄目とか。枯れた井戸から何か出てきたり、旅行何日か家を空けたら何かが入ってくるとか……そういうの……です」
元々たいしてない語彙力で、スフィアは父に問いかける。
「私もお前の亡き母も鹿肉が好物なのは知っているだろう? 夜も夜会がある日は明け方までは城にいねばならぬし、我が家に涸れ井戸はないぞ。それと夏には親戚の伯爵家と一緒に、よく海へ行って遊んだではないか」
「そうでしたわね」
とすると、この祠に奉られている神は温和なものなのだろう。ほっとすると同時に、スフィアは現実的な問題を思い出す。
「私が当主となってこの祠をお守りする役目は承知いたしました。ですが、マリアが納得するかどうか」
「それは私から、国王に話をする。大司教殿にもスフィアが継ぐと話は通してあるから、安心しなさい」
既にマリアが王太子と懇ろになったと噂が立った時点で、父は色々と諦めて手を打っていたのだろう。
「正直、伯爵家に我が家を任せるのは心許なかったのでな。王太子との婚約が破棄されると噂で聞いて、ほっとしたのだよ。すまぬ」
「いいえお父様。王太子とは政治的な結婚だと割り切っていましたので、心に傷はございません」
これは強がりではなく、スフィアの真実の気持ちだ。特別恋をしている相手もいないので、公爵家とこの「祠」を守るに相応しい婚約者を早く見つけてほしいと父に頼む。そして祠に向き直ると前世の癖で柏手を打ち、頭を下げた。
「これからよろしくお願いします。ついでに良いご縁を探してくださ……っ?」
「スフィア!」
突然父が叫び、スフィアの口を手で塞ぐ。
(やばい! お願い事が、何かのスイッチだった?)
「すみませんお父様。この神様へのお願い事を取り消しますから、方法を教えてください」
「神様?」
すると公爵が怪訝そうに眉を顰めた。
「えっと、お祀りしているのですから「神様」がいらっしゃるのですよね?」
「いや、なにもいない。願い事をしても、それが正しく叶うことはない……」
「じゃあ、どうして?」
「ホコラの前では、余計な話をしてはならないと先祖からの言い伝えがある。それだけだ」
「さ、お嬢様帰りましょう。身体が冷えてしまいます」
「今夜は鹿肉のソテーですよ。デザートはチョコレートムースをご用意いたしております」
あからさまに話を逸らされたけれど、きっと彼らは口を割らないだろう。
(これ以上首を突っ込んで、自分から怪異惨劇ルートを確定させるのは悪手だわ)
次期当主として引き継いでしまったものは仕方ない。
だが、やはりというか、予想どおりというか。
翌日あっさりと、祠は破壊された。
森が騒がしいと異変に気付いた庭師が執事に報告し、父が確認しに行ったところホコラは見るも無惨に破壊されていたらしい。更には周囲の草花までもが剣でなぎ払ったように切り刻まれ、全ての花が散り落ちて芝生も踏みにじられていたと父が頭を抱える。
悪い事は大体にして立て続けに起こるものだ。その日の夜、早速悪役令嬢としての最大の試練が幕を開けた。つまり「婚約破棄と断罪」である。
王太子ヨハムとマリアは数カ月先の卒業パーティーを待てず、親しくしている貴族をこの屋敷へ招き、スフィアに婚約破棄を告げるという暴挙に打って出たのだ。
おそらく王太子は自分の両親である国王と王妃がスフィアとの婚約破棄に反対することは理解していたのだろう。城でこのような馬鹿げた発表を行うなど、計画した時点で侍従長が止めるだろうし、王だって黙ってはいない。しかし公爵家で行われる内々の夜会ならば、邪魔が入ることはない。既成事実を作ってしまえばこっちのもの、という浅はかな考えで行動したのだろう。
夜会用のドレスに着替える間も与えられず、スフィアはマリアの取り巻き達の手で公爵家の広間に文字通り引きずり出された。
「……殿下、一体どういう事かご説明いただけますか?」
不敬に値するかもしれないが、婚約者であった事を考慮すればこのくらいの質問はかまわないだろう。
