夜汽車
大学受験のため田舎から上京した主人公の田舎言葉に対する葛藤を幾つかのエピソードを交え、まとめたもの
夜汽車
「ススム? 久しぶり」
「マサキか、急にどうしたんだい?」
この返事を聞き、マサキは東京弁で続けることにした。
「実は、正月休みに田舎に一緒に帰らないかと思って電話したんだ。お前はこの正月どうする?」
「おれも帰ろうと思っている。じゃ、一緒に帰ろうか!」
これで決まりだ。その後、マサキは12月27日上野発午後10:20の津軽2号に乗ること、乗車券と座席指定急行券は明日にでも買っておくから、代金は上野で待ち合わせた時に返してくれればいいことまで話し、少し近況報告をした後に電話を切った。
マサキとススムはこの4月に秋田の田舎から東京に出できたばかりだった。マサキは予備校へ、ススムは大学へとそれぞれ違う道に進むことにはなったが、仲が良かった二人は上りの急行津軽で上京したのだった。上野駅に着き、
「へば(それじゃ)!」
「まだな(またね)!」
と、田舎言葉を交わして以来の会話だった。マサキは現役での大学受験をことごとく失敗し、親の許しを得て1年間だけ東京で浪人生活を送ることを許してもらい、憧れの東京に出てきてからもう8か月になる。しかし、今更ながらまだ不安な気持ちでいた。受験する大学を幾つか決め、それに向かって勉強してきたものの、自分はこの都会で生活していけるのだろうかと漠然とした思いに駆られていた。もしかしたら、都会は自分には向いていないのでは、という思いが秋口から出てきたのだ。
東京に出てきたころは、得体の知れないその無機質な雰囲気に圧倒されてばかりだった。それでも予備校で友人とは言えないまでも仲の良い友達が何人か出来、そして、勉強に集中することでその不安は薄れていった。
予備校の寮母さんと初めて会った時、東京弁でいろいろと質問されたのだが、「はい」、「いいえ」の他、ぼそぼそと答えることしか出来なかった。面と向かって東京弁で話されたのは初めてで、意味は分かるのだが、東京弁で返せなかったのだ。田舎にいた時は、東京弁を話す人を「かっこつけている」くらいにしか思えず、友人らの前で東京弁を話そうものなら、笑いもの扱いされるのが普通だった。
7月の梅雨が明けたころだったと思う。マサキと同じクラスの一人が、
「俺、山形から出てきたんだけれども、恥ずかしくて田舎言葉を使うことが出来ないんだ」
と東京弁で話すのを聞き「俺と同じだ」と思い、やっと友人らしいやつと出会えたと親近感が沸いた。しかし、その彼は8月の特別講習が終わって以降、予備校で見かけなくなった。それでも東京の生活にだいぶ慣れ、時間とともに東京弁を使いこなせるようになっていった。クラスの仲間からは、
「なんだ、マサキ。お前と出会った時は『無口な奴だな』と思ったが、よく喋るじゃないか」
と言われたが、これが慣れなのかと今更ながら思った。一度教室で机を並べ変えることがあり、
「君、そっち持ってくれない?俺はこっち『たなぐから』(持つから)」
とマサキが言うと、その友人は「何?」と聞き返したことがあったが、田舎言葉を使ったのはその時ぐらいだったような気がする。東京に出てくる前は、友人たちとああでもない、こうでもないと田舎言葉で会話を楽しんでいたが、漸くそのころのマサキに戻りつつあった。しかし、言葉には言い表せない何かがマサキの心の片隅に留まることは、東京に出てきたころとそれほど変化はなかった。それが何なのかマサキ自身にはわからなかったが、受験勉強に集中することで、それをかた時ではあるが忘れることが出来た。
