表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

てんびん座の魔法

作者: ノザキ波

1.あの日の魔法


 私は魔法が好き。そう遠村絢花は公言していた。どこまでも透明な期待感。キラキラでふわふわな、未知への扉。




 夕暮れの公園に童謡ふるさとのインスト音楽が流れる。絢花はブランコに座り、一人涙を流していた。その泣き声に導かれるように、浅賀侑吾は公園へとやってくる。ゆっくりと歩を進めると、絢花をのぞき込んだ。


「どうして泣いてんだ?」


 その言葉に絢花は少しだけ顔を上げる。


「お兄ちゃんだれ?」


 侑吾は微笑んだ。


「浅賀侑吾。今日ここに引っ越してきた。君は?」

「遠村絢花……」

「絢花。いい名前じゃん!」


 その言葉に、わっと絢花は泣き出してしまう。


「お、おいどうした?」


 絢花はしゃくりあげながら言葉を紡ぐ。


「お、男の子たちいじめるの……。遠村はとおだからとんちゃんだって。とんはブタだからブタちゃんだって……! 私ブタじゃないのに……!」


 侑吾の手が優しく絢花の背をなでた。


「絢花は絢花だもんな。ブタじゃねえよ」


 泣きながら何度も頷く絢花。そんな絢花から手を離すと、侑吾は明るい声を出す。


「よし! じゃあしょんぼりしてる絢花に、魔法、見せてやるよ!」


 絢花の瞳に光が灯る。


「魔法?」


 侑吾はニヤリとした。


「おう。取り出したるは何の変哲もないこちらの赤いハンカチ、これを俺の手の中に入れると……」


 握られた拳をゆっくりと開く。


「うそ、消えた」


 絢花の瞳はどんどん輝きを増していく。


「そう。で、もう一度俺が手を握ると……」


 ポンという音と共に、ハンカチで出来た赤いバラが現れた。


「わあ……」


 侑吾はそれをそっと差し出す。


「かわいい絢花にプレゼント」


 絢花の顔がパッと明るくなった。


「え、ほんと?」

「ほんと」


 ふわりと笑む侑吾に、絢花も笑みを返す。


「ありがとう」


 一瞬照れくさそうにした後、侑吾はニヤリと笑い言う。


「大成功」


 ドキッという音が絢花の胸の中で響いた。




 それは夢だった。13歳になった絢花が回想した、侑吾との出会いである。あれは確かに魔法だった。手品とかマジックとか奇術とか、言い方は色々あるけど、あの日あの時あの人が見せてくれたのは、たしかに、魔法……。あの時から絢花は魔法を信じている。あの時から絢花は魔法を愛している。あの時から絢花は、侑吾のことが……。




 チャイムの音が南中学校風紀室にこだました。絢花は机に突っ伏して眠っている。隣に座っていた侑吾が絢花をゆすった。


「絢花、おい。絢花!」

「え?」


 寝ぼけまなこの絢花である。


「もう委員会議終わったけど。寝不足か?」


 絢花は急速に覚醒した。起き抜けに侑吾の声が聞けて、切なくなるほど嬉しくなった。侑吾と絢花の視線が交わる。絢花の胸をときめきが駆け抜けた。ふいに激しく、伝えなければと思った。この思いを……恋を。衝動のまま、絢花は口を開く。


「……あの!」

「ん?」


 侑吾が首をかしげるのと、風紀室のドアが開くのは同時だった。福居唯奈。侑吾の同級生。入室した唯奈を見た瞬間、絢花の衝動は死んでしまう。唯奈はゆっくりと侑吾の席まで歩いてきた。