「簡単な事だスフィア。君はマリアの出自を理由に酷く貶める言動をしていたそうじゃないか! 彼女と彼女の母上の身の上を思いやることのできない非情な女が、我が妃になるなど考えられない。ここで私の名において、スフィアとの婚約を破棄する!」
(これが政治的な結婚でなければ、思いやり大事よねーってなるけれど。きれい事じゃ済まないのが分からないのかな……分からないんだろうな)
ヨハムの隣でマリアがくすんくすんと嘘泣きを始める。すると二人の傍に控えていた騎士団長の息子や宰相の息子、などなど名の知れた貴族の息子ども十名近くがマリアを慰める言葉をかける。勿論王太子もマリアの肩を優しく抱き、自分がマリアの夫なのだと分かりやすいマウントを取る。
「えっと……結婚に当たってのマリアの出自に関しては、殿下の方でどうにかしてください。婚約破棄は承諾します」
「え?」
あっさり婚約破棄を受け入れたので、マリアとヨハムそして取り巻き達は同時に間抜けな声を上げた。しかしマリアはめげない。さすがだ。
「お姉様、そうやって聞き分けの良いふりをして罪から逃れるつもりね! でもお姉様は罪から逃げられないわ。死罪になるのよ! 罪状は偽の聖女を名乗ろうとしたことですわ。これが本当の聖女の証です」
マリアが大きく開いたドレスの胸元に手を当てる。その胸には紫水晶の首飾りが輝いていた。聖女にはそれぞれ、教会から聖なる力を制御する宝石が授与される。それらは教会の宝物庫に保管されており、公爵家でも手に入れられない素晴らしい品々とだけ聞き知っていた。
「マリアの大切な宝石を隠すなど言語道断! 聖女であるマリアは――」
「それはどこで手に入れたのです? そのような立派な首飾りは、我が家にはないはずですが」
不敬とかとりあえず頭からすっぽ抜けたので、ヨハムの言葉を遮って問う。
「まあ白々しい。お姉様が私から取り上げて、森のホコラに隠したのでしょう?」
「じゃあ祠を壊したのはあなたなのマリア」
「そうよ。あのホコラにお願いして私を陥れようとしていたのでしょう? お姉様が私を呪い殺そうとしていると相談したら、ここに集った方々とお母様が壊すのをお手伝いしてくれたわ」
マリアと王太子、取り巻きの騎士達が得意げに頷く。
いや、人の家の物を勝手に壊しておいて、その態度はないだろう。
「あの祠の中に、その首飾りがあったのね?」
「ええ、そうよ!」
「本当に?」
確か父は祠の中には何もないと言っていたはずだ。
「私が嘘を言っているとでも? ああヨハム、お姉様はいつも私の言葉を信じてくださらないのよ酷いでしょう」
「無礼だぞスフィア。我が妻に無礼を詫びよ! マリアは次期王妃であり、聖女なんだぞ!」
確かに聖女であれば、庶民の出であるマリアが妃となるハードルはなくなる。おそらくマリアは、その仕組みをどこからか聞き自分を聖女だと王太子に偽ったのだ。
ただ聖女となるには、教会の承認が必要となるし奇跡も起こさなくてはならない。様々な疑問がスフィアの頭を駆け巡り、最終的に嫌な結論にぶち当たる。
(マリアは誰かから祠の存在を聞いて、「聖女になりたい」とお願いをしたのかもしれない。そして祠は、マリアの願いを聞き入れて聖女の証となる宝石をマリアに与えた。……でもどうして? その対価はどこから出たの?)
ぎゃあぎゃあとスフィアを責め立てる王太子など、この際どうでもいい。というか、今必要なのは、どうやって怪異から逃れるかの正解を導き出す事だ。しかし悲しいかな、前世の自分はオカルト好きでも単なるライトな読み専。お経も呪文も唱えられない。
(お札、は教会にあるかしら? いえ、そもそも祠を壊した場合って、どうするのが正解なの? 中が神様なら謝ったら許してくれる場合もあるみたいだけど、マリアが持ってる首飾りがご神体なら……マリアは許されたってこと?)
