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ただいま。  作者: ダイナマイト・キッド
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プロレスラーは観客に何を見せているのか

今や文豪レスラーとも呼ばれるTAJIRIさんが2019年に発表したプレイヤーから見たプロレス論。たぶん、当時こういうことを書くプロレスラーはあまりいなかったと思うし、私もあまりピンと来ていなかった。

10代の終わりごろ、あの時分のTAJIRIさんのことは当時メチャクチャ憧れたし、私は2005年にメキシコの闘龍門に入学するも中途挫折。その直後にTAJIRIさんがアドバイザーに就任した、というニュースを目にした時はつくづく自分の根性の無さを呪った。が、再びそこに舞い戻ることも出来ず、単なるプロレスマニアの肥満児として日々を過ごして来ていた。そこへ出版された「プロレスとは」という、ある意味あの時に学びそびれた時間を取り戻せるであろう本書を手に取るには、なんだか気後れしてしまっていたのだ。読みたかった。でも、なんか、ね。


では何故、今頃になって手に取ることにしたのかと言えば、TAJIRIさんはその後も次々と著作を発表し、その中には表現の手技手法を問わずこれまでに培ったプロレス哲学、プロレス論も含まれていたからだ。そしてその殆どが私の「プロレスが好きな理由わけ」「プロレスの好きでいたい部分」「こうであってほしいと思っていたプロレス」と合致していたことに気が付いた。


読めば読むほど面白く心地よく、腑に落ちる。


じゃあ、そもそもの端緒と思しきこの本も読んでみよう!


と思ったことが一つ。

それともう一つが、2023年3月に出版されたTAJIRIさんの小説「少年とリング屋」が面白いんだけど読むのにキツイ部分があって…手が止まっている間に読もうかと思って注文したこともあった。みんなも読むといいよ。私の言っていることが分かった人は、きっとジャンルは違えど同じようなこと考えてると思う。

ああなったら終わりだ、あれよりはマシだ。そう思う自分が自分で後ろめたい。


で「プロレスラーは観客に何を見せているのか」に書かれているのはどういうことか。

まず「プロレスラーは強い」ことが大前提にある。

「鍛えた体を捧げ、威力の武器を持って」いる、そんなレスラーを見たか。そんなレスラーが好きか。

当然である。筋トレもマット運動も受け身も取っ組み合いも、散々、イヤって程やるのだ。人間が一生の間に行う取っ組み合いの殆どを費やす勢いで。


そのうえで、リングに上がることを許された者たちは一体、何を見せているのか。


端的に言えばキャラクター、ファンタジーの登場人物としての自分。である。

のちに出版されたTAJIRIさんの著書「プロレス深夜特急」や「戦争とプロレス(プロレス深夜特急の続編)」でも語られている通り、まずお客さんに

・いまリングに立っている自分は何者で、どんな奴なのか

をハッキリさせる。見た目、顔、衣装、動作など。その次に技だ。

・いわゆる「プロレス技」とは、何のために存在するのか。

自分がどんな奴なのか、今どんな気持ちで戦っているのか、を表現するツールであり、肉体言語のようなもの。だと私は解釈した。正義の味方は正攻法で攻めるし、悪い奴は反則技や荒っぽい攻撃をする。デカい人は踏み潰そうとするし、身軽な人は飛び上がって体当たりやキックをする。

ハッキリしたキャラクターと磨き抜いてモノにした技がベースにあって、そこに初めて「プロレスラーとしての自我」がお客さんに認識される。そのごった煮が、その日その場所でのプロレスになるのだと思う。


私がメキシコに居た時、ちょうど初代ミスティコが大ブレイク中だった。

荘厳な入場曲に乗って、白銀の仮面を身に着けたミスティコが登場すると、地鳴りのような歓声が響き渡る。キビキビした動きは他のルチャドールよりもさらに素早く、あっという間に相手に飛びついて得意技のラ・ミスティカを決めて見せた。

あれが要するに完成された、超一流のスペル・エストレージャの姿だったのだろう。


この本ほど体系的に語られたわけじゃなかったけど、故・冬木弘道さんの本には当時の先輩レスラーから

「リング上で素早く動いて見せるには、人よりも手足を多く動かすんだ」

と教わった、と書いてある。実際にアントニオ猪木さんがロープに走る時はそうしているから、お前(若い頃の冬木さん)も見習ってみろ、と。

その結果、出来上がったのがあの「地団駄ラリアット」だったのではないだろうか。ゆっくりとコーナーポストを背に両の拳を突き上げ、呼吸を整えながらタイミングを計り、奇声をあげながら地団駄を踏んでそのままラリアットをブチ込む、冬木さんのお決まりの技だった。