「侑吾君。まだいたの?」

「まーな。そっちは」

「忘れ物」


 唯奈はちらりと絢花を見て会釈をする。絢花も慌てて会釈を返した。唯奈はスッと侑吾のネクタイに手をかける。


「あ、侑吾君ネクタイ曲がってるよ」

「これわざと」

「ばか。なおすからこっち向いて」

「いいって」


 絢花はがらりと音を立てて椅子から立ち上がった。目の前の光景に耐えられなかった。


「あの、私帰りますね」


 鞄をひったくって去ろうとする絢花の腕を侑吾の手がつかんだ。


「まって!」

「え?」


 振り向く絢花に、侑吾が囁く。


「明日、10時半。喫茶ローズブルー」

「え、あの」


 戸惑う絢花の腕はもう離されていた。侑吾がひらひらと手を振る。


「あ、さよう、なら」


 絢花はとぎれとぎれに挨拶し、帰路についた。




2.今夜だけ魔法使い


 翌日10時半すぎ。絢花は喫茶ローズブルーの店内にいた。侑吾と向かい合って。二人から注文を取った店員が一礼して去っていく。侑吾が唐突に言った。


「ワンピース似合ってるね」

「ほ、あ、ありがとうございます!」


 絢花は口が回らなくなりながらもお礼を口にした。侑吾はにっこり笑う。


「いや、急に呼んで悪かったな。用事とかなかった?」

「ないです! 全然!」


 ぶんぶんと首を振る絢花。


「よかった」


 侑吾の言葉に、絢花は口を開こうとしてやめる。どうして今日自分を誘ったのか。気になったが聞けなかった。それを察したかのように侑吾は続ける。


「別に理由とかないんだけどさ、親睦深めようかなって。絢花は忘れてるかもしれないけど、昔は結構仲良かったし。嫌?」

「い、いえいえ! 全然嫌じゃないです! そ、それに忘れてません! 全然忘れてません!」


 ガラッと椅子を引く大きな音が店内に響く。絢花が立ち上がったのだ。侑吾は面食らいながらも笑う。


「そっか」

「ご、ごめんなさい私。立ち上がったりして」

「いや別に。ありがとな」


 そこで会話が途切れた。居心地の悪い沈黙が二人を包む。破ったのは侑吾だった。


「あ、絢花って誕生日いつ? 俺もうすぐなんだよね」


 絢花はおずおずと答える。


「10月14日です」

「おお! 俺10月15日! 一日違いじゃん!」

「……知りませんでした」


 嘘だった。本当はよく知っていたが、知らないふりをした。その方が侑吾が喜んでくれると思ったからである。思惑通り、侑吾はニコニコと笑った。


「運命かもな」


 絢花は泣きそうになる。それがバレないようにうつむいた。


「侑吾君!」


 絢花と侑吾は一斉に声の方を向く。店の入り口に唯奈が立っていた。唯奈は嬉しそうに二人の席までやってきた。


「唯奈!? なんで」


 驚きを口にする侑吾。それを唯奈はさらりとかわす。


「え、たまたま。ねえ私もいい?」


 困ったような視線を送る侑吾に、絢花はにこやかに言った。


「私は、大丈夫ですよ」




 数時間後。絢花は自室のベッドにうつぶせになり、泣いていた。悔しかった。悲しかった。自分が情けなかった。その全てが涙となりあふれてくる。


「浅賀先輩……」


 絢花は昔侑吾にもらったハンカチを手に言う。つぶやきは誰にも届かず、宙に消えた。はずだった。


「あやちゃん」


 自分を呼ぶ聞きなれない声に絢花は顔を上げる。誰もいない。声のしたあたりには、てんびんを持ったうさぎのぬいぐるみが置いてあった。


「気のせいかな」


 少しの気味悪さに、絢花はわざと声を出してみる。瞬間てんびんうさぎがぴょんと跳ね、絢花を呼んだ。


「あやちゃーん!」


 絢花は驚きに声も出ない。目だけを皿のように丸くした。てんびんうさぎは話し続ける。


「僕はてんびんうさぎ! 今夜だけ魔法使いなんだ! よろしくね!」

「よろしく……」


 絢花は思わず返事をした。てんびんうさぎはにっこり笑うと、絢花にてんびんを持っていない方の手を差し出す。


「さあ、僕の手を取って!」




3.魔法は夜の国へいざなう


 何故だか分からないが、その手を取らないのはひどく不自然な気がした。手に持っていたハンカチをポケットにしまうと、絢花はそっとてんびんうさぎの手を取る。絢花の体は宙に浮いた。


