27話:竜矢とスーニア その4
竜矢は良くも悪くも、一介の高校生です。
強くもあり、弱くもあるのです。
小柄な老婆は白い髪を頭の後ろで束ね、深みのあるマリンブルーの瞳は生きてきた年月と経験を感じさせる。
ニコニコと微笑んでいるその姿は、子供好きの近所のお祖母ちゃんといった、優しい雰囲気だ。
「そんなに警戒しなくても良い。礼がしたくてね、ここまで来てもらったのだよ」
「礼だって?」
「このパロツを逃がしてくれただろ? この子は私の使い魔なんだよ」
老婆が足下に駆け寄ってきたパロツを抱き上げ、その頭を撫でながら言った。
「使い魔? って事は……婆さん魔術師か」
「私の名はステリ。ここで一人暮しをしている、引退した魔術師さ。立ち話もなんだ、中に入りなさい。お茶の用意が出来ているよ」
そう言うと、ステリと名乗った老婆はさっさと家の中に入っていってしまった。
「……どうしたもんかな」
「フン、フン……わぅっ、りゅーや、おいしそう、わぅっ」
開いたままのドアから流れてくる、甘い焼き菓子の匂いを嗅いでスーニアが反応した。
行って欲しいように身体を揺らして、家の中を指差している。
「警戒心ねーなぁ、お前は。……ここでこうしてても、しゃーねーか、取り敢えずは悪人じゃなさそうだし」
竜矢はバッグを拾うと、何が起こってもいいように警戒しつつ家の中に入っていった。
「えーと、お邪魔します……」
「どうぞ、椅子にかけなさい」
家の中は、綺麗にまとめられていた。
アンティークなテーブルと椅子に食器棚。家の壁際には煉瓦造りの暖炉があり、小さな火が燃えて部屋を暖めている。
一際目を引いたのが、壁を一面使った大きな棚だ。
そこには乾燥させた薬草らしき植物や粉末や、飴玉のような塊が詰まった物が、大きめのガラス瓶に収められてびっしりと並べられていた。
(まるで、童話に出てくる森の中の一軒家だな……って、そのままだな)
竜矢はスーニアを椅子に座らせると、自分は人型を消してテーブルの上に直接座った。
テーブルの上には人数分のお茶が並び、中央には焼き立てのクッキーが香ばしい匂いを漂わせて食欲を煽っている。
ちなみに、竜矢のカップはミルクピッチャーを代用して入れられていた。
スーニアは目を輝かせてクッキーを見つめている。口の箸からはヨダレが一筋。
「ふふふ、どうぞ召し上がれ」
「わぅっ!」
ステリがそう言うと、スーニアはクッキーを鷲掴みにして食べ始めた。
だが、竜矢はそれを見て慌てて止めようとする。
「ま、待てスーニア! ステリさん、このクッキー卵を使ってるんじゃないか? だったらこいつには……」
「大丈夫だよ。この子は肉類は食べられないが、完全な命になる前の卵なら食べられる筈だ」
「え……?」
ステリの言葉に、竜矢はスーニアを見守る。
今まで肉が少しでも入った料理は即座に吐き出していたが、確かにクッキーは口に詰め込むようにして勢いよく食べているのに吐き出す気配がまるで無い。
「わぅっ♪ ハムハグ……わふぅ~っ♪」
「ね? 言った通りだろ?」
「た、卵は平気なのか……。って、ステリさん、何でそんな事知ってるんだ? スーニアの事、何か知ってるのか?」
「まあね。ま、この子については後で教えてあげるよ」
ステリは茶を一口飲むと、竜矢に向き直った。
「この一月ほど、森の中から凄い力の波動を感じていたよ。あれはキミの力だったのだね」
「波動? 自分じゃ意識してなかったけど……」
「今消した、赤い光の人型が原因だよ。あれを出してる間は抑えてるつもりでも、力の波動を周囲に撒き散らしていたのさ。それで森の動物たちがキミの波動に怯えて、あの辺から逃げてしまったのだよ」
「げ、魚だけじゃ無かったのか……。どーりで罠に何にも掛からない訳だ……」
