【#読書】戦争とプロレス【#感想】
世界的プロレスラーであるTAJIRIさんのご著書。
戦争とプロレス プロレス深夜特急「それぞれの場所で」篇
を読みました。
圧巻の一冊でした。プロレスという文化を通して垣間見た世界、出会って別れた人々、訪れた街やアリーナ。そこでTAJIRIさんは考える。自問自答する。
時に語り合い、飲んだくれ、誰かと戦い、誰かを育て、旅をし続け生きてゆく。
プロレスというものは、人類の歴史上のある一点から連綿と続く娯楽であり文化だ。TAJIRIさんはそのプロレスにおけるプレイヤーでありクリエイターでありスーパースターであり職人であり、文化人だ。
「戦争とプロレス」という題の通り、今(2023年1月22日現在)もって続く世界の騒乱と日本での暮らしを比較し、時に驚き、俯き、懺悔し、そしてまた前を向いて旅に出る。そんなところからこの本は始まった。時系列で言えば一番新しく、古い順に並べれば最後になるであろうところから読ませるというのは、つまりこれが今もっともTAJIRIさんの伝えたいこと、書き記したかったことなのだろう。
巨漢で英語が堪能なうえ気配り上手な斎藤ジュン選手、レイ選手という頼もしい双子の若手レスラーとの旅路は何が起きても不思議じゃない、実際色んなことが起きまくるのに、反面どこかのんびりしていて泰然自若とした気分で読み進めることが出来る。こんな世の中の、困難な旅路だというのに。実際TAJIRIさんご一行は困難に直面しているというのに、こうもストレスなく読んでゆけるのかと思うくらい。
スルスルっと没入できてしまう。
ほんの数年のあらゆる出来事で失われた原風景、営みを取り戻すために。
プロレスラーは今日も生きてゆく。そしてTAJIRIさんは「オレは生き残ったんだ」と嘆息を漏らし、原点であるフィラデルフィアで躍動する。
人間が相手の戦争と、もうひとつ、世界人類が挑んだ戦いのなかでTAJIRIさんが書き記しておきたかったこと、伝えたかったこと。
それは大それた思想や救世主じみた文言じゃなく、本当に、ただひたむきに、生きて営みを続けよう、というシンプルなメッセージだった気がする。
元になった文章の分量の都合もあるだろうけど、前書きや末尾の小説を除いて上下二段にビッチリ書かれていてボリューム満点。この厚みに、この文章量は半端ない。
日々の小さな出来事や些細な思想、妄想、迷走、暴走、そして行動の積み重なりが、こうして一冊になるとこんなにも質量を持って存在することになるのか。
その小さな出来事はしかし、一介のプロレスファンにして見れば驚天動地の世界であり、あまりにも普段の暮らしとかけ離れた描写はお伽噺のようにも思えて来る。
でも、これは現実だ。少なくとも私とTAJIRIさんは同じ世の中に地続きで生きていて、実際にそこで見聞きしたことをここに書き記している。
その内容を詳しくここでは書かないけど、プロレスを通して拡げた見聞を惜しげもなく、時々おかしなキャプションをつけた写真もまじえて伝えてくれる、とてもいい本だと思います。
思春期に読んだら絶対にド影響を受け、オレもマルタ共和国に行く!!とか言い出しかねない。私は、そんなガキだった。
誰しもそうやって海の向こうとか山の向こうを見ていた時期が多かれ少なかれあって、そうして本当に海も山も越えて行ける人というのは一握りにも満たないのだと思い知って、海や山のコッチ側で今日も生きている。
この本の作り方で印象的なものとして、登場人物ひとりひとりに、いま誰が喋ってるかわかるような口調とキャラがついていることが挙げられる。その人のことを知らなくても読んで行けるから後で(あれコレ誰だ?)って読み返さずに済む。
似たようなことをしてたのはダイナマイト・キッドとテリー・ファンクの翻訳された自伝本だったけど、それはあくまで特定の人物の訛りや口調を強調したのであって、本書ではほんの一行だけ喋るアステカさんや、セリフとしては普通だけど何についても「自論を語る」という特徴を持った谷津嘉章さんなど、本当に全員の話し方、語り方が分けられている。勿論とんでもない誇張が殆どだけど、それでいい。
ともすれば重すぎるテーマが読者の肩にまでずっしりと圧し掛かるこの本の中で、深刻になり過ぎず、明るくたくましく生きる愛すべきレスラーたちのあっけらかんとした生き方を疑似体験できて、自分の気持ちも少し楽になった気がしたから。
ソーデスネー。
随所に散りばめられているTAJIRIさんのプロレス哲学と、それを実践して来た自負。
言うのは簡単だし実行してゆくのは甚だ難しいとはわかっていながらも、自らの哲学と感じた可能性を信じて、この本で最後に旅して回るのは日本の地方や離島だった。
そこでは都会の、プロレスに慣れ親しんだ人々とは隔離された世界がある。
プロレスというものを素直に、あるがままに受け止める世界。それは美しく、牧歌的で、驚きと喜びに満ちた一種の祭りのようでもある。でも、そこで自分を曝け出し、文字通り裸で生き様を見せてゆくことがいかに難しいか。それもまた素直に書き記されている。
この本は、2023年の初頭に読まれて評判を呼ぶのとともに、あと10年ぐらいしたらきっと貴重な当時の世相を捉えた名著として評価されると思う。一人の人間が歩き回り走り回り暴れ回った、広くて小さな世界の描写。何気ない街角、人々、通り過ぎた道のことなんて、誰しもみんなすぐ忘れてしまう。だけど、書いたり写したりしていれば残すことが出来る。
あの時みんなどうしてた?