「体が、浮いてる」


 驚きはあったが恐怖はなかった。てんびんうさぎはハリのある声で言った。


「出かけよう。夜へ!」


 絢花は侑吾と話すときのような高揚感を覚える。出かけたい。飛び出したい! そう思った時、すでに絢花の体は夜の空を飛行していた。


「すごい。ほんとに、飛んでる!」

「魔法使いだからね!」


 得意げなてんびんうさぎに、絢花は問う。


「どうしててんびん君は魔法使いなの?」


 てんびんうさぎはキラキラの瞳で答えた。


「君がそう願ったから!」


 なんだか絢花は泣きたくなった。笑いたくもあった。絢花は言葉が出ず、ただ美しい夜景を眺める。そんな絢花の手をてんびんうさぎがグイと引いた。


「雲の上に行くよ! 夜の国へ!」

「夜の国?」


 首をかしげる絢花。てんびんうさぎはかまわず続ける。


「手を離さないでね!」


 風の音が絢花の耳をふさいだ。思わず目をつむる。その音がやむのとほぼ同時にてんびんうさぎの声がした。


「ここが夜の国だよ!」


 絢花はそっと目を開ける。


「すごい。雲の上に町が……」

「ただ一つ!」


 突然てんびんうさぎはぐいと絢花に顔を寄せた。


「朝までに雲を出ないと永遠に帰れなくなってしまう!」


 ごくりと息をのむ。


「でも大丈夫! 朝までに帰ればいいんだ!」

「う、うん」


 にっこりとてんびんうさぎは笑う。


「夜間散歩だよ! 楽しもう!」


 跳ねるてんびんうさぎに絢花も笑みがこぼれた。パステルカラーの世界。道も、川も、森も。全てが淡く輝いている。なんて美しいんだろう。なんて素敵なんだろう。そんなことを考えながら絢花は歩いていた。ふと、ポケットからハンカチを取り出してみる。なぜ取り出したのかはわからない。ただこの美しすぎる風景の中に囚われてしまいそうで、少し怖かったのかもしれなかった。絢花にとってそのハンカチは現実そのものだったのだ。風を感じ、顔を上げる。木に実ったルビーのような果実が目に入った。その芳醇そうな見た目に気を取られ、絢花は何かにぶつかる。顔を上げて確認すると、それは人だった。よく知った人だった。


「浅賀、先輩……」


 侑吾そっくりのその男は、真っ直ぐ絢花を見て告げた。


「はじめまして。かわいいお嬢さん。俺はユーゴ。よそ見はいけません、あなたのようにかわいい方はなおのこと。ああでも、もしよければお茶会にいらっしゃいませんか?」


 にっこりとほほ笑むユーゴ。


「ちょ、ちょっと待ってください」

「いたたた。引っ張らないでおくれよ!」


 絢花はてんびんうさぎを少し離れた場所に連れていき、こそこそと聞いた。


「どうして浅賀先輩がいるの?」


 てんびんうさぎはさも当然のように答える。


「ここは夜の国、誰かの夢が叶う場所。きっと彼は君の夢さ」

「わたしの、ゆめ……」


 いつの間にか絢花たちの背後に移動していたユーゴが声をかけた。


「ご相談は終わりましたか?」


 絢花は驚き、思わず手からハンカチを離してしまう。


「あ!」


 絢花とてんびんうさぎが同時につぶやく。柔らかな風に乗り、ハンカチはルビー果実の木の幹に引っかかった。ユーゴが木に向かって走り出す。木の下にたどり着いたユーゴは勢いをそのまま、ジグザグに木を登っていった。あっという間にハンカチを取り、来た道を戻ってくる。絢花とてんびんうさぎはただ茫然と立ち尽くしていた。