竜矢は洞窟で生活をしている間、寝る時以外は殆ど人型を展開していた。
主にスーニアの面倒を見る為に、その方が便利だったからだ。
それが気付かぬ内に、自分の首を絞めてしまっていた訳だ。
「それで何が居るのかと思って使い魔をやったら、罠に掛かってしまった、という訳さ。この子は私の唯一の同居人でね、いや、逃がしてくれて嬉しかったよ。ありがとう、二人とも」
「わぅ~♪」
「スーニアが止めなければ、俺は間違いなくそいつを干し肉にしていたよ。だから、礼はスーニアにだけ言ってくれ」
「ふふ……謙虚だね」
『日本人は謙虚である』というのは、諸外国からよく聞かれる言葉だ。
自分を下に置き、相手を上に置いて対するやり方がそう感じさせる要因の一つであり、日本人の特徴とも言えるものだ。
竜矢もやはり日本人であり、他人と接する時にこういうやり方をするのは、自然と身に染み付いてしまっているのだ。
「それにしても長生きはするもんだね、妖精に会う事が出来るとは」
「いや、俺は妖精じゃないから。これでもれっきとした人間だよ」
「ほう……? どういう事か、よければ話して貰えないかね? ここは私が張った結界に守られている、誰かに聞かれる心配はいらないよ」
竜矢はステリの目をじっと見た。
果たしてこのステリという人物は信用出来るのか、どうか。
ステリも何も言わず、竜矢の目を見つめ返す。
竜矢が直感的に彼女に感じたのは――“慈愛”
長い年月を生きた者が自然と放つ、年若い者へと向ける慈しみだった。
「……分かった、アンタを信じるよ」
「信じてくれて、嬉しいよ」
ステリの笑顔は、花のような美しさを持っていた。
「……ふむ。その魔術師がキミを地球という異世界から召喚し、スーニアちゃんを捕らえ、その魔力を利用していたのだね?」
「ああ。ステリさんも魔術師だろ? 異世界召喚に関して何か知らないかな?」
「残念だけど、私もそんな魔術は聞いた事がない。魔術師としての腕は高い方だと自負してるんだけどね。……ふむ、もしかしたらロストパーツを使ったのかも知れないね」
「ロストパーツか……」
竜矢とステリは異世界召喚に関して、ロストパーツを使ったのではないかという結論に達した。現在の魔術では、世界の壁を破るほどの力は無いと判断したのだ。
という事は、竜矢が元の世界に戻る為にはどうしてもあの老魔術師を探し出し、その方法を聞き出さなければならないという事だ。
ちなみに、スーニアはクッキーでお腹いっぱいになったのか、テーブルに突っ伏して寝てしまっている。
「……前途多難だなぁ……」
「そうかね?」
「だって、このナリじゃまともに人前にも出られないじゃないか……」
「気にせず人前に姿を出しても良いと思うけどね。キミには途轍もない力がある、それを使えば幾らでもやりようはあるだろう」
「ん~、何か、それってズルしてるような感じがしてさあ……」
「ズル?」
竜矢は自分の手を見つめながら言う。
「この力は俺が努力して手に入れたもんじゃ無いからさ。訳も分からず、いきなり植え付けられた力だ。力ってのは努力して手に入れるもんだろ? それが身体の強さでも、頭の良さでも。この力を自分の都合の良いように使ったら……俺は、俺じゃ無くなっちまうような気がするんだ」
何の苦労もせずに手に入れた、あまりにも強大な力。
欲望のままにそれを振るったら、自分はどうなってしまうのか。
竜矢は本能的に、自らの強すぎる力に対して危機感と恐怖心を持っていたのだ。
そんな竜矢の胸の内を悟り、ステリは口を開く。
「……ふむ、半分は間違ってはいないね」
「半分?」
「そう。誰がどう言おうが、君がどう思おうが、経緯はどうであろうが……その力は今、キミの中に確実に存在している、キミだけの力だ。確かに力というものは努力した先にある。けれど、努力の課程で心も鍛えなければならない、心の伴わない力はいずれ自分も滅ぼすだろう」
