対人依存症3「フェチと罰」
自分の何がそんなに嫌いかといえば、くさくて汚いところだ。
生まれつきアレルギーで鼻も目も耳もぐずぐずしてて、鼻水が止まらず、くしゃみをすれば人並み以上にツバをまき散らすガキだった。
小学校高学年ぐらいまで、くしゃみをするとき大きく口を開けて
はっくしょん!
ではなく、
はっかっっはー!
みたいにくしゃみをしていた。こうすると鼻水やツバが飛び散らない。喉の奥まで思いっきりかっぴろげたうえに大声が出るので喉は傷める。
が、飛び散った分泌物でべちゃべちゃになった様を周囲に見られ、汚いだのウワーだの言われるより何万倍もマシだ。
未だにマスクしたままくしゃみ出来ない。
そのあとも同じマスクを着用するなんて地獄みたいだ。
そのうえ遺伝的に体臭もすぐきつくなるので、AGデオがAGプラスだったころからずーっと欠かせない。資生堂の社用車の一台くらい私が買ったかもしれない。
普段は銀色。
大事なお出かけのときには金色を使っている。
それと塗るタイプのソフトストーンも併用する。高校生の時は、これをしないと学校に行けなかった。今でも忘れたときのために会社や車、お出かけ用の荷物の中に必ず予備のスプレーを用意している。
こんなんでよく、取っ組み合いのプロレスなんかやろうと思ったもんだ。
柔道やってて何がイヤって、自分と同じワキガでアトピーのくせに何一つケアせず、ついでにそういう奴は口臭もキツイことだ。
許せなかった。普段より力がこもった。でも勝てなかった。
だってそいつ、そんな臭いのことなんか気にしないで柔道に打ち込んでるもん。そりゃ強いよ。汗かくと自分がくさくて惨めだからって理由でアレコレと気を揉むような奴は結局その程度だったのだ。
じゃあ何故そんなふうになったのかといえば、おなじみ家庭内暴力と暴言の出番だ。
このことを散々になじられ、嘲笑われてきた。
殴りながら、酔っぱらいながら、家でも車の中でもジャスコでも公園でもどこでも、そいつの気が向いたときに好きなだけ馬鹿にできる。それが、そいつにとっての子育てであり、息子という生き物だった。
何か言い返したり、ちょっとでもムスっとした顔でもした、とアイツが判断しようものなら拳でも平手でも爪先、膝、バット、灰皿…私の頭にめがけて飛ばせるものならなんでも飛んできた。
そうやってしみついた痛みと自己嫌悪を、目の前の相手から無防備かつ無頓着に浴びせられたとき。本当に本当に嫌になるし情けないし…その切っ先は相手よりも自分のほうに向く。
相手から漂ってくるものが全部
「お前も同様なんだぞ」
と、指先を突き付けてなじってくる。
こういう心持を抱えて生活している思春期の肥満児が女の子を好きになると、どうなるか。性癖がゆがむ。それも鬱屈と屈折と挫折とを繰り返して、自分でもなんだかわからなくい曲がり方をしている。
自分というものの欠点、それも思春期に最も気になるニオイだの汚れだのにまみれてあふれていることを、文字通り痛いほど(殴られてるからね)わかっている。そのうえで相手を好きになろうとする。相手にも自分を嫌わないでもらいたい。
結果、相手のことを必要以上に受容しようとする。
汚れや匂い、ムダ毛だとか傷跡…そうそう、特に私はアトピーだし格闘技だの喧嘩だの家庭内暴力だので全身生傷だらけだから、傷のある人を好きになりやすい。気がする。
そもそも、そういうことを相手も自分と同じように気にしている「そのひとの欠点」とコチラが勝手に決めつけて勝手に受容して、それと同じように相手にも受け入れてもらおうとしているのではないか。
お前の受容はお前にとっての需要であり、お前の相手してくれる人の望みは全然別の問題でありそれをお前が担えるとは限らないぞ。
お前がそれを相手の欠点だと思うということは、お前は相手を愛しているのではなく自分の付け入るスキを探しているだけなんじゃないのか。
自分を疑えばきりがない、だけど考えれば考えるほど相手に対する受容こそ自分の抱える需要に依るものだと思えてならない。
自分嫌いは他人依存、他人依存は自分大好き、という二律背反。
似て非なる自己嫌悪と自家中毒に蝕まれ続ける人生。
誰かを許して愛せるほど、自分を許しても愛してもいないんだから当たり前さ。