一人混乱するスフィアを死刑の宣告に怯え錯乱したと勘違いしたのか、マリアが嗤い出す。
「聖女の証である首飾りを盗み、自分のものにしようとした言い逃れできませんわよお姉様! 騎士の方々、お姉様を捕らえてくださいな」
高らかに宣言すると同時に、屋敷の外に控えていたのか王国騎士団が邸内になだれ込んできた。
が、何故か彼らはマリアとヨハム達を取り囲み、有無を言わせず何処かへと連れ去ってしまう。
訳が分からずぽかんとしていると、青ざめた父と共に国王と騎士団長、大司教が入ってくる。
「遅くなってすまない。無事かスフィア」
「ええ……」
無事は無事だが、一体何がどうなっているのかさっぱりだ。国王も司教もスフィアの様子ばかり気にしており、王太子からの婚約破棄以外は何ごともなかったと伝えれば、ほっとした様子で笑顔まで見せる。
「こちらのことは気にせず、今夜は休むがよい。婚約破棄の件は、暫し保留でかまわないかな?」
「いえ、殿下にはもう了承したことをお伝えしました。私としては、公爵家の跡取りとして陛下に認めていただければ、他に何も望みません」
「それはこれからもホコラを守るという意味と理解してよいな? イヌール公爵令嬢」
「はい」
深く頭を下げると、王の手が肩に置かれる。
「なんと頼もしい。私の息子には勿体ない令嬢だ。公爵、よき子に恵まれたな」
「ありがとうございます」
「息子達の処遇は、教会に一任する。公爵家には非がないと正式に文書で通達も出す。お前達は暫くは静養するがいい」
つまりは騒動が落ちつくまで屋敷に籠もっていろということだ。少なくとも廃嫡なんて最悪の事態にはならないと分かり、スフィアも内心ほっとする。
パーティーに呼ばれた貴族の面々も、事情聴取のため全員が騎士達の手で教会へと連行された。静かになった広間で呆然としていると、執事がスフィアに近づき公爵の部屋へ行くよう告げる。
「こちらは私どもが片付けますので、旦那様からお話をお聞きください」
多分、というか、確実に「祠破壊」の最終エピソードの導入部に違いない。オカルトを読むのは好きだけど、巻き込まれるなんてまっぴらご免だが逃げたとして怪異から逃げ切れる保証なんてない。
(お父様がなにかヒントをくださるのかしら。まあ、そうでないと私も詰むわよね)
足取りも重く父の部屋に向かい、扉をノックする。
「お父様、スフィアです」
「入りなさい」
疲れ切った様子でソファに座る父の前に、スフィアは腰を下ろす。間に置かれたテーブルにシーアが紅茶を置いて、無言で退室した。
「お父様、あの祠には何が入っていたのですか? 何もないというのは嘘ですよね? 本当の事を教えてください」
沈黙が怖くて、スフィアは父に問いかける。
「……石だ」
「マリアが身につけていた、紫水晶の首飾りの事ですか?」
「いいや。道ばたにあるような、ごく普通の小石だ。正式に公爵家を継ぐ時にだけ、あの扉を開いて中を確認するのだが、私の時には小石が何粒か置かれているだけだった。ただし、あの中に「何か」が置かれるようになったのは私の父……お前の祖父の代からだ」
一体何があったのか、父イヌール公爵は静かに語り出す。
「まずあのホコラの成り立ちだが、誰も知らぬ。この土地を曾祖父が治める頃には、既にあったと記録されているがそれ以前は分からない」
曾祖父の代は、まだこの地は戦乱の真っ只中。現王の祖先が戦に勝利し、小国や部族を配下に入れて現在の国が出来上がった。同時に周辺地域もある程度同規模の国が建国され、これ以上の戦乱を起こさないよう和平の取り決めが為されて今に至る。
「曾祖父は王の先祖の家臣であったが、あまり武芸は得意でなく剣の扱いも未熟だったらしい。そこで思い詰めた末に、ホコラの前で「武功を上げる手伝いをしてほしい」と願った」
嫌な予感しかしないが、スフィアは黙って先の言葉を待つ。
「その夜から、曾祖父の剣は朝になると血まみれになって手入れ部屋に置かれるようになった。無論曾祖父は、戦には出ていない。次の日も、その次の日も……いつしか屋敷の剣全て、それどころか包丁や農具の鎌までが血まみれになっていった」
(ひいっ)
