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空の中にいた。地面ははるか下だ。
冷たい風が頬や首筋をぐいぐい撫でていくが、日差しがたっぷりだから、心地よいくらいだった。
初フライトは晴天に恵まれた。機首の角度を変えた際、太陽からまばゆい光りが差し、虹色の色彩を放った。それが気分をより一層高揚させる。
見下ろせば、足下にふだん暮らす村が見えた。とんがり屋根が連なった家々が路地に区切られている。ひときわ大きい建物は鐘楼があるからきっと神殿だ。ふだん通りを歩いて見上げるばかりの建物たちが今はあんなに小さい。広い緑野のなか、ぎゅっと凝縮されて木柵に囲われているのがなんだか不思議に思えた。
「見て! 草の色が違う!」
吹き渡る風に波打つ草が波紋を遠くへ伝播させる様子が、くっきりと明るい色と暗い色に分かたれている。
「雲だよ。雲が影を作っているんだ」
後ろに座ったソウタが、ごうごうと耳元で音をたてる風に負けないように声を張る。
それであんなにも色あいをきっぱりと分けてしまうのか。ユリは足元から徐々に視線を遠くへと移していく。丘陵はやがて急峻な山へと変化する。その合間がチカリと輝いた。思わず声を上げて指さす。
「あ、あれ!」
「地面が光っている? 水だ!」
「湖?!」
「そうだよ、きっと」
「ねえ、もっと上に上がれないかな。良く見えない」
もどかしい気持ちのまま、ユリは操縦桿を手前に引いた。
「無茶するなよ、ユリ!」
ソウタが焦って声を上げる。
「見えた!」
「「湖だ!」」
ふたりの声がそろったとたん、身体に衝撃が走った。
「あっ!」
がくんと機体が落ちる。
慌てて操縦桿をぐいっと引っ張る。
昇降舵と補助翼とは、角度をわずかに変えるも、猛烈な風のせいで動きが止まる。
重い。ユリは操縦桿を掴む片前足にもう片方の前足も加えて力を籠めた。じわじわと動くのがもどかしい。
機体ががたがたと揺れ大音を発し、ごうごうと風が束になって吹き荒れ、ユリの焦燥を煽る。
と、後ろからすばやく片前足が伸びて来て、ユリの両前足ごと操縦桿を握りしめた。ぐぐっと操縦桿が手前に引っ張られる。
うしろに座ったソウタが身を乗り出す格好で、ユリが両前足で引っ張ってもじりじりとしか動かなかった重い操縦桿をあっさり引き寄せたのだ。機首を上げた機体はやがて安定した飛行を取り戻す。
ほっとしたとたん、背中に当たる胸や、半ば抱え込まれる形になる前脚から、ソウタの熱や柔らかい毛の感触が伝わってくる。そんな場合ではないというのに、鼓動が速くなる。
いつも魔道具いじりばかりして村の者たちから仔猫ちゃん呼ばわりされているソウタが、今はとても頼もしい。
そんな一部村人たちはユリのことも、女の子なのにとかガサツだとか言った。でも、ソウタは違う。ソウタはいつだってユリといっしょに探検ごっこをやったり、調査ごっこをやったり、とにかく、ふたりいっしょにあれこれやった。男だからとか女だからとかはない。
「あ、あれ、湖の真ん中に島がある」
「え、どれ?! ———本当だ」
陽光にさざめくように輝く湖の中央に緑色の楕円形が見えた。けれど、そこまでだった。
プロペラ飛行機は次第に高度を落とした。今度はゆるやかな降下だったが、ソウタは着陸するまで操縦桿から、つまりはユリの両前足から前足を放さなかった。
着陸は村はずれの野原だったが、ところどころ草から岩が覗き、ガガガッという不穏な音をたてたが、まあ、なんとか降りることができた。
完全に機体が止まったあと、どちらからともなく、操縦桿から前足を放した。ユリはさっと振り向いた。ソウタが釣り目の猫目をきらきらと輝かせていた。ユリもきっと同じような目をしていることだろう。
「「———っ!!」」
興奮のあまり、言葉にならない。
今見たことが信じられなかった。山間に隠れるようにしてある湖、その中の小島なんて、一体どんなのなのか。行ってみたい。うん、きっと、行こう。ふたりは声もなくそう語り合った。