2話:傭兵 シェリカ・ウォーレン
少し時間が飛びます。
その日の夜、森の中で怪しげな儀式を行う邪教の調査依頼を受け、傭兵シェリカはある古代遺跡へと潜入していた。
世の情勢が不安定になると、人の心につけ込む怪しげな輩が出てくるのは何処でも変わらない。戦乱の兆しを見せるこの大陸では傭兵の需要が急速に高まり、一攫千金や出世を夢見て傭兵になる者が多くなり始めていた。
シェリカもその一人だ。
14歳で傭兵となり、現在16歳。まだまだ駆け出しではあるが、それなりに修羅場もくぐってちょっとは名も知られるようになった。特に潜入調査に関してはシェリカを名指しで指名する者が出るほどだ。
その為に多少慢心していたのかも知れない。
一人で出来る仕事というのは実はあまり無い。通常は仲間を募ってから取りかかる。
だが、シェリカはまず、そんな邪教徒が本当にいるのかどうか確かめようと一人で潜入した。
そこで珍しくミスをして見つかり、邪教徒に追われる羽目になったのだ。
真夜中の森の中をわずかな月明かりを頼りに疾風のように駆けながら、彼女は心の中でひたすら愚痴っていた。
(ついてない、ついてない、ついてない! 何であんなとこにグールワームが群生してんのよー! あああ、しばらく夢に出てきそう……)
グールワームとは、地球のミミズに似た地中に住む虫だ。
大きさはミミズと変わらないが、体色がそれは鮮やかな紫とピンクのマダラ模様をしている。その上、油分を皮膚から分泌してヌラヌラと照り光る。
はっきり言って、気持ち悪い事この上ない。
動物の腐肉を食べて土に返したりする森の掃除屋だが、この外見のせいで女性には特に嫌われている悲しい虫である。
職業柄、大抵の虫は平気なシェリカも、このグールワームだけは大の苦手だった。
(触っちゃったよぉぉー! ああ……一刻も早く洗いたいのにー!)
朽ちた古代遺跡の地下神殿跡で、怪しげな儀式を行っている邪教徒の存在を確認したまでは良かった。
祭壇の上に寝かされた全裸の少女を見て動揺した彼女は、身を乗り出してバランスを崩し、壁に左手をついた。
石の冷たく堅いものではない、グニュッとした柔らかい物がウニョウニョと動く感触。
動きを止めた彼女が恐る恐る壁を見ると、そこだけぽっかりと穴が開いていて中には大量のグールワームが蠢いていた。
思わず悲鳴を上げてしまっていた。
その結果がこれである。
慌てて逃げ出したが、追っ手が諦める気配はない。
それどころか徐々に間隔を詰められている。追いつかれるのは時間の問題だった。
(まずいなぁ……。よりにもよってブラックビーストが三匹、魔術が使えない私じゃ相手が悪すぎる……!)
追っ手が操っている魔獣は、剣や弓矢だけで仕留められるような奴ではなかった。
黒い長毛を持った犬に似た獣、それがブラックビーストだ。
優れた嗅覚と聴覚を持つだけでなく、その鋭い爪と牙は騎士の甲冑を容易く切り裂き、噛み砕く。おまけにその咆哮は強烈な超音波だ。まともに食らうと三半規管を狂わされ、体の動きを止められてしまう。ただし、この能力は近距離でなければ効果が激減するのがシェリカにとっては幸いだった。
仮に魔術が使えたとしても、駆け出しにちょっと毛が生えた程度のシェリカでは瞬殺されてもおかしくない。ベテランの傭兵でも一対一で戦う事などは絶対に避ける、かなり危険度が高い魔獣なのだ。
(とにかく逃げるしかない……っ? 光?)
不意に、木々の間から小さな光が見えた。
近づくにつれ、それが焚き火だと分かるとシェリカは考えを巡らせた。
(こんな森の中で野営? となると、相応の腕を持った傭兵か武術者かしら。……っええい! 手練れである事を祈るしかないわ!)