「不思議な事に、屋敷の人間は誰一人戦に出ていないし、怪我もしていない。なのに戦場の王からは武功を称える書類や勲章が届く。我が家が公爵の地位を得られたのは、ひとえに曾祖父のお陰でもある。曾祖父が亡くなるまで、剣は毎朝血を纏って手入れ部屋に現れた」
血なまぐさい話だが、当時としては仕方なかった事情も汲める。
「私の父、お前にとっての祖父は、曾祖父から剣の話を聞いてたのでホコラには何も願わず……あの広場に咲く花を褒めた。ホコラの中になにがあったのかは、最後まで教えてくれなかったよ」
無難な選択だなとスフィアは思う。なにも願わず称えたのは、曾祖父に代わり武功を立ててくれたお礼の意味もあったのだろう。単純な話だが、しかし事はそれで終わらない。
翌朝祖父が目覚めると、枕元には美しい花が置かれていた。
「翌日も、その翌日も。私の父は美しい花の香りで目覚めた……」
「それは素敵なことでは?」
「広場に咲いていた花ではなく、見たこともない異国の花だ。植物学者や旅の者を呼んで花を見せたが、誰一人としてその花の名を答えられなかった」
そして花は日を追うごとに数を増し、祖父が亡くなる頃には枕元どころか部屋一杯に花が溢れかえった。
スフィアは青ざめたまま、カラカラに乾いた喉を潤すために紅茶を飲む。
「私は……その話を聞いていながら……つい、どうしてこんな石ころを奉っているのかと父に問うてしまった」
違和感を感じて父をじっと見つめると、観念したように口を開く。
「……「なんだ、石ころじゃないか」と言ってしまったのだ……」
(それやっちゃいけないやつ)
父は祖父がかなり歳をとってから生まれた子どもだ。幼い頃は病弱で、文字通り蝶よ花よと甘やかされて育ったボンボン。代々奉る祠に対して、敬意も何もなかったのは想像がつく。
「その夜から今日まで……私が寝室に入ると必ず窓に小石がぶつけられる」
父の寝室の窓には分厚いカーテンがあるので、小石がぶつかった程度では室内に音が聞こえるはずもない。
「母からそんな話は聞いてません」
「お前の母親には聞こえていなかった。私にだけ聞こえるのだよ」
非礼を働いた者にだけ怪異は発動するようだ。父には申し訳ないが胸をなで下ろす。
「窓にぶつけられるだけなのですか?」
「そうだ。私が公爵家を継いでから、途切れたことはない。私の臨終の時まで続くのだろう」
両手で顔を覆う父が、呻くように言葉を続ける。
「何が起こるか分からないのだ。祠に祈っても、何もないことの方が多いが――ひとたび事が起これば、口にした者が死ぬまで終わりはしない。良きことも悪いことも度が過ぎる……」
***
父が知っているのは語ったことが全てだったようで、祠破壊に関してその後の怪異対策のヒントになるような事はさっぱり分からずじまいだった。
(とりあえず、私は無事ってことでいいのかしら。ともかく、祠は建て直さないといけないわね。広場はうちの庭師に頼むとして、腕のいい大工を手配しないと)
怪異の正体が分からない以上、自分に出来る事は祠と広場を可能な限り元通りにすることくらいだ。気休めにキッチンから塩を持って来てもらい、部屋の四隅に盛り塩をしてからスフィアはベッドに入った。
翌朝目覚めると、机の上には祠の設計図が置いてあり、気味悪く思ったもののこれはやはり「早く元通りにしろ」という怪異からのお言葉と考え、森の方角に向かい頭を下げた。
「やっばり神様はいらっしゃるのね。早く祠を建てて、ゆっくりして頂かないと」
部屋の四隅に置いた塩は何故か溶けていたが、気にしないことにする。
朝の支度を手伝うために部屋へ入ってきたメイド長に、スフィアは図面を見せる。
「見てシーア、神様が祠の図面をくださったの。これがあれば、すぐに大工に仕事を頼めるわ」
「お嬢様……覚えていないのですか?」
「?」
シーアが言うには、自分は夜中に執事を呼び出して、製図台を運び込ませ明け方まで何かを描いていたらしい
言われてみれば手が怠い。夜着の上に羽織る薄物も、インクで汚れている。青ざめたスフィアとシーアは顔を見合わせたものの、どうしていいのか分からない。とりあえず図面は机に戻し朝食を食べるために部屋を出た。そして部屋に戻ってみれば図面は何処かに消えていた。
不可解なこの現象は始まりに過ぎなかった。