つまり、大柄で自称マッチョバディを誇る冬木さんがラリアットに行く直前にだけバタバタっと動いて見せることでより大きく、素早く、力強く見せていたのだと思う。


この二つの例が読んでいてアタマにパッと浮かんだ。

ミスティコと冬木さんは、当然同じような動きはしない。知らない人が検索してわかるぐらい、正反対の位置に居る二人だ。プロレスラーの技は、自らを語らずして証とするツールであって、ゆえに高度な技術と体力が必要なのだ。

そういえば現役中に軽量級からヘビー級に転向した故・三沢光晴さんの本には、同じドロップキック一つにしても撃ち方や着地の仕方に工夫をしていたと書いてある。


事程左様に、あらゆる映像、書籍、インタビューなどに散りばめられた知識の数々が、この

「プロレスラーは観客に何を見せているのか」

という一冊の本に凝縮され、実際に日本の特殊インディー団体(インディープロレスというのはそれぞれが異色の団体だが、その中でも当時のIWAジャパンは特殊だったと思います)でデビューし、世界各地で今も試合を続けるTAJIRIさんの体験をもとに綴られている。


面白くないわけが無い。

世界最大のプロレス団体WWEから辺境の野外興行まで、あらゆる現場を見たうえでの

プロレスラーは観客に何を見せているのか

という問いかけ。なんだと思う?と、もし目の前にTAJIRIさんが居て、私が尋ねられたとして、なんと答えるべきだろうか。


TAJIRIさんの答えはキャラクターであり、ファンタジー世界に芽生えた一つの自我、ということになるのだろう。


その答えに辿り着くまでの、地球規模の崇高なる紆余曲折を経た道が、2019年当時の現在地まで記されている。プロレスラーになりたい、と思ってから、実際にデビューするまで。細かく言えば、自分は何処の団体に、どう考えて入りたいと思ったか。まで書かれている。

プロレスラーになりたい、とやみくもに思って走り出すのではなく、そこでまず

「何がしたいのか」

を明確にしていた。そして大日本プロレス、メキシコ、アメリカと渡っていく中で少しずつ掴みとってゆく「プロレス」という文化における自らの立ち位置。それがそれぞれの答えなのかも知れない。


そういえばチラっと大日本プロレス離脱のことにも触れられているけど、確かに当時、出版されていたグレート小鹿さんの自伝「馬鹿モン!文句あっか!」でも、小鹿さんは怒っていた。怒っていたけど、よく読んでみると何かどこか仕方ねえなあと思っていたかも知れない。小鹿さんだってアメリカでのし上がった人だし……。


日本で埋もれたくない、このままじゃ海外に行けない!

そう思って日本マット界を飛び出しメキシコに降り立ったTAJIRIさんもカッコいいことばかりしてられない、当時のメキシコは深刻な不況で、そこでレスラー人生のどん底を味わったという。

あの国は確かに食い物や地下鉄は安かったけど、治安や衛生面では日本に及ばないし、たぶん日本人とは根本的に「水が合わない」場所なのだと思う。私も向こうにいる間、もう慣れっこになるほど下痢続きだった。別にお腹は痛くなくても。


そこでTAJIRIさんを助けたのはIWA JAPANのみならず日本のインディープロレス創成期にリング内外で「暗躍」した故ビクター・キニョネスだった。初期のW★INGやFMWでスーツにサングラス、髭面に竹刀を持って、ヘッド・ハンターズを従えて怒鳴っていたあの怪しいガイジンさんである。

そこから活路を見出しECWに辿りついたところで。怪しい闇落ちニホンジンTAJIRIとなり、WWEではお茶汲み係として登場。

キャラクター、オリジナル技、決め技を手にしたTAJIRIさんが次に触れたのは

サイコロジー

だった。


そういえばTAJIRIさんが連載してたコラムでも、そのことについて触れている記事があった。キャラクター、登場人物としていかにお客さんの心を動かすか。

ビンス・マクマホンは「マネー・イズ・ヒア!」と言って、顔の前で四角いフレームを作って強調したという。そういうビンスは当時、絶品の顔芸で毎週テレビ放送に登場していた。説得力抜群だ。

