ジブリVSコマンドー
映画の話するにょ(でじこ)。
キャーー文化的ぃ!
ステキー!文系男子ぃー!和服着てキノコみてえな頭で顔は薄いのに胸毛やすね毛は濃くて気持ち悪いー!
でも抱いて抱いてー!
でなんの映画の話か。
コマンドー。
あれ?
……さっきまでナマっ白くて細いだけでナヨナヨしてるくせに胸毛が濃くて黒髪モッサリ眼鏡キノコ頭で地味な色の着物で和装男子だか着物男子だかぬかしてめんどくせえうえツマンネエことブツクサ言って「自称オタク」の人気者を気取ってるイケ好かねえ文系ブサイク男子大学生モドキみてえな奴にまんまとキャーキャー言う、
「誰かみたいに誰かと似たような言い草で何かを批評してバズりたがってる文化的な皆さん」
は、何処へ消えたの?
なんだよ、せめて消える前に一発ぐらい……。
で、コマンドー。
凄いよ、何が凄いって長年、ニコニコ動画でずーっとフォローしている色んなタイプのゆっくり実況の作り手の人達が居てさ。
それが、ある人はゼルダの伝説、ある人は実況パワフルプロ野球、またある人はネクタリス、風来のシレン、MOTHER2、とそれぞれの思い入れや趣味のままにゲームをしつつ、それを叩き台に自分の作品へと変えて送り出している、その動画たちの、どれを見ても一度は出て来るのが映画「コマンドー」なんだよ。たぶん元々あそことコマンドーは親和性が高いのもあるけど、他の、たとえば故ヘリントン氏のことであるとか、ジョジョの奇妙な冒険だとか、その当時のニコニコ動画や世間での流行り物であるとかは作り手によって取り入れ方が違うんだけれども。
コマンドーネタだけは誰の動画を見てても出て来るんだよな。
あの映画自体の出来栄えや物語なんかは、言ってしまえばあの時分によくある筋肉モリモリドンパチ映画の一つであって。
筋肉!爆発!重火器!家族!
っていう。別に珍しいこともないし、むしろ強引で…筋書きとかストーリーなんて言うよりは力づくでお話を進めていくような。
ガソリンが満タン入ったムスタングが時速200キロですっ飛ばしていく筋肉おとぎ話。そんな感じの映画。
今更ながら、いつ見てもどこ見てもどっから見ても筋肉か爆発か銃撃戦なんだもん。
もおーーほんと、アメリカ!!!!
って感じ。
あの作品が我が国の一部の愛好家どもに愛されているのはどちらかと言うと内容やストーリーではなく、日本語版の吹き替えなんだけど…あれがここまで印象に残るというのは、逆を言えばそれだけ、あの映画そのものはシンプルな作品だからなんだろうな。
だからこそ、翻訳の妙な味と、個性的なキャラクターたちが際立って愛されたんじゃないかなあ。
名言、珍言、名場面とされてきたものは、みんな普通に描かれて、普通に訳されたものばかりだ。何かを狙って作ったわけじゃない。
そこがいいよな。
何が愛されてるって、愛好家がいつも心に留めている作品だということが折に触れて表出するんだよな。そこで対比に挙がるのがジブリ映画だよ。
さらに言えば天空の城ラピュタだよ。
テレビ局からSNSからイケ好かねえ文化的アカウントからみんなしてバカがバカを調子に乗せてバルス祭、なんてやらせてるおかげで、もうあの映画をまともにテレビで愛でることなんて出来なくなっちゃった。コマーシャル混じりで、どっか切られててもいいから見たいと思うような作品ではなくなっている。
コマンドーは凄いよ、誰も何にも言わなくてもコマンドーやってると誰かしら見てて、自然発生的に名言・名場面が来ると盛り上がっている。
私はテレビもラジオもハッシュタグつけて見ながら聞きながらはしゃぐの大嫌いだし、やってる奴バカだと思ってるけど(でも自分のネタが伊集院さんに読まれたら、その時間帯のタグツイートは見ちゃうし笑ってくれてる人にはイイネしちゃう。うれしいから)、その極致が、あのバルスとかプリキュア見ながらいい大人が何かうるせえことになってる状態だと思うんだよな。あれ不健全と言うか、端末握ったまま画面見て、いちいち何か言ってると疲れないのかね。そこで浪費できるぐらい余暇と余力があるんかね。
ああいうのはテレビや映像の新しい楽しみ方とは言わんわな。
余計な手間を増やして本来の味を見失ってるよ。
そんなのコマンドーも同じだって?
そりゃま、そうだろうな。これだって別に何か考えがあって言い出した話じゃないもん、思いついちゃったんだもん。
ジブリVSコマンドー
っていうタイトルを。結論ありきのタイトルで書き始めて、日頃思ってる気に食わない現象に「ひとキレ」入れたものに1800文字も付き合ってくれたあんたが好きだよ。