翌日から祠と踏みにじられた芝が少しずつ補修されていった。どうして分かったかといえば、庭師と執事がこれ以上荒らされることがないようにと、毎日御神酒を飲んで広場を確認に出てくれたお陰だ。
忠実な使用人の存在はとても有り難い。これからも大切にしようと、スフィアは心に誓う。
そして庭師と執事とは別に、王から命令され森の入り口で見張りに立った騎士達から報告が入る。それぞれの家に軟禁されていた取り巻き達が夜な夜な森に入り、せっせと修繕にあたっていたのだ。それも素手で。
爪が剥がれ指が折れても黙々と作業する姿に、魔物退治でも背を向けたことのない騎士ですら戦慄したと聞いた。
朝になると彼らは家に戻り、ベッドに入って休む。
家族が問い詰めても皆揃って記憶が無く、答えもおぼつかなかったらしい。祠と広場が元に戻る頃には全員老人のような容貌になったと噂されている。全て又聞きなのは、彼らは表向きは「病人」とされ、実質監禁状態に置かれているので真実どうなったのかは彼らの家族しか知らないのだ。
一方で、この事件の主犯格である義母の行方は分からないままだった。あの婚約破棄を言い渡された日、騎士達が連行した中に義母の姿はなかった。
捜索隊を出そうか、それとも行方不明として扱うか父と大司教が頭を悩ませている最中、やっと彼女の手がかりが見つかったと連絡が入った。
「――お義母様が見つかったというのは本当なの?」
「それが……」
言いにくそうに視線を逸らす執事に、スフィアは嫌な予感しかしない。貴族の子息達が祠の修繕をしていると聞いたときも、「怪異やばい」と思ったが、おそらく義母はそれどころでは済まなかったのだ。
「今朝方、庭師がホコラの前に奥様が失踪した当時のドレスと、髪が一房……置かれているのを発見いたしまして。今は旦那様の立ち会いの下、教会で検分が行われております」
ドレスは血まみれでズタズタに引き裂かれていたにも関わらず、髪以外の義母のものとおぼしき骨も肉片すらも見つからなかった。獣の仕業とされたが、明らかに違うのは誰の目にも明らかだった。
しかし深く追求する者はおらず、数日後にはドレスと髪だけが棺に収められ町外れの共同墓地に埋葬された。
そして主犯であるヨハム王太子とマリアが結婚して国を継ぐ事はなかった。正しくはマリアが望んだ通り、彼女は聖女となったのである。
騎士に捕らえられ王城へ連行されたマリアは、すぐさま取り調べを受けた。
祠を壊した理由について、
「恩恵を自分のものだけにしたかった。スフィアが自分を呪ったというのは、母が考えた作り話だ」
と自供した直後、突然昏倒したらしい。
息はしているが脈は鈍く、体温も冬眠中の動物のように冷たくなってしまった。
恋人の状態を聞かされて泣き叫ぶヨハムを不憫に思った王妃は、王には告げずベッドに横たわるマリアに会わせてしまった。そしてヨハムが彼女の手を取った次の瞬間、そのまま同じように意識を失った。
聖女の役割は、国を守ること。
能力に応じて様々だが、マリアの授かった力は国の気候を安定させ土地を豊かにするというかなり強力なものだったらしい。そんな強大な力は、使えばあっという間に生命を消耗してしまうので、マリアは冬眠に近い状態となって眠り続けている。そしてヨハムも繋いだ手から生命力を彼女に注ぎ、ゆっくりと衰弱していると大司教から聞いた。亡くなるまでに百年はかかると、司教の位を持つ医師の見立てだ。二人は時折目覚めるので意識はあるようだが、とても言葉を交わせる状態ではないとも聞いた。
いや本当は話せるのかもしれないが、スフィアには関係の無い事だ。
二人は今も仲睦まじく手を取りあい、意識のないまま王家の玄室に置かれた豪華なベッドに横たわっている。
当然ながらそんなヨハムに王位を継がせることは現実的に無理なので、第二王子が急ピッチで帝王学を学んでいると聞かされた。噂では文武に秀でた王子らしいので、ひとまず王家は安泰だろう。
そして私はといえば、異例のことだが十七歳の若さで公爵家の当主となることが正式に決まった。
王太子とマリアの騒ぎは「二人は病で錯乱し、暴言を振りまいた。スフィア公爵令嬢は彼らの被害者である」と、有り難い事に王自らがスフィアの悪評を否定してくれたのである。一時期スフィアと距離を置いていた友人達も、王の説明に納得し心から謝罪してくれた。スフィアもあの当時はしかたないと理解していたので、彼らの謝罪を受け入れ今では貴族社会に戻ることができた。
