ささやかな幸(しやわ)せ漫画
クソ喰らえって思うんだけど、みんなどう?
よく心ある善良で優しくて毎日つらい思いをして働いたり勉学に励んだり今は心身を休めたりしている皆様が善意と好意と共感とぬくもりと思いやりで拡散してくる、あの色鉛筆にツバ垂らしてぼやかしたみてえな色合いの、ああいう漫画。
世間一般のラノベってこういう絵柄でしょ!?
みてえな表紙のついたタイトルの長えクソノベルぐらいのぬるさを、もっと優しい人に付け込んだ分タチ悪くしたような、あの
誰も傷つけまいとしていることでにじみ出る傲慢を色鉛筆でわざとヘタに塗った
ような漫画。
あんなイケ好かないもんないよな。
なんだってそうまでして、みんなお前の考えたささやかな幸せとやらに付き合って、勝手におすそ分けされなきゃならんのだ。
冒険しないで裏方に回ったら云々とかのアレに近いものを感じる。
持ってくるならもっと、おぼっちゃまくんとパタリロを足して2をかけたぐらい持ってこいってんだ。疲れて帰って来てたり、帰路の公園で寒い中座り込んじゃってるような奴に、菓子と飲み物だけ持って来て
心まであったまりました!
とか言っている奴は南極にでも送ればいい。
ああいうの、どっからなんだろうな。やっぱりみんな余裕も無いし、お金持ちってだけで反感を呼びそうだし、飢えてる人に食わせるだけじゃ話にならないからアンパンチするアンパンマンも結局そういう「優しさ病」みてえな、ぬくもり中毒の善人バカにはダメなんだろうか。パンチがダメならアン延髄斬りとかアン断崖絶壁喉輪落としとかでもいいんじゃないか(相手を攻撃するのがダメなんだろうよ)。
攻撃性も、有り余る富もなく、疲れと寒さとストレス源はある。で持って来られるのが焼き菓子とかココアって釣り合わなくないか。
それを幸せと決めつけて誰かに見せて共感されたい、って。
そんな漫画を描いて見せてる奴のがよっぽど病んでて人生キツそうに見えるのは私がひねくれているからだけれど、なんか最近いい加減、目に余るんで、誰も得しないし私も損にしかならないようなことを書いてみた。
やっぱりイヤとかキライとかユルセナイってのは良かれ悪しかれ注目を集めるんだろうね。
ただそれが良い方に回るかって言えばそうは思えないし、ジェイムズ・P・ホーガン氏が著書「内なる宇宙(上)」の日本語訳版の前書きで書いてくれていたように、巨人たちシリーズの人類側の主人公たちやあの時に褒めてくれた1990年代初頭の日本みたいに、今の我々がガニメアンに比べて旺盛に持つエネルギーを必ずしも良い方に用いてこれからも生きてゆけるのか、甚だ疑わしいのはかなしいことだ。
だって私、自分が見たいものを見てる時にオススメに出て来る気に障るものとか凄いイヤだもん。ガーシーも堀江もひろゆきも嫌いなら、そうじゃなく素人が何か陰謀だの裏側だのを語るみてえのもヤだなと思うし、それと同じぐらい自覚のない糞アマチュアなんかもっとイケ好かないと内心ずっと思っているけれど、それをイヤだイヤだと言い散らかしている奴がいっちばんイヤなので、あまり言わない方がいいんだろうなと思っている。
思っているから、書くけどこういうのはいつもみたく
こんなの書きました!
とかは言わない。書き捨てである。
デカい夢や有り余る富ばかりが夢だとは言わないが、自分の尺度で他人の物差しを縮めたり、他人の物差しで自分の尺度を狭めたりするぐらいなら、ささやかな幸せ漫画に共感しまくる「優しさ中毒」みてえな連中にはなりたくないな……。
じゃあ、かと言って想像も絶するような裕福さ、冒険しないで異世界で生きるような知恵、チートを転がす機転、センス、そういうものが自分にあるかと言えばそうも思わないし、結局は書きたいように書くしかないんだけどもね。それを面白いと言ってもらえるかどうか、であって。
ただまあ、私から見て「どぉーーなんだそれわ!」みたいのを過剰に持ち上げている奴を見た時のうすら寒さぐらいは、ちょっと誰かわかってくれたらイイナーとも思っている。