36話:疫病の疑惑
「フンフンフ~ン♪ フンフフフンフンフ~ン♪」
パルフスト王都の街道を、鼻歌交じりのご機嫌な様子で歩く一人の女傭兵。
もはやスーニアの侍女と化しているシェリカである。
だが、今の彼女を見てシェリカと分かる者はあまり居ないだろう。
眼鏡を掛けている上に、髪が元の茶髪のセミロングから、赤いロングヘアーに変わっているからだ。髪には小さな紅玉が三つ嵌め込まれた、髪飾りが光っている。
この眼鏡と髪飾りは、黒帝&魔神姫騒動に巻き込んだお詫びとして竜矢からプレゼントされた物だ。
水晶塊から削り出され、更に魔術で透明度を上げて作られたレンズの眼鏡は、高級品である事が伺える。
竜矢が亜空間バッグを発見した地下室にあった物だ。普通の眼鏡だったが、竜矢がオリジナル魔術を付与して魔道具となっている。
その能力は『生命体の体温』を『見る』事ができるというもの。
しかも家一件分くらいの障害物ならそれを透過して、向こう側に居る者も察知できてしまうという優れ物である。
(『さーもぐらふ眼鏡』かぁ~、い~物貰っちゃったな~! こんな魔道具持ってるの、世界で私だけだよね、うん! お陰で人を避けながら街を歩けるし! それにこの髪飾りの能力で見つかっても大丈夫だし!)
髪が赤に染まっているのも、竜矢のオリジナル魔術を付与された髪飾りの力だ。元々はシェリカの私物である。
髪に着けるだけでその色と長さを変化させる事ができる、変装用の魔道具だ。
髪飾りには三つの宝石を嵌め込む穴が開いていて、宝石を一つ嵌めて使うとショート、二つ使うとセミロング、三つ使うとロングヘアーに変化する。
更に、宝石の色を変える事によって、その色に髪の色を変える事ができるのだ。
おまけに、色違いの宝石を組み合わせればそれらが混じった色になる。例えば紅玉と白い宝石を使えば、ピンク色になるわけだ。
今は紅玉を三つ使っているので、赤のロングヘアーになっている。
これだけ至れり尽くせりの能力を持った髪飾りなど、大国の王族でさえ持っていないだろう。
二つとも、もはや魔道具というよりロストパーツに近い代物である。
(こんな良い物貰えるんだったら、あんな騒動の一つや二つ、どーって事ないよね! ミルファルナ様たちが羨ましそうにしてたのが申し訳なかったけど……。ラディナ様はあんまり関心無かったみたいだなぁ、美人なのにもったいない)
そんな訳で、シェリカは欲望と捻じ曲がった愛情に満ちた連中に追い掛けられることなく、街中を出歩いているのだった。
「さってと、今日は何を買って行っこうかな~」
菓子屋や料理店の店先を冷やかしながら品定めをしていく。
と、彼女の後ろに立った人物が声を掛けた。
「あの……もしかして、シェリカ・ウォーレンさんではありませんか?」
「にぇひぇいっ!?」
まさかばれるとは思っていなかったシェリカは、飛び上がらんばかりに驚いた。
飛び上がる代わりに奇妙な声を出してしまったが。
そーっと背後を見れば、見覚えのある紳士。
「し、支部長……さん?」
「ああ、やっぱりウォーレンさんでしたか。急に声を掛けて脅かせてすみません」
申し訳なさそうに微笑むバート・グランディがそこに居た。
周囲を警戒しつつ、シェリカが口を開く。
「そ、それは良いんですけど……。あの、何で私だって分かったんですか?」
「ええと、後ろ姿が似ていたのと、雰囲気ですね」
「……それだけですか?」
「それだけですよ?」
(鋭いにも程がありますよ支部長さん……)
たったそれだけで見破ってしまう眼力に、舌を巻くシェリカだった。
普通なら髪形や色がまったく違う時点で、その人物だとは思わないだろう。
「それにしても見事な変装ですね、カツラには見えませんし……。もしや、魔道具で?」
「え、ええ……」
ほうほうほう、と感心しつつシェリカの髪を色んな角度から眺めるバート。
だが、すぐにハッとしたようになって頭を下げた。
「申し訳ない、あまりに見事なので、無遠慮に見てしまいました。ご気分を悪くされましたか?」
「い、いえ、構いませんよ。減るもんじゃないですし」
事実、シェリカはさほど気にしていなかった。顔や体なら問題だが、見られていたのは変化させた髪なのだし。
それよりも、此処から早く離脱したくてしょうがなかった。
バートの後方から、自分を探しているであろう金髪美女の冒険者パーティがゾロゾロと向かって来るのが見えたからだ。
そう簡単に見破られたりはしない……と思いたいのだが、あっさり見破られた直後なので不安でしょうがない。
その視線に気付いたバートはチラリと後ろを見る。
納得したような笑みを浮かべ、こう切り出した。
「驚かせてしまったお詫びに、お茶でもいかがでしょう? 近くに最近オープンした評判の喫茶店があるんです。あ、時間に余裕があれば、ですが」
「い、いーですねっ、行きましょう、すぐ行きましょうっ」
「ありがとうございます。あ、こちらですよ」
路地へと入っていくバートの後ろを、シェリカは慌てて追いかけて行った。
「あ、これ美味しい!」
「気に入って頂けて良かった」