ただ事件に関して公爵家に罪はないと判断されたけれど、元はといえば父が義母を後妻に迎え入れたことが事の発端とも言える。義母とマリアがああなったことに少なからず心を痛めた父は伏せりがちになり、王に爵位を娘の自分に継がせ自身は空気の良い土地で老後を過ごしたいと願い出た。
まあ正直なところ、あの気味悪いホコラから少しでも離れたいのだろう。
離れたところで、石つぶての安眠妨害が止まるとは思えないが……。
(年に二回の玉串奉納には来るよう約束させたから、ホコラもこれ以上お怒りにはならないと思いたいわ)
悪い人ではないから、これ以上苦しんでほしくない。スフィアは引き継ぎ途中の書類整理をしながらため息をつく。自分に出来る事は、この程度だ。
来月、正式に家督を継ぐ時。自分はあの祠の中に何を見るのだろう。
いや答えはもう想像できる。
きっと……何もない。
「スフィア姉様、僕が植えた薔薇が花を咲かせたんですよ。お庭に来てください!」
にこにこと笑う天使みたいな愛らしい少年が、満面の笑顔で部屋に飛び込んでくる。
「こら、部屋に入るときはノックをしなさいと教えたでしょう?」
「ごめんなさい、姉様」
しゅんとして項垂れる少年に、スフィアは困ったように微笑む。
「次からは気をつけてね、オルロフ。この書類を確認したらすぐ行くから少し待ってて」
「はい!」
元気よく返事をする少年は確か今年で十二歳になると聞いたが、まだまだ幼さの残る面立ちをしている。艶やかな黒髪は肩口で切りそろえられ、まるで前世の祖母宅に飾られていた市松人形のようだ。
オルロフと呼ばれた少年は大人しくソファに座り、嬉しそうにスフィアを見つめている。
祠破壊事件から暫くして、二十年近く音信不通だった父の従弟が突如船で帰還したのだ。それも美しい異国の女性と、彼女との間にもうけた子を連れて。
冒険がしたいと書き置きをして商船に乗り込み、それきり姿を眩ませていたのでスフィアが会うのは初めてだった。
従弟の妻は美しい金髪だったが、息子のオルロフは公爵家の血筋を証明するような見事な黒髪で、これもまた公爵家の親族を喜ばせた。ただ一つ問題だったのは、この国では珍しい不吉とされるオッドアイの持ち主だったという点だが、オルロフの愛らしさと聡明さに魅了され陰口を叩くものはすぐにいなくなった。
みなから死んだと思われていた従弟と、彼の連れてきた妻子の帰郷を心から喜んだ。ただ許しもなく結婚し子までもうけていた事には驚き呆れたとはいえ暗い話が続いていた事もあり、国王自ら無事を祝う夜会を開いたほどだ。
しかし従弟は夜会の翌朝、妻だけを連れてすぐに船で旅立ってしまう。しかし連れ帰った息子は、公爵家を継いだ親族の元で学校へ通わせてほしいと執事に伝言を残していった。
そして一人残されたオルロフは、スフィアが後見人となり日々勉学に励んでいる。
(都合、よすぎるわよねえ)
二十年前に突如姿を眩ませた従弟と名乗る男を、父も親族も全く疑いもせず受け入れた。執事だけは怪訝そうな顔をしていたけれど、主人の喜ぶ姿に水を差すような真似をする人ではないから、すぐに従弟を「公爵家の一員」として敬った。
スフィアも思うところはあるけれど、あえて家系図や一族の肖像画を確認することはしていない。
この屋敷に引き取られてまだ一月も経っていないけれど、オルロフはスフィアを「姉様」と慕い常に傍に居る。父も使用人達も、あの惨劇を忘れたいのかこの愛らしいオルロフとスフィアの関係を微笑ましく見守ってくれている。
「僕、ずっとスフィア様をお支えしますから。安心してくださいね」
唐突に言う彼を見れば、キラキラと輝く宝石のような瞳と視線が合わさる。
その瞳は片方はスフィアと同じ黒曜石の黒、そしてもう片方は紫水晶の紫。
王太子から婚約破棄をされた日、マリアの胸元で輝いていたアメジストと同じ色。
マリアを連行した騎士も尋問官も、玄室へ運んだ教会の関係者達も「マリアはそんな首飾りは身につけていなかった」と口を揃えた。
(偶然よね……偶然)
そう自分に言い聞かせ、スフィアはオルロフに頷いてみせる。
「ええ、これからもよろしくね」