という問いかけのためにも、この本は読んでおくべき一冊だと思う。
ここからは僕の個人的な思い出や出来事、そしてメキシコという国への思い入れを交えた文章です。
25年前。メキシコ。
汗をかきながら焦って歩く見知らぬ雑踏。
ルチャの覆面を被って走ってゆく子供たち。
その後を追うTAJIRIさん。
ここが本書の白眉だった。
何故ならこの場面でTAJIRIさんが居るのはメキシコでもアメリカでもなく、他でもない日本の佐賀県だからだ。
一旦、意識を佐賀県に向かわせて、そっから25年前のメキシコを回想する。TAJIRIさんを通して想像する佐賀県の長閑な田舎町に読者の自分も突っ立ったまま、TAJIRIさんの脳裏に浮かぶメキシコの雑踏へと引きずり込まれてゆく。
この人は、この感性は、確かに小説を書くべきだ。小説家になるべきだ。そう強く感じた。
ここまで読み進めてきたどの場面より強く鮮やかに浮かび上がった、僕の意識の中で回るVTR
それは僕のもう一つの原風景、育ちそこねた街角の記憶と重なり合ったから……?
TAJIRIさんとすれ違いで、僕はメキシコを後にした。
2005年7月半ばのことだった。
きっと僕より先にも足を踏み入れていたであろう、ナウカルパン市ハルディンの、床屋さんとアレナ・ナウカルパンに挟まれた4階建てのウルティモ・ドラゴン・ジムを早朝のタクシーに揺られて出ていった。
同じ飛行機には若き日のエクストリーム・タイガーさんが乗ることになっており、空港のロビーでメソメソピーピー泣いてる僕にはとても優しくて傷だらけのお兄さんだった
その日から暫くして、TAJIRIさんが闘龍門メキシコのコーチに就任、というニュースを目にした。心底自分の根性のなさを呪った。あれほどみんなして引き留めてくれたのに、同期のHANAOKAくんや、先輩のツトム・オースギさんや、アミーゴ鈴木さん、CHANGOさん、堀口ひろみさん…みんなして励ましてくれた。
同室だった松山勘十郎さんは、徹夜で語り合い説得してくれた。それでも…私は大好きなTAJIRIさんの教えを受けることは出来なかった。
TAJIRIさんのメキシコも、アキラ選手の全日本プロレスも、通過点だったと書かれている。
そこに居場所がないのではなく、そこが居場所ではなかったのだ。
僕はきっとメキシコが到達点だったから居場所の作りようがなかったのだ。
そして今でも人生のピークがあそこにあって、それに抗い続けつつも、人に話せば喜んでもらえているようで、確かに風変わりな体験ではあるが、行っただけでも凄いねと言われて満更でもない自分が時々殺してやりたいぐらい嫌になる。
そんなことを繰り返しても、やっぱりプロレスは好きなままで居られている。
自分にも、世界にも、大なり小なり色んなことがあったけど、生き続けて営みを絶やさなければ、いつかきっとまた何かの変わり目が来る。そう信じて顔を上げてしまえるだけのパワーと能天気さが、この本には詰まっている。
少なくとも私には、十何年も回り道して漸くほんの少し触れられたTAJIRIさんの哲学や体験がとても心に染み入って、今すごく心地よい読後感を味わっています。
たまたま出版されると知り、立ち寄った本屋さんに並んでいたので、その日の昼飯代ですぐさま買った。これまでの著作も、買い集めて揃えたい。
プロレス深夜特急が走り続ける限り。
まだまだ書きたいこと、話したいことがあったんですう!
えーっと、それから、えーーっと……