件の喫茶店は若い女性に人気の出そうな、可愛いらしい内装のシャレた店だった。外から見えにくいように店の奥の席に着き、本日のお勧めセットを注文する。
最近様々な料理や菓子を差し入れしつつ一緒に食べていたので、シェリカの舌も肥えていた。
が、出てきたお茶も菓子も、そんな彼女を満足させるに十分な物ばかりだった。
「むむ、今日の差し入れはこのお菓子で決定かな」
「差し入れ? ……サカザインさんとマナウルさんにですか?」
「ええ、いつもお菓子や料理を届けて一緒にお茶を」
「……ほう」
「……あ」
シェリカの動きが止まった。
『しまったー』といった顔をして冷や汗を流している。
「……ぷっ、く、くくく……。い、いや、失礼……」
「……あううう~……。支部長さん、カマかけましたね~!?」
「そんなつもりは無かったのですが……。ふぅ、素直な方なのですね」
そこでバートは姿勢を正した。
真っ直ぐにシェリカを見据え、真剣な表情で口を開いた。
「ウォーレンさん、あなたにお願いがあります。この手紙をお二人に渡して下さいませんか? 正式にあなたへの依頼として受け取ってもらっても構いません。報酬を支払う用意もあります」
「え、ええっと……はあ、もう誤魔化せそうにありませんね……。分かりました、お預かりします。あ、報酬なんて要りませんよ? その代わり、この事は他言無用ということで」
竜矢とスーニアに関しては話すことは出来ないが、黒帝と魔神姫としてならば話は別である。表向きは別人なのだから。
「勿論です、ありがとうございますウォーレンさん」
「念のために聞きますけど、あの二人に仕事の依頼か何かですか?」
「そんな所です。引き受けて下さると良いのですが、ね」
この後は他愛も無い雑談をし、穏やかな時間を過ごした。
意外にも気の合うことが判明し、思ったよりも長居してしまったくらいだ。
驚いたのが、二人の故郷が同じセルオノの街だったという事だ。
「でも、私はあの疫病の時にはまだ赤ちゃんで、何にも知らないんですよね~」
「……そうでしたか。それはある意味運が良かったかもしれません、酷いものでしたから……」
今でも鮮明に思い出せる、あの時の惨状。
疫病を恐れて街からは次々と人が逃げ出し、罹った者はあっという間に倒れて命を落としていく。
ちょっと路地に入れば、疫病で動けなくなった浮浪者が屍を晒していた。
あの老人が現れなければ、セルオノの街は完全に滅びていたかも知れない。
「そんなに酷かったんですか……。私は両親がその時に死んで、親戚に引き取られたんです。何でも、全財産と引き換えに私だけは何とか助けてくれたとか。自分たちの分までお金が足りなかったらしくて」
「立派なご両親だったのですね」
「ええ、私もそう思います。ただ……その時助けてくれた人って魔術師みたいなお爺さんで、ロストパーツの力で治したんでしょう?」
「はい、私もその治療するところを見ましたよ。幾つも宝石が嵌まった小さな杖の様なロストパーツでした」
「それですよ!」
「え?」
急にシェリカが身を乗り出した。いきなり顔を近付けられたバートは思わず仰け反る。
「治癒魔術で治したならまだ分かるんですよ、魔術は使い過ぎると術者の命に関わりますからね。でも、ロストパーツを使ったんでしょう? 気前良くババーッと安く沢山の人を治しても良いじゃないですか、人助けなんだし。そう思いません?」
「……あ、ああ、なるほど、確かにそうですが……。お金が必要な事情があったのかも知れませんよ?」
「そうかも知れないけど……。命の恩人を悪く言いたくは無いですけど、ちょっとがめついと言うか、守銭奴みたいで好きになれないんですよ。この人の話を聞いた時、チャンス到来とばかりにお金を稼いでるみたいで……。まるで病気が流行るのを待っていた様にさえ思っちゃいますよ」
「……!」
バートの心中に、小さな衝撃が走った。
(待っていた……? 病が流行るのを? もしそうなら……病が流行ることを知っていた?)
今まで考えもしなかった可能性。
それが頭の中を駆け巡り、一つの推論を導き出す。
(疫病そのものを、あの老人が発生させた……!?)
そんな事がありえるのか。
一つの街を滅ぼしかける程の疫病を、一人の人間が操るなど。
思い返してみれば、老人は治療して涙ながらに感謝する住人に対し、笑みを返した事は無かったように思う。
ただ無愛想に、金を受け取ってさっさと立ち去っていた。
だが、地下室で老人が見せた、ロストパーツに魔獣を食わせた時の不気味な笑み。あれは、命が失われる場面を喜んでいるようにも見えた。
バートの全身に、冷たい物が流れていく。
「あの……支部長さん?」
「えっ……? あ、は、はい何ですか?」
「大丈夫ですか? 何か顔色悪いですけど……」
「そ、そうですか? はは、ここ最近忙しかったからでしょうかね。私はそろそろギルドに戻ります。手紙の件、よろしくお願いします」
「え、ええ、今日中に渡せると思いますよ」
「それはありがたいです。では、失礼しますね」
バートは二人分の料金を払うと、ギルドへと足を向ける。
その足取りは、微妙に頼りなく感じられた。