ザ・ロックに息子のシェイン、トリプルHごとテーブルにロックボトムされたり、自分自身でも喰らったりした時の顔と来たら今でも思い出深い。

必要以上に濃いキャラクターのひしめく中で、当時のTAJIRIさんはいつも虎視眈々とチャンスを狙っている不気味な目つきをした髭面の東洋人、だった。

思えばあれも、マネー・イズ・ヒアだったのだ。正直言うと、今でもお髭は有ってもいい気はしている。


そうして掴んで来た感覚を日本で活かすべく降り立ったリングは、あのハッスルだった。

当時、賛否両論を巻き起こしつつ話題を振りまいていたハッスルの、良かったところと、至らなかったところが書かれていて興味深い。

あれはプロレスなのか、ファイティング・オペラなる別物なのか。プロレスを使った、また違ったものなのか。現在だってなんだか曖昧なものはあるにはあるが、何しろハッスルは当時の日本では破格のスケールでそれをやっていた。

ただ作っている側も「新しいものを作ろう!」とはしていたが、最後までプロレスから離陸しきれず、また最後の方はプロレスに立ち返ろうとして失敗した、のではないかということだった。それでも私からすれば、あの壮絶な戦いで四天王プロレスを「形作った」川田利明さんが居て、お客さんを惹き付けることに関しては抜群の熱量を持つ大谷晋二郎さんが居る。生きるプロレスの歴史みたいな天龍源一郎さん、それに安生洋二さんや金村キンタローさんと田中将斗さん、黒田哲広さんが見れて、そこにTAJIRIさんが居るのだ。滅多に試合はせずとも高田延彦さんまで……芸能人が居ようと居まいとこれで面白くならないわけがないだろうに、様々な事情からハッスルは尻すぼみの顛末を迎えてしまったのだから難しい。


あの時よくDVDを借りたりテレビ放送を見たりしていた中で印象的だった場面を覚えている。やっぱりTAJIRIさんが出ていた。相手は川田利明さんだった。そしてあろうことか、TAJIRIさんは川田さんに向かって

「私、あなたみたいなプロレス、大っ嫌いなんですよぉ」

と言い放ったのだ。お二人のプロレス哲学を端的に表した場面だったと思う。


再びWWEでのキャラクターや試合、そして周囲の人々に話を戻すが、その時に書かれていた

「自分自身の資質とフィットしたキャラクターであること」

「意味の無いシーンがあってはならない」

という言葉は、そっくり今もし自分が何か趣味を持っていて、面白いと感じられないときに当てはまる気もするし、私自身が見て憤怒と自己嫌悪の最悪のダブルパンチを喰らった、とあるプロレス観戦中に起きた出来事にも重なる。

無理があって技量の無い奴が出て来るのは試合や作品、表現ではなく時間と安からぬチケット代金のうち何割かの浪費である。そしてその日、一緒に来てくれた初めてプロレスを見る私の長年の友人は引き攣った笑顔で優しくこう言った。

「わかんない……!意味わかんなーい!」

サイコロジーに則っておらず、キャラクターも技量も不十分であるうえに「乱入して試合を壊し、何か主張しているさまを一見にもわかるように表現する」ことなど不可能どころか、まさに意味不明だったのだ。怒りはその後に収まったが、あの時に感じた違和感や胸と脳の奥のモヤモヤは、この本のここを読んで漸く完全に晴れた。

あれはきっと張本人にも、このような認識が無いまま行われたものだったのだ。


乱入前の神田カレーマスクVSヤマダマンポンドは、軽量級と重量級によるそれこそ初めて見てもわかりやすくていい試合だったのになあ。


しかして、それは創作をしている自分にもそっくり跳ね返って来る。

読んでもらって面白くなかったら幾らお知らせをしても二度とリンクを踏んでなど貰えないし、まして何か感想を貰えるなんてこともない。黙って立ち去られてしまうだけだ。

無駄や無意味を意図的に織り込んで不条理を表現するなんて、デヴィッド・リンチ並みの技量と理論と根性の座り方が備わってなければならない。


そういうものは、ジャンル全体としてもっと他に大きな裾野があってこそ生まれる余地であるべきで。基本的にはわかりやすくてノレるものが大事だと。大きな流行や基本となる部分があって、そこに異端や逸脱が産まれる。

プロレスも小説や映画、漫画も同じだな……。

段々そんな風に思って読み進めていくようになった。


実際にTAJIRIさんはハッスルの制作のほか漫画の原作なども行い、そのうえに劇画村塾でキャラクターというものについて学び……ハッスルの後にはSMASHを、さらにWNCを率いて自分の世界を構築していった。

あの時の華名(現ASUKA)さんのマニフェストは私も大いに賛同し、週刊プロレスにご意見のメールを送ったりもした。多くの華名さんに対する反論や異論と並んで、愛知県のダイナマイト・キッドさんからの投稿もちゃんと載っていた。


