29話:竜矢とスーニア その6
竜矢がオリジナル魔術を作り出してから、更に約二ヶ月が過ぎた。
地道な基本修行の積み重ねによって魔力のコントロールも完璧な物となり、ステリのお墨付きを貰うことが出来た。
それを機に、竜矢はスーニアの首に嵌められているロストパーツを外す事を決意した。
それに備え、竜矢はロストパーツについて脳内の情報を再び検索した。
これは他のロストパーツと同じく、正体不明の金属で出来ている。
だが、嵌められた本人を縛る力は強いものの強度は鉄と同等レベルで、破壊しても暴走などはしないということが判明する。
ステリと相談し、魔術で破壊するよりは、単純に力で破壊した方がいいだろうという事になった。
しかし、念には念を入れて、スーニアの体に対物理、対魔力の強力な防御結界を三重に掛けた。ロストパーツは結界の外側になるように調節する。
正直、この結界は一つだけでも『銀炎の剛嵐』レベルの威力すら軽く防ぐほどの強力な物なので、念を入れ過ぎな気がしないでもないが。
予想外、あるいは万が一、という事態はいつ如何なる時にでも起こるものだ。
「よし、始めるぞ……。スーニア、ちょっとでも痛かったりしたら、すぐに言うんだぞ」
「あぅ? わぅ~♪」
よく分かっていないスーニアが、いつもの様に無邪気な微笑みを返す。
失敗できない魔術に緊張していた竜矢だったが、その笑顔にいい具合に緊張を解された。
空中に浮かび上がり、首輪に手を掛けて呪文を唱える。
「……我が腕に宿れ、岩裂く力よ……『巨人の強力』」
ステリの見守る中、体外展開された腕力を強化する魔術式が輝く。
竜矢の腕に、素手で岩をも砕くだろう強い力が生み出される。
ゆっくりと、慎重に力を込めていくと、首輪から亀裂の入る音が聞こえてきた。
そして、薄いガラスが割れるような音がすると同時に、ついにスーニアを縛っていた首輪は真っ二つに砕け散った。
「よっしゃぁ!」
「あぅ……わぅぅ?」
スーニアは喉に手をやり、何もない事を不思議そうにペタペタ触っている。
だが、急に体が崩れ落ちると、両手足を地に着けて苦しそうに呻きはじめたではないか。
「あう……ぐ、ぐぅぅ……!」
「スーニア!? どうした!?」
「リュウヤ、大丈夫だよ。よく見てておいで」
「だ、だって、何か苦しそうじゃないか!」
「久しぶりの変化に体が追いついてないのだろうね。なに、すぐに治まるよ」
「へ、変化……?」
慌てるリュウヤとは反対に、ステリは落ち着いている。
そういえば、彼女はスーニアについて何か知っている風だった事を、リュウヤは思い出す。
心配しつつもスーニアを見守っていると、その体が金色に光り始めたではないか。
「な、なん……?」
数秒ほどの間、光は大きく、強くなって周囲を照らし出す。その明るさに竜矢は目を閉じた。
と、不意に光が消えた。
目を細めていた竜矢は恐る恐る目を開けると、口を大きく開けて硬直した。
「久しぶりだね『金銀獣瞳の姫』。私が分かるかい?」
「……ああ、分かるぞ。久しぶりじゃ、ステリ婆」
スーニアがいた場所には、一頭の獣がいた。
狼に似た姿で、全身を美しい金毛に包まれている。
大きさは子牛ほども有り、その尻尾は三本に分かれている。
そして、何よりも全身から発せられている神々しいまでの威圧感は、決してただの魔獣などではない事を嫌でも認識させられた。
「ようやく……、ようやく己を取り戻すことが出来た。リュウヤ、礼を言う。ありがとう、本当にありがとう……!」
獣は聞き覚えのある声で竜矢に礼を言った。
そう、スーニアの声で。
「ス……スーニア、なのか? マジで?」
竜矢が呆気に取られた顔のままで声を出す。
「うむ、これがわしの本当の姿じゃ。わしはマナウルフィ。人間たちには『神獣』などと呼ばれておる」
竜矢は脳内を検索し、マナウルフィのことを知る。
太古の言葉で『真なる獣』と呼ばれる、魔獣とは一線を画した強大な魔力と力を持つ種族だ。
「ステリ婆にも世話になったの、お主に巡り合えたのは僥倖じゃった」
「ふふ、礼には及ばないさ。私は大した事はしていない。姫を助けて面倒を見たのは、リュウヤだろう?」
「……うむ」
スーニアは金銀の目を細め、いまだに呆然としている竜矢に近づくと、頬擦りをした。
「あ~~……マナウルフィが何なのかは調べて分かったけど、びっくりし過ぎて頭が働かねーわ……」
「ふむ、ではこれならどうじゃ?」
再びスーニアの体が金に光る。