要するに、手助けを頼もうというのだ。
無関係な人間を巻き込むのは気が引けたが、そんな事を言っていられない状況だ。腕の立つ者と力を合わせれば、戦う事も可能になる。
シェリカは焚き火に照らされた、小さく開けた空き地に飛び込むと同時に叫んだ。
「すいません!! 助けてくだっ・・・さ?」
一瞬、目の前の光景を疑った。
焚き火の側には人の姿が無い。代わりの様にそこにいたのは、一匹の大きな獣だった。
牛ほどもありそうな体はシェリカよりも二回りは大きい。その身体は神々しいまでの黄金の体毛に覆われ、四本の脚はシェリカの腕よりも太い。柔らかな毛で太く見える尻尾は三本あった。
シェリカを見つめるその瞳は、右目が金色、左が銀色というオッドアイである。
神懸かったその姿に不釣り合いな物が首に掛けられている。革製の使い古された小型バッグだ。童話に出てくる、雪山で遭難者を助ける山岳救助犬が首に付けている樽を、革のバッグに変えたような物だ。
シェリカは全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
様々な魔獣について知る事は、傭兵という職業上、必須条件と言える。見た目は小さく弱そうな魔獣でも驚異的な速さや毒を持っていたり、動きは鈍重だが強靱な外殻と、城壁さえも崩してしまう怪力を持つ魔獣もいる。
だが、シェリカの前にいる獣はあらゆる魔獣を上回る存在だった。
外見だけは傭兵ギルドの教育で学んだ、伝説の『神獣』。
『大地の獣王』『月光の牙王』『陽と月の落し子』『獣神の使い』……呼び名は数あれど、一般的にはこう呼ばれている。
『マナウルフィ』。太古の言葉で、『真なる獣』という意味だ。
シェリカは死を覚悟した、それも無意識に。
三匹のブラックビーストに追われながらもしなかった覚悟をだ。魔獣を超えた神獣には、人間の本能をひれ伏せさせる言いようのない迫力を持っていた。
「……やれやれ、今夜は妙に騒々しいと思うたら……。珍客到来じゃの」
マナウルフィが喋った。
魔獣の中にも知性の高いものは人語を解し、人間と友好関係を築くものもいる。神獣ともなれば何ら不思議ではない。これはシェリカにはありがたい事だった。意志の疎通が出来そうだと分かるとへたり込んだ体に力を入れ、震える唇を動かして言葉を絞り出す。
「あ……あの……」
「何じゃ? 珍客よ。ずいぶん慌てておったようじゃが」
「そ、その、お、追われているんです!」
「ふむ、追われておる、と?」
「はっ、はい! この森の奥で邪教徒がお、おぞましい儀式をしておりまして、わ、私はそれを調べていたのですが、見つかってしまい……!」
「なるほどのう……こやつらはその手先か」
「っ!!」
気がつけば、周りは三匹のビーストに囲まれてしまっていた。
赤く血走った目をシェリカたちに降り注ぎ、低くうなり声を上げている。
その口からは唾液を溢れさせ、今にも襲いかかってきそうだ。
「……哀れな、自我を奪われ悪党の走狗にされおったか」
「マ、マナウルフィよ、獣神の使いよ、どうかお力をお貸し下さい!」
「ふむ、助けてやっても良いのじゃが……」
「本当ですか!」
「わしの主の許可が無くてはの、勝手に動く訳にはいかぬ」
「あ……主っ!?」
シェリカは飛び上がりそうになるほど驚いた。
通常、魔獣を手足のように使う魔獣使いは、まず魔獣の子をさらう。
そして特殊な薬を混ぜた餌を与え、命令に逆らうと激痛が走る魔術の施された首輪などを使って調教し、主と無理矢理に認めさせるのだ。
今、自分を狙っているビーストたちもそうやって調教されたのは間違いないだろう。だが、伝説の神獣をそんな方法で調教できるとは到底思えない。
一体誰が、どうやったというのか。
その主は、予想も付かない所から姿を現した。
「何だよ、うるさいなぁ……。寝らんねーじゃねーか」
「すまんの、リュウヤ。どうやら厄介事じゃ」
「よっ・・・妖精!?」
マナウルフィの首の辺りの毛が盛り上がったと思うと、そこから小さな人間が姿を現した。
それは神話に出てくる妖精に見えた。
この世界における妖精は、神々の子孫とされている。
昔話にも多数登場し、目撃談もあるが、存在を証明する確固たる証拠は無い。
妖精とは、神獣よりもレアな、居るかどうかすら分からない存在なのである。
シェリカは伝説上の妖精が出てきた事に驚いて声を上げたが、件の妖精が更に驚く事を言った。
「妖精じゃないよ、俺は人間だ」
「は、はいぃ!?」
抗議の声を上げる妖精に、更に混乱するシェリカ。
何処をどうすれば、こんな手のひらサイズの人間が生まれるというのか。
身長は二十センチ程度。性別は男のようで、年齢的にはシェリカとあまり変わらないように思える。着ている服も、一般的な平民が着ているようなシャツとズボンという平凡な格好だった。
サイズを除けば、普通の人間と何ら変わりはない。
ただ、その髪と瞳はこの地方では珍しい黒色であった。
竜矢の相棒、神獣の登場です。え? あの痩せた女の子はどうしたのかって? ……多分、皆さんが想像している通りだと思いますw