正直に言えば、いまASUKAさんやイオさんを見ていると、あの時の薄暗い会場で何百人の前でやっていたことと比べて、本当に「良かった」と思うし、この人達があのまま埋もれていたらそれこそ報われない。夢があるってのはこのことだと。ASUKAとして華名だったころに掲げたことをキッチリ体現したうえに遥かに凌駕する活躍をしてくれている……あんなになるとは思わなかったけど。


そのWNCが確か一度だけ、豊橋の、しかも私の住まいのすぐそばに当時あった百貨店のイベントスペースで試合をしたことがあった。徒歩5分、生活圏内どころか庭のような場所だ。でも、私はそれを知らなかった。宣伝はおろかポスターの一枚も、殆ど見かけなかったはずだ。

週刊誌も前ほど熱心に読まなくなっていた時期で、あとで試合結果か何かを見て愕然としたぐらいだった。そうして幕を閉じたあと、短いWWE在籍期間を経て全日本プロレスでウルティモ・ドラゴン校長と戦ったTAJIRIさんは美しかった。


そもそも最初にTAJIRIさんを見て衝撃を受けたのは、WWEでカッコいいヒーローや悪役、怪奇派を演じるのではなく、何処までも妖しく掴みどころのない、ヘンなヤツなのに、でもカッコ良かったからだった。こういう人もいるのか!と。

鈴木みのるさんの言う「みんながアカレンジャーになりたがる」状態のなかで飛び抜けるには、他の色を付けてしまうのがいい。赤のグラデーションのうちの一つじゃ目立たないが、青や緑なら目立つ。そしてTAJIRIさんは緑色のミストを噴きながら我が道を行ったのだ。


そんなTAJIRIさんが憧れたのは、私と同じウルティモ・ドラゴン校長だったという。

まだ本名で素顔だった時分から校長は確かにカッコ良かったし、オトコの私から見ても色気ムンムン、当時行われたネグロ・カサスとのシングルマッチは極上のルチャリブレだと思う。何度もビデオを見たし、近在の全てのレンタル屋さんの在庫を3周ぐらいしても飽き足らずマニア仲間の人にダビングして貰ったりお借りしたりしたビデオも見まくった。


この本の言をお借りすれば、校長には悪役やズルイ役、嫌味な役はきっと似合わない。

もう「ウルティモ・ドラゴン」はプロレスという文化の大空を超然と飛び、気まぐれに世界の何処へでも降り立って

やあ!

と言ってやってきて試合をして

じゃ!

と言っていずことも知れず帰ってゆく。そんな神話みたいな存在に近くなっている。


もちろん寮にいらした時の校長は、フツーにコーヒーがお好きで、台所が汚れていると注意したり「君、髪を切ったほうがいいな!」と言ったりする人なのだが、プロレスラー「ウルティモ・ドラゴン」は確かに次元が違う。


そんな校長とは、この先も欧州や日本で度々、邂逅することになる。そんな様子はこの後で出版されたプロレス深夜特急や戦争とプロレスで読むことが出来るし、実際のこの本で語られているなかには、今に続く出来事や考えも既に現れている。北欧、フィリピン、そして九州へ。


ああ、こういうことだったのか。

と順番を完全に逆にして、遡るように読んで来た私にはかえってよくわかった。

矛盾や破綻は無い。世の中があんなことになって、今もそれは続いている。

途中経過と途中経過が重なったところに、一つのチェックポイントが生じる。それがその時点での結果で、その積み重ねが人生で、その最先端の今現在がぶつかり合ってスパークするのがプロレスだと私は考えているし、それを表現するには、それを書き上げるにはどうすればいいのか。


実はそんなことへのヒントもあるんじゃないかと思っていたけど……結果的には

やっぱり私の憧れたTAJIRIさんはカッコいい!それだ、それが言いたかったんだ!

と思うばかりで……これをまた月日と共に読み込み、咀嚼して、書きながら組み込んだり分解したりしていくしかないのだろう。自分なりに。


試合を終えたTAJIRIさんが酒場で若手選手と語り合う。

きっと私も20代前半にこれを読んでいたら、チンプンカンプンどころか怒っていたかも知れない。そんなんじゃない!とかなんとか……。でも、三十路も折り返しを過ぎてみると、とことん腑に落ちることばかりだった。そして自分でも表現するという目標を持って読むと、通じることがあまりにも多い。

TAJIRIさんは言う。完成形なんてない、死ぬまでの途中経過でしかない。

ずっと修行ですね、と返事を聞いて頷き、グラスを傾ける姿が目に浮かぶ。


答えを書いてしまったら、その先も無い。あとは堂々巡りの呪縛だけが待っている。

途中経過だ。ずっと絶えず変化を続ける世界を。人々を。ずっと書いて居たい。

小説家は読者に何を見せているのか、私も考えなくっちゃいけない。


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