「……うん、俺もそう思うよ」
単に強いだけでは只の乱暴者だ。
スポーツの世界でも、どんなにずば抜けた成績を残しても、人格や品性に問題がある者は認められる事はない。それは学問の世界でも同じ事だ。
その行いはいずれ自分に返ってきて、身を滅ぼしかねないだろう。
「だが、強い力を持つ者が持っていなければならない強い心を、キミは既に持っているじゃないか。自制心、理性、スーニアちゃんを助けて面倒を見続けた優しい心……それらがある限り、キミは力に溺れる事は無いと思うよ?」
「……俺はそんな立派な人間じゃないよ。スーニアを助けたのは、成り行きって言うか……」
「でも、今まで見捨てなかった。その子の下の世話までしたんだろう?」
「……ああ」
スーニアは今でこそ回復しているが、最初の頃は何から何まで竜矢の手を借りなければ何も出来なかった。
食事や、トイレに至るまで。
それは全て、竜矢の負担になっていた。
「迷惑だと思っても、放っておけなかった。スーニアちゃんの願いを聞いて、自分の食べ物が減るのを承知で私の使い魔を助けた」
「……う、うん」
「立派だよ、キミは。私は結婚したが、子供は出来なかった。キミのような優しく、強い心を持った子供が欲しかったよ」
「そ、そんなに持ち上げないでくれよ、恥ずかしくてしょうがねえや」
竜矢の顔が赤くなっていた。面と向かってこれだけ誉められれば、誰でも照れるというものだ。
と、竜矢の頭に何かが触れた。
ステリの手が、優しく撫でていた。
「よく頑張ったよ、キミは。だから、泣いたって良いんじゃないか?」
「え?」
顔を上げた竜矢が見たのは、優しく微笑むステリの顔。
それを見た途端、竜矢の胸に溢れるものがあった。
「一人で頑張ってきたんだ、たまには泣いて心を楽にしてやらないと、疲れて倒れてしまうよ。私の夫がそういう人でね、悩みも苦しみも一人で抱えて、心が疲れ果てて倒れてしまった事があったよ。だからキミの事も何となく分かるんだ、無理をしてきたってね。……人はね、時には気持ちを抑えずに泣き喚いたって良いんだよ」
突然、異世界へと拉致されて家族や友人たちと離れさせられた。
何日も地獄のような苦しみを味あわされた。
やっと解放されたものの、頼る者も知り合いも居ない異世界に放り出され、スーニアという助けなければならない存在を抱え込んだ。
そして、スーニアの食事や排泄など、慣れない介護をしながらのサバイバル生活。
一介の高校生に過ぎなかった竜矢にとって、想像以上に苦しいものだった。
ともすれば挫けそうになる心を叱咤し、鼓舞し、時には誤魔化して何とかやってきた。
ギリギリの所で耐えられたのは、無理矢理植え付けられたこの世界の知識と魔力、そして何より、スーニアを守ろうとする意志があったからだ。
いつの間にか、竜矢の目から涙が溢れていた。
寂しさ、悲しさ、不安、苦しみ。
生きる事に必死で抑えていた感情が、堰を切って溢れ出した。
そんな竜矢をステリは優しく両手で掴み、自分の胸に抱き寄せる。
涙と鼻水で顔を濡らし、ステリの服を握りしめ、竜矢は声が枯れるかのように大声で泣き喚いた。
眠っていたスーニアが飛び起き、泣いている竜矢を見て心配そうに側へと近寄った。
「あぅぅ~……? りゅーや?」
「大丈夫だよ。ちょっとだけ、静かにしててあげなさい」
「わぅ……」
その言葉に、スーニアはステリの手の上から竜矢を労るようにそっと触れた。
「泣くといいさ、好きなだけ……。涙は痛みと苦しみを少しだけ洗い流してくれる、心の清流なのだから」
ステリの優しい声と温もりが、竜矢の疲れ果てていた心を少しずつ癒していくのだった。