11月に入り受験勉強も大詰めを迎えていた時だった。マサキは大手予備校が主催する模擬試験を受け、手ごたえを感じて最寄り駅まで歩いていた。すると反対側から同じ高校で同級生だったシゲルが歩いて来るのに気が付いた。シゲルもマサキに気が付いようでこちらに顔を向けたが、マサキが「よう!」と右手を上げると同時にシゲルは何事もなかったように隣にいた友達と思われる数人と会話を続け、マサキの前を通り過ぎて行った。シゲルとは特に仲が良かった訳ではないが、クラスの仲間として毎日顔を合わせ田舎言葉で喋りまくっていた。そんなシゲルの今の行動を、マサキは理解できなかった。何ともやるせない思いのまま部屋の机に向かい、ぼんやりしていたのだか、
「待てよ。俺がシゲルの立場だったらどうしていただろう?」
と考えた時、「たぶん、おなじ行動に出たな」という思いがつのり、自分自身が嫌になってしまった。そんな時だ、
「正月は田舎に帰って、ゆっくりしよう!」
と思い始めたのは。浪人生にとって正月などないようなもので、本来は最後の仕上げの勉強に励む時期だが、マサキは今の都会生活に変化を求めたかった。田舎に帰ることが転機につながるかどうかは分からないが、いてもたってもいられなくなり、一番の友人のススムを誘うことにしたのだ。
12月27日、マサキは上野駅正面改札口近くに置かれている大きなパンダのオブジェ前で待っていた。ススムは、約束した午後9時半に、暖かそうなダウンジャケットにジーンズ姿で、肩に大きめのブルーのバックを抱えてやってきた。
「やあマサキ、久しぶり。待った?」
電話した時と同じ東京弁だ。
「いや、俺もついさっき着いたばかりだよ。元気だった?」
「この通りさ、何も変わってないだろ?」
マサキは「うん」と頷いたものの、ススムの垢ぬけた姿に言葉には出さなかったが、
「変わったな」と心の中でつぶやいた。
津軽2号の出発まではまだ時間があったので、汽車賃の清算をした後、売店でお菓子とジュースを買い込んでホームへと向かった。列車は10時ちょうどに大宮方向から静かにホームに入り、二人は指定席の8号車に乗り込んだ。座席は4人掛けの固いシートだったが、東京に来る時と同じシートだったので特に気にはならなかった。
列車は午後10時20分定刻に静かにホームを滑りだした。福島には午前3時、山形に朝の5時、秋田には9時半、そして、目的地の大舘には昼前の11時半に到着の予定だ。二人はお互いの近況や将来のことなどを東京弁で語り合った。その内、宇都宮を過ぎたあたりで眠くなり、列車のガタンゴトンという規則的な音を子守唄代わりに二人は深い眠りに付いた。途中「ピーピー」という甲高い汽笛の音で目が覚めることはあったが、すぐにまた寝入った。
どのくらい眠っていただろう。マサキが目を覚ますと、車窓からは夜明け前の景色がうっすらと見えていた。時間は6時を回っていたから、そろそろ新庄が近いと思われた。ススムの方を見ると、彼は窓枠に肘を乗せて外の景色を静かに見つめていた。車窓から見える田んぼには雪が積もっていて、田舎の風景がよみがえってきた。その時だった。ススムが、
「起ぎだが? 雪っこ降ってらな」
と、まぎれもない田舎言葉に変わっていたのだ。
「んだな(そうだね)」
マサキも田舎言葉で返した。ススムは網棚のバックから包をとりだし、
「このパンこ、めど~、け!(このパン、美味しいぞ、食べて!)」
と言ってマサキに渡した。マサキはそのパンを千切って口に放り込み、
「めな~!(美味しいね!)」
と返事した。それから大舘に着くまで誰に気兼ねすることなく、田舎言葉で会話を楽しんだ。マサキは、「ススムも東京で俺と同じ様に悩んでいたんだ」と思うと、何故か胸のつかえが徐々に消えていくようなすっきりした気持ちになった。正月明けはそれぞれ別々に東京に戻るのだが、マサキは「東京に戻ったら最後の詰めを行い、受験に備えるか」と前向きな気持になれたのだった。
列車は予定通り11時半に大舘駅に到着した。二人は、
「へば!」
「まだな!」
と田舎言葉で別れの挨拶を交わし、それぞれの実家へと急いだ。 了