それが消えると、そこには今まで見慣れた少女が立っていた。
マナウルフィはその強大な魔力によって、人間の姿に変化する事ができるのだ。
「この方が接しやすいかの? リュウヤ。……どうした、何で後ろを向くのじゃ?」
人の姿になったスーニアを見た瞬間、竜矢は神速で後ろを向いていた。
「何でも何もねーだろ! 何で素っ裸なんだよお前!!」
「む?」
そう、スーニアは一糸纏わぬ裸体であった。
よく見れば、彼女の足元にはさっきまで着ていた服が粉々になって散らばっているではないか。
獣に戻った時に、魔力の放出で千切れてしまったのだ。
それで人間に変化すれば裸なのは当たり前である。
が、顔を赤くして慌てている竜矢とは反対に、スーニアは落ち着き払っている。
「何を今さら照れておるのじゃ。わしの体でお前が見ていない所など無いし、触れていない所も無い。散々好きに弄くり回したであろうに」
「いじくりっ……!? ご、誤解を招くような発言すぶがっ!?」
思わず振り返って反論した竜矢は、至近距離&超ローアングルから直視してしまう。
スーニアは腰に手を当てて仁王立ちだった。
隠す気など、さらさら無いようである。
「あ、あぅあぅあぅ……」
火が出そうなほどに顔を赤くした竜矢は声も出ない。が、目も離せない。
もはや金縛り状態である。
「見たいのなら、じっくり見るが良い。遠慮はいらんぞ、我が主よ」
「あ、あ、主ぃ?」
聞きなれない単語に、竜矢の意識が少し戻る。
「ほれ、最初にわしがお前を口にくわえてしまった事があったじゃろう? あの時、お前の体についていたかすり傷から、お前の血を飲んだのじゃ。あれが『主従の契約』になっていたのじゃよ」
主従の契約とは、魔術師が使い魔にする動物に自分の血を飲ませることを意味する。
血を飲ませる事で術師と使い魔との間に経絡(パスと呼ばれる)を繋げるのだ。
しかし、他にもその動物へ術を掛ける必要がある。その事を脳内検索で知った竜矢は疑問をスーニアに問う。
「えーっと、主従の契約には術も必要だろ? 血だけじゃ駄目だろ」
「もはやその必要は無い。その術は対象の精神を術者に委ねる為のもの。もうわしはお前に全てを委ねておるからの。心も体も、魂すらも」
スーニアはほのかに頬を染め、ふわりと笑う。
一点の曇りも無い、信頼という蜜に蕩けきった微笑み。
それに見惚れる竜矢を、彼女はそっと両手に包みこみ、その頬に寄せる。
「お前はわしの命の恩人、魂の恩人じゃ。この場で誓おう、リュウヤ。今この時より、わしはお前の従者じゃ。お前の敵はわしがすべて取り除き、危険から守り抜こう」
それは決して誇張した表現ではなく、スーニアの本心からの言葉だ。
しかし、一介の高校生であった竜矢には少々重過ぎるものでもある。
「い、いや、そんな事しなくても……。俺はそんな積もりでお前を助けた訳じゃ……」
「迷惑か?」
一転して、絶望に塗り固められたような悲しい表情をするスーニア。
その瞳に涙が溢れていく。
この顔を目の当たりにして断れる男がいたら、鉄どころかオリハルコン並みの強靭な精神が必要だ。
この可憐な少女相手では、世の九割の男たちの精神的強度は豆腐にも負けかねないだろう。
「ぐっ……、わ、分かった分かったから泣くな!」
「では、良いのじゃな?」
スーニアが再び笑う。
彼女は竜矢を胸に抱き、誓いの言葉を繋いだ。
「この命は元より、肉の一片から骨の一欠けらまで、すべてお前に捧げよう。命果ててもなお、わしの想いはお前と共に有ろうぞ……愛しき小さな我が主」
二人の動きが止まる。
優しい風にスーニアの黄金の髪が流れ、その白い肌が陽を反射して白さを際立たせる。
『妖精と少女の逢瀬』とでも名付けられた一枚の絵画のように、二人の周囲が世界から切り離されたかのようだ。
「あ~、姫? ちょっと良いかね?」
「……何じゃステリ婆、もう少し余韻に浸っていたいんじゃがの。それからわしの事はスーニアと呼べ」
暫くそうしていた二人にステリが遠慮がちに声を掛けた。
スーニアはちょっと不機嫌そうだ。
「ではスーニア、リュウヤだけどね」
「リュウヤがどうした?」
ステリは竜矢を指差し、気の毒そうに言った。
「魂が抜け出てるようだよ?」
言われて竜矢を見てみれば、鼻血まみれで気を失っていた。
「リュ、リュウヤっ? しっかりせい!」
「胸に直接触れてたからねえ……」
竜矢をカックンカックン揺らしつつ、抜け出た何かを呼び戻そうとするスーニアだった。