「どうぞ」


 にっこりとハンカチを差し出す。絢花は真っ赤になりながら受け取った。


「あ、ありがとうございます」


 あまりにも鮮やかで、見事で、かっこよかった。ユーゴは戸惑う絢花の手を取り、歩きだす。


「さあこちらへ」

「あ……」


 ふわふわと歩く絢花。淡い青色のバラが咲き乱れる庭園へといざなわれていく。


「きれい……」

「ようこそ。ブルーローズガーデンへ。すぐにお茶をご用意いたします」


 そう言うと一瞬のうちにユーゴはどこかへと消えていった。




4.明日への魔法


 ユーゴは慣れた手つきで薄青色のお茶を二つのカップに注ぐと、一つを絢花の方へ差し出す。絢花はそれをおずおずと受け取った。にっこりと笑むユーゴ。


「まずは、お近づきの印に」


 ポンという軽い音。ユーゴが青いバラを差し出す。


「どうぞ。プレゼントです」

「あ、ありがとうございます」


 ユーゴはまた微笑む。


「では、あなたの話を聞かせてください」

「え?」

「あなたの話が聞きたいんです」


 真っ直ぐに見つめられ、絢花はなんだか悲しくなった。


「お嬢さん?」

「ユーゴさんには、仲の良い女の人はいますか?」


 何故かスラスラと口にできる。このユーゴは、自分の願いをなんでも叶えてくれる。そんな風に思わせる何かをこの男は持っていた。てんびんうさぎは不安げに絢花を見る。


「あやちゃん?」


 絢花は答えない。反対にユーゴは絢花の問いににこやかに答えた。


「いませんよ」


 何を聞いているんだろうと自虐的になりながら、絢花の口は止まらなかった。


「好きな人がいるんです。でもその人には、仲の良い女の子がいて。私、なかなか気持ちを打ち明けられないんです。それでその人は……」

「俺に似ている?」


 ユーゴの言葉に、絢花の感情をせき止めていた何かが壊れる。絢花の頬を涙が伝う。


「大好きなのに。私の方が絶対大好きなのに……! いつも唯奈先輩が側にいて……!」


 椅子から立ち上がり、ユーゴは絢花の涙をぬぐう。


「もう大丈夫。俺は君だけを見ています」


 てんびんうさぎがあわてて口を開く。


「あやちゃん、夢におぼれてはいけないよ!」


 絢花はうつむいて首を何度も横に振る。


「わかってる。この人は違うって、わかってるけど」


 沈黙が流れる。ユーゴは何も言わない。絢花がそっと消え入りそうな声でつぶやいた。


「私ずっと、ここにいたい……」

「あやちゃん!」


 てんびんうさぎは椅子から飛び降りる。


「ここにいましょう。俺と一緒に、永遠に」


 絢花の肩を抱き、囁くユーゴ。


「あやちゃんダメだ! 朝が来る前に戻らなくてはここから永遠に戻れなくなる!」


 絢花はぼんやりと言う。


「戻れなくても、いい……」

「あやちゃん!」


 ユーゴが絢花の手を引こうとする。ぐらりと絢花の体が揺れた。かさりと絢花のポケットから何かが落ちる。てんびんうさぎがのぞき込む。


「これは」


 絢花の瞳に光が戻った。


「それ、先輩が昔くれた」

「あやちゃん」

「え……?」


 てんびんうさぎは真剣な顔で絢花を見つめる。


「ここにはたしかに魔法がある。でも君は思ったはずだ。今日もらった本物の青いバラより、あの日もらったハンカチの赤いバラの方が嬉しかったって!」


 絢花はハッとした。


「……そう、不思議だった。すごく、すごく嬉しかった。だけど、あの日の方が、嬉しかった。ねえてんびん君。どうして?」


 てんびんうさぎは力強く答える。


「簡単だよ! たとえ都合が悪くても、思い通りにならなくても、仲のいい女の子がいても、それでも君が好きなのは、現実のあさか先輩だからさ!」

「現実の、先輩」


 ユーゴを見る絢花。ユーゴは変わらず微笑んでいる。てんびんうさぎはさらに続ける。


「たしかに夜の夢は美しい。でもずっといたらダメなんだ。あやちゃんの本当の夢は、現実の中にあるのだから!」

「私の、夢」


 すがるような目で絢花がてんびんうさぎを見た。


「だいじょうぶさ。僕がついてる」


 絢花は頷き、ユーゴに向き直る。


「ユーゴさんごめんなさい。私戻らなきゃ」


 こてんと首を傾け、ユーゴはどこかさみし気に笑った。


「……かまわないよ。俺はいつでもここにいるから」


 てんびんうさぎが絢花の手を取る。


「さあ戻ろう。じきに朝が来る!」

「うん!」


 絢花は落ちたハンカチを拾い、しっかりと握った。




 ふと気づくと絢花は自分の部屋にいた。ハンカチを手に、ベッドにうつぶせになっている。


「てんびん君!」


 思わずぬいぐるみの方へ振り返る。もとの位置に鎮座しているてんびんうさぎ。絢花は目を伏せた。


「夢見てたんだ」


 俯く絢花の耳に、キラキラと何かが囁く。それを聞いて絢花は心に勇気が宿るのを感じていた。


「ううん。夢じゃない。きっと大丈夫だよね。だっててんびん君が、運命がついてるもん!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